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4.don’t touch me

 

 その夜は寝苦しいわけでもないのに、土方は眠れずにいた。

 

 あの後、神楽は水着のままコテージ内をウロウロすると、露天風呂へと向かって行った。

 土方は仕方なく部屋でシャワーを浴びると、寝る前の一服に、リビングの広いテラスで珈琲片手に過ごしていた。

 空を見上げれば無数の星が煌き、あの中に地球が存在するのだろうかと考えていた。

 そこに湯上りの神楽が通り掛かった。右手の廊下からこちらへとやって来た神楽は、見慣れない浴衣姿であった。右の肩に一つに束ねた髪と、上気した顔が普段の神楽よりずっと大人に見せた。

 それに魅入っているのか何も言わないでいる土方に、神楽は得意気な表情をした。

 

「オマエが着てるの見て、私も着てみたアル」

 

 神楽はその場で一周クルリと回ると、何か言葉を待っているようだった。だが、土方は普段から自分を面白味のない人間だと評価している。こんな時、何を言ってやるべきなのか、上手く言葉が出て来ない。

 仮にここに銀時が居たならば、神楽になんと言うのだろうか。不意にそんな事が気になった。

 

「万事屋に見せたら、なんて言うんだろうな」

 

 神楽は戸惑うような目で土方を見ると、瞬きをして考えていた。

 

「見飽きたとか言うんじゃねーアルカ?」

 

 そう口にした神楽はどこかつまらなさそうで、土方はやはり何か言ってやるべきかと思っていた。

 

「座敷に上がっても、十分見劣りせずにやっていけんだろ」

 

 その言葉を聞いた神楽は更に笑顔を失くすと、軽蔑するような目付きで土方を見た。

 

「オマエ、それで褒めたとか思ってんじゃねーヨ。生娘相手にンな事言って喜ぶと思ってんのか」

 

 土方はつい普段の調子で、そんな言葉を口にしてしまった。

 一般の女との会話など滅多にないことで、神楽になんと言ってやるべきだったのか分からないでいた。

 

「もしかして、オマエ……本気で喜ぶと思ってたアルカ?」

 

 口元を手で押さえた神楽は、土方を哀れむように言った。

 

「うるせェ」

 

 土方は少し腹を立てると、珈琲を全て飲み干し、テラスから自分の部屋へ戻ろうとした。

 だが、テラスの窓際に立っていた神楽に通り過ぎ際、腕を掴まれると、真面目な顔で言われたのだった。

 

「難しい事じゃないネ。ステキとかカワイイって言えば良いアル」

 

 すんなりと言えたら苦労しねぇよ。土方は口には出さなかったが、そんな事を思った。

 神楽の言葉を無視して行ってしまおうとしたが、神楽が離してくれる気配はなく、土方は言わざるを得なかった。

 

「……あー、そうだな。似合ってる」

「なんか銀ちゃんみたいアルナ」

 

 神楽はクスッと笑うと、土方の腕から手を離した。

 だが、銀時みたいだと言われた土方は、反対に冷めた表情をしていた。

 言わされた感は否めないが、それでも土方は自分の言葉で感想を述べた。なのに、他の誰かに重ねられると、悲しいものがあった。ただの軽い冗談なのは分かっている。それでも、自分の言葉で喜んで欲しかったのだ。

 だが、それは何故だろうか――

 

「でも、同じような言葉なのに、なんでこんなに違うアルカ? ホント」

 

 神楽は俯き気味に自分の胸を両手で押さえると、その長い睫毛を何度も瞬かせていた。

 そんな姿を目の当たりにした土方は、いても立ってもいられずに、自分の部屋へと戻ったのだった。そして、ベッドに倒れ込むと、今見た光景を思い出した。

 

 俯き頬を染めた神楽は、まるで淡い想いを胸に抱いたような、瑞々しい表情であった。

 そんなカオをさせたのは紛れもなくこの自分で、その事実に興奮が覚めなかった。

 

 正直なところ、芸妓や遊女達には慕われ、引く手数多で困る程だ。だが、相手も商売である以上、そこに存在する想いは限定的であった。何よりも、初めこそは顔を赤らめて酌をしてくれるものの、土方スペシャルを食べる姿に皆引いてしまうのだった。

 土方は女とはそう言うものだと、どこかで諦めがあった。だが、神楽は真選組の、土方の情けない部分も、泥臭い部分もその瞳に映して来た人間だった。その神楽がああして頬を赤らめた事は、土方にとって非常に重要な意味があった。

 

「俺と万事屋、何がどう違った」

 

 同じ言葉なのに、神楽の感じ方に違いがあったようなのは明白だった。

 土方は寝返りを打つと、薄いレースのカーテン越しに見える月を眺めた。正確には月ではなかったが、地球から眺めるものと変わらず、そこで光を反射させているようだった。

 同じに見えるのに。

 土方はやはり分からないと、目を閉じて眠ろうとした。だが、瞼の裏に映る神楽の照れたような表情や笑顔に、落ち着く事が出来なかった。

 

「クソッ」

 

 まるで木々がざわめくような騒がしい胸中に、土方はつい声を上げると、ベッドの上に半身を起こした。そして、シーツを掴むと、このもどかしい気持ちの正体が何なのか、月明かりの下に引きずり出そうとした。だが、それは尻尾を振って挑発してくるものの、捕まえるには恥をしのぶ勇気が必要だった。

 

 神楽の事は、全く知らない間柄ではなかった。もう少し幼い頃から知っている。それだけに、今までその成長を見守ってきたような感覚があった。そんな少女相手に惚れた腫れたなど、思うこと自体が間違いだと思っていた。

 ましてや、年齢も随分と違う。いくら彼女が大人びて見えても、自分のような年上の男が夢中になるなどおかしい事だ。

 そんな理由が土方の胸に湧き上がる想いを、抑えつけようとしていた。だが、土方はまだ知らなかった。抑えつければつけるほど、反発は強まり、思いもよらぬところで噴き上がってしまう事を。そうなれば、きっと誰も止められないだろう。たとえ、自分自身であろうとも。

 

 その夜、土方はまともに睡眠をとる事が出来ずに、朝を迎えたのだった。

 

 

 

 翌日、土方は昼前に起床し、シャワーを浴びたが、一向に体は重いままだった。

 その後、着替えてダイニングに行くと、神楽が大きなおむすびを手に満足そうな顔をしていた。

 

「おっス、遅かったアルナ」

 

 神楽は頬に米粒をつけたまま、土方を見た。

 すると、土方の不健康そうな顔を見ると、眉間にシワを寄せたのだった。

 

「オマエ、なにアルカ? その隈。そんなところまで銀ちゃんに似てるアルナ」

 

 土方はその言葉に機嫌を損ねると、こめかみに青筋を浮かべた。

 

「うるせェ。 テメェはそれしか言えねェのかッ」

「朝から機嫌悪いとこまでソックリ! なんでそんなに似てるアルカ?」

 

 土方はダイニングテーブルに置いてある、注文した珈琲が入ったマグカップを手に取った。

 それを口に流し込むと、いつもより苦味が強い気がした。

 

「……似てねェところもあんだろ」

 

 土方は呟いた。

 昨日、神楽は確かに言った筈だ。似てるのに違うと。ならば、その違う部分に、もう少し目を向けてくれなんて望んでいた。

 すると、その望みは簡単に叶ってしまったらしく、神楽はおむすびを食べ終わると、立ったまま珈琲を飲んでいる土方の元に来た。そして、神楽は断りもなく土方の首元に顔を近付けると、小さく頷いたのだった。

 

「銀ちゃんと違って煙草臭いアル」

 

 土方はマグカップを持つ手を震わせながら、黙って突っ立っていた。

 神楽はそんな土方に怒られると逃げようとしたが、見上げたその顔に、体が動かなくなってしまったように見えた。

 冷や汗を掻きながら泳がせる目と、僅かに上気した頬。土方はいつになく近い神楽に、心の準備が追い付かず、狼狽えていたのだ。

 いつもなら、女が寄り添ったり、腕を組んで来たり、特に対応に困ることはなかったが、思いもよらぬ瞬間に神楽に近寄られ、受け流す事が出来なかった。

 

「当たり前すぎンだろ」

「でも、ホントに……違うアル」

 

 神楽はどうやらつい、いつもの調子で近付いてしまったらしく、相手が土方だと忘れていたようだった。だが、すぐに銀時ではないことを思い出すと、その顔を伏せてしまった。

 二人の間に今までに無い空気が流れた。息苦しく、溺れてしまいそうだ。それがどう言った類いのものか、双方は気が付いていた。

 

 土方は持っていたマグカップをテーブルに置くと、神楽の両肩を掴んだ。その腕の力に、神楽はそれまで俯いていた顔を上げて土方を見た。

 そこには死んだ魚のような眼はなく、代わりに瞳孔の開いた危なげな瞳があった。神楽は息を飲むと、その瞳から視線を逸らした。

 そんな怯えるような神楽の様子に、土方は下唇を噛むと、神楽を自分から遠ざけた。

 

「ンな事は、分かってんだよ」

 

 吐き捨てるようにそう言った土方は、ズボンのポケットから煙草を取り出すと、玄関から外へと出て行ってしまった。

 

「気安く、触ンなヨ」

 

 誰も居なくなった部屋で、神楽は土方に掴まれた右肩に手を置くと、泣き出しそうな顔で呟いたのだった。

 

 

 

 土方は煙草を吸いながら、何も無い砂浜を歩いていた。

 波の音がただ聴こえるだけで、他には何も耳に入ってこない。考え事をするには良い環境だった。

 

 さっき、神楽の肩を掴んだこと。

 あれは、その体を自分から遠ざける為の行動だった。そう思って、ワンピースから出た華奢な肩に手を置いた。なのに、いざその肌に触れると、何もかもを忘れてしまったかのように頭が真っ白になった。

 我に返った時には、神楽の怯えるような目が下から突き刺さっており、神楽にそんな顔をさせた自分が情けなかった。だが、それだけで飛び出て来たワケではない。やはり、僅かに思ってしまったのだ。あのまま、流れに抗わなければ――間違いなく溺れていただろう。そうなれば、後の数週間をどう過ごすか。部屋での軟禁生活は避けられなかっただろう。土方はもう二度とあんな真似はしないと心に誓った。

 

「いてッ」

 

 土方は口から煙草を落とすと、急に痛んだ背中に青筋を浮かべた。そして、いつもの癖で大声を上げると、鬼の様な形相で振り向いた。

 

「総悟ッ! テメェ」

 

 そう言って振り返るも、そこには総悟の姿はもちろんなく、水着姿の神楽が立っていた。その小脇にはスイカが抱えられており、足元には投げ付けられたとみられるバットが一本落ちていた。

 

「サド野郎と間違えるとか、それこそ失礼アル」

 

 不満そうな顔でそう言った神楽は、スイカを砂浜に置くと、土方の背後に回り目隠しを巻き付けようとした。

 だが、身長に少し差がある為巻きにくいのか、神楽は背伸びをして不安定にフラフラした。その度、土方の背中に何かが当たる。それは柔らかく、温かい。大体、何なのか察しはついていたが、大袈裟に騒ぎ立てる程ではないと、心の中だけに留めておいた。

 

「ちょっと、しゃがむアル」

 

 土方は言われるがまま砂に膝をつくと、神楽に目隠しの布を巻き付けられた。そして、ワケも分からずグルグル回されると、バットを握らされた。

 

「オマエなら出来る! やれッ! やるんだジョー!」

「分かるわけねェだろ! 右か左か言えッ」

 

 神楽は右だ左だと、どうにか土方を誘導するも振り下ろしたバットはスイカに微塵も擦りすらしなかった。

 土方は目隠しをずらして首まで下げると、次は神楽がやれと言った。

 

「こう言うの得意アル!」

 

 そう言うと、神楽は土方の正面に背中を向けて座った。どうやら、土方が目隠しを巻かなくてはいけないらしく、首に下がっていた布を外すと、神楽の目に当てた。

 

「もっと、ギュッとやれヨ! 見えなくても、私本当に割れるアルから」

「なら、自分で巻けよ」

 

 土方は面倒だと溜息を吐いたが、見える景色は悪くないと機嫌は好いようだった。華奢に見える背中と、細くくびれた腰。こんな体で自分よりも大きな男を平気で担ぎ上げるなんて、嘘に思えて仕方がなかった。

 

「これで良いだろ」

 

 神楽は立ち上がり、グルグルとその場で回ると、バットを構えて鼻を利かせた。

 

「食べ物レーダーは寸分の狂いもないネ」

 

 神楽はスイカ目掛けて一直線に向かうと、大きくバットを振り上げた。そして、そのまま振り下ろすと、スイカは真っ二つにキレイに割れたのだった。

 目隠しを外した神楽はやったと飛び跳ねると、スイカを拾い上げて掲げていた。

 

「なっ、すごいダロ?」

「ああ、確かにトリュフを探すブタくらいには凄いな」

 

 神楽はムッとすると、両手に持ったスイカに噛り付いた。

 それを見ていた土方はやや呆れた顔をすると、煙草を口に咥えたのだった。

 

「トシはいらないアルカ?」

「あぁ、俺はいい。テメェが食え」

 

 土方はその場に胡座をかくと、スイカに噛り付く神楽を見ながら煙草に火をつけた。そして、煙を吸い込むと、土方は突然咳き込んだのだった。

 神楽は心配そうな顔でこちらを見ているが、スイカから手を離さないでいた。

 

「死んじゃうアルカ? しっかりしろヨ!」

 

 涙目の土方はどうにか呼吸を整えると、神楽が言った言葉を思い出していた。

 確かに、聞いた。"トシ"と呼ぶ声を。

 今までオイやオマエでしかなかったのに、何があったのか。それとも、自分が知らないだけで、陰ではそう呼ばれていたのか。どっちにしても、急に呼び名が変わったのには、何か理由があるのではないかと勘繰った。

 ただ、その理由をいちいち聞き出すほどの野暮ではない。土方は何食わぬ顔をして立ち上がると、神楽に向かって言ったのだった。

 

「……あまり食い過ぎると腹壊すぞ。神楽」

 

 土方は少しぎこちなくそれだけを言うと、コテージへと歩いて行ったのだった。

 その後ろ姿を、神楽はスイカの果肉のような赤い顔で見つめていた。

 

「どうしよう」

 

 そう呟いた神楽は、遂に土方と銀時の違いを、はっきりと見つけたようだった。

 

 

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