桃色傀儡

 

6,神楽side


 家に戻った神楽は居間にいる父親に挨拶することもなく風呂へと駆け込んだ。まだ湿っている下着。それをセーラー服と共に脱ぐと浴室の扉を閉めた。

 沖田の指をまだ体は覚えていて、神楽はそれを思い出しながら細い指でなぞった。腿の内側、足の付根、閉じた割れ目の上、そして疼きの収まらない膣穴をなぞれば…………

 沖田を責めるつもりはない。だが、やはり切ないのだ。あのまま沖田と体を繋げてしまいたかった。出来るならそれで高みに連れて行って欲しかった。それでも沖田本人が一番辛いだろうと神楽も分かっているつもりでいた。だが、それとこれとは別である。火照る体を元に戻すには自分で慰めるしかないのだ。

 しかし、指を咥えさせられる悦びを知ってしまった以上、自慰でこの体を落ち着かせる事が出来る気がしない。だからと言ってあの後沖田に『指で逝かせて』とねだるなど絶対に無理である。これは仕方のない事と、まだ夕暮れの時刻にも関わらず神楽は指を動かすのだった。


 シャワーの音の中、声を押し殺して乳首を摘む。そうしながら濡れ始めている膣穴にゆっくり指を沈み込ませれば、緩んでいる口から涎がこぼれ落ちた。

「ううッ……あッ……んッ」

 鼻から抜ける甘い声が浴室に響く。だが、シャワーの音がすぐにそれを掻き消す。神楽は壁にもたれながら指を早く出し入れすれば、すぐに意識が遠くへ飛んだ。それと同時に水が大量に吹き出す音が聞こえた。

 ナカでイちゃッたアル…………

 しかし、気分は優れない。それは先ほどの事や、自慰に対する嫌悪感からではない。今、頭の中に流れていた映像のせいである。

 数日前、神楽の身に起きたアクシデント。あれは事故であった。そう自分の中で処理した筈なのだ。それなのに今絶頂を迎えた瞬間、頭に過ったのは沖田の顔ではなく、あの日の――――――

 神楽はその場にしゃがみ込むと、こみ上げる気持ちに胸を押さえるのだった。



 放課後、神楽は3Zの教室の後ろで沖田と立ち話をしていた。

「――――文句なら土方さんに言ってくれ」

「別に文句とかないけど……あっ! じゃあ、明日コンビニで何か奢れヨ!」

 神楽は今日も沖田と帰る約束をしていたのだが、急遽委員会が入りその約束が反故となったのだ。

「オイ! 総悟、いつまで喋ってんだ。行くぞ」

 土方に引きずられて行く沖田に神楽は大きく手を振ると、明日何を奢ってもらおうか決めかねていた。

「あー、やっぱり酢昆布がいいアルナ」

 そう言って鞄を持った神楽は沖田の席へ移動すると机に落書きを始めた。と言っても鉛筆で隅のほうに小さく書くだけだ。

《総悟のバーカ! 酢昆布100箱おごれ!》

 これで満足だと神楽が顔を上げた時だった。後頭部に鈍い痛みと衝撃音を受け、咄嗟に後ろを向けばそこには銀八が立っていた。片手には漫画雑誌があり、それで叩かれた事が窺えた。

「いってェエ! 何すんダヨ!」

「おめぇこそ人の机に何して…………ああ、沖田くんの? 好きだってラブレターでも書いてんのか?」

 神楽は顔が熱くなった。そうじゃないが、きっと何を書いていてもノロケにしか取られないと気付いたからだ。神楽は急いで筆記用具を鞄にしまうと教室から出ていこうとして――――

「お前、暇してんだろ? ちょっと付き合えよ」

 銀八に腕を掴まれた神楽は、揺れる瞳でその顔を見つめていた。そして思い出す。数日前のアクシデントを……

 神楽は逃げ出すことも何かを言い返すこともなく大人しくなると、銀八の後について国語科準備室へと向かうのだった。


 埃臭く、あまり陽の入らない小さな部屋。雑然と置かれた書物の山とダンボール箱。その隅っこに絨毯が敷かれていて、古い二人がけのソファーがあった。傍らにはサイドテーブル。その上にはいちご牛乳の紙パックが置かれている……灰皿まであった。ここを銀八が私有化しているのは誰の目にも明らかである。銀八はそんな部屋の鍵を掛けるように言うと、窓際に立ってグラウンドを見つめた。

 窓の外はそろそろ茜色に染まり始める。校庭のサッカー部や野球部は砂にまみれながら皆がボールを追いかけていた。神楽はそんな様子を見つめながら、何故自分がここへ呼ばれたのかを考えていた。

 きっと数日前のアクシデント――――――

 その事であるのはさすがに神楽でも分かる。そう思っていると銀八の口が開かれた。

「こないだのこと、誰にも言ってねえよな?」

 神楽の頭に《こないだのこと》がハッキリと映しだされる。


 屋上で銀八に沖田との事を相談したあの日。塔屋の外壁にもたれながら、銀八と並んで立っていた。風が吹いて神楽のスカートと髪を揺らした。それと同時に銀八の瞳も揺れていた。


『それはつまり……教えろって意味で良いんだよな?』


 確かに先ほどそんな言葉が聞こえた。神楽はその意味を深く理解しない内に恥ずかしさも相まって頷いたのだ。

「うん」

 それが銀八の瞳を揺らす原因となった。

 何故銀八がそんな顔をするのか。神楽には分からなかった。ただ単に色気の出し方を知りたいだけだ。教えを請うことがどうしてそんな表情に繋がるのか。神楽は軽く首を傾げると銀八を見つめていた。

 すると銀八は咥えていた棒付きキャンディーを口から出すと、神楽の目の前に掲げてみせた。

「なら、お前……これ舐めてみろよ」

「げぇ、銀ちゃんの口に入ってたヤツアル」

 さすがにさっきまで人の口に入っていたものを舐める気にはなれなかった。

「あ、そう。そんな態度? じゃあ、色気の出し方くらい自分で頑張ってみつけろよ」

 そう言って銀八が再び棒付きキャンディーを口にしまおうとしたので、神楽は慌ててその手を引き留めた。

「やるアル! だから教えるネ!」

 神楽は目の前に掲げられているキャンディーに唇を近づけると、唇の隙間から小さな舌を覗かせてチロチロと飴を舐めた。甘い果実の味が舌先に伝わる。しかし、それを味わう間もなく銀八が言った。

「もっと舌出して舐めてみ?」

 神楽は見られている事に恥ずかしさを感じるも言われた通りに舌を大きく出すと、舌を動かして飴を溶かした。

「それで、唾液をもっと出して……おっ、いいんじゃねえ? 色気出てきたわ」

 舌を動かして飴を舐めているだけだと言うのに、妙な興奮が身を包むことに気が付いた。いつの間にか舌に押し付けられるように棒付きキャンディーが動かされ、舌を擦られる度に口から唾液が溢れた。それが唇からこぼれてしまい、遂には顎の先にまで流れる。

「あッ……!」

 小さな悲鳴を上げたと同時に銀八の唇が垂れる神楽の唾液を舐めとっていた。顎から唇へとゆっくり舐め上げられる。熱い舌の感触と知らない男の匂い。銀八は躊躇うことなく神楽の唇へたどり着くと、小さく甘い舌を吸うのだった。

 煙草の匂いとキャンディーの甘さ。それが混ざった大人の味。神楽は惚けた顔でただ静かに感じていた。抗うだとか逃げるだとか一切思い浮かばない。今行っている行為が《口付け》であるとも認識出来ていないのだ。舌を吸われ、口の中に食べ物ではない物体が存在している。それらは初めてであり、まだ沖田ともしたことのない大人のキスであった。それを神楽は恋人ではない男に教え込まれているのだ。

 ヌルヌルと動く銀八の舌。まるでヘビのようで、なのに神楽は少しも嫌だと感じていなかった。舌を舌で擦られる度に悶えそうなほど体が疼くのだ。

 気持ちいいアル…………

 そんな事を考えながら神楽はただ大人しく舌を吸われ続けた。


 どれくらい唾液の交換に勤しんだだろうか。ようやく離れた銀八が神楽の前にケータイを掲げて写真を撮った。それを神楽に見せると言ったのだ。

「見てみろよ、このエロい顔」

 ケータイの画面に映し出されているのは、上気した頬と目に力の入っていない情けない自分であった。

「飴舐めるみたいに沖田くんの舌吸ってやれよ。そうすりゃバッキバキだから、マジで」

 神楽はまだ力の入らない体ではあったが小さく頷くと屋上を後にするのだった。


 これが先日起きたアクシデントである。しかし、あれがあったから吹っ切れたのだ。お陰で神楽は沖田に迫ることができ、セックス一歩手前まで関係は進んだ。だが、あれのせいでまた悩みが増えてしまった。誰にも言えない銀八との出来事。それが体を火照らせたのもまた事実であった。

「誰にも言えるわけないダロ……」

 神楽はそう言うとモジモジと内股を擦り合わせた。

「で、あれ。役立った?」

 一応、関係は進んだのだ。役には立った。だが、結局セックスには至らなかった。神楽はその不満を顔に分かりやすく出したまま頷いた。

「うん、役《立った》アル」

 しかし、銀八はソファーに座ると足を組み、神楽を見上げてこう言った。

「何があったんだよ?」

 その言葉に目だけで驚いて見せると銀八が軽く笑った。

「前にも言っただろ。お前のその面見て分かんないヤツなんているのかって」

 銀八だから気付くのではないか。神楽は寧ろそう思っていた。沖田は相変わらず何も気付かない。子供をあやすように抱きしめて、それで良いとでも言うように満足そうに笑うのだ。それで良いなどと神楽は全く思えないのに……

『お前と一緒に居られたらそれで良い』

 とは言ったのだが、本心ではない。本音は早く一つになってしまいたかった。出来ることなら明日……いや、今すぐにでもだ。

「エッチ……なかなか出来ないアル。いい雰囲気まではいったけど、そこから進まないネ」

 銀八が足を組み替えると言った。

「つうか、なんでそんな急ぐわけ?」

 その質問は的確であり、神楽の心臓を激しく揺さぶった。理由などただ一つしかないのだから。沖田の指を咥えたあの日から、毎日のように体が疼くのだ……

 顔が熱くなる。これ以上はいくら銀八とは言え話せないと、神楽は背を向けてドアの前に立った。だが、そのドアが開けられることはなかった。銀八が神楽に背後から覆いかぶさるようにドアを押さえたのだ。

「先生はお前に同情してんだよ。我慢しなきゃならねえなんて……可哀想だってな。指でいいなら手伝ってやるけど…………どうする? 神楽」

 神楽は首を振ると否定した。

「はァ? 何言ってるアルカ? 意味わからんアル。そ、そんな事知らんアル」

 きっと銀八は気付いている。神楽が今この瞬間も疼いていることに。そんなことまで汲み取るなと神楽は泣きたい気分であった。

「じゃあ、家帰って自分で触るの?」

 銀八がやけに耳元に近い位置で囁く。そのせいで熱い息が神楽の首筋を悪戯にくすぐった。たったそれだけの事なのに体は敏感に反応する。もう知っているからである。自分のもの以外の指が体を弄る快感を。沖田の指が膣で暴れた日から、神楽の体は自分では満足出来ないようになってしまったのだ。それなのに当の沖田はただ抱きしめるだけで、いつまでも抱いてくれない。

 神楽は赤い顔で背後の銀八を振り返り見ると目蓋を閉じた。

「…………自分で触らないアル」

 銀八の声が少しだけ高くなる。

「自分で触らねえなら誰が触るの? こっち来いよ、神楽」

 神楽の足はフラフラと踏み出すと、日の傾いた準備室は不可侵領域へと変わるのだった。