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4.灰色ラブレター

 

太陽が頭の上に高く昇り、目の前に揺らめく水面がキラキラと輝いていた。

今日は高校生活最後のプールの授業の日だった。

苦手な日の光のせいで体調が優れず、プールの授業をずっと見学していた神楽だったが、この日ばかりは最後だからと紺色のスクール水着に身を包んでいた。

更衣室から出て、プールサイドにやって来れば、慣れない格好に恥ずかしさが込み上げてきた。

 

「なんか……恥ずかしいアル」

「神楽ちゃんは手足も長いし、恥ずかしがるような事なんて全然ないわよ!」

 

モジモジとしている神楽にお妙はフフフと微笑むと、神楽の頭に水泳キャップを被せてあげた。

 

「ほら、神楽ちゃんのレアな水着姿に男子も釘付けみたいね!」

 

神楽はチラリと少し離れた男子の集まりを盗み見れば、お妙の言う通りに何人かがこちらを見ている気がした。

その中にあの土方もおり、神楽は急いでお妙の後ろに隠れたのだった。

神楽は何となく胸の辺りを手で隠すと、恥ずかしさに足をジタバタさせた。

 

始業を告げるチャイムが鳴り、体育委員が準備体操の号令を掛けた。

神楽はお妙から離れると、プールサイドに広がって準備体操を始めたのだった。

 

神楽の一際白い肌は男子達の目を釘付けにしていた。

準備体操をしながらも、自然と目は女子……神楽に向ける者が多かった。

透き通るような肌に、スラリと伸びた長い手足。

何よりも、神楽の眼鏡を外したその顔に男子の注目は集まった。

誰かが言った。

 

「チャイナって全然アリだよな」

 

その言葉を皮切りに、各々が胸の丈を吐き出した。

 

「正直、付き合えるなら付き合いたいよな」

「俺は一回だけならお願いしたい」

「小さくて可愛いですよね」

 

本人には聞こえないのを良いことに、好き放題神楽について話していた。

しかし、土方は特にこれに加わる事なく、ただ静かに準備体操をしているのだった。

 

神楽は準備体操をし終わると、消毒を済ませ、いよいよプールの縁に立った。

飛び込むなと言われてはいるが、学生生活の最初で最後のプールの授業にその気持ちを抑えられそうもなかった。

教師の目を盗むと神楽は飛び込もうと――

その前に神楽はクラッと目眩が起こり、平衡感覚が分からなくなった。

神楽は飛び込むまでもなく、縁から足を滑らすとプールの中へと真っ逆さまへ落ちたのだった。

 

“馬鹿な事をしたから、神様が罰を与えた”

 

コポコポと肺の中に水が入り込み、神楽は呼吸が出来ない事に苦しくて仕方がなかった。

しかし、痺れたような手足を自由に動かす事が出来ず、段々と遠くなる水面に自分はどうなるのだろうなんて考えていた。

だけど、そんな呑気な事は言ってられず、水面どころか意識まで遠退いていくのだった。

 

そんな時、バシャンと水の跳ねる大きな音が神楽に聞こえた。

誰か来る。

神楽は最後の最後に、自分の元へ来る人間の姿を確かに見た。

 

「トッシー……」

 

意識を失った神楽はその黒髪の男に救い出されると、急いで救急処置を施されたのだった。

 

 

 

神楽は夢を見た。

毒リンゴを拾い食いし、倒れた自分に王子様がキスをしてくれる夢を。

モヤがかかって顔はハッキリと見えないが、その濡れたような黒髪。

だが、その王子様が誰なのか神楽には分かっていた。

 

「トッ……」

 

神楽は目を覚ました。

無機質な天井が目に飛び込んできて、ようやく自分がどこかで寝かされてる事に気が付いた。

 

「どこ?」

「あら、気が付いた?」

 

神楽は自分の休むベッドの脇に立つ女性に目をやった。

ナース服を来ている事から、どうやらここが病院だと言うことが分かった。

神楽は体をゆっくり起こすと看護師に自分がどうなったか尋ねたのだった。

 

「私、学校のプールで溺れたネ?」

「だけどね、クラスメートの子が救出してくれて、救急車が来るまで救急処置を施してくれたみたいで……あ、その子も隣の処置室にいるわよ」

 

神楽は心臓がドキリとした。

だけど、それには胸に手を当て、鼓動を改めて確認したのだった。

私、ちゃんと生きていると。

 

「今、先生を呼んでくるから」

 

そう言うと看護師は医師を呼びに部屋を出て行った。

しかし、神楽は自分の体や医師の話など正直、そんなに気にしていなかった。

それよりも神楽の意識は隣の部屋の男へと向けられていた。

危険をかえりみず、自分を助けてくれた。

感謝の気持ちをすぐにでも伝えたいと、神楽は勝手に病室を脱け出した。

 

病室を出れば薄暗く、ひんやりとした廊下がどこか薄気味悪かった。

処置室と書かれたプレートの掛かる部屋を見つけると、神楽は震えるくらいドキドキしている自分を落ち着かせた。

そして、深呼吸をすると静かに部屋を覗き込んだ。

 

「ト、トッシー……?」

 

しかし、そこには誰もおらず、神楽は少し残念な気になった。

こんな時に考える事じゃないんだろうが、神楽は今なら感謝の気持ちと共に土方への想いも打ち明けられるような気がしていた。

 

「さっき、学校の先生が迎えに来て一緒に帰ったらしいわ」

 

神楽はさっき出て行った看護師に背中から声を掛けられると苦笑いを浮かべた。

そのあと、神楽は迎えに来たパピーと一緒に体の事について医師から色々と説明を受けると家に帰った。

 

「救助してくれた野郎に礼を言わなきゃならねぇな。名前は何て言うんだ」

 

家に着くと星海坊主は、さっそく助けてくれた生徒へとお礼の挨拶に行こうとしていた。

神楽は部屋着に着替え終わると、ダイニングのイスに座りながら話を聞いていた。

 

「名前アルカ……」

 

どことなく父親の前で土方の名前を出すのが恥ずかしい神楽は適当に誤魔化した。

 

「でも、家とか全然分からないアル」

「お前の担任に聞けば分かるだろ。キッチリお礼をしないとな。なぁ、神楽ちゃん」

 

どこかニヤリと笑う星海坊主の姿に殺気を感じた。

神楽はそんな父親に首を傾げたのだった。

なんで、ちょっと怒ってるんだと。

 

「神楽ちゃんも助けてくれた野郎に礼を言いたいだろ?」

「う、うん。それは勿論ネ」

「それにしても大した奴だな。服も脱がずに飛び込んだって言うから……」

「えっ!?」

 

神楽は手に持っていたマグカップをテーブルに置くと星海坊主の言葉に耳を疑った。

服も脱がずに?

確かにあの場にいたのは水着を着てる人間ばかりで……土方も水着に身を包んでいた。

じゃあ、自分を助けたのはダレ?

微かに聞こえた声、薄らいでいく意識の中、自分へと伸びてきた腕。

神楽は頼りない記憶にヒントを探してみるも、どうしてもハッキリと思い出せない。

いや、一つだけ憶えていることがあった。

黒い髪。

 

「ただいま」

 

神威が玄関を乱暴に開けると急いで神楽の元へ飛んできた。

神威は神楽を無理矢理に抱くと頬を寄せた。

 

「神楽!お前、なに、死んでないの?内臓とか飛び出てないの?なんだ元気じゃん」

「何だってなにアルカ!やってる事と言ってる事が違うアル!」

「高杉に人工呼吸されたんだろ?」

 

神楽は神威を突き飛ばすと、急いで部屋へと駆け込んだ。

高杉が人工呼吸……?

まさか、あんな不良が?

神楽はベッドに倒れ込むと、神威の言った言葉に思わず自分の唇に手で触れてみた。

それはとても熱く、だけど本当はいつもと何も違いなんてないんだろうとも思っていた。

違って感じるのは自分の気持ちが……

神楽は胸が苦しむのが分かった。

まだ制服のポケットに丸まった手紙が入ってる。

なのに、確実に自分の気持ちは神楽が望まない方向へと走り出す。

 

「あんな不良……」

 

だけど、誰よりも早くプールに飛び込んで自分を助けてくれたのは、間違いなくあの高杉で、素直にそれには礼を言わなくちゃと思っていた。

 

 

 

今日、高杉は水泳の授業を受けるつもりはなかったが、いつものたまり場に向かおうとプールを囲うフェンスの横を歩いていた。

そこを歩きながら、高杉は神楽の姿に思わず足を止めた。

雪のように白い肌。

神楽の無垢を象徴してるようだった。

惜し気もなく晒される長い手足。

そして、高杉がとても気に入ってる眼鏡を外した神楽の素顔。

それを他の男子も見ていることに高杉は気が付いた。

それを鼻で笑うと、高杉はたまり場へ足を向かせようとした。

しかし、急に見ていた先の神楽がプールへと倒れるように姿を消したのだった。

その様子はあまりにも異様で、決して飛び込んだようには見えなかった。

高杉はフェンスを乗り越えると上着を脱ぎ捨て、神楽を救助するために飛び込んだのだった。

 

誰かの為に必死になるなんて、今までになかった。

隠れていた自分が剥き出された気分だった。

神楽の折れそうな胸にマッサージを施す。

白を通り越し真っ青な顔に祈るような気持ちで人工呼吸。

触れた神楽があまりにも弱々しく感じ、自分の無駄に有り余る生命力を少しでも分けようと、高杉は神楽へ息を吹き込んだ。

 

それが届いたのか、それともただ単に処置の早さの問題だったのか、神楽は無事に息を吹き返した。

すると、それまで自分の胸の中にいると思われていた神楽は、あっと言う間に手元から離れていった。

 

「神楽ちゃん!」

「チャイナ!」

 

口々に涙ながらに神楽の名前を呼ぶ周りの人間。

その中に高杉の声は無かった。

 

「…………」

 

元々、自分と神楽の住む世界は別にあると分かっていた。

だから余計に惹かれる。

あの白さに。

真っ黒に染まってる自分の両手は神楽をいくら望んだところで、白くはなれない。

黒はいつまでも黒く。

それでも、どこかこの手で神楽を救えた事に自分自身も救われたような気がしていた。

この手で壊す以外に……守る事が出来るのか。

それでもやはり、住む世界が違いすぎると、高杉は真っ白な神楽を真っ白なままでいさせたいと思っていた。

たとえ、どんなにこの気持ちが膨れようとも、高杉は神楽と交わらない世界を生きようと思ったのだった。

 

高杉はそのあと、神楽と共に病院に行くと、銀八が持ってきた服に着替えた。

湿気った煙草やポケットに入ったままになっていた携帯。

どれもこれも初めて見る姿だった。

何よりも全身ずぶ濡れの自分の姿が滑稽で、思わず笑ってしまいそうだった。

高杉の着替えを持ってきた銀八はそんな高杉の姿を見て、突っ込まずにはいられなかった。

 

「なんで機嫌がいいんだよ」

 

着替え終わった高杉は銀八を睨み付けると直ぐに荷物を持ち、処置室から出ていこうとした。

しかし、銀八は高杉の頭にヘルメットを乗せると、高杉の肩を軽く殴った。

 

「てめぇは昔から顔に出んだよ。やっぱり、眼帯ねーとしまらないんじゃね?」

 

高杉は自分より先を歩いてく銀八が心底ムカついていた。

分かったような口を叩き、教師だからか先輩風を吹かせるような態度。

自分よりも締まらない顔でそんな事を言う銀八を高杉は、何も言えないようにしてやりたかった。

いつもなら、ここで直ぐに手を出してるところだが、今日はさすがにやめておく事にした。

 

隣の部屋でまだ眠る神楽の姿が、高杉の衝動を抑えこんだのだった。

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