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現実トリップ:02

 

 神楽は意識がホワイトアウトしたかと思うと、次の瞬間には見慣れた万事屋の天井が飛び込んできた。何が起こったのか。神楽は自分が悪い夢でも見ていたのではないかと思っていた。実際、今も布団の中にいて、まだ体が重い。五年後など、魂が時空を超えるなど、まったくもって信じられない話であった。神楽は変な夢を見てしまったのだと体を起こそうとして――――――再び布団を体に掛けた。無いのだ。衣服が。しかし、有るのだ。膨らんだ胸が。神楽は先ほどまでの出来事が夢では無かったのだと気が付くと、額に汗を滲ませた。そしておもむろに手を胸に当て体を触ると、確実にその胸は自分の体に付いており、手の感触をハッキリと感じたのだ。

「嘘でしょ!」

 驚いた神楽が大きな声を上げると、モゾモゾと隣の布団が動いた。神楽は僅かに体を起こしてそれを見ると、目に飛び込んできた光景に頭を振って顔を引きつらせた。なんと隣の布団に眠っていたのは、神楽と同じように衣服を身につけていない銀時であったのだ。ハッキリと確認出来たわけではないが、脱いだ寝間着が枕元に散らかっている。神楽は慌てて布団から飛び出ると、シーツで体を隠したまま風呂場へと向かった。

 絶対におかしい。あり得ない。そうは思うが、どれも紛れもない現実であった。頭から湯を被った神楽は、とにかく落ち着こうと今見た光景を整理しようとした。自分はナイスバディの神楽ちゃんで、全裸であり、隣のモジャモジャも全裸であった。つまりはどういう事なのか?

「……わかんないアル!」

頭の中はいつもの14歳の神楽であり、状況を飲み込めるだけの冷静さも判断力も伴っていなかった。とりあえず神楽は風呂から出ると、適当に着替えを済ませ、再び銀時の居る寝室へ戻ったのだった。すると、物音で目を覚ましたのか銀時が目を開けた。

「今日は休みだろ」

 神楽は固まってしまうと、寝室の襖を背に立ち尽くしていた。

「つか、お前……」

 銀時は布団の中から這い出て来ると、神楽の前にパンツ姿で立ったのだった。

「どこ行くつもりだよ。こんな朝っぱらから」

 銀時は神楽を睨みつけるように見下ろすと、頭を掻きながら欠伸をした。

「まずは目覚めのナマ乳だって、何回言わせりゃ覚えんだよ」

 神楽は殴った。銀時を心の底から蔑む気持ちでブン殴った。たまの言っていた言葉はやはりただの憶測であり、大切に想っているから乳を揉ませろなどと言わないのではなく、ただ単に神楽が子供であるから言わないのであった。それを知った神楽は、やるせない気持ちと銀時への腹立たしさでつい手が出てしまった。神楽に殴られた銀時はと言うと、すっかり目が覚めたのか驚いた顔で神楽を見ていた。

「殴ることねぇだろ!」

 神楽はどうして良いか分からずに万事屋を飛び出すと、とりあえずは源外の元へ向かおうと五年後のかぶき町を走ったのだった。

「ジイさん!」

 神楽は作業場でオイル塗れの源外を見つけると、両肩を掴み激しく揺さぶった。

「元へ戻る方法教えるアル!」

「はぁ? 元ってなんだ? 銀の字と喧嘩でもしたか?」

 神楽は五年経っている事を改めて実感すると、源外に自分はさきほど五年前から転送されて来たのだと説明した。

「あぁ、そんな機械も作ったな」

 そう呟いた源外は作業場の片隅にある薄汚れた椅子を引っ張り出して来ると、神楽にニカッと笑ってみせた。

「一週間もありゃ、すぐに使えるぞ」

 一週間のどこが“すぐ”なのか。神楽は源外の言葉に絶望を感じると、万事屋へ戻るしかないと元来た道を戻ったのだった。

 

 万事屋へ戻ると、台所で朝食を作る銀時の姿があった。

「おかえり」

 着替えを済ませ、五年前と大して変わっていない銀時に神楽は戸惑うと、銀時を無視して居間へと向かった。そして、ソファーの上で膝を抱えると、五年後の銀時にとって自分は随分と手軽な女になってしまったのだと来たる未来を悲観した。裸で並んで寝ていたのだ。きっとそういう間柄なのだろう。自分は銀時にとって都合の良い存在でしかないという事が神楽を酷く傷付けた。五年前の自分は一体、何を思っているのか。この現状を当たり前に受け入れているとしたら、神楽はそんな自分自身すら嫌いだと思うのだった。

 その後、黙ったまま少し遅い朝食を食べ終わると、銀時は五年前と変わらずにパチンコへと出掛けた。神楽は悲しそうな顔で銀時の背中を見つめると、こんな未来なら見たくなかったと源外とたまを恨んだ。未来が分からないからこそ今を生きられるのであって、結果が分かっているのなら、前になど進む気力も起きないのだ。神楽は物置の少し窮屈な押し入れに入り込むと真っ暗闇の中、体を横にした。

「狭いアル」

 何もかもが不愉快だと眉間にシワを作ると神楽は眠ってしまった。次に目が覚めた時、これはやはり悪い夢で全部嘘だったならどんなに良いかと思った。しかし。そんな事はなく、窮屈な押し入れのせいで足をぶつけ、その痛みで目を覚ましたのだった。

 神楽は目を擦ると物置から出た。そして既に夕陽が差し込む室内にだいぶん眠ってしまった事を知った。居間にまだ銀時の姿はなく、神楽はパチンコにでも勝ち、その後に何処かへ行ったのだろうと考えた。パチンコに勝ってから行く先など、五年前から決まっている。神楽は腸が煮えくり返りそうではあったが、五年後の自分がそれを受け入れているのなら文句を言うのはやめておこうと諦めた。

「ただいま」

 挨拶と共に戸の開く音が聞こえた。どうやら銀時が帰ったらしく、思ったよりも早い帰宅に神楽は鼓動が速まった。まるで体が何かを期待しているようで、自分の感情とは異なる動きに神楽は戸惑いを覚えた。

「……お、おかえり」

 神楽は居間へやって来た銀時にそう言うと、ソファーから立ち上がろうとした。なんとなく顔を合わせたくないのだ。しかし、銀時は何か喚きながら神楽の隣に腰を下ろすと、神楽の肩に手を回しもたれて来たのだった。

「俺としても、パチンコで負けた分を競馬で取り返そうとしたワケよ。それで最終レースに有り金つぎ込んだは良いけど、いやぁまさか向こう正面で失速するとはなあ」

 お前が今朝、乳を揉ませなかったから云々……と銀時がデタラメな事を言うものだから、神楽は銀時を睨みつけた。そして臭いと言って銀時を突き放そうとして、神楽はある事に気が付いた。銀時が臭くないのだ。

 どこかでお風呂に入った?

 神楽は元の世界の銀時ですら臭いのに何故だと不思議に思うと、銀時の首に目をやった。見れば案の定キスマークが付いており、ギャンブルに行ったような話をしていたが、実は別の場所に金を落として来た事が窺えた。

「やっぱ、お前が乳を揉ませなかったのが悪いっつーことで……」

 神楽はこめかみに青筋を浮かべると、鼻の下を伸ばしている銀時の胸ぐらを掴んだ。

「いい加減にしろヨ! 私はお前の空気嫁じゃないアル!」

 銀時は突然キレた神楽に意味が分からないと言ったような驚いた顔をしていた。

「私が気付いて無いとでも思ってんのカ! 首になんか破廉恥なもん付いてんダヨ!」

 銀時はそう言った神楽に目を細めると、胸ぐらを掴む白い腕に手を添えた。

「……いや、コレはお前……つーか何で急にカタコトで喋ってんだよ」

 神楽はハッとすると、今の神楽がもうカタコトでは喋っていない事を知った。

「う、う……ん」

 戸惑った神楽が銀時の胸ぐらから手を離すと、銀時が急にニヤリと笑ったのだった。

「あぁ、分かった。そういう事ね」

 そう言った銀時は神楽の腕を掴んだまま、もう片方の手を自分の顎に置いた。

「退行プレイってやつ? 今朝から、どうも懐かしいって感じがしたんだよな」

「プレイ!?」

 神楽は銀時が何を言っているのか意味が分からなかった。しかし銀時は構わず、真面目な面構えになると神楽に顔を近付けた。

「いつもの情欲的な神楽ちゃんもイイけど、今日の潔癖な神楽ちゃんも悪くねぇなぁオイ」

 神楽は顔を真っ赤にすると、銀時の言葉に目眩がした。初めて向けられる銀時のオトナな顔。どうすれば良いのか分からない神楽は目を泳がせたじろいでいた。

「昨日の夜、あんなにチューチュー吸い付いてた癖に、忘れるわけねぇもんな」

 神楽は五年後の自分が銀時の首にキスマークを付けた犯人だと知った。それを知ったからなのか、急に神楽は銀時の隣にいる事が恥ずかしくなった。心臓が震え、体が熱くなり、倒れてしまいそうなのだ。しかし、銀時は真面目な顔のまま神楽に迫ると、慣れた雰囲気で神楽の頭の後ろに手を回した。それにグッと力を入れると、一気に二人の距離が縮まった。

「あれ? 嫌がんねーの?」

 銀時はそう言うと、動けずにいる神楽の唇に何の躊躇いもなく口付けをしたのだった。重なった熱い唇。神楽は頭の中が真っ白になってしまった。あの銀時が自分にキスをしているのだ。手軽な女として扱われ嫌な気分の筈なのに、少しも怒る気にはなれなかった。丁寧で普段の銀時からは想像の出来ない甘い口付け。神楽は生まれて初めてのキスにもかかわらず、それがとても温かく優しいものだと感じていた。溶けてしまいそう。神楽は自分を包む銀時の腕に身を委ねると、そのままソファーに押し倒されてしまうのだった。

 銀時の指使いや舌使いは、まるで神楽を愛しているかのような動きであった。神楽はどれもこれも初めてで、何も知らない筈なのに体に広がる快感に自分でも聞いたことのない啼き声を上げていた。

「銀ちゃん……んッ、これ、なに……頭真っ白になっちゃう……」

「もう、言ってくんねぇの? “アル”って」

 神楽は覆いかぶさる銀時にしがみついたまま頭を振ると、乱れた呼吸で言った。

「うるさいアル」

 そう言って神楽は自分から銀時の唇を求めると、その口を閉じたのだった。何も考えられない程に神楽の脳は溶けていて、次々に銀時から教えられる“ハジメテ”に悦びを感じていた。そんな神楽の反応に銀時も悪い気はしないらしく、神楽の体を嬉しそうに味わった。しかし、銀時はそれだけで満足出来ないのか、神楽から唇を離すと切ない顔でこちらを見下ろした。

「神楽、もう――――――」

 その顔は情けないほどに弱々しく、神楽はどこか優越感に浸った。今この瞬間、銀時がこの自分を誰よりも求めているのだ。神楽はこの後、どんな事が起こるのか想像は出来なかったが、銀時に全てを委ねたとしても不思議と怖くなかった。神楽は柔らかく銀時に微笑むと、銀時は余裕のない動作で神楽を求めたのだった。

 

 銀時が自分の中で熱を上げているのを感じる。これ以上焦がされるとどなってしまうのだろうか。不安も溢れる。なのに、頭の中に浮かぶ文字は――――――もっと欲しい。初めての行為の筈なのにその動きや温度、匂いが待ち遠しくて堪らなかった。大人びたこの体が銀時を記憶しているのだ。五年後の自分は、毎日こんな事を行っているのだろうか? 神楽は少しだけ銀時がこういう行為の出来る店に金を落とす意味が分かった気がした。しかし、銀時に抱かれているからなのか、今まで以上に嫉妬心が強くなるのだ。『私だけって言って欲しい』そんな思いが湧き上がる。たくさんいる女の中の一人など、耐えられないのだ。銀時の切ない表情や優しいキス、それらが自分以外にも与えられているなど、苦しくて辛くて胸が締め付けられる思いであった。

「神楽っ」

 銀時の焦ったような声が聞こえてきた。呼吸は乱れに乱れ、覆い被さっている銀時の額から汗がポタリと落ちる。神楽はそれを虚ろな目で見ていると、銀時の顔が僅かに歪んだ。すると、神楽の腹に熱いものがかかり、それが何か確認する事も出来ない内に銀時が神楽へと倒れ込んだ。神楽の体の上でまだ苦しそうに呼吸をしていた。神楽はそんな銀時の頭を見ながら体から熱が引いていくのを感じていた。先ほどまで銀時と繋がっていてどこか幸せな気分だったのに、今は悲しくて仕方がない。それはこの瞬間が終われば銀時がまたどこかへ行ってしまう恐れがあるからだ。神楽は胸元にある銀時の髪を撫でながら小さく言った。

「好きアル」

 すると銀時はゆっくり頭を持ち上げて、神楽を揺れる瞳で見つめた。

「マジでどうした? 神楽?」

 神楽は何でもないと言うと、まだ銀時の余韻が残る体を起こし、風呂場へと向かった。

 

 その日の夜、銀時はやはりどこかへと行ってしまった。何も告げることなく。神楽はそれを今まで以上に辛く思うと、何も知らなければ良かったと未来に来てしまった事を悲しく思うのだった。