[MENU]

4.忘却

 

朝御飯はいつもの半分しか食べることが出来なかった。

炊飯器の中のご飯はいつもなら私一人だけのものなのに。

今日は神威と半分こだ。

仕方ないか。

 

朝食を摂り終えた神威はソファーにだらしなく寝転ぶと、点いているテレビをボーッと眺めていた。

 

「意味分かるアルカ?」

 

神威の寝転ぶソファーの反対側の私は、面白くなさそうな顔の神威に言った。

神威はそれには黙って何も言わず、目だけで私を見た。

 

「何アルか?」

「お前は何者なの?」

 

神威がどんな意味で聞いたのか、私には今ひとつ理解できなかった。

首を傾げる私の険しい顔に説明不足を悟ったのか、今度は体を起こして尋ねた。

 

「なんでお前は和服じゃないの?テレビの女も皆和服だよね?」

 

その言葉に私は嫌な汗が額に滲んだ。

神威はどこまで分かってて聞いてる?

自分も私と同じ中華服を着てた事分かってるアルカ?

 

「私は動きやすいから、だから和服よりこっちの服が好きアル」

 

神威は興味無さそうにふぅんと答えると、ソファーから立ち上がった。

着物は相変わらずぐちゃぐちゃで見るに耐えなかった。

でも、家の中だからまぁ良いか。

突っ立ってる神威は私を見下ろしながら、慣れた手付きで長い髪を編んだ。

そして、にっこり微笑む。

その笑顔は本当にただの笑顔で殺意や悪意は何も感じられない。

思わず私は口を開けて見つめていた。

 

「俺も着物よりそれが良いんだけど」

「はっ!?えっ?」

 

神威の血だらけの中華服は既にごみ袋の中だった。

あんなの渡せないアル。

私がどうしようか悩んでいると、神威は札束を私の前にドンと置いた。

 

「食べ物以外にも使えるんだろ?ソレ」

「うん」

 

神威は私の返事を聞き終えると、急に私の腕を掴み立ち上がらせた。

そして、札束を手に取ると足早に玄関へ向かった。

 

「神威?どこ行くネ!」

「その服、俺も欲しくなったんだよね。どうも着物は俺の生態には合ってないらしい」

 

確かに。

殆どはだけてしまった着物姿の神威は、おどけたように私の目の前でくるりと一周回った。

このまま外には連れ出せないアル。

 

「買いに行くのは良いけど、そのまま外に出たらオマエ変質者アル」

 

私だって着物はまだあまり上手に着れないし、人の着付けなんて出来ないけど……そう言えば、銀ちゃんだって大してちゃんと着れてないアルナ。

私は神威の着物を適当に直そうと、玄関先でじっとしない神威を正面に向かせた。

 

「何がそんな楽しいアルカ」

 

神威はいつかの私の記憶にあった兄ちゃんのまんまだった。

笑って良いのかな?

悲しい顔をすればいいのかな?

向かい合って見ている神威は幼かった頃の私も、今の私も何も覚えていない。

その事実はとても悲しいことには変わりない。

なのに私は……。

大好きだった兄ちゃんとして今神威は私の目の前にいて、それを嬉しいことだなんて思ってしまっていた。

 

ねぇ、兄ちゃん。

私の背はあの頃よりずっと伸びたんだヨ。

ほら、顔だってこんなに近くなった。

だけど、妹の存在を感じていない神威は、空っぽの瞳で私を見下ろしていた。

 

「もう、これで大丈夫ネ」

「じゃあ案内よろしく」

 

神威はまた柔らかく微笑むと案内しろなんて言うくせに、私よりも早く玄関を出た。

2人で傘を差して、中華服が売っている店まで歩いた。

目立つ格好。

こんな快晴の空の下で男女が相合い傘なんておかしすぎる。

きっと春雨にもすぐバレてしまう。

そうなった時、私は神威を――

 

「神楽ちゃん!」

 

背後で聞き慣れた声がして私は足を止めた。

振り替えればそこには姉御が立っていた。

姉御は不思議そうな顔で私と神威を見ていた。

多分、銀ちゃんの着物を着るこの男が気になったんだろう。

 

「おっす!姉御」

 

私は出来るだけ怪しくないように振る舞った。

神威の事は正直、あまり人には話したくない。

だって隣では確実に神威が話を聞いてるから。

 

「あら?デートだったの?てっきり銀さんかと」

「アハハ……そ、そういう事だからごめんネ、姉御」

 

私はまぁと驚いた顔の姉御に素早く別れを告げると、神威の背中を押してその場を後にした。

デートなんてあり得ないけど、余計な事を言わずに済むならそんな勘違いも平気だった。

 

「デートなの?もっとボンキュッボンな女の方が俺は良いなぁ」

「悪かったナ!バカあ……」

 

私は急いで口をつぐんだ。

勢いに任せて思わず“バカ兄貴”と口走りそうになった。

今更隠す必要もないんだけど、それでもやっぱり少しでも刺激を与えるような事はしたくなかった。

それにしても男はどいつもこいつもボンキュッボンが良いアルカ?

キュッキュッキュッでも顔が可愛ければそれで良いダロ!

 

「せめてBはないとね」

「……あるわボケッ!」

 

そう言ってぶん殴ろうとした時だった。

神威は何食わぬ顔で避けると素早く私の背後に回った。

その時間はほんの数秒。

私の全身の毛穴が開き、汗が一気に噴き出す。

神威の息遣いが鮮明に聞こえる。

 

「こ……」

 

神威が何か言葉を口にする。

耳元で小さく囁かれる。

もしかして、記憶が蘇ったアルカ!?

 

「神威ッ」

「子供だと思って侮ってたけど、お前そんなにあるんだね」

 

まさかそんな事を言われるなんて思ってなかったから、私の心臓は別の意味で煩くなった。

何言ってるネ!こいつ私を妹だって分かっててやってるアルカ!?

神威の息の掛かった右耳が熱くて堪らなくなった。

ふざけすぎダロ……

当の神威は傘をくるくる回しながら、私を置いて歩き出した。

 

「道分かんない癖に一人で歩くナヨ!」

 

神威の背中を追って私は駆けて行った。

 

 

 

買い物が終わって万事屋に戻ってこれば、玄関によく知ってるブーツが脱ぎ捨てられていた。

 

「銀ちゃん、ただいまアル」

 

買った店で中華服に着替えた神威を連れて居間の戸を開ければ、銀ちゃんがソファーで漫画雑誌を読んでいた。

 

「どこ行ってたよ」

 

少しその声は苛立ちが混ざっていて、何か不愉快に思ってるようだった。

 

「服買いに行っただけネ」

「見てよ、お侍さん」

 

神威が銀ちゃんの前に立ち、さっき買ったばかりのまっさらの中華服を披露するも、銀ちゃんは一つも興味がないようだった。

 

「あー、良かったな」

「野郎にはさすがに興味ないか」

 

神威は銀ちゃんにつまらなさそうに言うと、ソファーに腰を下ろした。

先にソファーに座っていた定春は迷惑そうな顔をして、床に下りて寝そべってしまった。

図々しいって言うか、マイペースって言うか。

なんかそういう所は全然変わらないアルナ。

私も今日は精神的にちょっと疲れていて、一息吐こうとかと神威の隣に腰を下ろした。

 

「神楽、ちょっと」

 

すると向かい側のソファーにいる銀ちゃんが私を呼んだ。

立ち上がるのめんどくせー。

私はその場で何かと返事をした。

だけど、銀ちゃんは首を振り手招きをしているだけだった。

隣の神威を見れば、さすがに慣れない町に疲れたのか、私の肩に頭をもたれて眠りだした。

 

「神楽ちゃんんッ!良いからこっち来いって!」

 

銀ちゃんは相変わらず自分は動かずに私を呼んでいた。

 

「お前がこっちこれば良いダロ!」

 

すると銀ちゃんは漫画雑誌を投げ捨てて、隣に来たかと思えばヒョイと私を担ぎ上げた。

そして、そのまま神威から引き離すと居間を出て廊下に連れ出された。

 

「なにアルカ?」

 

銀ちゃんのその行動に私は怪訝な表情を浮かべた。

勝手に神威を連れ回したとでも思ってるアルカ?

銀ちゃんは私をようやく下ろすと、厳しい顔して私を見ていた。

 

「ハゲ親父が来るまで大人しく待ってられねぇのか?」

「だって服なかったアル」

「着物でも十分だったろ?お前一人で連れ出して、何かあったらどうするつもりだったよ」

 

そう言った銀ちゃんの顔はもう怒ってはいなかった。

ただ心配だったんだ。

私と神威の事が。

確かに今の私達2人じゃ心許ない。

まさか出歩くと思ってなかったんだろうな。

私は余計な心配を掛けてしまった事を素直に申し訳なく思った。

 

「銀ちゃん、ごめんアル」

 

そう言って銀ちゃんの胸元に飛び込んでギューっとすれば、銀ちゃんも私の頭を撫でてくれた。

 

「お前らの親父も直に着くだろうから、それまで大人しくしてろ。町で暴れられたらたまんねぇからな」

「ねぇ、銀ちゃん。神威、恐いアルカ?」

 

顔を上げて銀ちゃんに尋ねれば、困ったように笑って、それから私の頭をまた分厚い胸板に押し付けた。

 

「何言っちゃってんの。恐いわけねーだろ。二丁目の角のぼったくりバーの方がずっとこえーわ」

 

銀ちゃんの心音がトクントクンと聞こえてる。

きっと、嘘だ。

じゃなきゃ、なんでこんな心臓がうっさいアルカ?

私は銀ちゃんの背中に回す腕に、あともう少しだけ力を入れた。

 

「ねぇ、抱き合ってるところ悪いんだけど、お風呂に入って良い?」

 

突然聞こえて来た声に、私と銀ちゃんは2人して飛び上がった。

そこには居間の戸を開け放ち、こちらを見ている神威がいた。

いつから見てたアルカ!

私は急いで銀ちゃんから体を離した。

銀ちゃんも頭を掻きながら、あぁと返事をするもどうも決まりが悪そうだった。

神威はそんな事には構いなく、ニコニコ笑ったまま私と銀ちゃんの間に割って入ると、馴れ馴れしく肩を抱いた。

 

「3人で入ろうよ!」

 

そんなふざけた事を言った神威に私よりも先に銀ちゃんは突っ込むと、一人居間へ戻って行った。

 

「割りとマジだったね、今の。冗談通じないの?」

「違うネ!冗談がキツいアル!」

 

そんな風に廊下で言い合ってると玄関の戸が開き、外出していた新八が帰ってきた。

神威の姿に一瞬新八は怯んだけど、ただいまと言うと足早に居間へ行こうとした。

だけど、神威は新八の前で手を広げるとそれを阻止した。

 

「ねぇ、眼鏡くん。お風呂……」

「3人で入るわけないダロ!」

 

神威が懲りずに変な事を言う前に、私が先に突っ込んだ。

なのに神威は大袈裟にため息を吐くと、冷めた表情で新八を見た。

その目に新八は明らかに顔を青ざめさせた。

 

「すみません!すみません!すみません!」

 

慌てて謝る新八に神威の顔はキョトンとした。

 

「お風呂の用意して欲しかったんだけど」

 

それには私も新八も顔を見合わせると苦笑いだった。

新八がこの家の雑用係だと勘が働いたのか、それとも新八が雑用係の雰囲気を醸し出していたのか、どっちかなんてもうどーでも良かったけど、神威は新八に用事を頼んだのだ。

言われるがままお風呂場へ向かった新八はいなくなり、また私達は廊下に2人だけになった。

 

「またバカなこと言い出すかと思ったアル」

「まさか。3人で入る気なんて更々ないね。でも……」

 

神威は急に言葉に詰まった。

何アルカ?言いづらいことネ?

私の眉間にシワが寄った。

 

「いや、やっぱり良いや」

 

神威はそう言うとお風呂へ入る支度をするのか、銀ちゃんのいる居間へ戻ろうとした。

そんなの納得いかない私は神威の肩を掴むと、何を言いたかったのか問い質した。

 

「言ってヨ!気になるじゃん」

 

すると神威は首だけをこちらに向けて小さな声で言った。

 

「お前に背中を流して欲しかった」

 

そんなことを言うだけ言って、神威は居間の戸を開けあちらへ行ってしまった。

 

next  [↑]