1.灰色ラブレター
バカ野郎。
神楽はそう大声で叫んでやろうと思っていた。
だから、わざわざ屋上へ出向き、誰も居なくなった校庭をフェンス越しに眺めていた。
自分の胸を締め付ける辛い想い。
それを何か言葉で吐き出せば、少しは救われる気がしていた。
神楽はポケットの中でくしゃくしゃに丸められている“誰かへ綴ったウタ”を取り出した。
「一生……渡せなくなったアル」
神楽は哀しそうな表情でそう呟くと、息を大きく吸い込み腹へ力を溜めた。
そして、今自分が出せるだけの声を腹の底から絞り出した。
「バカヤローッッ!」
あまりにも大きなその声は校舎の間で反響し、関係ない人間にまで降り注いでいた。
その一人が、屋上の塔屋の影で不良行為にいそしんでいた銀魂高校きってのワル――高杉晋助だった。
普段つるんでいる“高杉一派”と呼ばれる連中はおらず、一人放課後の屋上で喫煙していたのだ。
そんな高杉は煙草を口へと加えたままゆっくりと立ち上がると、少々耳障りな神楽の背後へ近付いた。
神楽はそれには全く気付かずに、渡せなかったラブレターを眺めていた。
いくら大声で叫んだところで、胸を苦しめる感情が緩和される事はなく、ましてや一ミリもその想いが相手へと届けられる事はなかった。
不要となってしまったそれを破り捨ててしまおうか。
神楽は少し迷ったが、結局止めておこうとポケットへ終う事にした……ハズだった。
しかし、それは叶う事なく神楽の手から離れると、次の瞬間には自分の背後に立つ男の手元へ運ばれていた。
何が起きたのか。
理解する暇はなく、気付いた時には神楽を悩ませる苦しみについて男の知るところとなった。
「喚くのは勝手だが、てめぇの度胸の無さが招いた事だろ」
煙草の煙を吐きながら、シワの付いたラブレターを熟読する高杉に、神楽の顔はみるみる内に赤くなっていった。
そして、これは大変な事になったと、急いで高杉からラブレターを奪い返そうとした。
「なにすんネ!返せヨ!」
「どう見てもただのゴミにしか見えねぇがな」
高杉はあっさりと神楽へラブレターを差し出した。
それには何だか神楽も拍子抜けで、コイツは何がしたいんだと不気味に思った。
「てめぇ……夜兎工の神威の妹か?」
神楽は突然自分の兄貴の名前を出され、高杉の事を警戒した。
すっかり忘れていたが、高杉晋助と言えば巷じゃ破壊王などと恐れられており、その名を知らない学生はいない程だった。
また、神楽の兄貴も悪名高い夜兎工業高校のヘッドとして、あちらこちらで喧嘩と言う名の戦闘を繰り広げていた。
そんな兄貴を持つ神楽は、高杉がきっと自分が妹だと分かると人質にでもして、神威と喧嘩をする策を講じるのではないかと疑っていた。
「妹……じゃないアル」
「その髪色あいつ以外に見たことがねぇ。それとも、まさか奴のファンか?」
「ファンなわけないネ!誰があんなバカ兄貴のファン……あ!」
高杉はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、煙草の煙を神楽へ吹き掛けた。
「馬鹿なところもよく似てるらしいな」
「なっ!言っとくけど、私を人質にしたってアイツは助けに来るような奴じゃないアル!兄ちゃんと喧嘩したいなら夜兎工の前でも歩いてろヨ!」
神楽は煙を手で追い払いながらそう言うと、逃げるように塔屋へと向かっていった。
「待てよ。てめぇ、忘れたか?」
神楽はその言葉に思わず足を止めた。
ツカツカと神楽へ寄ってくる高杉はやはり薄ら笑いで、どこか神楽に恐怖を感じさせた。
「紙屑は確かにてめぇに返したが、内容は俺の頭がしっかり記憶してらァ。それが何を意味するか、馬鹿でもさすがに分かるだろうよ」
神楽は高杉を真っ赤な顔で睨み付けるも、何も言い返せないでいた。
――不覚だった。
今日、神楽はあまりにも周りが見えなくなっていた。
屋上には誰もいないだろうとすっかり確認を怠っていたのだ。
それが、まさか人がいて、よりにもよって得体の知れないこの高杉であったのだ。
そんな奴にラブレターを見られてしまったのは、この学生生活……いや、人生においての失態だと思っていた。
神楽は恋愛の話しなんて、普段友達にもした事が無かった。
誰が好きだとか、誰が素敵だとか。
なのに、本来なら好きな男しか知り得ないラブレターの内容を、何の関係もない停学明けの不良に知られてしまったのだった。
こうなれば、相手を記憶喪失にさせるか……いや、いっそのこと自分が記憶喪失になるしかないなどと考えていた。
「オマエ、この事……誰かに喋ったら」
「喋ったらなんだ?殴るか?俺を」
それまで薄ら笑いでいた高杉だったが、途端に神楽を見下ろす目に狂気が宿った。
それにはさすがの神楽も背筋を凍らせ、威光を放つ高杉に顔を青くさせるほかなかった。
珍しく弱気になり、泣き出したい気持ちの神楽だったが、ここで怯んではいけないと、精一杯強がり涙ぐんだまま高杉をキッと睨み付けた。
そんな神楽を見た高杉はまた目を細めると、なんの許可もなく神楽に手を伸ばし、掛けている眼鏡を外してしまったのだった。
「返せヨっ!」
「…………悪くねぇな」
「えっ」
神楽は自分に顔を近付けそう呟いた高杉に、一度心臓が大きく跳ねたのだった。
それを高杉に悟られないように急いで神楽は眼鏡を奪い返すと、顔を隠すようにうつ向いた。
「もし、このこと誰かに言えばオマエを……」
「晋助様!」
聞き慣れない声が塔屋から聞こえ、神楽は言葉の途中だったが顔を上げた。
見れば黄色い頭の女と数人の男達がこちらへ向かって歩いて来ていた。
神楽はそれに気付くと、これ以上自分の失態を知られては困ると、急いで塔屋へ向かって行った。
しかし、半歩進むと高杉を振り返り見た。
「誰にも言うナヨ!」
最後にそれだけを言って、こちらへ近付いてくる人間と入れ違うように階段を降りて行った。
「……誰ッスか?」
「また、晋ちゃんへの告白じゃない?」
すれ違った神楽を気にする素振りを見せたのは、高杉一派の紅一点、来島また子だった。
そして、それに答えたのはコロッケパンを手にしたリーゼントの岡田似蔵であった。
また子は明らかに面白くないと言った表情で神楽を見るも、スグに高杉へと駆けて行った。
「晋助、何かあったでござるか」
校庭を眺めている高杉の背中へと声を掛けたのは、いつもギターを背負っている河上万斉であった。
普段と違って見えるその背中にどうやら興味があるらしかった。
「また子、今の女知ってるか?」
高杉はまた子に神楽の事を尋ねた。
尋ねられたまた子は高杉が女子生徒に興味を持つ事があまり面白くないようだった。
「し、知らないッス」
うつ向き気味にそう言ったまた子の隣で、高杉の質問に目を爛々とさせ意気揚々に答えた男子がいた。
「あれは、3年z組の神楽さんであります。好きな食べ物はタコさんウインナーと言う、なんとも幼い顔立ちに似合った嗜好を持ち合わせていまして、またあまり体つきも大きくないと言う事が非常に……」
「黙れッス!武市変態!」
また子に怒られた、自称子供好きのフェミニストである武市変平太は、大好きな女子中学生のデータの他にしっかりと神楽のデータも管理していたのだった。
そんな危ない武市の答えを聞いた高杉はニヤリと笑った。
「教室に行くのが楽しみだな」
「晋助様?」
「万斉、ギター貸してくれよ」
高杉は鼻歌を口づさみ出すと万斉からエレキギターを借りた。
それを慣れた手付きでチューニングすると、弦を指でつま弾きだした。
「珍しいな。晋助がラブソングを選ぶとは」
「まさか、晋ちゃん……OKしたの?」
高杉は何も答えず気持ち良くギターを弾き続けた。
その姿を見ていたら、万斉は新しい曲が頭にパッと思い浮かんだ。
その一方で、柔らかい表情に見える高杉を不安そうな顔で眺めているまた子がいた。
「停学明けから、まだ一度も教室に行ってないのに……」
高杉はどういう事か、明日から3zの教室へ登校する気でいた。
神楽が関係しているのは明らかだったが、ヤンキーでも不良でもない神楽に何故高杉が興味を持ったのか。
また子を始め、この場にいる誰一人知らなかった。
そして、家路を急ぐ神楽本人も全く分かっていなかった。
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