8.青天の霹靂
あの神楽がいくら菓子を貰ったとは言え、真選組の言うことに従うはずがねぇ。
しかも、どういう事か新八と……
「あり?旦那?」
タイミングよく、俺は同じ敵を持つ男に出会った。
真選組の制服に身を包んだ若い男。
真選組の一番隊隊長の沖田総悟だった。
奴はどうやら点数稼ぎに町を練り歩いてたらしく、俺の両手に縄を掛けると、頼みもしてねぇのに屯所まで連行してくれた。
「何罪だ?コラ」
「まぁまぁ、俺と取引しやせんか?」
ニコリと笑った沖田に嫌な予感がした。
窓もない小さな部屋に通された俺はパイプ椅子に座ると、無機質な机の上に足を乗せた。
「その前に土方くんに会わせてくれねぇ?」
その俺の言葉にそれまで目の前で薄笑いを浮かべていた野郎が、途端につまらなさそうな表情になった。
「土方さんなら今日は、夕方から上に呼び出しくらってまさァ」
いねぇのかよ。
出直すか。
俺はギシッとパイプ椅子にもたれると、わあーっと喚いた。
奴も少しだけ驚いたような顔になると俺の考えでも見抜いたのか、こんなことを言い出した。
「旦那、新八くんを持って帰ってくれやせんか?」
「無理だろ。アイツが選んだんだから。俺がどうこう言えるわけねぇだろ」
「正直、俺にとって厄介者なんでさァ」
沖田は俺の手の縄をほどくと、冷たい机の上に胡座をかいて座った。
何が厄介か。
沖田はベラベラと俺相手に喋り始めた。
要約するに、どうもゴリラが新八をヤケに手塩に掛けてる事が気に入らないらしい。
土方を副長の座から引き摺り下ろしたところで、自分が副長の座に収まれないんじゃないかと杞憂していた。
だから、新八を連れて帰れと?
あの沖田がこんな理由で新八を除隊させるとは思えなかった。
その気になりゃ、平気で新八を斬る事だって出来んだろ。
要は新八が使えねぇんだな。
だが、ゴリラが気に入ってる以上邪見に扱うことも出来ねぇ。
それで俺ら遣って除隊させようって話か。
「はいはい、そういうワケね。お宅の副長さんが今日ウチに来てね、俺の留守中に神楽に余計な事を言ってくれちゃって、一発殴りてぇくらいイラついてんだよ」
土方の野郎!
神楽に色仕掛けで、新八を除隊させる魂胆だったのかよ。
下らねぇ。マジで下らねぇなァオイ!
「あのね、新八はもうウチの子じゃなくなったの。お宅で辞めさせるなり勝手にやってくれよ」
俺がそう言って分厚い鉄のドアに向かって歩くと、沖田は机から飛び降り肩を叩いた。
「土方さんがって何の話でさァ」
「はぁ?何の話って、どういう事だよ」
そう返すと沖田はアゴに手を置くと、珍しく焦ったような顔で俺を見た。
「土方さんまで動いてるとなると……あの噂は本当らしいな」
俺はまた嫌な予感を察知した。
どうやら新八の除隊はただ単に使いもんにならねぇって話じゃなさそうだった。
「言えよ」
そう言った俺に沖田は素早い動きで刀を抜くと、刃先を俺の喉元に向けて言い放った。
「あいつ、死にますよ。このままじゃ」
俺も同じタイミングで木刀を奴の顔の横に付けると、鼻で笑ってやった。
「アイツの剣の腕もなかなかのもんだぜ」
「でも、迷いがありまさァ」
迷い。
新八が迷ってる事があるとすれば……やっぱり神楽の事なんだろうか。
それを分かった上で神楽に新八をどうにかさせようとしたってワケか?
どっちにしろ神楽を道具の様に扱われる事に腹が立った。
「新八はお前らが思ってるよりもずっと強ぇよ」
「なら、平気で血を浴びる覚悟がありますかィ?あの眼鏡に」
俺は沖田に向けている木刀を元の場所に収めると、沖田に一歩詰め寄った。
そのせいで野郎が突き付けてる刀は、俺の喉元までたった数センチの距離となった。
「だから、辞めさせろって?沖田くんにしては珍しく思いやりがあんじゃねぇの」
俺は刀を手で払い除けるとしまうように促した。
だが、沖田はしまうどころか、今度は俺の下半身を人質に取るとニヤリと笑った。
「ちげーねぇや。使い道の無いもんは、痛い目見る前に俺が全部切り捨ててやらァ」
「人のモノを使い道がねぇとか適当抜かしてんじゃねぇよ!アレだから、いざって時にはッ」
「なぁ、旦那。組織に属して動いた事があるかィ?」
沖田は俺の言葉を遮り刀をしまうと机の隅に腰掛けた。
組織に属したこと?
組織で動くなんざ俺の性質にゃ合わねぇ。
万事屋だって組織つーには、人数が少なすぎた。
自由奔放に見える沖田だが、隊をまとめる野郎には野郎なりの考えがあるらしかった。
「いくら剣の腕が立とうが、目の前のホシ一匹すら斬れねぇ奴は丸腰と同じだ。そんなのを護って戦ってられる程、俺らの仕事は甘くねぇ」
新八がこのままじゃ死ぬってのはそう言う意味だったのか。
確かに幕府に抱えられた真選組で戦うのと、俺の背中で戦うのとじゃ重みが違う。
「士気も下がる上に、他の隊士にも危険が及ばないとは言いきれねぇ。そんな奴は邪魔で仕方ねぇや」
野郎が言ってる事は分かった。
ただ言い方は気に食わねぇがな。
「でも、さっきから言ってんだろ。新八は大丈夫だって」
「……稽古つけた土方さんが旦那んとこ行ったくらいだ。そう思ってんのは俺だけじゃねぇって事だろィ」
俺は奥歯を噛み締めた。
思いの外、強かったらしくガリッと嫌な音がした。
寄って集ってなんて言い様だ。
新八だって一応覚悟決めて飛び込んだ筈だ。
新人なんて初めはそんなもんだろう?
使い物にならなくても、その存在だけで……
「なら、俺が直接新八に話してくるわ。新八、どこだ?」
そう言って俺はドアに手を掛けた。
背後でガタッと音がして、振り返ってみれば――
あの沖田が俺に頭を下げていた。
心臓が一瞬縮み上がって、ドクッとまた血液を送り出した。
一体、なんだよ。
「明後日、近藤さんが野郎を連れて京へ行く。公家の茶会にどういうワケかウチの大将が呼ばれたんでさァ。本来なら俺が一緒に行く手筈だったが……」
それが近藤の指図で、新八が沖田に成り代わって京へ行くことになったらしい。
ただの茶会ならなんて事ない話だったが、明らかに不可解な宴に真選組内部では、一橋派が裏で糸を引いてるんじゃねぇかと噂が立っていた。
「近藤さんも頑固で困りまさァ。俺の話にも土方さんの話にも耳傾けねぇで」
「頭上げろって」
「俺が同行出来れば近藤さんは必ず護れる。だから」
だから“新八を辞めさせてくれ”ってか。
沖田はその後も頭を下げ続けた。
俺はそんな野郎の姿に何かを言おうとして、結局上手く言葉が出なかった。
重く冷たい鉄製のドアを開けると、どこに向かうのか俺の足はひとりでに歩いた。
新八に会って、それで……
どのみち、新八とはいつか話さなきゃならねぇんだ。
きちんと腹を割って。
正直、まだ新八が万事屋に戻ってくるなんて、どこかで考えてた。
頭冷やせばもう少し別の答えが見えてくるだろ。
なんてな。
俺は適当にその辺りにいた人間に新八の居場所を尋ねると、いつも夜遅くまで一人で居る場所を教えられた。
ギシリと鳴く廊下をずっと進めばそれはあった。
月明かりだけが己を照らす暗がり。
昼間は隊士共が切磋琢磨し励む道場。
そこに新八は一人で居た。
「358、359、360……」
ブンブンと風を斬る音。
それをカウントする声。
ブレがねぇ。
俺は道場の入口でそれを見ながら、いつ声を掛けるかとタイミングを見計らっていた。
「……銀さん。良いですよ。もう終わるんで」
キラリと月光が反射した眼鏡で新八は俺を見た。
なんだよ、バレてんじゃねぇか。
俺は頭を軽く掻くと、小さく手を挙げた。
「よぉ、真面目にやってんだな」
新八は首に掛けていたタオルで汗を拭うと、俺に歩み寄った。
「なんですか?僕を辞めさせに来ましたか?」
全てを知ってるような言葉を口にした。
まさかな。
ひきつる表情で新八を見ている俺に新八は小さく呟いた。
「やっぱり」
新八は道場から縁側に出ると俺を手招きした。
黙って付いて歩けば、四畳半程の小さな一室に通された。
「近藤さんが部屋をくれたんです。何も出来ない新人にも関わらず」
新八のその言いぐさから、隊内で自分がどう見られているかを知ってるようだった。
新八が真選組に入って1ヶ月ほど経つが、一度も辞めようと思わなかったんだろうか。
俺には新八に聞きたい事が山ほどあった。
新八が部屋の真ん中辺りに正座をすると、俺は少し離れた位置で胡座をかいて座った。
「随分、万事屋との扱いが違うみてぇだな」
「ええ、まぁ。で、今日は何ですか?こんな時間に……先に言っておきますけど、銀さん」
久々に“銀さん”と呼ぶこの声に、俺は胸の奥がくすぐられた。
「わぁーてんだよ。分かってる。万事屋には戻って来ねぇんだろ?」
「……はい。ここで、真選組でちゃんと侍としてやっていきたいんです」
嫌味に聞こえた。
俺の元じゃ“ちゃんと侍として”やれねぇと言われてるようだ。
ひねくれてるのは分かってる。
だが、多少の嫌味も混じってんだろ。
お互いに言いたい事をわざと言わないような、遠回りの会話に苛立ってるのは感じてる。
そろそろ本題といくか?
俺はその場に正座をすると、いつもは丸まってる背中をしゃんと伸ばした。
「新八よォ」
俺の低い声は新八をこちらへと向かせた。
「万事屋に戻って来いとは言わねぇけど……今すぐ辞めろ」
新八の俺を見る目が一瞬丸く大きくなって、そして直ぐに鋭いものへと変わった。
そりゃそうだよな。
納得いかねぇよな。
新八は膝の上でギュッと握りこぶしを作った。
「だから言ってるじゃないですか。万事屋には戻ら」
「そうじゃねぇんだよ!」
俺は新八の言葉を遮った。
思いの外デカイ声が出て、余裕のなさが窺えた。
どうしても感情的にならざるを得ない。
俺は一刻も早く新八の首を縦に振らせたかった。
「テメェは知ってんのかよ。今度の京行きの件で流れてる噂を」
新八の顔色が一瞬青く変わったかと思ったが、表情を変えずに俺を見ている。
この時俺はただ新八の命を護りたかった。
だから必死で、どうにか今夜中にでも新八を除隊させて、元の平和な日常へ連れ戻したかった。
いや、違う。
今夜中に新八が辞めなければ、神楽が何をしでかすか分かったもんじゃなかった。
俺は何よりもそれを防ぎてぇんだ。
きっと。
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