8.stay with me
ジリリリリと耳障りな音が頭の中に鳴り響く。だが、土方は心地よい温もりに、まだその目を開く事が出来ないでいた。
時間が許す限り眠っていたい。そうは思っているのに、騒がしいベルの音にゆっくり眠ってなどいられなかった。
「……うるせェ」
ベッドで眠っていた土方は、音の鳴る電話へ手を伸ばすと受話器を引っ張った。
「なんの用だ?」
土方は目も開けず、やや掠れた声でそう話すと、電話の向こうから聞こえてきた言葉に眠気も吹き飛んだ。
「もう昼過ぎだが、そろそろ地球へ帰らないか?」
土方は目を開けると体を跳ね起こした。そして、気付く。自分の隣には誰もいない事に。
ネタ星人の声を聞きながらも意識は自分の隣にあった。
どこへ行った? リビングか? 風呂か? 海か?
土方の頭の中は神楽の事で埋め尽くされた。だが、ネタ星人にはそれすらも筒抜けなのか、土方は電話口からその答えを知ることとなった。
「メスなら朝早くに帰還した。どうも君と顔を合わせたくなかったらしい」
その言葉に土方は眩しそうな、何とも言えない表情になると、枕元の煙草を一本口に咥えた。
「……用意が出来たら連絡する」
「分かった。しかし、ニンゲンの交尾とは子孫繁栄と直結しないのだな。快楽だけを求める行為とは、なかなか理解し難い。脳に直接プラグを差し込み、快楽物質を流し込む方がラクだ」
そんなとんでもない会話に土方は軽く頭を振ると、静かに受話器を戻した。
そして、自分の隣の空間に目を落とすと、いつの間に帰ったのかと少し寂しい気持ちになった。
昨夜の出来事を考えれば、顔を合わせたくない気持ちも分からなくはなかったが、やはりいい気分ではなかった。
1人で迎える朝など今まで何千回と繰り返して来たはずなのに、どうしてこうも胸に穴が空いたような気持ちになるのか。
土方は昨夜の神楽の温もりを思い出そうと、煙草を口に咥えたまま空いているシーツの上に手を置いた。だが、そこは既に冷たくなっており、誰もいないと言うことを、まざまざと思い知らされた。
土方はその後シャワーを浴び、着慣れた真選組の隊服に袖を通すと、どれくらいか振りにスカーフを首に巻いた。
「腕、なまっちまってねェだろうな」
部屋にある鏡にその姿を映している土方は、1ヶ月前と大して何も変わらない自分を、冷めた目付きで見つめていた。
見えている顔も体型も、髪型も何一つ変わってないように見える。それは時間の流れなどなかったかのように。だが、土方の心には確実に神楽との日々が刻み込まれていた。
あまりにも現実味ない世界。それも、あと少しで終りだった。
土方は全ての用意を終えると、やや緊張した面持ちで電話の受話器を上げた。
「支度を終えましたか? では、地球への転送を開始する。特に痛みや苦痛を感じる事はないが――いや、何でもない」
土方はネタ星人の言葉が引っ掛かった。何故なら、何でもないと明らかに言葉を濁したからだ。
痛みや苦痛はないが、その他の何かがある。勘付いた土方は眉間にシワを寄せると、ドスの効いた声で尋ねた。
「本当に何でもねェんだなあ?」
ネタ星人はしばらく黙ると迷った挙句、先ほど飲み込んだ言葉を吐いたのだった。
「稀に記憶障害が起きる。近日、1ヶ月前後の記憶が消えてしまうという障害が発生する。帰りは特にその確率が上がり……」
「まさか、99%の確率だとは言わねェよな」
「それはない。78%の確率だ」
土方は目を閉じると、空いている手で額を押さえた。高確率じゃねェか、そう思ったのだ。
「それは、神楽にも説明したのか?」
「当たり前だ。だから、君宛に手紙を預かった」
土方はベッドの上に突如として現れた手紙を手に取ると、その宛名と差出人の名前を見た。
"トシさまへ"とあまり上手ではない字で書かれており、封筒の裏には"神楽ちゃんより"と慣れてるのか少しはマシな字で書いてあった。
土方はそれを読もうか迷ったが、結局上着の内ポケットに入れてしまうと、電話口へと言葉を放った。
「やるなら、さっさとやってくれ」
「了解した……まぁ、その仮に記憶障害が起きたとしても、悲しむことはない。ただ元に戻るだけだ。元々、何の繋がりもない者同士なのだからな」
土方はニンゲンと似ても似つかぬ電話の向こうの生物を、改めて"醜い"と思ったのだった。
しかし、本当にここでの記憶が消えてしまったら……いや、消えなかった時の方が問題だ。全て夢だったと思えば、片付く話なのだろうか。
こんなにも胸を焦がし、愛しく思う気持ちは今も変わらず存在するのに、それをなかった事になど出来るのだろうか。
土方は一層の事、この記憶を確実に仕留めてくれと思った。
それでも、どこか神楽が忘れずにいてくれるような気がして、僅かな望みに賭けてみようと覚悟を決めた。
「……やれよ」
そう口にすると、土方は受話器を置いた。
町の喧騒と排気ガスの臭い。静寂とは無縁に思える人の波。そして、踏みしめる大地は、揺るぐことなく青い空を支える。
土方は江戸の町に戻ったのだった。
「土方さん、空から降ってきたんですが、これは何でさァ? 魔女宅か何かですかィ?」
土方は隣に立っている沖田が、大量のマヨネーズと煙草の箱を抱えている様子をジッと見ていた。
「ンなもん知らねェが……もらっとけ。オイ、山崎! それをパトカーへ運べ」
後ろを歩いていた山崎は言われるがまま、沖田の持つ大量のマヨネーズと煙草をパトカーに詰め込んだ。
「神様なんざ信じる柄じゃねェが、いるもんだな」
「毒でも仕込まれてんじゃねーですかィ」
土方はたまには良い事もあるもんだと、珍しく気分が良くなった。そして、上機嫌のまま立ち止まり、咥えた煙草に火をつけると、隣の沖田が何かを見つけたらしく表情が変わるのを目にした。
「あ? 何だ?」
沖田はズカズカと通りを進んで行くと、向こうから歩いて来る男女2人組に突っかかったのだった。
「なんでィ、旦那。そのデカい荷物。珍しくパチンコで儲けたんでさァ?」
「いや、なんか空から降って来たっつーか、もらったっつーか。なぁ、神楽?」
土方は一瞬、ピクリと体を動かした。
どうも聞こえた言葉に、体が勝手に反応を見せたらしい。それが何故だか理由は分からなかったが、土方は煙草に火をつけ終わると、何かをしでかす前に沖田を捕まえに行った。
「オイ、総悟。行くぞ」
土方が沖田の元に行けば、そこに居たのは万事屋の銀時と神楽であった。
「チャイナ、何だよ。土方さんの顔にマヨネーズでもついてるみてーな顔して」
土方は自分を大きな瞳で見つめる神楽の姿に軽く首を傾げた。
「あ? テメェもマヨネーズ食いてェのか?」
すると、神楽はプイッと顔を横に向けてしまうと、銀時の腕を自分の腕に絡めて言った。
「銀ちゃん、行こッ。こいつらにかまってたら時間の無駄アル!」
「お、おい、神楽」
銀時を引きずる神楽は、沖田と土方の隣を割って入るとそのまま万事屋へと帰って行った。だが、土方の隣を通り過ぎる際、神楽は小さく言葉を発していたのだった。
「……さようなら」
土方は神楽のその言葉の意味が分からなかった。
別れ際にそんな言葉を口にした事など、今まで一度もなかったからだ。
土方は雑踏に消えていく神楽を振り返り見ると、どこか胸が切なくなった。
「土方さん?」
土方は沖田の言葉に神楽を見るのをやめると、仕事に戻ったのだった。
その後、仕事を終え自室に戻って来た土方は、咥え煙草のまま隊服の上着を脱ぐとハンガーへ掛けようとした。そして、ふと何かが内ポケットに入っている事に気が付いた。
「はぁ? なんだこれ」
見えている封筒を手に取れば、自分への宛名と――神楽ちゃんと書かれた差出人名があった。
土方はそれを気持ちが悪いと捨ててしまおうとしたが、もしかすると別れ際に入れられたものかもしれないと、念の為中を見てみる事にした。
だが、一体何が書かれているのか。土方には全く見当がつかなかった。
「……先に風呂に入って来るか」
時計を見れば、時刻は22時を過ぎており、とりあえず今は落ち着かないと、土方は手紙を座卓の上に置き部屋から出て行った。
万事屋ではまだ眠れずに、狭い押入れの中で目を開けている神楽がいた。
神楽は体を起こすと、襖を開けて静かに床に下り立った。そして、物置の戸を引くと台所へ向かった。
「なんか、だめアルナ」
神楽はそんな事を呟くと、水道の栓を捻り、コップへ水を注ぎ込んだ。それをゆっくり口元に運んで飲み干すと、カチンと音を立ててコップを置いた。
虚ろな目と濡れている頬。窓の外から射し込む月明かりが、神楽の顔を青く染めていた。
神楽は力が抜けたようにズルズル床にへたり込むと、膝を抱えて丸まった。そして、らしくもなく溜息を吐いた。
「……全部、夢だったネ。何もかも」
遠い眼差しで神楽は暗い床を見つめていた。時折、乾いた力のない笑い声を上げると、より一層瞳に光がなくなった。
「手紙も無駄だったアルナ」
神楽は土方と過ごした日々を忘れてなどいなかった。
砂浜での思い出、見つめあった瞬間、唇の柔らかさ、大きくて武骨な手。神楽はそれらの全てを覚えていたのだ。
なのに、昼間の土方の態度。あれは、神楽との日々を覚えていない事を表していた。
その日々を自分だけの記憶として保持している事が、辛く苦しく神楽を痛めつけていた。
「どうして私だけ覚えてるアルカ。ネタ星人の星、いつか絶対ぶっ潰してやるアル、絶対に」
神楽は力なくそう口にすると、立ち上がり頬の涙を手の甲で拭った。
このまま押入れに入っても良いのだが、眠れないと思ったのか、パジャマの上からカーディガンを羽織ると万事屋の玄関から出て行った。
そして、宛てもなく夜のかぶき町を歩くのだった。
風呂から上がった土方は、畳の上に布団を敷くと、どっかりとその上に胡座をかいた。そして、そろそろ眠ろうかと思いながら煙草に火をつけると、座卓の上に置いたままになっていた手紙に気が付いた。
一体、何が書いてある? 土方は手紙を手に取ると乱暴に封を破った。そして、中に書かれている手紙の文面に心臓がドクンと大きく脈打ったのだった。
「……嘘だろ」
口から煙草を落としそうになった土方は、まだ火をつけて間も無い煙草を灰皿に押し付けると、神楽の書いた手紙を貪り見た。
そこには、ユートピア星での日々が拙い字で綴られていたのだ。
小さな喧嘩をしたこと。砂浜で花火をしたこと。海で競争して泳いだこと。スイカ割りをしたこと。夜にシャボン玉をしたこと。そして――キスをしたこと。
土方は目を見開いたまま口元を片手で隠した。信じられなかったのだ。そこに書かれている全ての事が。なのに、込み上げる熱や、神楽に抱く想いが、次々に体の奥底から湧き出てくるのが分かる。
「どうなってやがる」
神楽が綴るような記憶は無いのに、確かに懐かしいと思う自分がいるのだ。
土方はどうしても、今すぐに神楽に会いたくて堪らなくなった。
時刻も遅く、明日も仕事だったが、会わなければいけない気がしていた。もし、今夜会うことが出来なければ、何か大切なものを失うのではないか。いや、むしろ既に失ってしまっている何かを取り戻す為に、土方は薄い浴衣のまま自分の部屋から飛び出した。
廊下を抜けて適当に草履を履き、門から飛び出して敷地の外に出れば、万事屋を目指して全速力で走った。そして、万事屋へ着くと、二階へと伸びる階段を駆け上がった。
土方は呼吸を整えると、玄関のインターホンを押そうとした。だが、手を体の横に戻すと俯き下を向いた。
やって来たは良いが、神楽に何を話せば良いのか分からないのだ。何か記憶を思い出したわけではない。ただ、体がいても立ってもいられず、勝手に走り出しただけなのだ。
土方は自分の右手を見ると、何かを求めている事には気付いていた。
疼くのだ。きっと、神楽と何か言葉を交わしたいわけではない。しかし、そうじゃないとすれば――
土方は結局、万事屋のインターホンを押さずに帰ることにした。
いくら手紙に書かれている事が真実であろうと、今の自分が神楽を求めて良いものか分からないのだ。
土方はきびすを返すと、階段を下りようと足を踏み出した。
「オマエッ、何してッ!」
その声の方を見れば、階段の踊り場でこちらを見ている神楽が立っていた。
土方はそれに足を止めると、神楽は階段を駆け上がって来た。
そして、土方に詰め寄る。
「なんで来たアルカ? 思い出したアルカ?」
土方は眉間にシワを寄せると首を横に振った。
それを見た神楽は悔しそうな表情になると、下唇を噛み締めた。
そんな顔をした神楽に土方は、心臓を鷲掴みにされたように胸が痛んだ。
「じゃ、じゃあ、なんで来たアルカ。手紙読んだんダロ? 覚えてなかったら、もう関わらないでって書いたダロ。何でヨ! なんで来たアルカ」
神楽はそう言って土方の胸を叩いた。涙を流しながら、力なく叩いた。そんな神楽に居た堪れなくなった土方は、神楽の腕を掴むと、無理やりに抱き締めた。
「……本当にそう思って書いたのか? ふざけんな。あんなもん寄越しといて、平気でいられる程鈍くねェ」
神楽は土方の胸の中で静かに涙を流した。
土方は共に過ごした日々を覚えてはいなかったが、胸に灯る光が何を照らしているのか、それだけはハッキリと見えていた。
"愛している"
その気持ちだけは、消えることなく土方の中にあった。
神楽を抱きしめている腕が体が、歓びを感じていた。まるで、それは失われていた体の一部を取り戻したような感覚だった。だが、まだまだ足りない。
土方は神楽を更にその腕の中に押し込むと、愛しい気持ちを抑えることなく、神楽の髪に口付けをした。
「思い出なら、また作ればいいだろ。江戸の海だって悪くねェ。まぁ、来年の夏までは無理だろうが」
神楽はその言葉に土方を見上げると、真っ赤な瞳で驚いていた。
「でも、オマエ、忘れてるんじゃ……それなのに、私と一緒にいてくれるアルカ?」
土方は神楽から視線を外すと、神楽の耳元に顔を近づけた。
「テメェを愛している気持ちだけは、どうも忘れてねェらしい」
神楽は顔を真っ赤にすると、とびっきりの笑顔になって土方の首に飛び付いた。
「トシ、最高アル! 大好きネ!」
「よせ! 倒れるゥゥ!」
土方は神楽に首を抱き締められたまま後ろに倒れると、体の上に乗っている神楽と目が合った。
「ンフフ、ごめんアル」
茶目っ気たっぷりの笑顔で神楽が謝ると、土方は頬を僅に赤く染め、嗚呼と小さく頷いた。
全てが補完された。そう思ってはいたが、まだ隙間が気になる。
失ってしまったものを、神楽と会い抱き締めて満たした気でいたが、まだ埋められていない空っぽの部分が残っていた。
補給しなければ完成しない。
土方は自分の体の上から下りようとした神楽の腕を掴んだ。
「な、何アルカ?」
土方は半身を起こすと、腹の上に乗っている神楽とグッと距離を詰めた。そして、神楽の腕を更に引き寄せると、照れて俯き加減になったその顔を顎を掴んでこちらへ向けた。そして、目を閉じると、2人の唇は一つに重なったのだった。
土方の頭に様々な情報が流れ込む。
満天の星空。シャボン玉。浴衣姿。湯上りの匂い。指の温度。心地よい風。神楽の柔らかな唇。
土方は全てを思い出した。ユートピア星で何があったのかを。
共に過ごした日々は確かに存在していたと心が震えた。神楽との口付けが、夢のような日々を呼び戻したのだ。
堪らなくなった土方は、両手で神楽を強く抱き締めると、あの時は進入しなかった深いところまで神楽を求めた。
絡まり合う熱が2人の体を火照らせる。しかし、こんな玄関先の床に座り込んでいては、誰に見られるか分かったものではなかった。
土方は一旦、唇を離すと、名残惜しそうにしている神楽に言った。
「これ以上はここじゃマズい」
「……じゃあ、私の押入れに来るアルカ?」
土方はどうするか一瞬迷ったが、もう二度と神楽を離したくないと、その案を受け入れた。
2人は立ち上がると、万事屋の玄関戸を開けた。
「……あ、や、まぁ、見てたわけじゃなくて、たまたまトイレに起きたら外から声がっ」
そこには、苦笑いで立っている銀時がいた。
手を繋いだまま立っている土方と神楽は、真っ赤な顔で俯くと、しばらくその場から動けずにいたのだった。
2013/11/05
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