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13.トラバサミと兎

 

パーティーの日が近付くにつれて、私はソワソワして落ち着かないでいた。

それは楽しみなのもあるけど、同じくらい不安も大きかったから。

サドと二人で出掛けるなんて、初めての事で全く想像が出来なかった。

 

そんなある日、夕食の準備をしている時だった。

台所に銀ちゃんが来て、呑みに行くから飯はいらないと言った。

もっと早く言えヨ。

私は顔でそれを表した。

新八は姉御と夕食をとるからと既に帰っていて、結局自分一人だけ万事屋で食べる事になった。

一人だけで食べるならそんなに急ぐこともないしと、私は作りかけていた二人分の食事の手を休めて居間へと戻った。

 

「どこか料亭でも行くアルカ?」

 

呑みに行くなんて言うから、てっきりいつものコースだと思ってたのに、出掛ける用意をしている銀ちゃんは紋付き袴なんて着ていた。

 

「あぁ、前に世話んなった依頼者が、どうしても付き合えってしつこいから」

 

その相手がこの間の電話の人間だろうと軽く想像がついた。

それは見合いをしたあの女性で、銀ちゃんは会いに行くんだろう。

どんな話をしてくるのかな。

いつもにない厳しい顔した銀ちゃんに、決着をつけに行く事がうかがえた。

 

「戸締まりだけしっかり確認して寝ろよ」

 

その言葉が銀ちゃんが今日中に帰って来ない事を示していた。

呑みに行く時は大抵そう言って出ていく。

とても聞き慣れた文句だった。

 

「うん、わかったアル」

 

だけど私の胸はチクリと痛む。

それは何故か。

銀ちゃんが誰と呑みに行くのか……誰に会いに行くのかを知ってるから。

いつもだって、どこの誰と朝まで何をしてるかわかったもんじゃなかったけど、飽くまでも私の予想にしか過ぎなかったから気にしないでいられた。

だけど、今日は違う。

ハッキリと分かってるから。

相手が女性で、向こうは銀ちゃんに好意があって、それで朝まで帰らない……

 

それを私の体は不快だと感じてるんだ。

どうしてだろう。

大人のよく分からない関係を汚らわしく思ってるからかな?

だって、断ったって。

それって振ったって事でしょう?

なのに、朝まで一緒にいる関係になれるアルカ?

私には銀ちゃんが理解出来なかった。

でも、相手の女性の気持ちは少し分かる気がした。

振られたからって、急に諦める事が出来るはずもないだろうし。

だけど、昼ドラみたいに、最後に一度だけ……みたいな事は理解したくなかった。

大抵、赤ん坊が出来る展開になってドロドロアル。

銀ちゃんはそんな昼ドラ男じゃないと信じてるから、何事もないとは思ってるけど……

 

銀ちゃんを見送って、私は二人分作りかけのご飯をどうしようか悩んでいた。

一人で全部食べちゃおうか。

それとも、誰かと一緒に食べるか。

新八がいれば丁度良かったのに、こんな時に限っていないのが新八の癖に生意気だった。

 

「別に人に食べさす程のご馳走でもないし、一人で食べちゃうかな」

 

私は少し覚えた料理に、たまにはパピーにも食べさせてあげたいなんて思っていた。

娘の手料理なんて世の父親達には世界一のご馳走アル。

そう思ったら、あともう少しだけレパートリーを増やさなきゃ。

そんな事を思いながら台所に立ってると玄関のインターホンが鳴った。

 

見えるシルエットにこないだの事が頭に過ったけど、あの女性なら銀ちゃんと会ってるはず。

私はハイと返事をすると戸の前に立った。

 

「誰アルカ?」

「……土方だ」

 

私は顔をしかめると僅かに開けた戸の隙間から外を眺めた。

確かにジロリと私を見るトッシーがそこに立っていた。

 

「オマエ、エスパーアルカ?」

「なんの話だ。いいから開けろ」

 

着流し姿のトッシーは図々しく玄関土間まで入って来ると、廊下の向こうの居間を見た。

 

「眼鏡もいねェな」

 

新八もいないと言ったトッシーに私は疑問に思った。

銀ちゃんがいない事を知ってるの?

 

「何しに来たネ?」

「話がある」

 

そう言えば、コイツに私は未遂だけど襲われた事を思い出した。

私にキスをしようとした……それを思い出した以上、家の中には絶対に上げてはいけなかった。

 

「帰れヨ。私は今からご飯作らなきゃいけないアル」

「テメェに出来んのか?」

 

その一言が私に火をつけてしまった。

後から思えば、それは奴の作戦だったのかもしれない。

こんなに自然に女の家に上がり込むなんて、そうとう女に慣れていて、何よりもいやらしさが全く無かった。

こんなの新八や銀ちゃんには絶対に出来ない事だった。

 

「な?それなりに作れてるダロ?」

 

向かいのソファーであらゆる食べ物にマヨネーズをかけてるトッシーは黙って箸を動かし続けていた。

 

「意外だな。テメェが料理なんてする女には見えねーよ」

 

それはきっとコイツなりの誉め言葉なんだろうけど、意外だと思われてた事に私は失礼な奴だと思っていた。

それよりも何よりも、なんでワザワザ私以外に誰も居ない万事屋を狙って来たのか。

私の体には力が入っていて、思ってる以上に緊張してることが分かった。

とりあえずご飯を食べ終わったら、奴の話を聞いてやろうと思っていた。

 

 

 

「灰皿はねーのか?」

 

食事も終わって寛いでたら、トッシーは何の許可もなく煙草を吸い始め、しまいには灰皿はないのかと聞いてきた。

一体何しに来たんダヨ。

 

「灰皿無いのに吸うのが悪いアル。今すぐ手の平にでも押し付けて消せヨ、ニコチン」

 

トッシーは一度どこかへ行くとジュースの空き缶を探しだし、それを灰皿代わりに使い始めた。

そうまでして吸いたいんだろうか。

中毒症って厄介だなと思ってた。

よく見ればトッシーの手は震えていて、煙草を吸ってるのにも関わらず治まっていなかった。

 

「オマエ、手が震えてるネ。病院行った方がいいアルヨ」

「あぁ、これか。これは……」

 

トッシーは短くなった煙草を空き缶の穴へ押し込むと、テーブルの上の湯呑みに手を伸ばしお茶を飲んだ。

その光景を私は黙って眺めていて、今から何か始まる予感に固唾を飲んで待っていた。

 

トッシーは湯呑みをカタッとテーブルに置くと、私の目を真っ直ぐに見据えた。

その眼差しに体が痺れそうになる。

 

「テメェに一つ頼みがある」

「私に?」

 

トッシーが私に頼みなんて考えられなかった。

私は少し姿勢を正すと、トッシーの顔をきちんと見た。

その表情はいつもより少し堅い気がした。

なんだろう。

何の頼みなんだろう。

 

「その前にテメェに聞いてもらいたい話がある」

 

私は頷いた。

トッシーはまた煙草に手を伸ばそうとしたけど、今度は口には加えずにテーブルへと置いた。

そんな様子に私の方が強く緊張してしまった。

 

「俺が吉原に通うようになったのは、ただ単に女を抱きたかったから。そう思ってただろ。お前も……」

 

トッシーが私に話し始めた内容から、なんとなくサドとトッシーが和解出来たような気がしていた。

それの報告に来たんだろうか?

私は黙って続きを聞く事にした。

 

「どんな高い女を買っても、何人抱いても全くダメだった」

 

何がダメだったんだろう。

私を見ているトッシーの目は、まるでガラス玉のように私だけを綺麗に映していた。

 

「それでも京から戻って来る頃には、段々と薄れていってるように感じてた。忘れられるってな」

「忘れられる?」

「あぁ、そうだ。俺はずっと忘れたかった。だけど、あの日触れた肌が……面倒なことに、忘れるどころか俺を呼び起こしやがった」

 

トッシーは急に立ち上がると私の隣に移動してきた。

この感じ、なんとなくだけど分かってしまう。

望んでるんだろうって。

他の誰でもなく、この私を。

 

「馬鹿ネ。女で女を忘れることが出来ないなんて、男のオマエだったら分かってたダロ」

「だから、もう俺はテメェを忘れないことにした」

 

トッシーは私の体を引き寄せると抱き締めた。

こうなるって隣に来た時から雰囲気で分かってた。

けど、私は逃げなかった。

 

「頼みってこれアルカ?」

「違う。一生忘れられないくらい、深いところでテメェを愛したい」

 

私の心臓は途端に激しく高鳴り、体が熱く火照り始めた。

これはどういう意味なんだろう。

私はトッシーとそういう事を望んでるアルカ?

好奇心がニヤリと笑って私を手招きするのが分かった。

 

「その記憶だけあれば、もう俺はチャイナから手を引く」

 

最後に一度だけ。

そう望むトッシーの気持ちを私は理解出来てしまいそうだった。

昼ドラのドロドロ展開なんて有り得ない。

そう思ってたのに、自分を強く望むトッシーに少し喜びを感じていた。

 

「なんで……忘れようとしたアルカ?どうせなら他に金使わないで、私に使えば良かったアル」

「金で買える女じゃねェだろ」

「よく分かってるナ」

 

私は多分、情に流されていた。

雰囲気に飲まれていた。

トッシーの熱が次第に心地よく思えて、私もそれを欲しがるように、自然とトッシーの背中に腕を回した。

そうすると、トッシーの私を抱き締めていた腕に更に力が入る。

このまま更に抱き合えば、自分の身がどうなるか分かっていた。

だけど、私は逃げないで、黙って胸に抱きすくめられてる。

そんな大人しい私にトッシーは、顔の正面に回り込むと、ゆっくりと唇にキスをしようと近付く。

 

「ダメ」

 

私の伸ばした人差し指は、トッシーの唇と私の唇の間に綺麗に収まった。

そう。それはやっぱりダメなことだった。

同情したって何だって、こんなのただの尻軽女ヨ。

私は違う。

誰にでも許したくない。

たった一人だけに。

だから、トッシーに私はあげない。

 

「やっぱり、ダメアル。まだよく分からないけど、きっとダメアル」

 

トッシーの腕の中から離れると、私は少し乱れた前髪を直した。

トッシーは私を見ずにうつ向いていて、どんな顔をしているかなんて分からなかった。

分からないけど、私の胸はどうしてかチクリと痛んで何か悪いことをした気分になる。

罪作り。

そんな言葉が頭に浮かんだ。

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