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6.rescue me

 

 いつの間にか眠っていたらしく、次に目を覚ましたのは、窓から射し込む朝陽の中だった。土方は体を起こすと、掃き出し窓の前に立ち、軽く伸びをした。

 昨晩の事などスッカリと忘れているのか、胸をさするも抱いた想いは泡沫となり消えたようだ。

 あの気持ちは、やはり気のせいだったのか。そう思う一方で、ドアを開ける事を恐れていた。だが、着替えて食事をしに行かなければならない。土方はいつもの様に、ベッド脇にあるキャビネット上の電話に手を伸ばした。

 

 

 

 まだ神楽は起きてないようで、土方は一人で食卓に着いた。座っている場所からリビングのテラスが見えるのだが、昨晩はあそこで神楽を抱きしめキスをした事を思い出していた。

 柔らかな体が女らしく、触れた唇は熱く溶けてしまいそうだった。そんな事をぼんやり思い出していると、土方は自分の胸が激しく脈を打っている事に気が付いた。あの胸に湧き上がった想いは気のせいだなんて思ったが、全くそんなことはないようだった。

 

「昼前か」

 

 土方は神楽がまだ起きてこない事に少し不安になっていた。昨晩の事を後悔して部屋で泣いてやしないか。それとも、気まずいと思って出て来れないのか? 土方は食事を終えると、何か理由をつけて神楽の部屋を訪ねてみようと考えた。

 

 何度もヒゲの剃り残しがないか確認して、いつもよりも顔もよく洗った。久々にこんなに胸がさわぐ。土方は落ち着きなかったが、落ち着いてるふりをすると、神楽の部屋の前に立った。そして、軽くノックをした。

 

「……まだ、寝てんのか?」

 

 神楽の返事はなかった。しかし、それにしても今日はどうしたと言うのか。土方は不安が募り、もう一度強めにノックをした。

 

「オイ! 何かあったか?」

 

 だが、やはり返事がない。まさか、何か体調でも悪いのか。土方は悪いとは思ったが、ドアノブに手を掛けた。

 

「……鍵閉めてねェのかよ」

 

 ドアノブを回すと、神楽の部屋へ入った。部屋の造りは土方の部屋と対になってはいるが、ほぼ同じであった。

 ドアを開けてすぐ目についたのは、部屋の真ん中にある大きなベッドだった。そこには、神楽が静かに眠っていて、土方は胸を撫で下ろした。

 ベッドの上に横たわる神楽を見れば、窓から差し込む柔らかな光に包まれ輝いていた。白いシーツに広がる鮮やかな色の髪が艶やかで、薄い布団から覗いている白い肌によく似合っていた。土方は無意識に神楽に近づくと、長い睫毛と桜色の唇を上から眺めた。

 美しい。そんな単語が頭に浮かんだ。こんなに良い女だったのだろうか? 見えている神楽の寝顔は、あどけなさが残るものの大人の女であった。

 土方はいつまでもこうしてはいられないと、神楽の部屋のドアを静かに閉めた。

 

 それから1時間後のことだった。神楽は真っ赤なチャイナドレスで部屋から出て来ると、リビングのテラスで煙草を吸っている土方に駆け寄った。

 

「もうお昼過ぎてるネ! なんで起こしてくれなかったアルカ? これじゃまた夜寝られないアル!」

 

 土方は煙草の煙を吐き出すと、神楽に部屋へ行ったことを話した。

 

「部屋の鍵を閉めねェのは癖か?」

「鍵? だって私の部屋(物置)に鍵なんてないアル。 だから、万事屋いても閉めたことないネ」

 

 土方は驚いていた。いくら銀時が何もしないとは言っても、年頃の女が鍵のない部屋で寝るのは良くないのではないかと思った。

 

「あのなあ、鍵が付いてんなら、今日からは掛けて寝ろ」

 

 神楽は首を傾げると不思議そうな顔をした。

 

「なんでアルカ? オマエしかいないのに?」

 

 神楽はそれだけ言うと、ダイニングへと食事をしに戻って行った。残された土方は、片手に持つ珈琲を口にすると渋い顔をした。全く危機感のない神楽に、何とも言えない気分になったのだった。

 それよりも、土方は神楽が案外普通である事に少し引っかかっていた。気持ちを確かめ合ったワケではないが、昨日の口付けに何も感じてないのだろうか。ただ単に大人になる為のステップアップでしかなかったのだろうか。何も意味などなかったのだろうか。土方の気持ちは複雑であった。

 神楽があれはなかった事にしたいなら、そのつもりではいた。だが、ここでの生活がなかった事になるのなら、もう少しだけ神楽を求めたいなどと思うのであった。

 

 

 

 あれからまた数日が経った。

 あの日以降、二人が手を取り合うことはなかった。だからと言って仲が悪いわけでもなく、神楽と土方は共に時間を過ごしていた。ただ、最近神楽は起きるのが遅く、昼を過ぎて部屋から出て来ることが多くなっていた。寝つくまで時間が掛かるのだろうか? 土方は神楽が眠れていない事が気掛かりであった。

 

 その日も昼過ぎから日が沈むまで、2人は海で遊んでいた。散々泳いで疲れた2人は砂浜で座り込むと、海の向こうへ沈んでいく夕陽を眺めていた。

 神楽は水着の上から白いワンピースを着ると、ほどいた髪が風に揺れていた。その光景を土方は黙って眺めてはいるが、体の中はとても煩く、心臓がバクバクと音を立てている。

 

「最近は、銀ちゃん達がいないのにも、少し慣れちゃったネ」

 

 神楽は柔らかく笑いながら言ったが、その瞳はどこか寂しげに映った。

 土方は神楽が、本当は早く帰りたいと思ってる事を知っていた。最近、眠れないのも、もしかするとそれが関係してるのかもしれない。 そう思うと胸が切なくなった。早く帰してやりたいのに、その為には――何もしてやれない事が苦しみとなっていた。

 

「オマエはもう慣れたアルカ? うっさい猿共と離れて……どうしたネ?」

 

 不意に目があった神楽が、土方を心配そうに見つめた。土方はスグに視線を逸らすと何でもねェと呟いた。

 

「ふぅん。そうアルカ」

 

 神楽が黙ってしまうと、波の音だけが聞こえていた。心地の好い沈黙。何もかもが現実離れしており、夢のように思えて仕方がなかった。

 

「なァ……」

 

 土方は風に消え入りそうな声に、神楽の方を向いた。

 神楽は髪を耳にかけると、どこか落ち着きがなかった。何の話をするのだろうか? 土方は神楽が言葉を紡ぐのをまった。だが、なかなか口を開かない。伏せ目がちの目が照れたように見え、土方の胸をざわめかせる。

 土方はすぐ脇にある神楽の手を握ってしまおうかと思った。距離などあってないようなところにある。土方は砂の上についている手を、ゆっくり神楽に近付けると――

 

「お腹空いたアルナ! 帰ろッと!」

 

 神楽は急に立ち上がると、コテージに向かって駆け出した。土方は神楽の背中を眺めながら苦笑いを浮かべた。 逃げたのか? いや、考え過ぎか。土方は煙草を口に咥えると火をつけた。

 本当は何を言いたかったのか。神楽が誤魔化した言葉が何なのかを考えていた。あの夜の事についてだろうか。考えられるのはそれしかない。忘れてくれとでも言うつもりだったか? それにしては、神楽の紅い頬が印象的だった。

 神楽が最近よく見せる照れた表情。もしかすると、前々から見せていたのかも知れないが、土方はここに来て共に過ごすようになって、初めて神楽の表情の変化に気付くようになった。ここでの生活が無ければ、神楽と親密になる事など一生なかっただろう。そして、口付けを交わすこともなかった。何よりも、こんな切ない気持ちになることもなかった筈だ。

 土方は煙草を吸い終えると、コテージへと歩いて行った。

 

 コテージに戻ると神楽は部屋にいるのか、リビングにもダイニングにも見当たらなかった。土方は夕食の前に風呂にでも入ってしまおうと、いつもの様に部屋の電話で着替えを頼んだ。そして、転送されて来た着替えを持つと、土方は部屋を出て露天風呂へと向かったのだった。

 

 土方は廊下を歩き露天風呂へ着くと、脱衣所の引き戸を開け、入り口に掛かる暖簾をくぐった。

 頭の中はさっきから神楽が言いかけた言葉の事でいっぱいで、土方はこんなに気になるのなら本人に問い質すべきかと悩んでいた。このままだと、今夜は眠れそうもなかった。

土方は着ていたものを全て脱ぎ、籐のカゴへ入れると、露天風呂の引き戸を開けた。

 掛け湯をして湯に浸かれば、体の緊張がほぐれていくのが分かった。頭上を見上げれば無数の星々が輝き始めており、土方は気分が良いと風呂の端で目を瞑った。このまま全て忘れてしまえたら。そんな事を思うなど、らしくないなと苦笑いを浮かべた。

 

 聞こえてくるのは潮騒と誰かのごきげんな鼻唄。その鼻唄はドンドンと大きく聞こえてきて、それに混じってガラリと戸が開く音が聞こえた。

 

「あ?」

 

 確かに、戸が開く音がした。そして、さっきまで遠くで聞こえていた鼻唄が、すぐ背後に聞こえる。土方は逆上せたのか真っ赤な顔になると、大きな声を張り上げた。

 

「テメェ、見えてねぇのか! 俺が入ってんだろッッ」

「キャアアア」

 

 神楽は黄色い声を上げると、咄嗟に手に持っていた桶を土方目掛けて投げたのだった。

みごと頭にクリティカルヒット! 土方は湯にブクブク沈んでいくと、霞みゆく視界の中に焦った表情の神楽を見つけた。

 

 

 神楽の白い肌は、あちらこちらに紅が散らされたように赤く染まっている。このまま一つになって、溶け合いたい。だが、それはダメだと神楽が頭を振る。

 苦しい。神楽の意思など関係なく、この腕に抱いてしまいたい。なのに、そんな事は許される事ではないと、グッと堪えるしかなかった。だが、そんな土方の前で、神楽は突然現れた男と口付けを交わした。銀髪? いや、あの明るい琥珀色の髪は――

 

 土方は目を覚ますと、全身汗だくで体を起こした。嫌な夢だった。いや、正確には悪い夢だった。だが、土方は今の自分の状況に、それどころではなくなった。ベッドの上に全裸で横たわってるのだ。薄い布団が掛けられてはいるが、全裸には違いない。

 

「いてェ……」

 

 急に頭が痛み、さすってみれば小さなたんこぶが出来ていた。それでようやく思い出した。自分が何故全裸でベッドに寝ているのかを。

 神楽が投げた桶に当たり、気を失ったのだった。だが、実際は違った。裸の神楽が自分のすぐ後ろに立っている事を想像してしまい、興奮のあまり気を失ったのだ。

 

「ガキかよ」

 

 土方は額に手を当てると項垂れた。

 

「……そういや」

 

 土方は自分がどうやって部屋へ戻って来たのか覚えていなかった。自分で歩いたのか、それとも――

 土方は項垂れたまま頭を振ると、情けないと自嘲気味に笑ったのだった。

 

「入りますヨ」

 

 部屋のドアをノックする音と共に神楽の声が聞こえた。土方は布団を引っ張り上げると、大袈裟に体を隠した。

 

「なんかすごい唸り声が聞こえたアル……大丈夫アルカ?」

 

 浴衣姿の神楽が、土方の着替えを持って入って来た。

 

「あぁ、どうも頭が割れて中身が出ちまったらしい」

 

 土方は軽い冗談のつもりで言ったのだが、その話を聞いた神楽は青い顔になると、土方の隣へとすっ飛んで来た。そして、黒い髪を掻き分けると、傷口を探しているようだった。

 

「嘘に決まってんだろ。そんな大した怪我じゃねェ」

「案外、タフアルナ」

 

 神楽は良かったと安心すると、安堵の表情を浮かべた。

 

「でも、まさかオマエが先に入ってるなんて思ってなかったネ」

「はぁ? 脱いだ服が置いてあったろ?」

「え? なかったアル。あの服って脱いだらすぐ消えるネ。食べ終わった食器みたいに」

 

 土方はそう言えばそうだったと、不要なものは転送される事を思い出した。まさか、今迄鉢合わせなかったのは、偶然だったのか? 土方はこれが初日など、早い内ではなくて少し良かったと思っていた。もし、親しくなる前なら桶を投げられるくらいでは済まないだろう。寒気がした。

 

「まさか、あいつらワザとか?」

 

 もしかするとネタ星人は、女の体にこの自分を欲情させて襲わせるつもりだったのかも知れない。土方は険しい顔付きになった。だが、自分はそんな事になる前に子供のように気を失ってしまった。いい大人が情けなかったが、それで良かったと思っていた。

 

「着替えここに置いておくアル。もう、7時になるからご飯食べなきゃネ」

 

 神楽はそう言って土方のベッドから下りようとした。だが、その足を止めると、ベッドの端で土方に背を向けて座った。

 

「……一応、言っとくアル。悪かったナ。ごめんアル」

 

 土方は片眉を上げたまま神楽の背中を見ていたが、視線を外すと気にするなと声を掛けた。

 

「じゃ、じゃあ、私は行くネ。今日はお寿司食べよっかなぁ」

 

 神楽は立ち上がり無邪気にそう言ったが、土方を見下ろす瞳は、決して見ていて気分の良いものではなかった。

 涙? 一瞬、神楽の瞳に光る雫を見つけた気がした。だが、部屋から出て行く神楽を追い掛ける事は、今の土方には出来なかった。

 とりあえず、浴衣を着よう。そうは思ったが、土方はため息を吐くと浴衣に伸ばした手を煙草に切り替えて、しばらく煙に塗れたのだった。

 

 

 

 夕食を終えた土方は、リビングのテラスに出て珍しく洋酒を飲んでいた。酒を飲んで何かを忘れられるとは思ってなかったが、飲まずにいられない夜がある事も十分知っていた。そうやって、今まで酒と付き合って来たのだ。

 空っぽのリビング。あれから神楽は部屋へ戻ったっきり出て来る事はなかった。土方はテラスの柵にもたれ、そんなリビングを見ながらグラスに口をつけていた。

 

 夕食前、部屋で見た涙。あれは気のせいではないだろう。理由は定かではなかったが、何かを思い悩んでいるに違いないと土方は思っていた。それがあの日の口付けに関してなのか分からなかったが、この自分が関係しているような気がしていた。ならば、泣かせた自分があの涙を拭うのは、許さないのだろうか。

 

 神楽の事を知れば知る程、土方は自分の中の神楽との違いに戸惑った。もう少し、強いものだと思っていた。それは頑丈な体ということもあって、勝手に土方が植え付けたイメージなだけで、実際は普通のどこにでもいる人間と同じだ。悲しい事があれば傷つくし、嬉しい事があれば喜ぶ。たまに、男を惑わす事もあれば、照れて顔を俯ける事もある。土方はそんな神楽の事がいちいち気になっていた。もう目など離せない。ずっと見ていたかった。神楽と長年共に過ごしている銀時の気持ちが、少し分かった気がした。

 そんな事を考えていると、途端に胸の鼓動が速まった。理由は分かっている。ここでの生活が終われば、神楽は銀時の居る万事屋へ帰ってしまう。それを考えると土方は、堪らなく苦しくなるのだった。

 

 銀時と神楽。親子のような、兄妹のような関係であることは、見ているだけの土方にも分かった。だが、神楽はもう子供では済まない程に成長していた。神楽の話では、銀時はいつまでも子供扱いすると言っていたが、実際の銀時の胸の内など誰も知らなかった。もしかすると、愛してるのかもしれない。それには、一人の女として抱きたいと言う想いも含まれているのかもしれない。

 土方はグラスの中の氷の溶けた洋酒を飲み干すと、神楽の涙を拭えるのは銀時だけなのだろうと目を閉じた。ここに銀時が居れば、あんな顔をさせずに済んだだろう。もし、涙を流す事があっても、上手く笑顔にさせるのだろう。

 

 土方は、自分は神楽を楽しませてやる事の出来ない、つまらない男だと思っていた。そんなつまらない男が、神楽の笑顔を見たいなど図々しいにも程がある。なのに、願わくば自分の行いによって神楽を笑顔にしてやりたい。もう、どうしようもない程に、土方は神楽に夢中であった。それは、こんな何もない世界だからなのか―― 

 一過性のものなのかもしれないが、間違いなく土方は苦しんでいた。

 

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