5.days
その日、私は他の生徒と同様に登校した。
いつもなら、誰も見送ってくれない家を遅刻ギリギリで飛び出すと、フランスパンを加えながら走っていく。
それが私のお決まりだった。
校門をくぐり、髪が乱れるのも気にせず下駄箱まで猛ダッシュ。
急いで靴を履き替えれば階段を駆け上がり、3zの教室へと滑り込む。
そして、何事も無かったかのようにチャイムが鳴る頃には席に着いてる。
いつもならそうだった。
だけど今日は違った。
ほんの少し目覚めがよくて、遅刻ギリギリじゃなかった。
少し余裕を持って学校へ着く事が出来た。
下駄箱で靴を履き替えてる時に、私はそれに気付いた。
一階の昇降口の隣にある掲示板に人だかりが出来ていた。
大抵、その掲示板には生徒会からのお知らせや委員会活動の報告が掲示されていて、普段そんなに人が集まるようなことは無かった。
それが、今日はもうすぐでチャイムが鳴ると言うのに、色んな学年の生徒がいっぱいで寄って集って何かを見ていた。
私も少し興味があり、人混みを掻き分けると、僅かに出来た隙間から掲示板を覗き見た。
そこには特に何ってものはなく、ただ一枚の紙が貼られていた。
だけど私はその紙に書かれている言葉に、自分の鼓動が速まるのがわかった。
その場には何十人も居て、皆がその一枚の紙に意識を集中させている事に私は怖くなった。
皆が警察で指名手配の犯人捜しを行ってるようにさえ見えた。
そのせいか、聞こえてくる会話はどれも愛情の無いものに聞こえる。
「誰だろう……うちのクラスの奴かな?もしかしてアイツじゃね?」
「あーあ、これは大問題だね!マスコミが騒ぐよ!」
「退学かな?まぁ、俺には関係ないけどさ」
そんな言葉が頭の中でぐるぐる回り、私は自分の青ざめていく顔色が、噂話で盛り上がってる人達にバレてしまわないか心配になった。
一刻も早く立ち去りたい
だけどそうする事によって、この張り紙の指し示す人間が自分だと言ってしまってるように思えて、結局どうすればいいか分からなくなった。
「下らぬ事。たかが噂に五分前行動を怠るとは、学舎に何しに来てるのか」
潜めた声で話す独特の空気を切り裂くように、誰かが辛辣な言葉を述べた。
それまで噂話で持ちきりだったフロアは静まり、皆がその声の主を一斉に見た。
そこには長い黒髪をサラリと靡かせたヅラが立っていた。
ヅラはツカツカと人を掻き分け掲示板の前まで来ると、貼られていた紙を勢いよく引き剥がした。
「こんなものッ!黒ヤギさんにでも食わしてくれよう!五分前行動の大切さを、お前らは全く分かってないようだな!チャイムはもうスグ鳴ると言うのに……」
突然現れたヅラは、五分前行動の大切さを集まってる生徒達に急に説き始めた。
「そう言うお前だって出来てねーだろ!」
「そうだ!そうだ!」
ヅラはそんな野次にも顔色を変える事なく更にこう言った。
「おまえらが五分と言う時間をどう使おうが勝手だが、学校の掲示板をこんな事に使うのは生徒会長として俺が許さん!」
その言葉に集まっていた生徒達は、面倒臭いと言わんばかりの顔をして各々の教室へと入って行った。
それもそのはずで、ヅラは生徒会執行部でもなければ、生徒会長でもなかった。
いつもとなんら変わらないボケの筈なのに、何故か今日は違う感じがした
私は聞きたくなった。
どうしてヅラがあんな嘘をついたのか。
どうしてヅラがあんなにも怒ったのか。
私は階段を上がって行くヅラを追いかけると、後ろから声をかけた。
「オイ、さっき……」
「次期生徒会長選には是非俺に一票を頼む」
「もう一度3年やり直すアルか?」
もっと何か意味があってヅラはあんな事をしたんだと思ってたけど、ボケをかますところから、案外本当に五分前行動をとらない生徒に怒っていたのかなと思った。
つくづくヅラの事が分からなくて、私の考え過ぎかと思った。
「オマエも五分前行動、出来てないネ」
そう言った私にヅラは一瞬驚いたような顔をして、そして何処と無く寂しげな表情を浮かべた。
「五分前行動より、もっと前にとらなきゃならない行動もある」
私はそう言ったヅラの言葉の意味が分からなかった。
だけど、寂しげな表情の意味は、私がそれを理解出来なかったからなんだろう。
何となくだけど、それだけは分かった。
ヅラと放課後に2人で勉強するようになって、そういう事が少しだけ汲み取れるようになった。
でも、あともう一歩が踏み込めなかった。
ううん。
そこは踏み込まないことにしていた。
私は無言で階段を上がった。
隣のヅラも特に何かを言うわけでなく淡々としてた。
そして、3zの教室のフロアに着いた時だった。
「リーダー、ちょっと付き合ってくれないか」
時計を見ればもうあと数分でチャイムが鳴り、点呼を取られる時間だった
だけど私はついて行けば、さっきヅラがとった行動の意味を知れるような気がしていた。
それが解るなら遅刻になっても構わないと、ヅラに付き合う事にした。
ヅラは更に階段を上がった。
どこへ行くのか。
私は何も言わずにヅラについていった。
「屋上?」
ヅラは後ろを歩く私を振り返ると小さく頷いた。
そして、屋上へと出るアルミのドアを開けると強い風に髪を靡かせた。
その瞬間、チャイムが鳴り響く。
それは私達の遅刻が決定した合図だった。
「何するネ。こんな所で」
するとヅラはポケットからクシャクシャに丸まった紙を取り出した。
「俺はこれを処分しようと思ってな」
そう言ったヅラの顔を見て私は確信した。
全部分かってたんだって
嘘を吐いたのも、張り紙に怒ったのも全部分かってたからだって。
「リーダーも手伝ってくれないか」
ヅラは丸まっていた紙を広げると、半分に引き裂いた。
そして片割れを私に寄越した。
「ゴミ箱にも捨てる価値がない。俺はそう思う」
そして、ヅラは私にマッチを差し出した。
私は何も言わずにマッチを擦ると、ユラユラした炎を紙に近付けた。
ボッと燃えたそれはスグに地面に落ち、一瞬で灰になった。
呆気ない程にそれは早くて。
「嘘か本当かは関係ない。傷付く誰かがいる事を平気でやる人間に虫酸が走るだけだ。例え本当だったとしても、匿名で声をあげるべきでは無いだろう」
私はそれにどう返事をしていいか分からなかった。
“うちの学校の教師と生徒が交際している。直ちに両名辞めさせよ”
人混みを掻き分け、私の目に飛び込んで来た文字
それは、スグに白と黒の間をさまよった。
これって私と先生の事?
でも、私は付き合ってなんかない。だけど、潔白かと言えば――
誰かに話した事なんて無かった。
勿論、先生が誰かに話すとも思えなかった。
ヅラだって、どうして私達の関係を知ってるのかわからなかった。
それよりも、本当に書かれた内容は私の……私達の事なんだろうか。
だとしたら、誰がこれを書いたんだろうか。
私の謎は深まるばかりだった。
「用事も済んだことだ、教室へ行くとするか」
「そうアルナ」
屋上のドアを閉める前に私は風に乗ってどこかへ消えていく灰を見た。
あんなに簡単に紙は消えてしまったのに、きっとこの噂自体はスグには消えないだろう。
そう思うとまた鼓動が速まって、息苦しくなった。
ヅラと2人で教室に着いた頃には一限目が既に始まっていた。
だけど、幸か不幸か銀ちゃん先生の授業だった。
「2人して遅刻か。廊下に立ってろって言いたいとこだが、座って宜しい」
私は、先生にはあの張り紙の話が入ってないんだろうかと気になった。
だけど、先生はいつもと変わらなかった。
それとも、大人だから平気でいられるんだろうか。
私は席に着くと、急いで教科書とノートを鞄から取り出した。
隣のサドの視線がヤケにうざったく感じたけど、今日はそれに文句を言う気にもなれなかった。
これからどうすれば良いんだろう。
私は不安になっていた。
ヅラに全て話して相談に乗ってもらうと良いんだろうか?
とにかく、私は一日も早くあの噂が無くなる事を願っていた。
言葉に出すものと、心で留めておくものとを俺は間違えた。
いくら勉強は出来ても、そんなことが解らないとは――テストで0点を取るよりも致命的なんだろう。
最初は乗り気ではなかった。
俺は3年z組の学級委員ではあったが、クラスメート個人のために時間を割くなどと言う事は自分の仕事ではないと思っていた。
しかし、銀八のちらつかせた近所の蕎麦屋の“無料券”に俺は買収されてしまった。
そんな事で俺は放課後に居残って、クラスメートの女子に勉強を教える事になった。
「リーダー、そこはそれじゃなくて」
「じゃあ、こっち?」
「いや、そっちでもなくて」
「じゃあ、あっちネ!」
「リーダー……」
正直に言うなら、蕎麦屋の無料券たかが数枚に、全く見合わない労働だった。
この成績優秀の俺でもってこれならば、他の連中には手に負えないだろう。
ならば余計に学級委員である俺が面倒を見てやらなければと思っていた。
それにリーダーも日を追う毎に学習し、赤点ラインギリギリではあったが、確実に小テストの点数は伸びていた。
初めは俺自身もリーダーとの微妙な距離感に戸惑いがあった。
だが、毎日の様に放課後一緒にいたお陰で、今ではすっかりと打ち解け、放課後のこの学習の時間が一つの楽しみにもなっていた。
「リーダーも頑張ったな。この調子で行けば次のテストは、平均点を上回るかもしれないな」
「本当アルか!それなら、もうオマエに居残ってもらう必要も無くなるネ」
そう喜んで言ったリーダーの言葉に俺はすっかり忘れていた事を思い出した。
そうだった。
リーダーの成績が充分に安定すれば、俺が面倒を見てやる必要も無かった
それはこの2人で勉強する時間の終わりを指していた。
それを思うと寂しさが込み上げてくる。
別に毎日クラスで顔を合わせるし、それなりの会話だってする。
それなのに俺は――
「終わったアル!」
「いや、終わってない!」
「えっ、だって問題全部解いたアル。まだやらせる気ネ?」
「あ、いや、済まない。そうだな。今日は終わりにしよう」
自分の世界と混同してしまっていた俺は、慌ててリーダーに謝ると帰る支度を始めた。
そもそも同級生の女子とあまり仲良くする機会がなかった。
だからなのか、リーダーと親しくしくなれた事は少し特別な事のように思えた。
しかし、それが恋愛に繋がるかと言えば答えはノーであった。
それにリーダーは俺のタイプとは違った。
上級生がいた頃は女子の先輩に憧れたりもしたもんだが、最近は受験生と言う事もあり女子との交際は勿論、恋愛なんて事もなかった。
「じゃあ、また明日ナ」
リーダーは鞄を持ち、俺を見上げて笑顔でそう言うと教室を出た。
それと入れ替わるようにクラスメートの阿音と百音が入って来た。
あまり関わった事はなかったが、阿音の方がニヤニヤとした顔でこちらを見てきた。
その視線がとても不愉快に感じ、俺は尋ねずにいられなかった。
「何故そのような顔で俺を見る?」
「えっ、だって。ねぇ百音」
「私に振らないで下さいよ」
仕方ないと言った風な阿音は、にやついた顔を止め、俺に近付いてくると小声で言った。
「神楽と仲が良いからさ、付き合ってるんじゃないかって噂になってるんだけど。っで2人マジで付き合ってんの?実際はどうなの?」
俺はそんな話、寝耳に水だった。
まさか勉強を一緒にしてるだけで、そんな噂が流れてしまうとは思いもしなかった。
勿論、付き合ってるなどという事実はなかったので俺は否定した。
「ふん、くだらん。そんな事実は全くない」
「えー、そうなの」
阿音は案の定面白くないような顔をした。
しかし、スグにまたあの不愉快な表情に戻った。
「でもさ、桂はそうかもしれないけど、神楽はわかんないよ?あの子、沖田ともいつも喧嘩してるくらいなのにあんたとは普通ってか、仲良さげだしさ」
「何がなんでも恋愛に結び付けたいらしいな」
「だって分かんないじゃん。神楽は好きかもしれないし……」
俺は自分の鞄を持つとまだ話し続ける阿音を振り切り教室を出た。
リーダーが俺を好きなんて事実、絶対にあるわけない。
あるはずがない。
阿音が可笑しな事を言ったせいで俺は変に心臓が騒がしかった。
何よりも、そんな噂が流れている事が勉強を頑張ってるリーダーを傷付けてしまうんじゃないかと心配だった。
せっかく上がってきた成績も、くだらない噂のせいで下がってしまうんじゃないだろうか。
俺は自分自身の事はどうでもよかった。
リーダーの事だけが気になっていた。
でも、彼女の強さは俺も知っている。
仮に噂話が耳に入ったとしても笑い飛ばせるはずだろう。
そんな事を考えながら下駄箱まで下りると、偶々銀八とすれ違った。
「よぉ、ヅラ。髪切れよ」
「ヅラじゃない!桂だ!何度も言うが切るつもりはない」
「まぁ、それは良いとして、神楽どうだ?」
「リーダーの事なら心配ない。このまま行けば次のテストは結構良い点が取れるだろう」
銀八はそうかと言うと階段を上がって行った。
しかし、中腹辺りでまた俺を振り返ると少し大きめの声で言った。
「付き合ってんだってなァ。まぁ成績さがんねぇ程度に仲良くやれよ」
「だから、それは――」
まだ俺が話し終わらないうちに銀八は上へと昇って行った。
「何度否定すればいいんだ」
俺は溜め息を吐きながら靴を履き替えた。
こんなに面倒な事になるとは誰が想像しただろうか。
ただ勉強を2人でしているだけで、付き合ってるなどと言われるのは心外だった。
いっそのこと、わざと喧嘩をして仲を悪くするか。
そんな馬鹿げた事を考えた。
いや、それとも反対に――
俺は頭を振るとその考えを掻き消した。
たかが噂話に翻弄されるとは愚の骨頂だ。
俺は今まで通りリーダーの勉強を見てやるだけでいい。
それより、俺は銀八の事が気になっていた。
俺は昔から銀八と付き合いがあり、奴の事を先生とは素直に呼べない程の間柄だった。
その銀八がヤケにリーダーを気にしており、リーダーもリーダーで銀八をとても慕っていた。
リーダーは普段分厚い眼鏡を掛けていて気付きにくいが、眼鏡の下は端麗な顔立ちで肌も白く、まるで人形のようだった。
そんな美少女が自分を慕っているのだ。
教師であろうが一人の人間で、ましてや男である以上可愛いと思わないとは言い切れ無いだろう。
銀八がリーダーを気にしてるのは、ただ留学生の生徒だから――なんて理由だけではないような気がしていた。
しかし、先ほど俺に平然とあんな事を言ってのけるからに、やっぱりただの生徒として見ているのか。
俺には誰よりも奴が理解出来なかった。
そんな事をぐるぐる考えていると、何となくだがあの様な噂話が流れても仕方ないのかもと思った。
俺が銀八を詮索したように、誰かが俺やリーダーを詮索する。
それを一々口に出すのは戴けないが、詮索するのは人の自由だった。
これと言って女子と関わらない俺が、わざわざ放課後に残ってリーダーと2人で教室にいれば勘違いされないとも言い切れない。
一体、どれくらいの人間が俺とリーダーを恋人だと思ってるのだろうか――
途端に阿音の言葉が思い出された。
“神楽は好きかもしれない”
ざわめきだす心臓が何故なのか分からなかった。
ただ、誰かに好かれる事は悪い気はしなかった。
しかし、それは憶測で事実ではない。
「リーダーは俺の事を……いや、聞けないな」
自分で分かっていた。
俺は既に噂話に翻弄されていると。
だが、それを分かってるからこそ大丈夫だと、俺はシッカリと思っていた
そうだ。
思っていただけだった。
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