23.執行列車
じっとりとした汗を掻いていて、私は居心地の悪さを感じていた。
銀ちゃんも廊下に立ったまま、私とは目も合わさずにうつ向いていた。
銀ちゃんは私の事を――
そんなの分かったところでどうすれば良いか分からなかった。
逃げ出したい。
さっき万事屋を居場所だって言ったばかりなのに、私は一刻も早くここから立ち去りたいと思っていた。
それにサドの事が気掛かりだった。
私を大切に思ってくれてるはずなのに、どうして新八のあんな言葉に言い返すこともしてくれなかったんだろう。
繋いだ手だってキスだって、私にはサドの温もりがちゃんと伝わったのに。
私は銀ちゃんの隣を無言で通り過ぎると万事屋を飛び出した。
サドがどこに居るかは分からなかったけど、とりあえず屯所を目指した。
途中でサドに似てる後ろ姿を何度も見付けたけど、どれも違って、私は全然サドの事を知らないんだと痛感した。
サドの事をちゃんと見てないのは私も同じだった。
屯所に着くと見慣れた門番にサドが居るか聞いたけど……答えてもらえなかった。
きっと、サドがそうしろって言ったに違いない。
だけど、そうまでして私に会いたくないのは、こうして追い掛けられたくないからだろうか。
本当に体だけしか好きじゃ無かったんだろうか。
抱き締めながら言ってくれた言葉は嘘だったんだろうか。
私は悲しくて仕方がなかった。
どこへ行こう。
勢いで出てきてしまった以上、万事屋にも帰りづらかった。
銀ちゃんはまた全てを隠して、何でもないフリをするのかな。
そうさせるのは私のせいだって分かったから、やっぱり私は万事屋を出て行った方が良いように思えた。
私はフラフラとかぶき町を歩いた。
あちこちに知り合いがいてご飯は食べさせてもらえるし、夜の方が賑やかな繁華街は私には安全だった。
そう言えば、お風呂に入りたい。
そうは思いながらも家には帰れなかった。
気付くとかなり夜も更け、私は行き慣れた公園のブランコに腰を掛けていた。
空には丸い月が昇っていて、地球じゃ狼男が出るなんて不吉なものの一つだった。
狼男なんて珍しいもの、今夜の暇つぶしには丁度良かった。
いざとなればブッ飛ばせばいいんだから、ばったり出会わないかなんて思っていた。
サドの事も銀ちゃんの事もいくら考えても何も解決しない。
私はどうしたいんだろう。
サドに会いたい?
銀ちゃんと話したい?
何だかどれも上手くいかなくて、一瞬でも良いから忘れてしまいたいなんてバカな事を私は思っていた。
私のほんの出来心。
それが悪魔を引き寄せる。
「そこで何してる」
声と共に眩しい光に照らされて、私は両手で顔を覆った。
「ん?テメェは」
その声に悪魔の正体が分かった。
「トッシー?」
「チャイナか?何してんだ。こんな時間に」
巡回中だったらしく、トッシーは夜の公園で一人ブランコを漕いでいた私を懐中電灯で照らしたのだった。
「何しててもいいダロ」
「万事屋と喧嘩でもしたか?」
トッシーは煙草を吸いながらケータイでどこかへ連絡を入れると、私の隣のブランコに座った。
「似合わないアルナ」
「似合ってたまるか」
そう言ったトッシーに私はどれくらいか振りに笑ってみた。
「で、喧嘩の原因はなんだよ」
「聞くアルか?フツー」
「聞かれたら困ることなのかよ?」
夜の暗がりでも分かる、ギラッと光る鋭い瞳。
その目付きに、トッシーは本当は喧嘩の内容を聞きたいわけじゃなく、私と単に会話がしたいんだと思った。
だって、知ってるから。
トッシーは下心も何も隠さない事を。
「オマエが家に来た事バレてたネ」
「まぁ、バレねェ方が異常だがな」
「なんでアルカ?」
「煙草の臭いなんてイッパツだろ」
ようやく私はこないだの謎が解明した。
そう思ったら、やっぱり私はまだまだガキなんだろうなと少し残念だった。
最近はすっかり自分が大人になれただなんて思っていたから。
「帰らねェのか?」
「帰れないだけネ」
「帰りたくねェのか?」
「……分かんねーヨ」
そう言ったらコイツは私をどこかへ匿ってくれるだろうか。
サドとも銀ちゃんとも関係ない世界へと誘ってくれるだろうか。
今の私はそれが怖い事ではなくなっていた。
「飯は?」
「食ったアル」
「なら、どこで寝るんだよ。ここか?」
どこで寝るかなんて自分でも分からなかった。
今はただ帰りたくない。
それだけだった。
トッシーは煙草の煙を吐きながら満月を眺めていた。
それを見て、コイツは悪魔なんかじゃなく、狼男だと私は悟った。
大きな耳と尻尾。それがバタバタとうるさい。
実際には生えてないけれど簡単に想像がつく。
「私、お風呂入りたいアル。オマエどこか知らないアルカ?」
月明かりに照らされたトッシーの顔が驚いた表情になる。
その表情は最もだった。
だけど、トッシーは着ていた隊服のベストを脱ぐとシャツ一枚になった。
懐中電灯片手に見廻りをしていた鬼の副長は立ち去って、代わりに私を夜の闇に匿おうとする親切な男が姿を現した。
「風呂に入れたら、どこでも良いんだな」
私はその言葉に頷くと、迷わずトッシーのあとをついて行った。
ガラス張りのバスルームは、湯気で内からは何も見えなかった。
だから、きっと外からも何も見えないハズ。
私は今日一日の疲れをお湯で洗い流すと、少し体が軽くなった気がした。
とりあえず、お風呂から上がったら銀ちゃんに電話しなきゃ。
でも、外泊したら、きっと本当にパピーに連絡されてしまう。
それは厄介で避けたい事だった
だけど、銀ちゃんだって分かってるはず。
私が今日は家へ戻らない事を。
そして、その原因が少なからず自分にもある事も。
そんな事を考えながら湯船に浸かると、このまま眠ってしまいたいなんて思っていた。
だいぶ体も癒されて、私は濡れた体をタオルで拭いた。
今さっきまで着けていた下着は汗で汚れてしまっていて、綺麗にした体にそれを着けるにはやや抵抗があった。
この際、いっそのこと服も下着も洗ってしまおうか。
そう思い立ってやってみて後から気付いた。
じゃあ、今は何を身に着ければいい?
私はバスタオル一枚だけを巻くと、濡れた自分の服などを持ってガラス張りの浴室から出た。
出た先はすぐにベッドルームになっていて、ピンク色の照明が白い部屋を薔薇色へと変えていた。
私は濡れた服をその辺りに適当に掛けると、部屋の一番奥でこちらに背中を向けて煙草を吸ってるトッシーへと声を掛けた。
「上がったアル」
その言葉に振り向いたトッシーは顔を歪めるとスグに視線を外した。
「なんて格好してんだ!テメェは」
「だって、全部濡らしてしまったアル」
部屋に造り付けられたクローゼットを見れば、安っぽい生地で出来た服……と言うよりは衣装が何着か掛かっていて、トッシーはその中から適当に引っ張り出すとそれを私に投げた。
「乾くまでそれでも着てろ」
「オマエの趣味アルカ?」
投げつけられたそれはただのエプロンだった。
広げて見せた私にトッシーは慌て別の衣装を投げるも、どれもこれも“そう言った目的”の衣装ばかりで、巻いてるバスタオルよりも頼りなかった。
「どうすんだよ。濡らすか?普通」
私は仕方がないから、一番透けなさそうなメイド服を着る事にした。
トッシーはそれを身に付けた私をベッドの上から黙って眺めていた。
私はそのトッシーの瞳に何度目かの危険な香りを嗅ぎとった。
トッシーが私を誘いたがってるのが分かる。
「オマエ、仕事はいいアルカ?」
「さっき交代の時間で連絡は入れてある」
全部計算した上で私をここへ連れてきたらしく、トッシーは煙草を灰皿へ押し付けるとベッドから降りた。
「テメェに猶予をやる。俺がシャワーを浴び終わるまでだ。それまでにどうするか決めろ」
それだけを言うとシャワーを浴びにガラス張りの浴室へと入っていった。
私はトッシーがそうしてた様に浴室に背中を見せるとベッドに横になった。
どうするか……。
それは私の中でもう決まっていた。
ここへ来る前に既にそう決めていたから。
もちろん、何事もなく帰れる保証もない事は分かってる。
それが誰を裏切るかも。
自暴自棄なのかな。
自分を傷つけたいとは思わないけど、どうなってもいいやなんて思ってしまう。
こんな事を知ったら、銀ちゃんは勿論、サドは私を軽蔑するだろうか。
もう、二度と愛してくれないかもしれない。
トッシーのシャワーを浴びる音と有線から流れる音楽、あとは古臭いマットレスのスプリングの軋む音が聞こえていて、私の安っぽさにとても合っていた。
体だけ。
それがどういう事なのか、今ならよく分かる。
サドが私の体だけじゃなく全てを愛してくれてた事も。
だから、私はきっとここへ居ちゃいけないんだ。
そうは思っていても、帰れない私はサドとの約束を破って弔いの献花をする。
白黒のこのメイド服はまさに供養に丁度良い。
“冥土行き”のベッドの上で、私はただ静かにトッシーが戻って来るのを待っていた。
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