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優しい毒:01

 

 白詛が蔓延する江戸の街。人々は既に地球を捨て、他の惑星へと旅立っていた。それが叶わぬものは、この腐りきった星と共に宇宙を彷徨うのであった。

 

 『銀時が姿を消した』

 

 その後、新八やお妙とも理由あって距離を置いていた神楽は、一人で江戸の街を見下ろしていた。朽ち果てた廃屋。元は茶店だったのか、ボロボロになった縁台が店の前に寂しく転がっている。神楽はそれを屋根の上から眺めていた。今し方、この辺りを荒らし回っていたゴロツキを一人で蹴散らしたところであったのだ。月は空に昇り、隣にいる定春の毛色が怪しい光をまとって見える。誰かによく似た銀色。神楽はそれを懐かしむような目で撫で付けると、定春の首を擽った。

「いい子ね、定春。今夜は先に帰ってて」

 そう言った神楽を定春は心配そうに見つめたが、神楽は目を細めて微笑んだ。

「心配しないで。ちょっと寄る所があるだけだから」

「くぅん」

 定春は神楽の頬を舐めると大きな傘を背負い、家へと戻って行った。神楽はそれを見届けると、定春が向かった方向とは真逆の闇に消えて行った。向かう先は――――――誰かにすがって甘える生き方など、神楽には今までずっと考える事すら出来なかった。女は強くあれ。勝手にそんな風に思い、傘の柄を握っては悪を蹴散らしていたのだ。それもこれもいつ銀時が帰って来てもいいようにと、万事屋を守る為であった。しかし、そうは言っても神楽とて完璧ではない。頑丈な体を持っているとは言え、その中にある心は人並みだ。一人で耐えられない夜もあった。そう。あの夜もそうだった。銀時を失ってから初めて安心して眠りに就いた夜のことを、神楽は今でも鮮明に覚えていた。

 

◇ 

 

 銀時が万事屋から消えて、幾度目かの夕刻。神楽は玄関先で新八の腕を掴んでいた。その表情は哀しみに満ちており、今にも目に溜まった涙が零れ落ちそうだ。

「待ってヨ! 新八ッ!」

 だが、新八は神楽の方を見ようともせず、冷酷にも背中を向け続けていた。

「やだッ! 嫌アル! なんでヨ!」

 万事屋から出て行こうとする新八と、それを引き留めようとする神楽。だが、もう二人の心は今にも千切れてしまいそうで、のし掛かる現実に悲鳴を上げていた。

「銀ちゃんが戻るまで二人で万事屋やるって言ったアル! どうして急に別々なんて言うアルカ!」

 新八は神楽の腕を振りほどくと鋭い目で神楽を睨み付けた。

「僕は……俺はッ! 銀さんの後を継ぐ。 もう生ぬるい万事屋ごっこなんかは終わりだ! 君がなんと言おうとも俺は出て行く」

「何ヨ……それ。遊びで万事屋なんてやってないアル! いつだって真剣だったネ! それに銀ちゃんの後を継ぐのはこの私ヨ!」

 神楽は手の甲で涙を拭うと新八の胸ぐらを掴んだ。しかし、勢いあまって玄関戸に新八の体を叩きつけてしまうと、新八も負けじと神楽の胸ぐらを掴み返した。すると二人はぐちゃぐちゃに揉み合いになり、玄関のたたきの上に倒れ込んだ。それが少し痛くて動きを止めると、倒れ込んだままジッとしていた。神楽は頬に土間の冷たさ感じ、そのお陰で少し冷静になった。そして新八を見つめると…………視線の先の口が開いた。

「もう俺にはお前の遊びに付き合っている時間などない。銀さんの後を継ぎ俺は必ず――――――白詛をこの世から葬り去る!」

 言い終えた新八は神楽を掴んでいた手を離すと立ち上がり、着物に付いた砂を払った。

「ちょっと待ってよ。ちゃんと分かるように説明しろヨ!」

「……貴様には関係ないだろ」

 その新八の言葉に神楽はもう二人の心は千切れて離れ離れになってしまった事を悟った。

「木刀は俺がもらっていく。着物の方は貴様の好きにしろ」

 神楽はそう言って玄関を開けて出て行く新八を、悔しそうな顔で見ていた。

――――悲しくなんかない。

 そう思うのに涙が止まらないのだ。しかし、追いかけてももう遅い。二人の間には修復不可能な程に軋轢が生じていた。神楽は開け放たれた戸を閉めようとして、階段を下りる新八が足を止めた事に気が付いた。

――――何か言い足りないのだろうか? それとも、やっぱりもう一度、万事屋を?

 神楽の体に緊張が走った。新八が僅かにこちらを振り返る。

「……姉上が白詛に感染した」

 その日を境に新八と神楽は、別々の道を歩み始めるのだった。

 

 その夜。気付けば神楽はいつの間にかソファーで泣き疲れ眠っていた。窓の外からは月明かりが差し込み、暗い室内を僅かに青白く照らしていた。お腹も空かない。何もしたくない。神楽は一人っきりとなった万事屋で、ただ静かに膝を抱えていた。

「銀ちゃん……」

 口から出るのはどんなに会いたいと願っても叶わない男の名で、神楽は銀時の温もりを求め、残していった着物に袖を通した。しかし、布は冷たく、ほのかに残った匂いが銀時がいた日々が随分と遠い過去であったことを表していた。

「銀ちゃん、生きてるんでしょ? 私には分かるよ」

 たまに神楽は感じるのだ。自分たちを見守っているような銀時の存在を。だが、それも会いたい想いが見せる幻に過ぎないと思うのだった。

 神楽は銀時の着物をチャイナドレスの上から着ると、帯を締めた。そして、誰かさんの真似をして片袖を脱ぐと、鏡の前に立った。髪飾りに収まりきらなくなった長い髪は腰あたりまで伸びていて、神楽が動く度にしなやかに揺れていた。神楽は鏡を見ながら、着物をチャイナドレスに仕立ててもらおうと考えると、新万事屋として新八とは別にやって行くしかないんだと覚悟を決めた。

――――この部屋からも出て行こう。

 神楽はその晩の内に、最小限の荷物と定春を連れて万事屋のアパートから出て行った。行く宛はない。頼れる相手もいない街の中、神楽は小さな風呂敷包みだけを持ち、ビルの屋上から明かりの少ないかぶき町を見下ろしていた。

――――どこかの空き家で寝泊まりしようか。

 そんな事を考えていると、一軒の民家から柄の悪い連中が出て来るのが見えた。

「泥棒!」

 そう叫ぶ声が聞こえたが、駆けつける警察など今は居ない。神楽は定春に荷物を預けると、走って逃げて行く数人の男達を追うのだった。

「待ちなさいよ!」

 神楽は屋根を渡り歩き先回りすると、男達の正面に降り立った。見ればどいつもこいつも世紀末な格好をしており、無駄に強そうな肩パットが随分と滑稽であった。

「何そのダッサイ格好。一体どこの世界から紛れ込んで来たのかしら?」

 神楽が強気に挑発すると、男達は首の骨をボキボキ鳴らして神楽にゆっくりと近付いて来た。

「何かと思えば、随分可愛い子猫ちゃんじゃねぇか! もしかして正義の味方ごっこかな?」

「そんなに暇なら俺らと一緒に遊ばない? 大人しくしてれば悪いようにはしねぇからよ」

 下劣な表情を引っさげた男達は、神楽を取り囲むと舐めるように体を見た。その視線に気分を害した神楽は、正面にいた男にぺっと唾を吐きかけた。

「私、大人しいってよく言われるの。だから、悪いようにはしないでよね」

「このクソアマァアアア! やっちまえ!」

 その号令と共に一斉に飛び掛かって来た男達を神楽は華麗に避けると、チャイナドレスと着物の裾から足を出し、回し蹴りで一蹴したのだった。神楽は息を吐くと、伸びている男達に言ってやった。

「これで分かった? ごっこ遊びなんかじゃないってこと」

 そう言って神楽は男達の手に握られていた腕時計や貴金属を取り上げると、持ち主へと返しに行こうと背を向けた。だが、倒れている男の一人が懐から拳銃を取り出すと、それを神楽に向かい撃ち込もうとしたのだ。

「伏せろ!」

 次の瞬間、神楽の体は床へとなぎ倒され、パンと言う乾いた音が辺りに鳴り響いた。しかし、それに合わさり男の激しく叫ぶ声が聞こえる。

「う、腕がぁああああ!」

 見れば男の腕は切り落とされ、地面に転がった肉塊からは血飛沫が上がっている。神楽は身を起こすと、血溜まりの中に立つ刀を握る男を見上げた。

「だ、だれ?」

 男の顔は街灯が逆光となり神楽から確認する事が出来なかった。

「御用だ! 御用だ! 今の騒ぎは一体何か!」

 銃声を聞きつけたらしく、どこに居たのか捕り方がこちらへと向かって来た。

「ちッ、こんな時にだけ来やがって。逃げるぞ」

 刀を収めた男は地面に座り込んでいる神楽を抱えると、暗い裏路地へと走って逃げた。そして、捕り方が通り過ぎるのを息を潜めて待った。しかし、抱えられている神楽はそれどころではなく、その聞き覚えのある声と独特の甘い匂いに鼓動を速めていた。銀時を思い出させる甘い匂い。しかし、砂糖菓子の甘さとは違い、バニラのような香りだ。男に抱き締められている神楽はその匂いのする首元に顔を近付けると空気を吸った。

「……煙草の匂い?」

「あ? それが何だ」

 違うとは分かっていても、一瞬銀時ではないかと期待した。だが、聞こえて来る声は銀時の低い声ではなく…………そこで神楽は男から急いで体を離した。分かってしまったのだ。この男の正体が。男は捕り方が居なくなった事を確認すると、ズボンのポケットから煙草を取り出し口に咥えた。そして、ライターに火をつけると、暗闇に男の顔が浮かび上がった。真ん中で分けられた短い黒髪。そして、こちらを睨み付けるような鋭い目。煙草を咥えるその姿は、神楽がよく知っている男――――――鬼の副長、土方十四郎であった。神楽は思わず後退りをするも、袋小路に行き場を失くした。

「真選組を辞めた今も、どういうワケか町を見廻らなきゃ気が済まねェらしい」

 そう言った土方に神楽は横を向いて、暗い道端に視線を落とした。

「……別にあんたに助けられなくても、あんなの避けられたし」

 しかしそうは言ったが、神楽はあの窃盗犯が拳銃を持っていた事には全く気付いていなかった。新万事屋の出鼻を挫かれたようで悔しく思った。

「それより、テメェはンな格好で何してんだ?」

 神楽は自分の体を改めて確認すると、つくづく一歩も前に進んでいないと情けなくなった。服も格好も銀時の真似ごとばかりだ。新八はもう姿も見えない所まで駆けて行ったと言うのに。神楽は体を隠すように肘を抱くと、ばつの悪そうな顔をした。

「別に。ただ万事屋の任務を……」

 すると、土方は声を上げて笑ったのだった。神楽はそれには怒ると言うより驚くと、目を大きく見開いた。

「な、なに? 何か変なこと言った? 何が可笑しいのよ!」

 土方はその言葉に古いビルの外壁にもたれると、煙草の煙を吐き出した。

「テメェら万事屋が、いつそんな大それた組織になった?」

 神楽は大真面目に“任務”と言う言葉を使ったのだが、笑われてしまうととても恥ずかしい事のように思えた。確かに任務という程の事ではなく、ただ困っている人を放っておけないというものであった。

「気負い過ぎだ」

 そんな事を言われても、これから一人で万事屋をやって行くのだ。それくらいの意気でなければ、万事屋の看板に傷が付くと神楽は思っていた。

「力の抜きどころを見失うと、さっきみてェに背中から喰われちまうぞ。潰したくねェんだろ? 万事屋を」

 神楽は眉間にシワを寄せると、下唇を噛み締めた。悔しいのだ。全部分かったような口振りで語られることが。

――――私らの何を知ってるって言うの。

 神楽は何か言い返そうと思ったが、土方の言葉はどれも間違ってはいないと、その口を閉ざしたままでいた。途端に静まり返る夜の街。どこかで犬の遠吠えが聞こえる。

「あっ! 定春っ」

 神楽は戻らなきゃと駆け出そうとしたが、力を使ったのと空腹とで足元がフラついてしまった。それを見ていた土方は、仕方ないと言った風に神楽に肩を貸すと、二人は並んで歩いて行った。

「で、さっきから煩い腹の虫はどういうこったァ?」

 神楽は顔を真っ赤にさせると、膨れっ面でそっぽを向いた。

「ちょっと色々あって食べそびれただけで、別にお金がないとか、そんなんじゃないんだからね!」

 土方は大袈裟に溜息を吐くと、合流した定春も連れて土方が暮らす家へと向かったのだった。

 

 真選組から一転、過激攘夷党として暗躍している土方は、隠れるように人目につかない場所へと住処を移していた。古い戸建て。神楽はそこへ案内されると、定春を裏庭へと放った。

「他の奴らは?」

 神楽は玄関で靴を脱ぎ、軋む廊下を土方の後に続いた。

「てんでばらばらだ。そのまま隊を抜けて出てった奴もいる。今まで追っかけ回してた連中と、急に手を組めと言っても難しい話だろ。何より俺の下につくのが、気に食わねぇ奴もいたがな」

 客間に通された神楽は土方に待つようにと言われると、大人しく正座して待っていた。それにしてもどういった了見なのだろうか。神楽は今までと違った土方の態度を訝しく思っていた。

――――なんて言うか……優しい?

 前までなら、こんな風に拾われる事など考えられなかったのだ。それはきっと銀時を失くした自分への慰めや同情なのだろうと分かっていたが、どれくらいかぶりに差し伸べられた手に素直に喜びを感じていた。あの鬼の副長と呼ばれた男にも心臓があったと言うことなのだろう。

「おい、マヨ丼で良いか?」

 台所の方からとんでもない単語が聞こえて来て、神楽は急いで返事をした。

「お茶漬けで良い!」

 そう叫ぶと神楽は額の汗を拭ったのだった。

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