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2.忘却

 

「銀さん、神楽ちゃん、遅くなりました」

 

夕方の買い出しに出ていた新八が、ようやく万事屋へと帰ってきた。

 

「あれ?2人で何してるんですか?」

 

洗面所の前で立ち尽くしている私達に、新八は割烹着に袖を通しながら尋ねてきた。

私と銀ちゃんは互いに顔を見合わせるも、何から話せば良いか分からないと難しい顔をした。

 

「誰かお風呂に入ってるんですか?」

 

新八は何も言わない銀ちゃんに怪訝な表情を浮かべた。

 

「……新八」

 

銀ちゃんが何か言い掛けた時だった。

洗面所の戸が開いたかと思ったら、バスタオルを腰に巻いただけの神威が私達の前に姿を現した。

それを目の当たりにした新八は言葉を失うと、夕飯の支度をするのに持っていた包丁を足元に落としてしまった。

 

「ねぇ、着るものがないんだけど何か貸してよ」

「ええええええ!この人って!えーッ!神楽ちゃんの……」

 

新八は信じられないという顔で私を見た。

そんな顔で見られても、この私が一番信じられないアル。

新八はひきつった表情で後退りをすると神威から距離を取った。

そうアルナ。そうなるよネ。

 

「ホラ、これでも着ろ」

 

銀ちゃんはいつの間にか適当に着るものを持ってくると神威に手渡した。

だけど、神威は受け取った着物を不思議そうに広げてみせた。

 

「着物?もしかしてお侍さん?」

 

そう言った神威に銀ちゃんの動きがピタリと止まった。

そして、間を置かず、銀ちゃんの唾を飲み込む音が鮮明に聞こえた。

見えているその横顔はみるみる内に青ざめていく。

こんな顔、滅多と見ることはない。

 

「銀ちゃん?」

 

銀ちゃんはハッとすると私の顔を見た。

どうしたんだろう。

その目に焦りと不安が見えた。

 

「ねぇ、ここは“江戸”なの?」

「うん、江戸アル」

「どうも着物は覚えてるらしいや。それと侍って言う武士のことも」

 

神威はどこまで覚えてるのだろう。

少し具合の悪そうな銀ちゃんは新八の肩に手を置くと、私と神威に向かって頷いた。

 

「うん、お前らちょっと休め。あんまり脳みそ使わねぇ方が良いだろう。無理に思い出すな。それと神楽、無理に思い出させるなよ。おい、新八。今夜は飲みに行くぞ」

「えっ!銀さん?」

 

新八は割烹着を着けたまま銀ちゃんに引っ張られると、あっという間に2人して玄関の向こうへ消えて行ってしまった。

もしかして、あの顔は……銀ちゃんは神威に怯えてるアルカ?

 

「着れたけど、これで良いの?」

 

いつの間にか自己流で着物を着た神威は、私の前を通り過ぎると冷蔵庫を勝手に開けた。

そして、銀ちゃんのプリンを取り出すと、勝手に食べようとしてカップのフタを剥がしてしまった。

私はそれにすかさず手を伸ばすと、神威は驚いた顔をした。

 

「お前も食べたいの?」

「違うアル!それ銀ちゃんのネ!」

「あぁ、あのお侍さんの」

 

そう言ってニッコリ私に笑いかけると、神威はスプーンも使わずにプリンを飲み干してしまった。

なんで食っちまうアルカ。

銀ちゃんのって言ったのに。

 

「ところでコレ何か知ってる?さっきから邪魔だったんだけど」

 

神威は血塗れの札束を取り出すと、私に押し付けて居間へと行ってしまった。

私は受け取ったそれを見て神威がここへ何をしに来たのか、この後万事屋に何が起こるのか、暗い映像しか頭に浮かんで来なかった。

何をしたらこんなに稼げるんだろう。

改めて神威が真っ当には生きてない事を思い知らされた。

 

神威の後を追って私も居間へ行けば、当の神威はソファーに突っ伏し倒れ込んでいた。

そう言えば……

 

「ぐるるるる」

 

神威も私も同じタイミングでお腹が鳴った。お腹空いたアル。

私は神威の前に先ほど受け取った札束を置いてやった。

 

「それ、お金アル。江戸で使える紙幣ネ」

「そう。なら何かそれで食べさせてよ。お腹が減って動けないから」

 

私はお寿司の出前でも頼もうかと、銀ちゃんの机の一番上の引き出しからメニューの載っているチラシを取り出した。

するといつの間にか私の背後にいた神威は嬉しそうに笑うと言った。

 

「全部頼んでよ!」

「そんなの……一度やってみたかったアル!」

 

何もかもを忘れてしまった神威はまるで昔の兄ちゃんが帰ってきたようで、それに堪らず私の心は舞い踊った。

でも、それはほんの一瞬だけで、神威の瞳に光がない事に気付くと、そんな気持ちはどこかへ飛んでいった。

 

 

 

届いた寿司桶は見たこともない数で、なのに私と神威はそれを短時間でペロリと平らげてしまった。

時々神威と目が合うけど、極まって無表情に私を見ていた。

何か聞きたいんだろうか。

それとも、何か言いたいんだろうか。

特に会話はなく、私も銀ちゃんに言われた事のせいもあって余計な事は言わなかった。

 

「神楽って言ったっけ?」

 

不意に神威に名前を呼ばれ私は心臓がドクンドクンした。

神威に名前を呼ばれるなんて本当に慣れない事だった。

 

「そうアル。私は神楽アル」

「お前はどこか懐かしい気がするけど。ここで俺と一緒に暮らしてたの?」

 

私は首を横へ振った。

すると神威はふぅんと返事をしてソファーへ体を横にした。

時計を見ればあれからだいぶ時間が経っていた。

銀ちゃんも新八もまだ帰らない。

もしかして、2人でいる時間を作ってくれたアルカ?

なかなか粋な計らいネ。さっすが銀ちゃんアル!

だけど、出掛け間際の銀ちゃんの顔色の悪さが少し引っ掛かっていた。

やっぱり神威が怖いからなんだろうか。

 

「俺はここへ来る前どこにいたの?」

「……知らない。家の前で倒れてたアル」

 

 

私は神威に本当の事を言うのをどうも渋った。

血塗れで何かを殺めていたかもしれないのに、その事実を今の神威に伝えるのは辛すぎる。

この思いは嘘じゃないけど、渋る理由は他にもあった。

むしろ、その思いの方がずっと私の心を占めてるんだ。

正直を言えば、私は神威の記憶が戻ることが怖かった。

前に銀ちゃんが記憶喪失になった時お医者さんに言われたのは、脳を刺激すればそれが眠っている記憶を呼び覚ますかもしれないということ。

だから、私は神威の記憶を呼び覚ますような刺激を与えたくなかった。

ズルいのは分かってる。

神威の体の事を考えれば、記憶が戻った方が良いことも分かってる。

だけど、今の私はこのまま昔の兄妹に戻れたらと思ってしまっていた。

 

とりあえず明日、朝一でパピーに連絡しよう。

パピー何て言うかな。

昔の神威に戻ったって喜んじゃうかな。

パピーも複雑に思うかな。

どうか私と同じ気持ちであって欲しいと願った。

じゃなきゃ、私の胸の罪悪感は薄まらない。

ホント、私はズルいアル。

 

「お前は俺の知り合いだったの?」

 

そう訊ねた神威に私はドキリとした。

何て答えよう。

神威を見れば私を真っ直ぐな眼差しで静かに見つめていた。

ここも首を振ろうかな。

そう思うのに、神威の嘘を許さない強い眼差しが私を支配する。

それに耐え兼ねたのもあって、あんまり嘘もついていられないと、私は小さく頷く事にした。

 

「もしかして……」

 

神威は何を思ったのか体を起こすと、ソファーの傍らに立っている私にぐいっと近付いた。

 

「お前はあのお侍さんの女?」

「違うアル!なんでそうなるネ!」

「それもそうか。もしそうなら、俺と2人だけにはさせないだろうし」

 

神威は独り言のように呟くと勝手に納得していた。

お前の妹だって言ってしまった方が良いのかな。

私とお前はよく似てるのに。

この顔を見て気付かないなんて、本当に記憶喪失になってしまったんだと改めて辛くなった。

 

「布団敷いてやるから、今日はもう寝た方が良いアルヨ」

 

私は寝室へ行くと、銀ちゃんの布団の隣にもう一組布団を敷いた。

そういえば、昔はこうして隣に並んで眠った事を思い出した。

兄ちゃんの寝相が悪くていつも蹴られ、朝起きるとあちこちに痣が出来ていた。

それでも、私は文句も言わずいつも神威と一緒に眠った。

あの頃はまだマミーもいて兄ちゃんもいて、今と変わらず貧乏だったけどすごく満たされていた。

神威はいつまでも布団を眺めている私の顔を覗き込むと、ニッコリ笑い、分かったと手を叩いた。

 

「ヤるの?良いよ」

「な、何言ってんダヨ」

「だって布団が並んでるから」

 

妹相手に何言ってるネ。

神威はまだなんか笑っていて、まさか血の繋がった妹だとはやっぱり分かってないようだった。

 

「でも、一緒に寝るんだろ?」

「えっ……」

 

その神威の言葉に私は少し悩んだ。

もうガキじゃないし兄ちゃんと一緒になんて普通なら絶対に寝ない。

だけど、布団の上に座って嬉しそうに手招きしてる神威に、今晩くらいはと思ってしまった。

それに記憶が戻ったら、こんな神威にはもう二度と会えないかもしれない。

そう思ったら、今の瞬間を大切にしたいと私は望んだのだった。

 

「お、お風呂入ってくるネ」

「ごゆっくり」

 

私は少し緊張をしながら、足早に風呂場へと向かった。

 

 

 

お風呂から上がれば髪を乾かし、神威の待つ寝室へと向かった。

銀ちゃんは今晩帰ってくるかな?

布団借りたら怒るアルカ?。

だけど、私は一日くらいならと寝室の襖を開け、既に布団に横になる神威を見下ろした。

 

「本当は銀ちゃんの布団アルヨ」

「なら、汚せないね」

 

まだこんな事言ってる。

さすがに、私はお前の妹だと言ってしまおうかと思った。

すると神威はそんな私の心の内を察したのか、こっちも見ずに言い放った。

 

「冗談だよ。お前には手を出さない。興味ないから」

 

まさか記憶が蘇った?

それには胸が苦しくなった。

だけど、神威は体を起こすとポンポンと自分の布団を叩き隣に座るように催促した。

私は恐る恐る近づくと神威の隣に腰を下ろした。

 

「気付いてるよ。お前と俺が似てる事。兄妹なんだろ?」

 

その言葉に私ははっきりと顔を引きつらせた。

記憶が戻ったネ!?

荒くなる呼吸は恐怖なのか何なのか、震える心臓に思わず私は自分の胸の辺りを鷲掴んだ。

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