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3.終焉の始まり

 

目に飛び込んで来たのは、スラリと伸びた男の背丈だった。

そして、次に柔らかな髪色。

大きな目、すました顔。

私の中にある記憶に確かにこの男の顔は存在した。

男の顔は。

 

「オイ、てめーに言ってんだ。人の前に飛び出してきやがって」

 

間違いなくサドの――沖田総悟の筈なのに、見た目以外は全く私の知らない男に思えた。

サドは私を押し退けると、何事もなく先へ進んで行った。

私が誰だか分からないの?それとも、もう忘れてしまった?

私は昔みたいにその背中に掴み掛かろうと思うのに、足はおろか、言葉すらも失ってしまった。

 

「神楽ちゃん!今の人って、さっき言ってた……」

 

普段と様子の違う私に見かねたのか、晴太が駆け寄って来た。

 

「う、ううん……違っ」

「オイ、そこのガキ」

 

遠くへ行ってしまったと思われたサドは、クルリとこちらを向くと戻ってき、晴太に軽く詰め寄った。

 

「今、神楽って言ったか?」

「い、言ったよ。神楽ちゃんって」

 

すると晴太を睨み付けていた目は私に向けられた。

どうしてか、嫌な汗が額に滲んだ。

 

「てめぇ……あのチャイナかよ?」

 

そして、サドはこっちに近付いてくると気安く私の顎を掴んだ。

 

「やめろヨ!なに気安く触ってんだバカが!」

 

そう言って手を払い除ければ、それまでポーカーフェイスだったサドの表情にニヤリとした笑みが見えた。

 

「確かに中身は変わってねぇ。あのチャイナでさァ」

 

サドは生きていた。

そして、今私の前で相変わらずな表情をぶら下げて、私に突っ掛かっている。

そんな今までなら普通だったものが、ものすごく私には感動的なものに思えてしまった。

きっと奴はこんな私の胸の内を見れば、反吐を出すだろう。

だから、私はそれを悟られないように隠さなきゃいけない。

 

「それよりオマエ、何でこんなとこにいるアルカ」

 

話を変えようとしたのが失敗だった。

サドはつまらなさそうな顔付きになると、また気安く私の顎を掴んだ。

 

「野暮な事聞くな。吉原に来てる理由なんて一つだろィ」

 

私は囁くようにそう言ったサドが、とてつもなく穢らわしく思えた。

私はサドの手を振り払うと睨み付けるようにサドを見た。

 

「てめぇこそここで何してんでィ。ガキが来る場所じゃねぇだろ」

 

私は屈辱的だった。

銀ちゃんや新八に大人扱いされなくてもそんなに気にならないのに、コイツにこんな事を言われるのは非常に悔しくて、何よりも恥ずかしかった。

私は晴太の手を取ると、自分の胸の中に抱き寄せた。

 

「かか、かぐらちゃんっ!」

「私だって客とってたところネ。オマエが思ってる程ガキじゃないアル」

「フン、そんなワッパに買われるなんて、よっぽど切羽詰まってんだな。万事屋続けてた方がまだマシだろィ」

「辞めてないアル!」

 

サドは明らかに不機嫌になると、私を上から下までジロジロと見た。

その視線に私は耐えると、サドは自分の顎に手をあてて唸った。

 

「100万でどうだ」

 

私は頭の中で奴の言う金額が何に対してつけられたものか考えた。

ここは天下の吉原で、私は客をとってるなんて嘘を吐いていて、サドは私を舐めるように見回した。

……最悪アル。

その100万と言う数字は、私に対してつけられた金額。

私をアイツの好きなようにさせる使用料以外の何物でもないだろう。

 

「100万なんて、てめぇでも一回でとれねぇ金額だろィ」

「オイ……」

「神楽ちゃん?」

「舐めてんじゃねーヨ!何が100万ネ!そこいらの女とはワケが違うアル!天人の……夜兎族の女アル!そんなはした金で簡単にものに出来ると思うなヨ!酢昆布10……せめて20個持って来いよバカタレ!」

 

二年でこうも人間は変わってしまうんだろうか。

女と遊ぶのは個人の勝手だし、大金稼ぐようになったのはむしろ良いことなのかもしれない。

だけど、私を金で買えると思うなんて、金で買おうとするなんて。

昔のサ……沖田ならこんな事は冗談でも口にしなかった。

だけど睨み付けてる先の表情が信じられないくらいに柔らかくなり、終いには笑いだした。

 

「やっぱり、チャイナはチャイナのままでさァ」

 

サドが嬉しそうに言ったように見えて、私はどんな顔をすればいいか分からなくなった。

 

「バカは死ななきゃ治らねぇってのは本当でィ」

 

本当にどんな顔をすればいいか分からなくて、サドを見つめる表情に何かを感じ取られないように、私はワザとむくれてみせた。

 

「沖田さーん」

 

突然聞こえた声の方を見れば、何人かの遊女達がサドの背中を追って来たようだった。

あれもたぶん金で買ったんだろうな。

 

「沖田さん、また来てくださいね」

「そうよ、約束ですよ」

「俺は約束はしねぇ男でィ」

 

女と話すサドの横顔を私はどんな顔で見ているんだろう。

ようやく会えたのに、やっと会えたのに。

淡くときめいてるのは私だけなんて分かってるのに、それでもどこかで期待してたんだ。

綺麗になったね――なんて。

 

「神楽ちゃん……」

 

胸で抱き締めてる晴太が心配そうに私の顔を覗き込んだ。

そう言えば、コイツちゃっかり話を聞いてたアルナ。

 

「私、帰るヨ」

「神楽ちゃん、多分だけど侍なんて……吉原じゃモテないよ」

「ありがとナ。オマエ、良い男アル」

 

私は女に袖を引っ張られているサドに背を向けると吉原を後にした。

背中の向こうから聞こえる媚びるような女の声や、それを見抜けないのか金を出して買う男。

私がずっと憧れてたオトナの世界は、思っているより綺麗じゃなくて……ううん、汚くて、知らなければ良かったなんて思っていた。

そんな世界でも、アイツは生きてた。

そして、また会えた。

それを良かったって、幸せだって思えなきゃ……私はやっぱりまだまだ子供なのかな。

 

帰り道、胸が詰まって、苦しくなって、このまま万事屋になんて帰りたくない私は、一人公園のブランコを漕いでいた。

もし、このまま万事屋に帰ったら私は二人の前で泣いてしまいそうな気がしていた。

それは避けたかった。

だって、もう大人だし。

それに恥ずかしいし。

 

二年ぶりに漕いだ公園のブランコは、何だか大して面白くなくて、短いスカートが気になった。

今考えたら、よくあんなスリットの入った服で暴れまわってたネ。

サドと殴り合ったり、蹴り入れたり。

 

「もう、喧嘩すら出来なくなっちゃったネ……」

 

ため息混じりに呟いたら、隣のブランコがギィっと揺れた。

 

「神楽ちゃん、もうご飯の時間なんだけど」

 

顔を上げなくても隣に誰が座っているのか、私にはよく分かっていた。

 

「何ヨ。もう少し足音立てろヨ。本当お前は地味アル」

 

私はブランコからピョンと降りると新八のブランコの隣に立った。

そして、ニッコリ笑った私は顔を青くした新八に構いなく、ブランコを漕いであげた。

 

「ちょっ!」

「そーれーっ!」

 

新八は綺麗に一周回転すると、よろめきながら立ち上がった。

そして、先に公園を出る私を青ざめた表情で追い掛けてきた。

 

「こ、このやろー!」

「私を驚かせた罰アル」

 

新八は何とか私に追い付くと肩を並べて歩いた。

怒ってるのは伝わって来たけど、うるさい口は珍しく大人しかった。

そう言えば、新八と夕暮れのかぶき町を並んで歩くなんて久しぶりだった。

 

「フフン」

「急にどうしたの」

 

さっきまで気持ちは沈んでいて泣いてしまいそうだったのが嘘みたい。

そんな事すっかりと忘れていた。

やっぱり私には万事屋が一番で、何よりも安心できる場所なんだと実感した。

それがすごく嬉しくて、私は思わず新八の腕を取ってスキップをした。

 

「え、次は何?」

「ノリ悪いアルナ!いいからオマエもスキップれヨ!」

「スキップれって何?気持ち悪い」

 

新八は嫌そうな、恥ずかしさを捨てきれてなさそうな顔をしてたけど、私よりも楽しそうに跳ねていた。

それがアホみたいで、可笑しくて、気分は晴れていくハズなのに、ちっとも愉快になんてなれなくて……私はスキップをやめて立ち止まってしまった。

 

「……スキップれよな」

 

気持ち悪いなんて言ってた癖に、自分もちゃっかり使ってんナヨ。 

そんな新八に私は我慢ならなかった。

鼻の奥がツンとして、体の奥から込み上げる感情に負けてしまう。

 

「無理アル!アホ!」

 

私は新八の肩を許可なく借りると、もうダメだった。

顔が上げれなかった。

苦しくて仕方がなかった。

結局、私は大人ぶってただけで、全然大人じゃなかったんだ。

それが今こうして私を泣かせてる。

 

新八は何があったか聞かなかった。

その代わり、黙って肩を貸し続けてくれた。

だけど、私はそれに甘えちゃいけないんだろって、何となくだけど感じ始めていた。

昨日、銀ちゃんが言った言葉。

前よりずっと大人になった私を受け入れたと言う意味。

少しずつ分かってきたヨ。

 

私は新八から体を離すと、顔を上に向けて目を閉じた。

サドの事、私はやっぱり惚れてるみたいだった。

こんなに悲しくなるなんて想像もしてなかった。

私はもう少し自分が頑丈だと思っていた。

あんなの見たくらいで気持ちがどうかなるなんて、自分が一番信じられなかった。

 

サドは京でも女を買って抱いてたんだろうか。

多分、そうだろな。

だって慣れて見えたもん。

きっとホント、私なんてサドからすれば、男を知らないガキなんだろう。

だったら、私が男を知って上手に立ち回れるようになれば、余裕が出てきて相手にもされるかな?

そんな問題じゃないのかな……自信ないや。

 

「なぁ、新八」

 

珍しく、私より半歩先を歩く新八の背中に尋ねた。

新八は振り返らずに何と聞き返した。

 

「金持ちだったら、遊女買うアルカ?」

 

新八は足を止めると私に変な顔を向けた。

確かに変な事を聞いたのは私だけど、そんな顔されるとは夢にも思わなかった。

 

「お金持ちだったら?」

「うん、そう。お金持ちだったら」

「決まってるでしょ。僕がお金持ちだったら……布教用にお通ちゃんのCDを100枚買う」

「さっすがー」

 

新八は二年経っても何も変わっていなかった。

同じ女は女でも、新八はそうでなくっちゃ。

 

「何でそんな事聞くの?」

「別に」

「……でも、惚れた人がたまたま遊女だったら、お金を出して自分のものにするのかもね」

 

お金で好きな人が買えるなら、みんなお金を出すんだろうか。

私に値段をつけたサドは一体、何のつもりだったんだろう。

 

「まさか!まさかまさかヨ!なワケないアル!まさかネ……」

 

新八は私の事を首を傾げて見てたけど、私はありもしない想像に顔が熱くなってそれどころじゃなかった。

両頬に手をやれば、本当にヤケドしちゃいそうなくらい熱くなっていた。

相変わらず新八の視線が痛かったけど、私の顔は根拠のない自信のお陰でにやけてしまっていた。

 

私はふと気が付いた。

恋って根拠のないものに心が操られる事を言うのかな……なんて。

たった一言で嬉しくなるのも悲しくなるのも、本人の真意が分からないから受け取った私がどう解釈するかで変わるんだ。

全部実態の見えない、霧のベールに包まれている。

だから、いちいちこんなに不安になるのかな。

そこから脱出したかったら、やっぱりハッキリ聞かなくちゃ。

私をどう思ってるか。

 

明日にでも、私は真選組屯所へと向かおうと思っていた。

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