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04:陰と陽

 

 あの日から、俺は1ヶ月程屯所に戻れない日が続いた。張り込み先の攘夷志士が、どうも別件で追っていた呉服屋と裏で繋がってるらしく、俺も隊を率いて密会現場へと乗り込んでいた。

 そんな緊張感が1ヶ月続けば、さすがの俺も疲労困憊だった。遊ぶ気力もない。

 久々に帰った自室で俺はぼんやりと、一日中天井を眺めていた。

「あり?もう夕方かよ」

 少し肌寒くなった気温に体を起こせば、障子の向こうが薄暗かった。

 そういや、チャイナの奴はどうしたか。もう、我慢ならず旦那にぶちまけちまったか? それとも、やっぱり諦めたか?

「変わらずだろーな」

 俺はようやく浴衣から着物へ着替えると、久々に外へ呑みに出掛けようと思った。

 行きつけの店は数件あって、その日の気分で変えていた。今日の気分はかぶき町でひっそりと営業している飲み屋だ。屯所からもわりと近く、一人で呑むには良い店だった。

 俺は屯所を出ると、赤提灯の提げられた小さな店の前で足を止めた。そして、江戸むらさきの暖簾をくぐると、店の中へ踏み込んだ。

「いらっしゃい」

 店はまぁまぁの繁盛で、それなりに賑わっていた。

 俺はカウンターの空いてる席へ座ると、とりあえず熱燗を注文した。

「あっれ? 誰かと思えば……」

 その声に一つ隣を飛ばした席を見ると、見知った顔がそこにはあった。

 赤い顔の銀髪天パ野郎。

「旦那、今日は一人で?」

 すると、ふらつきながら俺の隣に移動してきた旦那は、空の銚子を逆さにすると俺の肩に手を回した。

「ちょっと沖田くん聞いてくれよ!」

「随分酔ってるじゃねーですかィ」

 しなだれ掛かる旦那を押し返すと、俺は自分の酒を一気に口の中へと流し込んだ。

 酒の味なんて分かるかよ。こっちは嫌なこと思い出しちまったじゃねぇか。店を変えようか。

そう思い、席を立とうとした時だった。

「なぁ、女ってなんであんな面倒くせぇの?」

 呂律は回ってなかったが、旦那は確かにそう言った。

 面倒くせぇって……

 俺はまた席につくと、目の前の大将に酒と適当に食べるものを注文した。

 まだ時間は早い。宵闇だ。付き合ってやるか。

 旦那が言う“女”がどこの誰の事かは知らなかったが、どうも聞かずにはいられない気がした。

 俺は旦那に酒を奢ってやると何も知らないフリをして、話を聞いてやることにした。

 

 酒を奢られ上機嫌の旦那はよく喋った。女は物をハッキリ言わねぇ癖に、察してと言わんばかりで面倒だとか、嫌よ嫌よも好きの内はカッコイイ男にしか通じないだとか、とりあえず金がなければ愛もないだとか、本当にどーでもいい話を二時間ばかし聞いてやった。

「生憎、俺は面にも金にも困ってねーんで共感は出来ねぇや」

「バカヤロー! ナマ言ってんじゃねぇ……むにゃむにゃ」

 遂にリミッターを超えたらしく、旦那はそこからカウンターに突っ伏すと動かなくなった。

 この様子から察すると、女にでも振られたか?

 俺もフワフワとする視界にだいぶ飲んだようだった。

「沖田さん、銀さんと知り合いかい? 悪いが送っていってくれないか」

 大将があんまり申し訳なさそうに言ったもんだから、俺も今後まだ通う事も考えて断らないことにした。

 誰が面倒だか分かったもんじゃねぇや。

 重い体の旦那を担ぐと、何とか立たせて店から出た。

「冷えるな」

 あれだけ呑んだにも関わらず、一歩店を出れば木枯らしが冷たかった。お陰で酔いも少し醒めた。そのせいか旦那を送り届けるって事がどういう事か、冴えだす頭が理解した。チャイナと会うってことだ。

 

「旦那、しっかりしてくだせィ。チャイナ娘が待ってんダロ?」

「……わけねぇよ。アイツ、最近男が出来たらしくコソコソなんかやってっからな。家にいねーよ」

「そうかィ」

 遂に見つけたか? 旦那を忘れられる程の野郎を。俺が動くまでもなかったか。あんな夢まで見たってのに。

 でも、俺は安心した。俺が何かしちまう前で良かった。本当に良かった。もし実際にあの金槌を振り下ろしてたとしたら――

 考えるだけで汗が滲んだ。

「神楽もよォ、薄情だよな」

 旦那がポツリと洩らした。

「俺の気も知らずに」

 どういう意味だ?

 その言葉に俺は足を止めた。もう、万事屋はすぐそこに迫っていて、さっさと旦那を置いて帰りたかったが、俺は旦那の言った言葉の意味を知りたかった。

「気ってなんでィ。まるでチャイナに気があるような言い方でさァ」

 平静を装ったつもりだったが、微かに声が震えていた。驚きと衝撃は隠せそうもねぇ。

 すると、旦那は肩を組んで歩いている俺から体を離した。その後ろ姿は情けなく、いつ見てもこんなもんなのかと少し哀れに感じた。

「アイツを忘れる努力を充分したよ、俺は」

 何だよそれ。

 胸に込み上げてくる感情の種類は分からなかったが、焼けつくようで決して良いものではなかった。

 チャイナはテメーを忘れたくて、他の男に無理に鞍替えしたってのに……じゃあ、なんでィ。安っぽい女と腕組んでたのも、チャイナの気持ちに気付かないふりしたのも、こうやって酒呑むのも全部チャイナを忘れる努力ってことかよ。今更ンな事を言うなよ。しかも、そんな重要な事を関係ない俺に話すんじゃねーよ。

「旦那」

 俺は何を言うのか。チャイナの気持ちを分かったフリして代弁か? バカ言え。何の権限があんだよ。

 俺は目の前でよろけた旦那をまた担ぐと、言葉をグッと飲み込んだ。

「今日はちと飲み過ぎでィ」

 二階に伸びる万事屋の階段を無言で上れば、無用心に鍵が開きっぱなしの玄関の戸を引いた。

「おい、チャイナいるんだろ」

 玄関にバタリと倒れ込んだ旦那は既にイビキをかき始めていた。

 小さな靴はたたきに置いてあり、チャイナの在宅を証明していた。

「おい、旦那連れて帰って来てやったぜィ」

 すると、ようやく玄関脇の物置からチャイナが顔を出した。

「あ、オマエ」

 チャイナは濡れた髪とパジャマ姿で玄関に駆け寄った。

 どうも風呂上がりらしく、途端にいい香りに包まれた。

「ほら、上持て。俺は足持つから」

「一人で余裕アル! なめんなヨ」

 チャイナはそう言って旦那をゴミ袋でも扱うようにズルズルと引きずると、布団まで運んでいった。

 あれ、本当に旦那を諦めたか?

 あまりにも素晴らしい扱いに笑っちまいそうになった。

 チャイナは旦那を布団に寝かせると、小さな声で俺に言った。

「ありがとナ」

 俺はそれを不思議な気持ちで聞き届けると、玄関に戻り草履を履いた。

 色々と聞きたい事はあったが、アイツから何か言ってこない限り知らないふりをしようと思った。

 俺もあんな夢見たせいで、どうも居心地が悪かったからな。

 早く帰ろう。

 そう思い、玄関の戸に手を掛けた。

 そういや、旦那がコイツに気がある事は内緒の話だったんだろうか。

 酒の席での話を外に持ち出すのは不粋だったが、もし俺がそれに構わずチャイナに話したとしたら、一体どうなっちまうのか。

 こんな様の旦那を見りゃ、どう足掻いたって旦那がチャイナを忘れることなんざ出来ねぇだろう。チャイナも旦那の気持ちを知れば、また旦那を気にならずにはいられねぇ。そうすれば、ようやく想いのベクトルは向かい合って、チャイナが辛いなんて洩らす事はなくなる。それに、アイツが俺に頼ることもなくなって、溺れろなんて言った俺の言葉はただの戯言と化す。旦那とチャイナの為にも、その方が良い筈だ。なら、俺はここでチャイナに旦那の気持ちを教えてやるべきか?

「テメーに吉報だ」

「一ヶ月もどこ行ってたアルカ?」

 チャイナと俺のタイミングが重なった。だが、ハッキリと聞こえた。一ヶ月と言う単語が。

 俺は背中の向こうにいるチャイナを振り返ると、どういうワケか心拍数が上昇していった。

「な、なんで知ってんでィ。俺が一ヶ月間、屯所に戻らなかったこと」

 チャイナは俺を睨み上げると急に胸ぐらを掴んできた。

 本当に暴力的な女だ。野蛮にも程があんだろィ。

 だが、チャイナの目は今までのどんなものとも違った。多少の苛立ちは見受けられたが、心底俺に腹を立ててるわけではなさそうだった。

「やんのかよ」

「私、毎日屯所行ったネ。オマエに会いに」

 嘘だろィ。

 チャイナの言葉に俺は汗が噴き出した。嫌な汗だ。酔いなんて、もうすっかり醒めちまってる。

 だが、チャイナはメンチをきりながら俺にグッと顔を寄せると、偉そうに言い放った。

「オマエが言ったんダロ! 溺れろって」

 旦那。どうもチャイナに男が出来たのは本当らしいや。ただ、それがこの俺ってことは、どうやったって口にする事は出来なかった。

「……なんだよ。じゃあ、旦那を諦めたのかよ」

 チャイナは何も言わなかった。

 なんか言えよ。普段ベラベラと止まらねぇ癖に。

 俺は胸ぐらを掴むチャイナの手を引き離した。

「なら、明日来いよ。テメーが本気なら……」

 本気なら、どうすんでィ?

 俺はそこから先の言葉に詰まり、逃げるように万事屋から出て行った。