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3.忘却

 

どこまで記憶があるのだろう。

あの後、私に妹かと尋ねた神威は、その答えも聞かずに私の腰にしがみつくと一瞬で眠ってしまった。

きっと体も頭も疲れてるんだ。

だけど、私の激しい胸の動悸はまだ収まりをみせなかった。

 

「妹かどうかまだ決まったわけじゃないのに……」

 

余所の女かも知れないのに、平気でよく抱きつけるなと感心した。

いや、もしかすると本能的に私が妹だって確信があるから、こんなにも大胆なのかもしれない。

でも、どっちにしても飛び付くなヨ。

私は神威の額に小さくデコピンをした。

 

「ただいま」

 

玄関の戸が開いて、銀ちゃんが一人で帰ってきたようだった。

私は慌てて出迎えに行こうとしたけれど、神威がそうはさせてくれなかった。

そうこうしてる内に銀ちゃんは寝室の襖に手を掛け、大きく開け放ったそこから私たちを見下ろした。

 

「何やってんの」

「お、おかえりアル」

 

銀ちゃんの布団の隣に敷かれた一組の布団で引っ付いてる私たちを、銀ちゃんは変なものでも見るような目で見ていた。

 

「神威、離してくれないアル」

「なら今晩はここで寝ればいいだろ」

 

銀ちゃんは布団の上をバサバサ歩くと、タンスを開けお風呂に向かう準備をした。

 

「うん、そうするアル」

 

私は何とか神威の隣に体を寝かせると、抱き締められたまま眠りに就こうと思った。

本心を言えば、すごく懐かしくて温かい神威の体温に直ぐにでも眠ってしまいそうだった。

だけど、銀ちゃんは部屋を出る際に忘れていたと、一言イジワルを口にした。

 

「ここに居る内は絶対に何も思い出させるなよ。厄介だからな」

 

銀ちゃんはそれだけを言うと風呂場へ行ってしまった。

銀ちゃんからすれば、私がこうして何事もなかったかのように受け入れる事が信じられないんだろう。

確かに今、全て思い出されると、何か大きな事件に発展しかねなかった。

だけど、何も思い出させないように振る舞うのは、いくら記憶を呼び覚ましたくなくても難しい事だった。

神威の頭の中は神威にしか分からない。

思い出すのを周りがどうこう出来るものじゃなかった。

でも、銀ちゃんの気持ちはすごく分かるヨ。

 

いつの間にか私を解放していた神威はこちらに背を向け眠っていた。

狭い布団だから体は密着しているけど、どこか隙間を感じていた。

銀ちゃんも私も記憶を取り戻して欲しくないなんて残酷な願いを持ってるけど、神威本人はどうしたいアルカ?

目の前の解かれている長い髪を撫でて、私は目を瞑った。

 

 

 

翌朝、私はどういうワケか銀ちゃんの布団の中で目を覚ました。

確か、昨日は銀ちゃんが帰ってきたから、神威と狭い布団で眠ったはず。

銀ちゃんは昨日はどこで眠ったんだろう。

もしかして、一緒に寝てたアルカ?

私は布団から抜け出すと、隣でまだ眠ってる神威を起こさないように静かに寝室の襖を開けた。

 

「神楽ちゃん、おはよう」

 

新八がテレビも点いてない静かな部屋で一人お茶を飲んでいた。

私は新八が座るソファの対面に腰を下ろすと、今一番気になってる事を新八に尋ねた。

 

「銀ちゃんは?」

 

新八は湯呑みから口を離すと、ズレ気味の眼鏡を上げて私を見た。

その目はどこか悲しく見えて、私は思わず目を逸らした。

 

「銀さんは朝からパチンコ行くって」

「そうアルカ」

 

納得した振りをしたけど、私は新八の発言を疑っていた。

朝からパチンコなんて絶対に嘘アル。

銀ちゃんは昼の空いた時間にしか行かなかった。

じゃあ、本当はどこに行ったんだろう。

 

「あ、そう言えばね」

 

新八は何かを思い出したようで私の背後の襖を気にすると、少し声のトーンを落として私に言った。

 

「昨日、銀さんが神楽ちゃんのお父さんに連絡したんだ。その……お兄さんの事」

「銀ちゃんが!?」

 

いつの間に?

もしかして、私達が眠った後アルカ?

パピーはなんて言ったんだろう。

私の心臓は途端に目を覚ましたように激しく動き出した。

 

「星海坊主さんは……このままここに置いておく事は危険だって話したみたい」

「そう、アルカ」

 

パピーが言ったことはよく理解が出来た。

神威を捜して春雨が万事屋を突き止めるのに、そう時間は掛からないだろう。

そうなった時に春雨がどんな行動に出るかは想像がつかなかった。

かぶき町が、かぶき町の皆が危険に晒されることになるかもしれない。

だけど、パピーが何よりも危惧していたのは、神威の記憶が戻った時のことだった。

 

「神楽ちゃん。あのね、この話は伝えるべきかどうか迷ったんだけど」

 

新八は厳しい表情で私を見据えた。

良い話じゃないことは見てとれる。

私は握り拳を両手に作ると膝の上に置いた。

 

「さっさと言えヨ」

「……神楽ちゃんのお兄さんは、夜兎の血を色濃く引き継いでるよね?それがどういう事態を引き起こすか、神楽ちゃんが一番よく分かってるんじゃない?」

「…………させないアル」

 

喉の奥がキューっと詰まって痛みだす。

神威が強い相手に興味を持つこと。

それは死を引き寄せるデスゲームの幕開けだった。

どちらか一方が命を落とすまでそれは終わらない。

そんなこと絶対にさせない。

許してはいけなかった。

 

ふと、頭に過ったのは銀ちゃんの横顔だった。

青ざめた表情で神威を見つめている姿。

銀ちゃんはやっぱり恐れていたんだ。神威のこと。

だから、今も万事屋にいないんだ。

神威がここにいる限り、銀ちゃんに平穏はないアルカ……?

 

「パピー、神威のことどうしろって?」

 

眼鏡のレンズ越しに見えている新八の瞳は、すごく悲しい目をしていた。

きっと言いづらい事なんだ。

私はそれを察して新八に頭を振ってみせた。

 

「何も言うナ。もう、分かったネ」

「神楽ちゃん……」

 

きっと、パピーはこう言ったはず。

“捨ててこい”って。

今の神威は春雨にとって必要なのは間違いない。

必ず神威を回収しに来るはず。

たとえそれがどんな姿だったとしても。

パピーもその危険性を感じたからこそ、神威から離れるように言ったんだ。

私や銀ちゃん達を思って。

 

私はまだ布団から起きて来ない神威を想った。

きっと、ワケわかんないだろうナ。

急に記憶のないまま見知らぬ街に放り出されて、じゃあネ!なんて。

だけど、銀ちゃんの気持ちを考えれば神威を出て行かせる事は妥当なんだろう。

自分の家に自分の命を脅かす脅威があるなんて、おかし過ぎるネ。

 

「今日中に何とかするヨ。私が責任を持って」

 

それだけを新八に言って私は席を立った。

赤ん坊みたいに何も分からない神威をどこかに置き去りにする。

それは拾ってきた私の責任アル。

それにここに居るよりも春雨に見付かりやすいネ。

きっと、あの夜兎のオッサンが捜してるはずだから。

 

「待って、神楽ちゃん」

 

洗面所へと向かう私を追いかけ、新八が私の腕を掴んだ。

 

「なんダヨ」

「銀さんは、銀さんはそれを拒否したんだ」

 

どういうこと?

銀ちゃんは捨てないって言ったアルカ?

自分の命を脅かす存在である神威を?

新八は私から手を離すと、今度は私の体を正面に向けて両肩を掴んだ。

 

「銀ちゃんさんは、神楽ちゃんを悲しませたくないんだ!神楽ちゃんが大切にしているお兄さんを、物のように捨てるなんて出来ないって……」

 

そこまで新八は言うと口を閉じた。

まさか銀ちゃんが私を思って、そんな決断をしてくれたなんて知らなかった。

本当は自分じゃなく、神威を出ていかせたいはずなのに。

 

「私、どうしたら……本当は神威と一緒にいたいアル」

「分かってるよ。それに、さすがにそんなスグには春雨も見つけ出せないだろう。星海坊主さんもこっちに向かってるから、数日中には地球に着くだろうって」

「パピーが?」

 

なんだ。

パピーもやっぱり今の神威を放っておけないんだ。

良かった。パピーが迎えに来てくれるなら安心アル。

後は神威の記憶が戻らない事を――

祈っても良いのかな。

 

「神楽、何してるの?」

 

寝室の襖が煩く開いたと思ったら、ぐちゃぐちゃの着物姿の神威が立っていた。

さ、最悪!なんて格好アルカ!

 

「あっ、えっと、神楽ちゃん冷蔵庫に朝御飯入ってるから、じゃあ僕は依頼者に会ってくるよ」

 

新八は神威に何か言われる前に急いで万事屋から出て行った。

やっぱり恐いアルカ?

……無理もない、か。

神威を見れば、早速冷蔵庫から新八の作った朝食を取り出し食卓に並べていた。

食欲だけは本当に変わらないアルナ。

 

「さっきの眼鏡くん、逃げたのかな」

 

笑顔で言った神威に私は薄ら寒くなった。

どこまで分かってるんだろう。

冗談で言ったの?

神威に正直に聞こうにも刺激になっては困るから、私は結局何も聞き出すことが出来なかった。

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