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5.kiss me

 

 土方が一人コテージに戻ると、リビングのモニターにネタ星人が映っていた。土方は顔をしかめると、咥え煙草のまま用件を尋ねた。

 

「ようやく帰してくれる気になったか?」

「とんでもない。まだ我々の観察は終わらない。前にも言ったが、息子は楽しみに待っている。ところでどうなったか?」

 

 土方は聞き苦しい日本語に少々苛立ちを覚えた。

 前に何を言われただろうか。思い出してみるも、最近は色んな事があり過ぎて思い出せないでいた。

 

「テメェのその……肉塊みてェな顔を見てると吐き気がする。さっさと用件だけ言って消えなあ」

 

 土方はモニター前のソファーに腰掛けると、組んだ足を揺すりながらネタ星人の言葉を待っていた。

 

「もう忘れたか。下等動物よ。我々の目的は、限定的な環境下におけるニンゲンの行動観察だ。勿論、ニンゲンは個体差の激しい生き物だとは知っているが、共通して面白い習性があるだろう」

 

 土方は鬱陶しいのか、眉間にシワを寄せたまま話を聞いていた。

 

 ネタ星人の話を要約すると、人間のある習性を観察の対象にしているとの事だった。確かに、人間と言う動物は多種多様であり、一括りにするのは難しい。的を絞るとするならば、ネタ星人の言うように、共通する習性を観察対象にするのが望ましいだろう。だが、土方はそれに納得しているワケではなかった。

 

「見世物じゃねェんだよ。テメェらは愉快だかしれねェが、こっちは楽しむ余裕もねェ!」

「いや、それは違う。数値を見るに、メスとの触れ合い時の心拍数の上昇率は、君の興奮を表しており、他には気分の高揚、体温の上昇が見受けられる。よってそれらから判断するにも……」

 

 土方はもう喋るなと声を荒げると、吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。

 

「要は、テメェらの目的が達成出来りゃあ良いんだな?」

「そうだ。我々は観察さえ終えれば、君たちを地球に帰す」

 

 土方はニヤリと笑った。

 

「なら、明日の内に終わらせてやる」

「それは助かる。こっちも、まだ貯金箱製作と絵日記が残っている。触手がこんなにあっても、まだ息子の宿題終わらない」

 

 土方はこれでようやく帰れると、表情を柔らかくした。眉間のシワは消え、ホッと息を吐いたのだった。

 

「しかし、発情期もないのに交尾に励むとは、ニンゲンとは珍しい生き物だな。では、明日中に交尾を頼む」

「……コウビ?」

 

 土方は真っ青な顔でモニターを見ていた。聞き違いか? そう思ったが、前にも一度聞いていたことを思い出した。あれは冗談ではなかったのか。土方はとんでもない約束をしてしまったと、今更になって慌てていた。

 

「交尾だと? 出来るワケねェだろッ!」

「何故出来ないのだ? 身体的問題でもあるのか?」

 

 土方はリビングをうろうろ歩き回ると、落ち着きがなかった。だが、無理もないだろう。神楽を男として抱くなど、出来るワケがなかったのだ。ならば、どうするか。ネタ星人の言うように、身体的に無理だったと言うことにするか? だが、いくら嘘だとしても躊躇う気持ちがあった。

 

「もしもだ。仮に身体的問題があればどうなる?」

「欠陥が見つかったとなれば、予備データから相性の良い個体を探し出し、新しいのと交換するだけだ」

 

 つまりは、身体的問題を理由にすれば地球へと帰れる。ならば、重大な欠陥があった事にして、すぐにでも地球へと転送してもらおうか。土方の眉間からシワが消えた。

 

「言い忘れていたが、メスに関しては、興奮剤の投与で手は打てる筈だ。オスに関しては薬の副作用が考えられる為、メスとの相性の良い若いオスとの交換で手を打つ。今のところざっと見れば、オキタソウゴとのトレードが良いと判断する」

 

 オキタソウゴ……沖田総悟!

 土方はまた眉間に深いシワを刻むと、奥歯をガリっと強く噛んだ。頭の中に嫌な映像が流れる。興奮剤でワケの分からなくなった神楽を、どす黒い笑みを浮かべた沖田が――土方は頭を振った。

 

「いや、今のは仮の話だ。俺の体は問題ねェ……」

 

 ならば、どうするか。この感じだと、期限が迫れば興奮剤の投与で、無理にでも性交をさせる気だろう。土方は脂汗を掻いた。

 

「明日中と言う話は、待ってくれ。とにかく、まだ何日もあるだろ」

「そうですね。では、待つことにする」

 

 ネタ星人は納得するとモニターから姿を消した。

 土方は額を項垂れたまま額に手を置くと、何か良い案はないかと考えた。

 

「本当に抱いちまうか」

 

 土方は何を馬鹿な事をと自嘲気味に笑うと、煙草に火をつけた。

 大体、神楽がその様な行為を認めるわけがなかった。仮に強行したとしても、投げ飛ばされて終わりだろう。本当にどうするか。こうなれば、神楽と示し合わせて抱くフリをして乗り切るか?

 

「あー、お腹空いたアル」

 

 ようやく帰ってきた神楽はリビングに飛び込んでくると、白い水着に包まれた体を、土方の前で惜しげも無く揺らしていた。それを見た土方は、何事もなく残りの日数を乗り切る自信が、ほんの少しだが無くなったのだった。

 

 

 

 満天の空の下、露天風呂を満喫した土方は、浴衣姿で廊下を歩きながら窓の外を眺めていた。そこからリビングのテラスが見えるのだが、神楽が一人で遊んでいるのが目についた。どうやら、シャボン玉を作っているらしく、ふわふわと辺りに漂っていた。

 土方は廊下を抜けてリビングに着くと、テラスに顔出し同じく浴衣姿の神楽に声を掛けた。

 

「湯冷めするぞ」

 

 すると、神楽はこちらを振り返り、ストローをふぅと吹くと、大きなシャボン玉を作って飛ばした。

 

「今の見たネ? ごっさ大きかったアル」

 

 そう言ってはしゃぐ神楽に、土方はヤレヤレと首を左右に振った。そして、神楽からストローを取り上げシャボン液を付けると、ふぅとゆっくり息を吹き込んだ。

 どうやら土方は、神楽の作ったものよりも、更に大きな物を作る自信があったらしい。だが、神楽はそれどころではないようで、頬を赤く染めて戸惑いの表情を浮かべていた。しかし、土方はそれに構う事無くシャボン玉を大きく育て続けると、遂に先程の神楽のものより大きくなった。

 

「今の間接キス……アルカ?」

 

 間接キス? その言葉を意識した途端、土方のシャボン玉はパチンと弾け、割れてしまった。

 

「て、テメェ、今のわざとか?」

 

 神楽は小さく首を左右に振ると、土方の方を見ずにストローとシャボン液を取り上げてしまった。そして、テラスの柵へ逃げると、土方に背を向けた。

 

「……夜にシャボン玉なんて初めてしたアル」

 

 神楽はそう呟くと、空に向かって小さなシャボン玉を飛ばした。

 土方はそんな神楽の横に立つと、柵に背をもたれ、神楽とは反対方向を見ていた。口には煙草を一本咥え、火をつけると、辺りに葉の焼ける匂いが漂った。その煙は途切れることなく空まで続いており、先ほどから割れては消えるシャボン玉とは対照的であった。

 

「シャボン玉なんて、ガキくせぇって思ったアルカ? 銀ちゃんは、いつもそう言うネ」

 

 神楽は土方に一方的に話しかけると、まるで口を挟ませたくないようだった。土方も土方でそれには相槌もせず、隣で神楽の横顔を盗み見ながら煙草を吸っていた。

 

「何やってもガキ、ガキってうっさいアル。だから、私は勝手に言わせてやってるネ。だって、銀ちゃん以外からすれば……社会に出てる以上、私はもう子供じゃないアル」

 

 神楽はふぅとシャボン玉を空に飛ばした。それを追う瞳は夜なのに輝いて見え、瞬きする度に揺れる長い睫毛が美しく映った。

 

「だって、映画観たって大人料金とられるし、服だってレディースアル。たまにナンパもされるし、カレシだっていた事アルネ……一瞬だけど」

 

 銀時からすれば、神楽はいつまでも子供であり、いつまでも世話の焼ける存在であった。それは、神楽が歳を取っても変わらないものだろう。土方はその気持ちがとてもよく理解出来た。自分にとっての沖田がそうであるように。

 

「でもネ、やっぱり私はガキアル。わからんけど、ガキアル。さっきだって間接キスとか、意識しちゃうし」

 

 そう言って照れた表情を見せた神楽は、シャボン玉を作るのをやめると、テラスの柵に肘をついた。

 

「中身はまだまだ子供ネ。分かってるアル。でも一体、どうやったら釣り合うアルカ? このカラダだけなら、すっかり大人なのに」

 

 神楽は自分の横顔を見ている土方を見上げた。

 それに気付いた土方は、視線を外すと咥えてる煙草の煙を吐き出した。そして、右手に煙草を持ったまま下を向くと、自分の足下を見た。

 

「キッカケさえありゃあ、ンなもんどうとでもなんだろ」

 

 神楽がそのキッカケを望むかどうかは定かではないが、世の中の大半の大人は就職や結婚、様々な要因がキッカケで大人へと成長していた。

 

「ふぅん。でも、キッカケって難しい話アル。向こうからドーンとやってくるワケじゃないダロ?」

 

 神楽はわかんないと言うと、グッと体を反って背中を伸ばした。

 それを横目で見ていた土方は、吸っていた煙草を足元で消した。

 

「……じゃあ、俺は先に行く」

 

 部屋に戻って寝てしまおう。土方はそう考えていた。どうもこれ以上神楽と話していると、危ないような気がしていた。

 心地良い雰囲気と穏やかで甘い空気。このまま会話を続けていくと、キスの一つくらい求めたくなってしまいそうだ。先ほど見ていた横顔も、背伸びした時に表れた身体のラインも、浴衣から覗くうなじも、土方にはどれも〝子供〟には見えなかった。だが、相手は神楽だ。求めるなど、許される筈がない。たまたま出会った女ならまだしも、神楽には出来心すらあるワケがないのだ。

 自分の下心を隠すように、土方は神楽に背を向けた。

 

「テメェも早く寝ろ」

「ねぇ……キッカケって、自分で作らなきゃダメなんでショ?」

 

 そう言った神楽は、後ろから土方の浴衣の袖を摘まんだ。

 土方は足を止めると、一度軽く目を瞑って呼吸を整えた。だが、心音は激しく、久々に胸まで震えている。それに、直接触れられているワケでもないのに体が熱い。

 土方は神楽がキッカケを求め、こうして自分を引き止めている事に迷いを抱いた。このまま抱きしめて口付けでも交わせば、きっと神楽を満足させてやる事が出来るだろう。だが、それで自分は本当に納得出来るだろうか? すぐそこに迫っている柔肌に、顔を埋め溺れてしまいたくなるのではないだろうか。

 土方は神楽を見るのを躊躇した。

 

「あぁ、そうだ。それが分かったなら、もう寝ろ」

 

 土方は振り向きもせず、袖を摘まむ神楽を引き剥がそうとした。だが、触れた神楽の指は火傷する程に熱かった。その熱が土方を惑わす。

 

「寝ろって? これで寝れると思うアルカ?」

 

 胸の高鳴りが警鐘を鳴らしている。触れている神楽の指に、どんどん愛おしさが募っていく。いつの間にか神楽の指と土方の指は絡まり、離れるのが難しくなっていた。

 

「……ねぇ、何か言ってヨ」

 

 土方は唇を噛み締めた。このまま、その手を振りほどいて、部屋に戻る理由はどこにもない。

 土方は振り向き神楽を見ると、自分の胸に引き寄た。そして、その柔らかな体を抱きしめると、石鹸の香りのする頭に顔を埋めた。眩暈がする。

 

〝欲しい〟

 

 土方はただそんな言葉だけを頭に浮かべていた。今の自分の気持ちだとか、神楽の気持ちだとか、そういうものは全く気にならなかった。それが誠実さに欠けると言われたとしても、今は頭で物事を考える時ではなかった。

 

 土方が神楽の背中に回していた手を神楽の両肩に置くと、神楽もどうすべきか体が分かっているらしく、その熱っぽい瞳をそっと閉じた。そして、土方は神楽の薄紅の唇に自分の唇を押し付けた。

 夜風が二人の頬を撫でる。火照る身体には、とても心地好い。土方はゆっくりと神楽の柔らかい唇を口に含むと、優しく吸い付いた。瑞々しいそれは、まるで果実のように甘く夢中になった。

 

 遠退きそうになる意識。

 制御し難い欲望。

 

 勝手に動く右手は、いつしか神楽の首の裏に回り、更に熱を求めた。先ほどよりやや強くついばむ唇。油断すれば奥の方へと進みそうになる。土方は用心しているが、気を抜くと呼吸のリズムが走ってしまいそうになっていた。もしそうなれば、こんなものでは済まなくなるだろう。それは、土方自身が誰よりも知っていた。

 これ以上は進入禁止だ。

 土方は心臓を鷲掴みにされているような苦しさに狂ってしまいそうだったが、自分を律すると神楽の唇からそっと離れた。

 

 神楽の長い睫毛が静かに持ち上がる。そして、コバルトブルーの瞳が土方を映し出す。

 神楽の呼吸はちゃんと出来ているのか定かではないほどに速く、頬の赤みが艶やかだった。そんな神楽の恥らう姿が、女らしさをより一層引き立てた。土方はその姿に思わず奥歯を噛み締めると、目を細めた。

 

「……銀ちゃんにも、誰にも秘密アル」

 

 その言葉に土方は言葉数少なく嗚呼と答えると、神楽に背を向けて部屋へと戻った。

 

 

 

 あのまま、もし神楽を抱きかかえ、ここへと連れて来ていたら――

 土方はベッドへ寝そべりながら、ありもしない事を考えていた。だが、その可能性は0ではないのだ。口づけを交わしてしまった事がそれを表していた。しかし、どうと言う事はない。普段も勢いづいて買った女と、唇を重ねる事など多々あるのだ。なのに、土方はまだ体に残る神楽の余韻に、興奮が覚めなかった。熱い。思い出す全てのことに、胸を焦がした。こんなに淡く切ない気持ちになるのは、どれくらいぶりだろうか。土方は遠い昔にも、同じような感覚を経験していた。

 誰よりも愛しくて、ずっと包み込んでいたくて……なのに手放した。その時の後悔が突然、胸に湧き上がった。奪えばよかったのか? 未来ごと。

 口の中に急に苦味が広がった。

 

「クソッ」

 

 眠れない。

 土方はベッドの上に寝そべりながら煙草を吸った。少し冷静になった頭で考えれば分かる。神楽を愛してはいけない事くらい。そもそも、この気持ちがそういった類のものなのか、確証はなかった。熱に浮かされて心が、恋や愛だと勘違いしているだけかもしれない。ただの情欲に過ぎないのかもしれない。だが、どのみち確かめる方法など、土方は持ち合わせてはいなかった。

 

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