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3.気化熱

 

「ちょっと出掛けてくるアル」

 

 週末を迎えた神楽は、赤いコートを羽織ると待ち合わせ場所の公園へと万事屋を出た。

 昨晩、沖田からの電話でわざわざ待ち合わせ場所を指定された事に、神楽はもしかすると本当にデートなのだろうかと沖田の考えが読めなかった。

 

 公園に着くと、既に沖田の姿があった。

 神楽は全てが怪しいと、ベンチに座っている沖田を訝しい表情で見ていた。だが、沖田は全くこちらに気付いておらず、先ほどから手に持つ何かを弄っていた。

 神楽はゆっくり近付くと、沖田の背後から何を見ているのかと覗き込んだ。

 

「カメラ、アルカ?」

 

 神楽は沖田がデジタルカメラを持っている事に驚いた。一体、何をするつもりなのかと。

 

「あー、借りた」

 

 沖田は言葉数少なくそう答えると、神楽に振り向きもせずに話を続けた。

 

「写真集が買えねぇなら、てめぇで作って渡せばいいだろィ。写真くらいバカでも撮れんだから」

「そんなモン貰って、喜ぶとでも思ってんのカヨ! 自作のラブソング並に捨てるに捨てれないダロ!」

 

 沖田はベンチから立ち上がると、神楽の方をを振り返りカメラのシャッターを切った。

 

「てめぇの顔を見て、爆笑するくらいの価値はあんだろィ」

 

 神楽は途端に顔を真っ赤にさせると、沖田に猛抗議した。

 

「オイ! 今のは消せヨ! 撮るなら景色とか撮れヨ!」

 

 神楽は沖田からカメラを取り上げようと、必死に背を伸ばしたが、沖田の手は頭の更に上で届くことはなかった。

 意味が分からない。神楽は考えの読めない沖田の顔を見つめた。

 

「心配すんな。誰もてめぇにゃ興味ねーや。それに今日はそのつもりでィ。あの写真集の風景と江戸の街じゃ比べようもないだろうが、似たような景色くらいはあんだろィ」

 

 神楽は伸ばしていた手を元に戻すと、沖田の言葉に目を丸くしていた。

 写真集を自作すると言うのは、どうも本気らしい。何を馬鹿な事をと普段なら笑ってやるところだったが、神楽も今回だけはそれに賛同した。今、自分に出来る事があるならば、最大限協力しようと。

 

「でも、あの写真集みたいな綺麗な景色……本当に見つけられるアルカ?」

 

 沖田は何やらポケットからメモを取り出すと、片眉を上げて見ていた。

 

「とりあえず、この公園で撮れそうな青空や植物は一通り撮影した。後は、虹と星空、それとサンセットビーチか……」

「虹アルカ。うーん」

 

 神楽は腕を組んで考え込むと、うんうんと小さく頷いていた。どうやら思い当たる事があるようだ。

 

「虹なら私に任せるアル」

 

 神楽は沖田について来いと言うと公園を出て、近くの川まで連れて行った。

 

「ここで何する気だ。まさか、心中なんて事やらかすワケじゃねーだろーな」

「ハァ? 何で来世までオマエと巡り会わなきゃなんないアルカ? そうじゃないアル」

 

 だが、神楽は何を思ったのか橋の上で履いていたブーツを突然脱ぎ出したのだ。

 それを見る沖田の表情は、さすがに焦っているように見えた。だが、神楽は履いていたニーハイソックスまで脱ぎ捨てると、橋の欄干へと上ったのだった。

 通行人の注目が神楽へと集まる。

 

「おい、てめーマジで死ぬ気かよ。見てみろ、あそこのオッさん、絶対てめぇのパンツ――」

 

 だが、神楽はそんな言葉も聞かずに飛び降りたのだった。

 

「カメラ構えるアル!」

 

 その言葉通りに沖田がカメラを構えると、ドボーンと言う激しい音と共に大きな水しぶきが上がった。

 その瞬間、小さくはあるが綺麗な虹が架かったのだった。

 沖田は取りこぼすことなく写真に収めると、欄干から飛び降りた神楽を覗き込んだ。

 

「スナック虹の看板でも良かっただろィ」

「ふざけんナヨ! こっちの方が綺麗ダロ!」

 

 神楽は頭から水を被ったらしく、震えながら橋へと戻って来た。それと同時に、見物人が通報したらしく、町を守るお巡りさんが駆け付けた。

 

「ちょっと、ちょっと、痴話喧嘩か何かですか?」

 

 真選組の監察である山崎が何も知らずにパトカーでやって来た。だが、直ぐにこの騒動の当事者が自分の身内だと分かると、パトカーから降りる事もなく去って行った。

 

「真選組は本当に税金泥棒アルナ。私の働きっぷりを見習って欲しい……ハックシュン!」

 

 神楽は白い肌を更に白くさせると、体を震わせた。剥き出しの足がとても寒そうだ。

 沖田はあーあと頭を振ると、神楽を連れてとりあえず、万事屋へと向かった。

 

 

 

 万事屋には定春が一人、コタツで眠っているだけであった。

 神楽と沖田は居間に入ると、濡れた頭と脚を拭き、ずぶ濡れのなったコートをハンガーに引っ掛けた。

 

「乾くまで1日は掛かるネ」

 

 神楽はこの1着しかコートを持っておらず、今日はもう出掛けられないと溜息を吐いた。

しかし、よくよく考えてみれば、どうして写真撮影に自分も同伴しないといけないのだろうか。カメラを持っているのは沖田なのだから、一人で撮って来ればいいだろうと思っていた。

 

「後はオマエに任せるアル。ギャバレー星空だろーが、BARサンセットビーチだろーが好きに撮ったら良いネ」

 

 神楽はそう言うと、鴨居に掛けたコートを見つめていた。

 そんな神楽の背中を、ソファーに座った沖田はカメラのファインダー越しに見ていた。

 

「……謝ることからも逃げてんのに、てめぇはどこでその汚ねぇ尻拭うんでィ」

 

 神楽はその言葉に俯いた。

 逃げているわけではない、いつか謝るつもりでいる。だが、沖田の言葉に何も返すことは出来なかった。

 

「コートが乾かねぇなら、次は来月の頭だな」

 

 神楽は沖田のその言葉に顔を上げた。

 12月24日まで、沖田は神楽に付き合うつもりらしい。その事実が神楽を少し元気にした。

 

「……あとは、星空とサンセットビーチ、アルカ? 楽勝アル、きっと」

 

 そう言って沖田を振り向き見た神楽を、カメラのレンズがとらえた。

 シャッターを切る音が狭い部屋に響く。

 

「はぁ? オマエ何勝手に撮って何アルカ? そんなに私の写真が欲しいなら金払えヨ」

 

 神楽が沖田の持つカメラを奪おうと近寄れば、沖田は立ち上がり頭の上の方にカメラを掲げた。

 むすっとした表情になった神楽は、沖田の肩に片手を乗せるとグッと背伸びをして、そのカメラを取り上げようと試みた。だが、沖田の膝裏がソファーにぶつかり膝がガクリと折れると、バランスを崩した2人はそのままソファーに倒れ込んだ。

 

 沖田の胸の上に倒れ込んだ神楽は、沖田の顔にニヤリと笑いかけると、遂にカメラへと手を掛けた。

 

「貸せヨ! バカサド!」

 

 だが、神楽を見る沖田の表情は、何を考えているのか分からない不気味なもので、神楽の顔から笑みが消えた。

 何と無くいつもと違う気がする。神楽は沖田の顔を不思議そうに見つめていた。

 

「いつまで乗ってんでィ」

 

 神楽はハッとすると、沖田の体の上から急いで下りた。そして、沖田に背を向けると、何故か動悸が激しい胸に目をパチパチと瞬かせていた。

 

「……別に俺の趣味じゃねぇ。てめぇの写真でも、喜んで欲しがる野郎もいるんだろィ?」

 

 神楽の写真を欲しがる男――神楽は沖田が本郷の事を言っていると気が付いた。

 まさか、あの本郷が。そんな事を考えたせいか、神楽の胸の動悸が更に激しくなった。

 

「また連絡する」

 

 ほのかに赤い頬で俯く神楽の横顔を見ていた沖田は、そう言うと大した挨拶もなく帰って行ったのだった。

 

 

 

 次に沖田に会う日までに、神楽は本郷に会いに行くべきだと何度も心の中で繰り返していたが、ただ考えているだけで、決して行動へは移せなかった。

 そうして、結局何も出来ず、再び沖田と会う日を迎えた。

 

 前回と同様待ち合わせ場所は近所の公園で、日が暮れ行く中、神楽は少し寒そうにまだ姿が見えない沖田を待っていた。

 

「あいつ、何やってるネ。絶対に肉まん奢らせてやるアル!」

 

 そう意気込みながら、神楽は公園の端で傘を振り回し沖田を殴る予行演習を行っていた。

 すると、そんな神楽に後ろから忍び寄る影が一つ見えた。

 神楽はバレバレだと振り返ると、傘を大きく振り上げた。

 

「わあっ!」

 

 そこに居たのは、神楽の待つ男ではなく、今一番会いたくなかった本郷尚だったのだ。

 神楽は急いで傘を下ろすと、振り乱れた髪を直した。

 

「わ、悪かったナ」

「ううん。僕こそ後ろから現れてごめんね。たまたま通りかかったら、神楽ちゃんの姿が見えたから」

 

 神楽は目を泳がせると、本郷と視線を合わせることを避けた。

 まさかこんな所で出会うなどと、想定もしていなかった。そのせいで、まだ写真集の事を謝る準備など何も覚悟が決まっていなかった。

 

 ちらりと見た本郷の瞳は相変わらず温かく、神楽は心臓が針に刺されたように胸が痛んだ。

 

「神楽ちゃんは散歩か何か?」

「あ、うん。ま、まぁ、そんなところアル」

「そっか! えっと、もし良かったら少し話さない? この間の事も少し気になっていたから」

 

 この間の事。それは神楽が本郷の家を訪れた時の事だろう。神楽は結局あの日、睨みつける女の子の瞳に恐れをなし、素直に謝ることが出来なかった。

 だが、この温厚な本郷が、神楽を許さない事などあり得ない話であった。

 神楽もそれを分かっていて、自分は本郷の優しさに甘えているんだと気が付いていた。

 だから、尚更タチが悪い。

 ここまで来てもまだ、神楽は謝る勇気を持てないでいた。

 

「おい、バカチャイナ。てめぇ、駅前の公園と間違えてんじゃねーよ」

 

 そんな事を言いながらこちらへとやって来た沖田に、神楽の表情から緊張感がなくなった。

 救われた。そんな事が神楽の頭に過った。

 神楽は沖田に飛びかかると、ワァワァと言いながら傘を振り回した。

 

「オマエにバカなんて言われたくねぇヨ!」

「じゃあ、アホ女はどうでさァ?」

 

 そうやって騒ぎながら掴み合う2人を、黙ったまま見つめる本郷の瞳は、どこか寂しそうであまり温かみのあるものではなかった。

 

「……今日はもう来るな」

 

 沖田は突然神楽を突き放すと、ジロリと神楽の背後を見つめた。神楽はその視線の先に気が付くと、沖田の肩へと掛けていた手を離した。

 

「なんでアルカ? だって、この間、オマエ言ったダロ? 尻拭えって」

「だから言ってんだろィ? まさか、分かんねぇワケじゃねーよな? あッ、てめぇの残念なオツムじゃ無理か。じゃあな、バカチャイナ。俺はターミナルで仕事終わらせてくらァ」

 

 神楽は公園から立ち去る沖田を不満そうな顔で見つめていた。だが、神楽はそんな自分の横顔を見つめる、更なる視線に気が付いた。

 黙ったままの本郷を見れば、相変わらず温かい瞳をしており――いや、温かいを通り越し、熱い炎を灯していた。

 何か強い感情がその瞳には表れている。それは何か。

 喜び? 怒り? 哀しみ? 感情の種類まで読み取る事は出来なかったが、何か熱いものが神楽に伝わって来た。そのせいか、神楽の頬が赤く染まる。

 いや、瞳の所為だけではない。

 本郷の色素の薄い髪が、落ち行く陽の光を浴びてキラキラと茜色に輝いて見えた。途端に動悸の激しくなった神楽は本郷から視線を外した。

 そして、何故だか沖田の顔が頭に浮かぶ。

 どうして沖田は急に態度を変えたのか。原因は――この場にいる本郷にあるように思えた。

 沖田は本郷があの写真集の持ち主であると、どうやら気が付いたらしい。だから、神楽を置いて自分一人で撮影に向かったのだ。

 

"謝れよ"

 

 沖田が言いたかったのは、つまりはそういう事なのだろう。

 写真撮影は俺に任せて、お前は頭を下げろ。

 神楽はそれを理解すると、唇を尖らせてどこか面白くないと言った表情をした。

 

「あいつに借り作るなんて最悪アル」

 

 そんな事をブツブツ呟くと腹を決めたのか神楽は、本郷に正面から向き合った。

 

「私、オマエに話さなきゃいけない事があるネ」

「僕も神楽ちゃんに聞きたい事があったんだ」

 

 そんな言葉を交わした2人は、夕暮れ空の下、並んでベンチへ腰掛けたのだった。

 

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