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1.忘却

 

たまに私は思わぬ間違いを犯してしまう。

それは絶対にわざとなんかじゃないから。

だから、きっと私の奥底にある記憶がそうさせてしまうんだろう。

 

「兄ちゃ……」

 

途中まで言い掛けてハッとして気付く。

何言ってんだろって。

その度に視線の先の銀ちゃんは瞬きをして、それからつまらなさそうに言う。

 

「誰が兄ちゃんだバカヤロー」

 

だけど、その後かならず銀ちゃんは私の頭を撫でてくれる。

良いよって、しゃーねぇなって言ってくれるように。

その大きな手が頭に触れると凄く安心出来るのに、どうしてか胸の奥が冷たくなる。

もう側には居ない誰かを、強く浮き彫りにさせるからだろうか。

 

どうして同じ方角を向けなかったんだろう――

何度考えたって、長い時間が過ぎたって、その答えを得られる事はない。

だけど、懲りずに考えてしまう。

今だってまたどこかで出会えたら、得られなかった答えのしっぽくらい見つけられるような気がしてる。

本人が……神威が私に教えてくれる事なんて絶対にないから、だからせめてヒントだけでも見つけたい。

何が神威をああさせてしまったのかと言う答えを。

 

 

 

「なぁ、新八。私は強くなったアルカ?」

 

新八は洗濯物を畳む手を休めて、少し考える素振りをみせた。

自分が一番よく分かってるのに、それを人に聞くなんて……甘え以外の何物でもない。

私は唇を噛み締めると、まだあいつに言われた言葉に囚われているのかと悔しくなった。

 

「また“あの事”考えてるの?」

 

なんでもお見通しなのか、新八は分かりきった口調でそう言った。

名前を出さず濁すのは新八なりの配慮で、隣の居間にいる銀ちゃんに話が分からないように配慮してくれたんだろう。

そんな気遣いを感じたから、私はやっぱり何でもないと首を横に振った。

 

最近、私は銀ちゃんを兄ちゃんと呼んでしまいそうな瞬間が増えてる事に気が付いていた。

それが凄く怖かった。

どうして自分を要らないものだって斬り捨てて行った人を、こんなにも私の体は忘れないのか。

むしろ、日に日に私の中に残る、神威との記憶が色濃く浮かび上がってくる。

 

「よく過去は美化されるものって言うアルナ。今なら分かるネ」

 

新八はもう手を休める事はなかったけど、そうだねと小さく呟いた。

分かってる。

新八の微妙な心の内は。

夜兎との激戦が良い思い出になんて一生なりえないから。

でもね、神威と……兄ちゃんとの思い出はそんな悪いものばかりじゃなかったんだヨ。

万事屋でご馳走の争奪戦をする時も、たまに仲良く出掛ける時も、銀ちゃんの背中に負われてる時も、どこかに兄ちゃんがいるようなそんな錯覚が起きる。

だから、思わず口を衝いてしまうんだ。

兄ちゃんって。

 

正直、私は会いたいと思ってる。昔の兄ちゃんに。

前の兄ちゃんに戻ってくれるなら、私は何だってしたいと思ってた。

だけど、広い宇宙で会えるかどうかも分からない。

こんな思いはただ無駄になっていくだけだった。

別に今の生活に不満は……ないと言えば嘘になるけど、毎日それなりに楽しく過ごしてる。

なのに最近、兄ちゃんの事ばかり考えてしまう自分に嫌気がさしていた。

銀ちゃんも新八も私を大事にしてくれるのに。

罪悪感を抱かずにいられなかった。

 

そんな事を考えていたある日。

私はいつもと同じように定春の散歩へと出掛けていた。

その帰り道、何となく私は普段は寄らない路地裏を通って帰った。

じめじめと湿度が高く、異様な臭いが辺りを包んでいた。

民家と言うよりは廃屋が建ち並び、あまり雰囲気の良いところではなかった。

でも私はそれを怖いとは思わずに、定春と少し寄り道くらいの感覚で歩いていた。

時刻は夕方で、空の色はどこかいやらしい紫色をしていた。

そして、生ぬるい風が頬に当たる。

朽ちた家の古い木戸が不気味な音を立てる。

 

「なんの臭い……まさか」

 

風に運ばれてきた血生臭いニオイが鼻につき、私は何かに取り憑かれたようにその臭いの元を探した。

心臓がドクンドクンと高鳴り、体が熱くなる。

駆け出した足は臭いのする方へと迷わず進む。

誰も通らない道をただ走った。ひたすら走った。

何が私をこうさせるか分からない。

一つ言えることがあるなら、私はこの血の臭いに引き寄せられたんだ。

狭い路地を曲がって袋小路に辿り着けば、辺りは既に薄暗く、そこに一つの闇を作っていた。

ううん、違う。

闇じゃない、暗黒でもない。

黒よりも黒い赤が辺りに飛び散って、まるで闇夜を思わせる光景を作り上げていた。

それが何か私にはもう分かっていた。

 

「血ぃ……」

 

目を凝らして恐る恐る血だまりへと近付いた。

その中心に私はうずくまる何かを見つけた。人?

心臓がギュッと痛む。汗が全身から吹き出す。

珍しく喉はカラカラで、踏み出す足も震えていた。

そこへ倒れてる……いや、落ちているソレは誰かにとてもよく似ていた。

 

鮮やかな橙色の髪、透き通るような白い肌、中華服、そして今日の空の色のような紫の番傘。

 

「カム、イ?」

 

私はその場に膝をつくと、倒れている男を軽く揺すろうと手を伸ばした。

だけど、倒れている男の目が急に開かれ、私の手首を素早く掴んだ。

それはとても強く、なのに見開かれた目からは生気が感じられず、そんな目で見られているせいか体がゾクゾクする。

 

「お、オマエは……」

 

神威?そう尋ねようと思ったところで、私を掴んでいた手の力が抜け、地面へと落ちていった。

瞼も閉じられ、血塗られた顔は白よりも青に変わった。

私はハッとするとすぐに男の胸に耳を当てた。

 

「まだ、生きてる!」

 

私は男を抱えて定春に飛び乗ると、後のことなんて何も考えずに万事屋を目指した。

 

 

 

「銀ちゃん!」

 

無意識だった。

私は万事屋の玄関を足で勢いよく開けると、家の一番奥にいるはずの銀ちゃんの名前を呼んだ。

正直、脚が震えていた。

いつの間にか涙も鼻水も流れていた。

なんでかなんて分からない。

ただ腕の中のこの男を助けたいと思っていた。

この男がどこの誰であろうとも。

 

「何だよ、うっせェな」

 

銀ちゃんは面倒くさそうにこちらへ来るも、私が抱えているものにはっきりと顔色を変えた。

 

「お前、それ」

「助けたいアル」

 

銀ちゃんは何も言わずに私を険しい表情で見つめた。

私と同じくらい戸惑っている目をしている。

でも、私には分かってた。

銀ちゃんがダメだと言わないことを。

 

「とりあえずこっちに寝かせろ」

 

私は頷くと抱えている男を居間のソファーへと運んだ。

すぐに銀ちゃんが私に変わって男の身体の具合を調べた。

黒い中華服を軽く脱がして、怪我の状態をあちこちと見た。

だけど、銀ちゃんは不思議そうな顔で首を傾げる。

 

「こいつ怪我してねぇんだけど」

「下もアルカ?」

「今見るからお前はあっち行ってろ」

 

私は言われるまま居間から出た。

怪我してないってどういう事ネ?

じゃあ、あの血は……。

益々、あいつが神威のような気がしてきた。

寧ろあんなに似てるのに別人だって方がおかしいアル。

 

「ぎぃゃああああ!」

 

突然、居間から銀ちゃんの叫び声が聞こえてきた。

何事アルカ!?もしかして、ニコチンコどころの騒ぎじゃないアルカ!

私は急いで戸を開けると、銀ちゃんの元へすっ飛んで行った。

 

「なにやってるアルカ!」

 

見れば上半身は裸でズボンは脱ぎかけの男が、銀ちゃんに馬乗りになり襲い掛かっていた。

 

「神楽ッ!」

 

銀ちゃんが私に助けを乞うと、男は銀ちゃんの上から静かに降りた。

そして、男は私を振り返ると真っ直ぐに見た。

 

「かぐら?」

 

その瞬間、私の呼吸は止まってしまった。

私を見る顔、髪型、首をかしげる仕草、身長。

何よりもその声が私の記憶の中にいる神威と……兄ちゃんと瓜二つだった。

確信した。今目の前にいる男が私と血を分けた兄妹であることを。

 

「かっ、神威。どうしてオマエは地球に居るアルカ!?何してるネ!」

 

私は神威の両腕を掴むと激しく揺さぶった。

何しにここに来たのか、一体何があったのか、私は全てが知りたかった。

何もかもが知りたかったのに。

 

「神威?誰それ。もしかして、俺の名前?」

 

私は血の気がひいていくのをはっきりと体に感じた。

嫌な予感。

目の前の神威は私を不思議そうな顔で見ている。

あり得ない。絶対にこんなことはあり得なかった。

だって、私の記憶の最後にいる兄貴は――

 

「ひょっとして、てめぇ自分の事も……こいつの事も何も分かんねぇのか?」

 

背後で床に転がっている銀ちゃんが男に問い掛けた。

 

「どうしてだろう。何も覚えてないや」

 

笑顔でそう答えた神威に、嫌な予感が的中したと私は顔を伏せた。

本当に一体、神威に何があったの?

私の胸の中は色んな複雑な想いが渦巻いていた。

せっかくまた出会えたのに。

だけど、神威は私の事はおろか、自分の事までも忘れていた。

それは凄く苦しくて、悲しいことなのに私は――

本当に全て、神威が今までに行ってきた悪い事も全て忘れていたとすれば、どこかホッとするような、決して沸き上がってはいけない想いも胸の中に存在していた。

そんな口には出してはいけない感情に、私は下唇をぐっと噛み締めた。

 

「とりあえず、どこも怪我してねぇんだな?」

 

銀ちゃんは私の隣に立つと神威を見下ろし言った。

少し銀ちゃんの動揺を感じたけど、毅然と振る舞ってるように見えた。

 

「そうみたい。全身血塗れだけど、どこも」

 

多分、この血は神威の記憶がなくなる前に浴びたもの。

怪我をしてないところを見れば、神威のものじゃなかったんだろう。

銀ちゃんは神威を風呂場へ案内すると血を流すようにと言った。

 

「絶対に覗かないでね。変態さん」

「野郎の裸なんて見る趣味ねーよ」

「さっきはズボンを脱がそうとした癖に、よく言うよ」

 

神威はいたずらな笑みを浮かべると脱衣場の戸を閉めた。

あの顔はいつかの兄ちゃんと同じ。

今起こっている事が嘘みたい。

私は隣に立つ、少し青い顔をした銀ちゃんを見上げた。

銀ちゃんはどう思ってるだろう。

私が神威を連れてきた事を。

それに神威は記憶がないようだけど、夜兎の本能まで失ってるとは思えなかった。

もし、また幼い頃に見たような恐ろしい光景が、この万事屋で繰り広げられたとしたら――それは絶対に、今度こそは命を懸けてでも止めなければと思っていた。

銀ちゃんも新八もすごく大切だから。

もしかしたら家族以上に大切なのかもしれない。

もしかしたら……。

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