1.help me
目覚めて一番初めに見えたのは、天井で規則的に回っているスプリンクラーだった。
土方はまだハッキリとしない頭に再び目を閉じた。
一体、ここはどこか。
柔らかい陽射しが身に降り注ぎ、頬を撫でる風が心地好い。
耳を澄ませば、寄せては返す波の音が聞こえる。
「遂に来ちまったか」
土方はそう呟くと軽く笑った。
"あの世"
土方は極楽浄土など、一度も行ったことはなかったが、そうに違いないと思っていた。でなけりゃ、説明がつかない。
自らこの地に赴いた記憶はない。ならば、何かの拍子に死んでしまって、ラッキーなことに天国へと魂が導かれたんだろう。
あまりにも現実味がないとは思ったが、それを信じなければ今の状況を飲み込めなかった。
土方はそこでまた目を開けると、今度はハッキリと景色を目に映した。
高い天井。スプリンクラー。掃き出し窓から降り注ぐ陽射し。
間違いない。やはり虚像でも何でもなく、それ等は確かにそこに存在していた。
土方は自分の右手を目の前にかざすと、肉体が変わらずそこにあることを知った。
「……どういうことだ」
体のダルさはあったものの、特に痛みや不調を感じてはいなかった。
土方は思い切って体を起こしてみると、自分が大きなベッドに寝ていることが分かった。ベッドの右脇にある大きな掃き出し窓からは、芝生が広がって見え、鮮やかなハイビスカスが咲いていた。
その窓が少し開いており、先程から聞こえる潮騒はここから聞こえているようだった。
土方はベッドの上で胡座をかくと、額に手を当て考えた。
「どうなってんだ? 俺は確か総悟と朝から見廻りで……」
そこで土方は顔を上げた。
思い出したのだ。かの忌まわしい記憶を。
土方は前にもこんなことを経験していたのだ。
その時は、一緒に捕えられていた沖田が黒幕で、自分を恐怖に陥れて楽しむのが目的だった。
という事は、今回のコレも沖田の行き過ぎた悪戯の可能性が十分に考えられた。
「オイ! 総悟! どこにいやがる! テメェ、ふざけんなッ!」
だが、簡単に見回せる程の室内には、沖田の姿は見当たらなく、土方はベッドから降りてベッドの左脇にあるクローゼットを乱暴に開けた。
だが、そこにはシャツ等の着替えがハンガーに掛かっているのみで、そこにも沖田の姿はなかった。
土方は舌打ちをすると、ベッドの正面の壁に並ぶ二つのドアに目をやった。
そして、右の方のドアを開けると、沖田の名前を叫んだ。
「総悟ッ!」
だが、そのドアの向こうにも沖田はいなかった。トイレとシャワーブースがあるだけで、他に隠れられそうな場所も見当たらない。
となれば、考えられるのは、もう片方のドアの先。
土方はバスルームから飛び出ると、もう片方のドアを勢いよく開けた。
「お目覚めですか?」
突然、カタコトの日本語が聞こえて来た。
ドアの向こうは一般住宅の様なリビングダイニングになっており、思っていたより広い空間が広がっていた。
そして、壁に掛った大きなテレビモニターが見たことない生物を画面に映している。
土方は無意識に腰の得物に手を掛けると、神経を尖らせた。
「……誰だ? どこにいやがる?」
すると、テレビモニターの中の生物が、触手をバタバタと左右に振った。
「コッチです。テレビ、テレビ!」
土方はギョッとすると、顔を歪めた。
「は、はぁ? ま、待て!」
土方は寒気を感じると、思わず後ずさりをした。
だが、奇妙な生物は土方に構わず、話を続けたのだった。
「言葉、分かりますか? 初めまして。我々は宇宙の彼方にある種星のネタ星人です。危害を咥えるつもりは断じてない」
土方はその言葉を疑ってはいたが、少し落ち着きを取り戻すと、ネタ星人の言葉に耳を貸すことにした。
「実は息子の夏休みの宿題である自由研究がまだ終わっておらず、父親としてはどうにか手助けしてやりたいのだ」
どうやら、このモニターに映るネタ星人には息子がいるらしく、まだ終わらない夏休みの宿題を手伝ってやるようだ。
だが、それと土方と何の関係があるのか。
土方は眉間にシワを寄せ話を聞いていた。
「そこで人手を増やそうと、俺を拉致したワケか」
「違う、違う。君たちニンゲンには、高度な文明をもつ我々の言語は分からない」
土方はこめかみに青筋を浮かべると、モニターに向かって吼えた。
「ふざけた事言ってると、テメェの星をぶった斬るぞ!」
「おお! 野蛮! ニンゲンこわい! とりあえず自由研究の課題は、地球に住むニンゲンの観察をすることにした。30日間、観察する! よろしく」
土方は遂にモニターに掴みかかると激しく揺らした。
「30日間ってどういうことだコラァ! ふざけんじゃねェぞ! つか、ここどこだ? 早く帰せッッ!」
「落ち着いてください。観察が終わればニンゲン帰します。我々は不殺生をポリシーに掲げています」
ネタ星人は土方にダイニングテーブルの上にある、一枚の紙を見るようにと言った。
土方は背後のテーブルを横目で確認すると、確かに紙があるのが見えた。
全くこの状況に納得はいかなかったが、一応何が書いてあるか目を通す事にした。
「観察はこのコテージ、島の各所に設置してあるカメラにて行う。※但し、トイレ、シャワーには設置せず……じゃねェよ! カメラってどういう事だッ!」
「ニンゲンも昆虫の観察をする。その時、プライバシーを保護していない。それと変わらない。まだ我々の方が配慮している」
土方は紙をくしゃりと丸めると、モニターに向かって投げつけた。
「配慮だァ? 拉致して無理矢理連れて来る、どの辺りに配慮があんだコラッ!」
「許可は取った。問題無い」
そう言ったネタ星人は、モニターに沖田の顔を映し出した。
「はぁ? 総悟?」
「オキタソウゴ、彼に許可を取った。報酬も彼に渡した」
やられた。
土方は頭を抱えると、その場に崩れ落ちた。
沖田のほくそ笑む顔が頭に浮かぶ。
今頃“沖田副長”と呼ばれ、喜んでいるところだろう。
土方はフッと薄笑いを浮かべると、モニターの前のソファーに腰掛けた。
そして、隊服のポケットから煙草を取り出すと、一本口に咥えた。
「観察つっても俺は一日中、煙をまとってるだけだ。それを30日間も観るなんざ、気が狂ってるとしか思えねェな」
「いや、息子の根気を育てるのには役立つ。それに、君には不自由させない。好きなものを好きなだけ与えてやる。君の部屋にある電話の受話器を上げれば我々に繋がる。物はワープさせて、そのコテージへ届けよう」
好きなものを好きなだけ。
土方はその言葉に心が揺れ動いた。
マヨネーズに、マヨネーズ丼、マヨネーズフライに、マヨネーズの天ぷら。
それらを好きなだけくれると言うのだ。
「……悪い条件じゃねェな」
「そうだろう。我々はニンゲンを観察したいだけ。それに、ここは宇宙の楽園と言われるユートピア星だ。ニンゲンがストレスで死なない為にも、最高の環境、最高のロケーションを用意した」
納得は出来ていなかったが、土方は少しずつ状況を受け入れようとしていた。
どうせ地球には自分の力では帰れないのだ。
それに少しの間、旅行に来たと思えば悪い気はしなかった。
不本意ではあったが、足掻くばかりじゃ能も興もないと、煙草を吸いながら考えていた。
「言い忘れていたが、ここで過ごす30日間は、地球での1分間に値する。それと、息子が一番興味を持っているのは、ニンゲンの交尾だ。まだ一度も見たことがないらしい。隣の部屋にメスを用意した。では、失礼する」
ネタ星人はそう言うと、モニターから一瞬の内に消えた。
土方はすっかり長くなった煙草の灰を床に落とすと、慌てて携帯灰皿に煙草を捨てた。
「冗談だろ」
馬鹿にしたようにそう言った土方は、リビングに隣り合う二つのドアがあることに気が付いた。
向かって右側は自分が居た部屋に繋がるドアで、左側にあるドアは――ネタ星人が用意した女が居る部屋だと想像が出来た。
土方は舌打ちをすると、どうしたもんかとまた頭を抱えたのだった。
見ず知らずの女と一ヶ月も共に過ごすなど、非常に面倒なことだと思っていた。
他人との共同生活となれば、好き勝手などはもちろん出来ず、気を遣いながら生活しなければならない。
その上、常にカメラで監視されているのだ。どこにカメラがあるかは分からなかったが、強いストレスを感じた。
「ったく、総悟のヤロォ……」
土方は頭を項垂れて愚痴ると、これからの一ヶ月をどう生活しようかと考えた。
これまで女との生活など、一度も経験がなかった。それどころか旅行の経験すらなく、身近な女と言えば座敷で遊ぶ芸者達か、罪人くらいのもんだった。
遠い昔に唯一惚れた女はいたが、恋仲になる程ではなく、数の内には入らなかった。
初めての経験と言っても過言ではない。
一ヶ月もの間、どう振る舞うべきか。
土方はソファーに前屈みに座りながら、白い大理石のフロアを眺めていた。
すると、突然女が居るであろう部屋のドアが勢いよく開いたのだった。
「ぎんちゃーん!」
聞き覚えのある声。
土方の耳に飛び込んで来た声は、軽やかで明るいものだった。
土方はハッと顔を上げると、部屋から出てきた女を驚いた顔で見つめた。
「銀ちゃん……じゃねーアル!」
白い肌に鮮やかな色の髪。そして、整った顔立ちと、派手なチャイナドレス。
土方の目の前に立つのは、よく知っている万事屋の神楽であった。
その青い瞳と目が合った瞬間、土方は再び項垂れると、視線を床へと戻した。
「どーなってんだよッ」
まさか、連れて来られた女と言うのが、知っているニンゲンで……いや、ニンゲンかどうかも分からない、夜兎族の神楽だとは思いもしなかったのだ。
「テメェも拉致されたのか?」
土方は項垂れたまま神楽に問うと、神楽は腕を組み目を瞑った。
「チチチッ。オマエと一緒にされちゃ困るネ! 私は招待されたアル」
「地獄へか?」
土方は顔を上げると、首を左右に振る神楽を見た。
監視され、一ヶ月も家に帰ることが出来ず、ましてや他人との生活など地獄以外の何かと言うのか。
土方は神楽を理解出来ないでいた。
「思い出したアル。町を歩いてたら私、スカウトされたネ。南国気分を味わいながら、一ヶ月間、ビデオ撮影させてくれって」
「危ねえェだろ! お前、よくそれで引き受けたなッッ!」
土方は信じられないと言った風に口をあんぐりと開けたまま、神楽を驚愕の表情で見ていた。
「でも、パンツ一枚だけになった銀ちゃんが、たまには羽伸ばして来いって。リフレッシュも大事だとか言って見送ってくれたネ。もし、お前の言うように危なかったら、銀ちゃんが止めてくれる筈ネ」
確かに、銀時が神楽をそう危ない目に合わせるとも考えられなかった。
と言う事は、この星に来たのは、土方が思っているよりも危険ではないのかもしれない。
ただ、気になっているのは、神楽の話す銀時の姿がどうもおかしいと言うことだった。
「銀ちゃん、身ぐるみはがされても、私を想う気持ちだけは抱き続けてたアル。ちょっと感動的な話ダロ」
どうも神楽の話から察するに、銀時は身ぐるみを剥がされなければならない事態に陥ったらしい。
土方はあの貧乏人のことだから、金に困り何かをやらかしたなと踏んでいた。
と言うことは、この目の前のチャイナ娘は――
「テメェも売られたか。差し詰め、借金の肩代わりでも持ち掛けられたんだろ」
土方は神楽の事を少し哀れに思うのだった。
だが、神楽は自分が銀時に売られたとは思っていないようで、土方の言葉に失礼だと憤慨していた。
「残念だったアルナ! 銀ちゃんはオマエんとこの馬鹿と違って、身内売るマネはしないアル!」
土方の言葉に機嫌を損ねた神楽は、再び出て来たドアを開けると、部屋へ引っ込んでしまった。
土方はそんな神楽に面倒臭いと舌打ちをすると、また煙草を取り出して火をつけたのだった。
「チャイナ娘と一ヶ月。どう過ごすか」
土方はソファーの背もたれに体を預けると、天井に向かって煙を吐いた。
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