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9.days

 

家に帰った私は、今日保健室で銀ちゃん先生に言われた事をずっと考えていた。

それは、少し思い当たる事があったから。

つけられてるかどうかは分からなかったけど、何となく学校にいても誰かに見られてるような感じがあった。

放課後に残って勉強してる時もそうだったし、サドとケンカしてる休み時間もそうだった。

家にいる時は分からなかったけど、仮に今日の張り紙の事が私達のことだったら、学校を出た後も誰かに観察されてるのかも知れなかった。

こんな事のせいで私は久々に家まで真っ直ぐに帰り、自分の部屋で着替えをしていた。

神威がそろそろ帰って来る時間だけど、今日は頑張って家に居ようと思ってた。

顔なんて合わせたくないし、一緒の空間にいるのも気まずかったけど……先生には当分会えそうもないから。

私は頑張ってみようと思った。

そう思ってるうちに玄関のドアが開き、神威が帰ってきたようだった。

いつもなら鍵の掛かってるドアが開いていて、神威も私が居ることは分かってるはずだった。

だけど、私に声を掛ける事もなく自分の部屋に入って行った。

 

 

少しして、私はドアをそっと開けてそれを確認すると台所へと向かった。

冷蔵庫を開ければ神威が買って来たのか、色々な食材が入ってた。

前までなら使ってもいいか尋ねに部屋に行けたのに。

今は声を掛けられない現実が信じられなかった。

私は仕方がないから出前でも取ろうと、電話の受話器を上げてピザ屋の番号を押そうとした時だった。

背後でガチャっと言う音が聞こえた。

心臓が飛び上がる。

部屋から神威が――兄ちゃんが出てきた。

固まる体が恐怖を感じてるのは分かった。

頑張るなんて思ってたのに、あの日の記憶が私を凍りつかせる。

もう、何もしないでと私は心の中で祈っていた。

それが通じたかは分からないけど、神威は私に近付く事もなく、また玄関から出て行った。

僅かに見た後ろ姿は制服じゃなく、ケンカしに出て行ったわけじゃなさそうだった。

毎日夜の9時には出ていって、いつ帰って来てるのか私は知らない。

学校自体ちゃんと行ってるのかすら分からなかった。

兄ちゃんだって慣れない土地に来て、もしかしたら色々何かあってあんな事を――

神威のことはやっぱり怖いけど、だけど嫌いにはなれなかった。

だって優しい時も知ってるから。

それでも、許せないのは紛れもない私の本心だった。

私はピザ屋に電話するのを止めて、冷蔵庫の食材で勝手にカレーを作ってやろうと思った。

それぐらいしたっていいよね。

私は久々に大きなお鍋でカレーを作る事にした。

 

 

一人で夕食をとった後、銀ちゃん先生から電話が掛かってきた。

 

「大丈夫か?」

 

第一声がそれだった。

どんなに心配してくれてるんだろう。

私は何とか大丈夫と答えた。

 

「アレ見たよな?」

 

先生の指すアレが私へ宛てた手紙の事か張り紙の事かは分からなかったけど、どちらも両方見ていたので私はウンと小さく返事した。

 

「暫く学校以外で会わない方がいいみてぇだな」

「そうアルナ」

「でも、いざとなれば来いよ。俺もアレがどこの野郎の仕業か探ってるから。ぜってー犯人捕まえてやるからな」

 

先生はどうやら張り紙の話をしてるらしく、アレを貼った人を犯罪者のように言ってた。

だから私は言ってみた。

 

「先生の方が犯罪者ヨ」

「イヤ……イヤイヤイヤ!待てって、犯罪になるような事はしてねぇだろ?」

「そうネ。でも、ギリギリヨ」

「…………」

 

黙り込んだ先生がおかしくって、私は笑いを堪えるのに必死だった。

 

「何笑ってんだよ!心配して電話掛けりゃ随分元気そうで!さっさと飯食って寝ろ!」

「怒んないでヨ。冗談ヨ、冗談」

 

それから暫く私は先生と電話でお喋りを楽しんだ

毎日学校で会ってるのに、どうして話す事がなくならないんだろう。

先生はやっぱり私をすごく安心させてくれた。

今日は抱き締められた訳でもないのに。

どれくらい喋っただろう

いい加減に眠くなって来た私は、心配してくれた先生にお礼を言うと静かに受話器を置いた。

先生と話すのは楽しいし、すごく安心する。

それは銀ちゃん先生が大人だからなんだろう。

私はそう思っていた。

ガチャンと言う音と乱暴に開けられた玄関のドアに、私は神威が帰って来た事に気付いた。

どうしようかと私は慌てたけど、いつまで経っても足音も部屋のドアが空く音も聞こえなかった。

私は恐る恐る玄関に足を運ぶと、そこには玄関の壁にもたれて座り込む神威の姿があった。

着てる服の胸元は真っ赤に染まっており、私は思わず悲鳴をあげた。

だけど、神威はそれに反応を示す事はなく、俯き気味の顔からは表情すら分からなかった。

私は神威の傍らにしゃがみ込み、体を小さく揺すってみた。

 

「お酒くさいッ」

 

神威はどうやらお酒を飲んでるらしく、赤く染まった服からもアルコールの匂いがしていた。

私はそこに指で触れてみた。

やっぱり。

それは赤ワインだった。

決まった様に9時に出て行っては、毎晩飲み歩いてたんだろうか。

私は神威をそうさせてしまったのは自分のような気がしてならなかった。

酔っ払ってフラフラの神威を抱えて何とか歩かせると、私は神威を部屋へと連れていった。

久々に入った神威の部屋は別に何といって変わりは無かったけど、前まで飾られていた私と撮った写真はなくなっていた。

神威をベッドへゴロンと寝かせると、私は赤ワインで汚れてしまった白いシャツを脱がせようとボタンに手をかけた。

震える指が上手くボタンを外せなくて、私は冷や汗をかいた。

その指を突然、伸びてきた神威の指に掴まれて、更に私の体は震えた。

 

「神楽、いいよ。自分で脱ぐから」

「うん」

 

フラフラっと半身を起こした神威は適当にボタンを外しシャツを脱ぐと、その辺の床に投げ捨てた。

そして、結ってる髪を振りほどき、背中越しに微睡んだ顔を私に向けた。

 

「このまま、全部脱ぐとこ見たいの?」

 

私は急いで部屋を飛び出た。

神威は前までと何にも変わらなかった。

まるで記憶でも抜け落ちてしまったかのように……

私は自分の部屋へ逃げるように駆け込んだ。

神威に謝って欲しいわけじゃなかった。

神威がどうしてあんな事をしたか、私なりに考えてみたりもした。

そして、いつも辿り着くのは私の事が“嫌い”だから。

それしか考えられなかった。

でも、私は一度もそんな風に思われてるなんて考えてもみなかった。

だって優しかったから。

だったら嫌いになるキッカケがあったんだろうか

嫌われる理由が――

あの学校の張り紙だってそうネ。

あんな所に掲示する理由が分からなかった。

本当に問題として扱うなら、校長や理事長に報告して、関係者だけで話を着ければいいだけだし。

きっと、アレを貼ったのは私の事を嫌いな人間。

一体、それは誰なんだろう。

コソコソされるのは苦手だった。

それだったら、正面切って喧嘩を売ってくるサドの方がずっとマシに思えた。

腕っぷし勝負のケンカなら、私だって負ける気しないのに。

こうやって問題は次から次に私に降りかかるのに、どの問題も解決する気配がなかった。

でも、それは私だけじゃなかった。

皆がそうだった。

私が知らないだけで、皆何か問題を抱えていた。

神威が長い髪で隠した体や、先生が受話器を置いた後に伏せた顔。

放課後のヅラや、トッシー、隣の席のサドだって、誰にも言えない秘密を隠して苦しんでいた。

それに私がもっと早く気付けたら違うかったんだろうか。

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10.記憶/神威

 

温もりが欲しかった。

軋む心が求めずにいられない程、苦しんでいた。

近くにいるから――そんな理由じゃない。

お前だったから。

だけど、その理由が一番お前を苦しめてしまってるんだろう。

気付いてたのにな。

 

 

 

口の中が切れて、久々に自分の血を味わった。

それはどんな奴から受ける暴力よりも俺の心をへし折った。

強張った顔と俺の全てを否定している瞳が、体に感じる以上の痛みをもたらした。

飛び出した玄関の向こうはどしゃ降りで、光さえも吸い込まれていきそうな程、深く暗い闇だった。

朱色の塗装が剥がれた古ぼけたドア。

禁じられているその扉は重く閉じられていて、二度と開かれる事がないようだった。

 

 

台所に立つ神楽は毎日暴れまわって帰って来る俺を唯一、大人しくさせる。

大して得意じゃない料理も一生懸命で、やってく内に日に日に上達していた。

でも俺は味なんてそんなに気にしてなかった。

炊飯器が勝手に炊きあげるご飯さえあれば充分だった。

それでも、俺の為に手料理を振る舞う神楽には感謝していた。

 

ワケあって慣れない土地で2人だけで生活していた俺達は、身を寄せ合うように暮らしていた。

銀行口座に毎月決まった金額だけが振り込まれていて、それに頼って生活しなくちゃならない事が俺の苛立ちの大半だった。

アイツに頼らなくても生きていける。

そう思っていた。

でも神楽は違った。

また3人で暮らしたいと思ってるみたいで、口には出さなかったが、俺がいない間をみて電話を掛けてるようだったし、出掛けると言っては、たまに会ってるらしかった。

それがどこか面白くなかった。

その気持ちをぶつける様に、俺は仲間と街に出ては暴れまわった。

そうやって血塗れで帰って来る俺を神楽は怯えたような顔で見ていたが、俺に怪我がないと分かると少し安心した表情になり、もうするなと説教する。

それがすごく心地いい。

俺は俺だけを心配する神楽をもっと見てみたくて、毎日の様に喧嘩して帰った。

だけど、それは間違いだった。

初めは心配して俺に構っていた神楽だったが、これが連日になると心配どころか俺を冷めた目で見るようになった。

あんなに甲斐甲斐しく見えていた台所に立つ姿さえも色褪せて映った。

神楽だけは違うと思っていたのにな。

それは俺の思い過ごしだったんだろうか。

俺はいつしか、神楽に自分だけを見ていて欲しくなっていた。

俺だけの味方でいて欲しいと願った。

 

 

俺よりも早く布団に入った神楽は、真っ黒な俺の隣で真っ白な肌を晒して眠っていた。

静かに眠る神楽はどんな夢を見てるんだろうか。

俺の夢を見ていてくれないだろうか――いや、俺以外の夢を見るなんて許せなかった。

いつしか願いはただの嫉妬に変わり、神楽の全てを俺で埋め尽くしたいと思った。

 

外は激しい雷雨で、俺の体に流れる血が荒れ狂う海の様に波打っていた。

神楽は相変わらず静かに眠っている。

無防備に覗く白い胸元。

汚してくれと言わんばかりに俺を誘っている。

喉が鳴る。

神楽の寝息は乱れる事なく、一定のリズムを刻み、俺はそれを壊したくなる。

今まで一度だって、神楽に手を上げた事はなかった。

それは拒絶される事を嫌っていたからで……いや、何よりも怖かったんだ。

だけど、今は何を怖がる必要がある?

2人の間の会話はすっかり減っていて、既に繋がりを感じるものは体に流れる血くらいのもんだった。

皮肉だね。

それが一番お前と繋がっていたくないもので、だけど何よりも愛でたい対象だった。

こんなに愛しいお前の存在は、この血がなくては生まれないものだった。

 

俺は眠っている神楽に覆い被さると、白く無垢な胸元に唇を寄せた。

起きる、起きない、そんなもの気にさえしていなかった。

味わえるだけ俺は神楽を味わった。

興奮してるのが分かる。

血が身体中を駆け巡り、体温が急激に上昇する。

ひび割れた心が潤っていく。

それとは裏腹に、自制心は音を立てて崩れていく。

俺だけに染まって、どうしようもなくなって、2人でこのまま堕ちていけるなら――

 

「神楽、愛してる」

 

無我夢中で神楽の服を脱がせると、俺を貫くような真っ青な瞳に気付いた。

 

「いやぁぁあ!」

 

次の瞬間、腹部に痛みを感じ、油断した隙に次は顔に痛みを感じた。

窓の外の稲光が室内を青白く照らし、暗闇に神楽の姿を浮かび上がらせた。

俺を見る瞳は見開かれ、驚きや恐怖、そして俺を軽蔑し否定していた。

でも、それすらもねじ伏せ、神楽を従わせる力を俺は持っていた。

まだ微かに唇に残る肌の温もりや、匂い、白い肌を露にしたままの神楽が俺を引き寄せる。

このまま無理矢理に重なれば、俺は……俺達はもう寂しくなくなるんだろうか。

ジリジリと近寄れば、神楽の白い顔が更に白くなる。

ただ、お前の温もりが欲しいだけだった。

俺だけが安らげる場所を望んだだけだった。

 

「どう、してヨ」

 

そう言って涙を流す神楽に、俺は途切れそうだった意識が体に戻るのが分かった。

我に返った俺は自分の犯した罪に愕然とした。

机の上に置いていた財布だけを持つと、神楽の横をすり抜け家を飛び出した。

行く宛なんてなかった。

あったとしても今の俺じゃ誰にも会えなかった。

俺は何もかもを捨てるつもりで出ていった。

神楽だけを残して――

戻るつもりはなかった。

あいつとはもう二度と“兄妹”に戻れない事も分かっていたから。

いや、戻りたくなかっただけかな。

何も出来ずに側にいることが俺の苦しみなら、いっそ離れてみる事も必要だった。

それにもっと前に、こんな事になる前に気付いていれば、どんなに良かったか。

今じゃ全て手遅れだ。

他の事で俺の中が満たされていくことはなく、本当に神楽しか俺には救いがなかった。

本当に神楽しかいなかった。

俺はしばらくの間、神楽の前から姿を消す事にした。

それから、何にも感じない体で女を抱いた。

アイツを忘れる為にひたすらに。

それが余計に自分の気持ちを再確認させた。

忘れられるような半端な気持ちじゃない事が、浮き彫りになっただけだった。

神楽を愛してる気持ちはきっとこの先も変わらないだろう。

だからせめてちゃんと冷静になれるまで、神楽をこれ以上傷付けない為にも、あの重い扉は開けない事にした。

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