桃色傀儡


2,神楽side


 沖田との秘密のエスケープ……とまではいかないが、保健室で過ごした時間は神楽にとって何ものにも代えがたい時間であったのは事実だ。そして、あんなにも分かりやすく自分の想いを見せつけたのも初めてであった。

 ずっとただの喧嘩仲間だと思っていた。何故か気に障る……気になると言ったくらいのもので、それがまさか好きなんて気持ちに結びつくとは微塵も頭になかった。だけど神楽は知ってしまったのだ。抱く想いが《一定値》を既に超えていることに――――


 ある時、神楽は沖田が他の女子生徒に告白されたという話を耳にした。すると、それまでなんにも意識などしていなかったのだが、突然不安が襲いかかったのだ。

 もうアイツと一緒に暴れられないネ?

 きっと恋人と言う存在が出来れば、喧嘩もなくなる。そうなると沖田との距離は開き、もう一生近付くことが出来なくなる気がしたのだ。

 清々する。思って実際に口にも出してみたのだが、少しも嬉しくなかった。だが、このどうにもならない気持ちを誰かに打ち明けると言う事は頭に無く、一人で幾夜も抱え続けるしかないのであった。それは永遠の苦しみに思えた。一晩が百晩に思えるほどである。しかし、思いのほかそれは早く終わりを迎えることになった。沖田が女子生徒を振ったようなのだ。というのも、沖田が自分からそんな話をしたのだった。

「女子と乳繰りあうくらいなら、俺はテメーと拳突き合わせてる方がずっと面白え」

 何を思ってそんな事を話してきたのか沖田の意図は分からなかったが、告白してきた女子生徒との関係よりも、自分との関係を優先させた沖田に神楽の胸は躍らずにいられなかった。それを思わず表に出してしまいそうであったが、神楽はわざと睨みつけるような顔を作ると拳を握った。

「なら、早速一発くれてやるネ!」

 そうして神楽の繰り出した拳が沖田の手のひらに収まり、二人は取っ組み合いになるのだった。


 これが少し前の話である。今は――――――保健室に沖田によって運ばれたあの日から、そうやって取っ組み合うことが出来なくなってしまった。原因は分かっている。この自分が沖田を避けているからだ。あれだけ分かりやすく心を見せたと言うのに、沖田はハッキリと何も言ってはくれなかった。つまりは振られてしまったのだろう。喧嘩仲間以上の関係にはなれない。沖田はきっと望んではいないのだ。

 神楽は自惚れだと恥じた。こんな事ならば心など見せなければ良かったと。後悔などあまりしない神楽がそう考えるほどである。

 しかし、触れられた肌はまだ火照りを忘れることが出来ず、出来ることならばもう一度だけ…………それが喧嘩でも良いから、触れることが出来ないだろうかと考えていた。そんなことを考える自分に神楽自身が一番驚くと、なんでアイツがこんなにも頭の中を占領するのだと苛立ちすら覚えた。

 こんな異常とも思える神楽なのだから、周りもそれに気付かないハズがなかった。当の沖田がどう思っているのかは分からないが、クラスメイトは明らかに勘違いをしているのだった。

「神楽ちゃんと沖田さん……最近、喧嘩がなくなったみたいだけど…………」

「付キ合ッタカラ、大人シクナッタニ決マッテンダロ!」

 神楽はそれに反論する元気もなかった。沖田とクラスで目は合うのだが、妙に意識してしまい、なかなかいつもの調子が出ない。まさかクラスの者達は神楽が振られたとは思っていないようで…………

 迷惑な話ではあるが、時間が経てば噂も消えるだろうと神楽は黙っていた。みんなにわざわざ振られた事を吹聴する必要もないのだから。

 しかし、辛い。こんなにも恋をすると辛くなるとは思ってもみなかった。誰にも相談は出来ない。クラスのみんなにとって《恋愛》は他人の中に存在していて、どちらかと言うと冷やかすものであったのだ。神楽もつい数週間前まではその仲間であった。経験のない者にとって《恋愛》など、所詮他人ごとでしかないのだ。この悩みを打ち明ける相手などどこにも存在しない……そんな事を考えていたある日の昼休み、廊下から中庭を眺めていると白衣姿の男が目に入った。

「ぎん、ちゃん」

 そこで神楽の心臓に電撃が走る。

 そうアル! 銀ちゃんが居たネ!

 銀八であればきっとこの茨道から抜け出す策を知っているはずだ。何故なら銀八はいい歳をした大人である。神楽は急に救われた気分になると銀八を目指して駆け出すのだった。


 中庭を突っ切った先の図書室裏。そんな所で神楽は銀八を捕まえると…………本当に腰にタックルをして捕まえてしまうと、ずれた眼鏡の向こうからこちらを覗く瞳を見つけた。

「銀ちゃん!」

「なになに? お前見てたのかよ」

 既にその右手には火のついた煙草が挟まれており、銀八が隠れて喫煙している事はよく分かった。しかし、こんな不良行為はいつもの事だと、神楽は気にせずその場にしゃがみ込んだ。すると銀八も同じように神楽の隣にしゃがみ込めば、静かに煙を吐き出すのだった。

「で、お前も吸うの?」

 神楽は眉間にシワを作ると頭をブンブンと振った。

「なわけねーダロ! そうじゃなくて…………」

 神楽は落ちていた細い棒切れを拾うと地面を突きながら話した。

「銀ちゃんって、好きな人とか居る? あっ、ツッキーとか?」

 自分の話を聞いてもらいたいのに、言葉が上手く出て来ない。切り出し方が分からないのだ。別に銀八の好きな人の話など今はしたいわけではなくて、しかしこんな遠回りをするくらいしか術がない。

 そんな神楽に銀八の目は細くなると、こちらを意味ありげに見下ろした。

「はは~ん、そういうこと……」

 意地悪く含みを持たせて言った銀八に、神楽は既に赤くなっている顔で抗議した。

「な、なんだヨ! 分かってるならハッキリ言えヨ!」

 しかし、銀八は焦らすようにゆっくり肺に煙を取り込むと、輪っかを作って空に吐き出した。その様子を面白いと思って神楽は見ていたが、すぐに壊れてしまう輪にどこか不吉な気配を感じていた。

『形あるものは、いずれ崩れる』

 そんな言葉を知ってはいるが、目に見えないものであってもそれは同じだと思ったのだ。人との関係。結ばれないのなら崩れるだけだ。神楽は銀八の吐く煙を見ながらそんな事を考えていた。

「告った?」

 その言葉に意識が引き戻されると、神楽は持っている枝をポキリと折った。

 銀八は神楽の雰囲気から恋愛事だと察したのだろう。神楽も相談に来た以上、それを隠すつもりはなかった。

「…………よくわからんアル」

 それは誤魔化しでもなんでもなく、素直な気持ちであった。

 ハッキリと愛の言葉を口に出して告白したわけではない。でも、あの雰囲気と状況であれば、普通なら察するものだろうと神楽は思っていた。それに沖田が心の機微に疎いとは思えない。と言うことはやはり自分は振られた、そういった答えしか導き出せなかった。

「わからんけど、振られたっぽいことだけは分かるネ」

「変な言い方するね、神楽ちゃん」

 どこか興味のなさそうな銀八の声。神楽はやはりみんな他人ごとであると、再び気分が沈んだのだった。勝手な話なのだろうが、銀八になら分かってもらえると、どこかで期待していた。先生なら何でも教え導いてくれるものだと――――――

 神楽は立ち上がると銀八の頭に手を置いた。

「じゃあナ、センセ。私そろそろ戻るネ」

 しかし、銀八のこちらを見つめる瞳は決していい加減でも他人ごとだと思っているものでもなかった。いつになく真面目で真剣で、感情が色濃く映しだされていた。

「神楽」

 硬く聞こえる声。今だけは銀八の言葉も素直に聞ける気がしていた。普段のふざけた雰囲気はなく、茶化すつもりもなさそうだ。再び、神楽は銀八の隣にしゃがみ込むと地面を見つめたまま言った。

「好き、とか……そう言うことは、言ってないアル」

 すると今度は銀八の手が神楽の頭に置かれた。

「後から『ああすれば良かった』なンつう経験は《する》より《しない》方がどんなに良いか……神楽、当たって砕けろよ」

「当たって……砕けろ?」

 結局は玉砕する運命アルカ…………

 神楽はなんて悲観的な男だと銀八を見上げたが、その目は悲しみに浸ってはいなかった。それを見ると少しだけ勇気が出た。告白もせずに振られたと勝手に傷ついている自分がバカみたいに思えたのだ。どうせ傷つくなら、しっかりと想いを伝えてから泣くなり何なりすれば良いだけである。それにやはり沖田の想いも知っておきたかった。


『友達以上は考えられねえ……』


 たとえそう言われたとしても、何も聞くことが出来ないまま卒業して、一生会えなくなってしまうよりマシな気がした。どの道、もう戻れないところまで泳いでいる。あとは沈むか泳ぎきるか。それに銀八の言うように、あの時言っておけば良かったと、そんな後悔の仕方をするのは嫌であった。これだけは明らかである。

「まぁ、お前が砕けたら欠片くらいは拾ってやるから」

「なんか骨拾ってやるって聞こえるアルナ!」

 神楽の口調は怒っていたが、もう湿った気分ではなくなっていた。決めたのだ。沖田へ自分の口から想いを伝えると。しかし、明日になればまた決心が鈍ってしまうかもしれない。それならば今すぐにでも伝えに行くべきだろうか……神楽はもし戻った教室に沖田が居たならば、明日にでも告白しようと決めたのだった。

「銀ちゃん、ありがとナ」

 軽く手を上げて返事をした銀八に神楽は背を向けると駆け出した。

 走りだした想いはもう止まらない。階段を駆け上り、廊下を走りぬけ、3Zの教室へと飛び込む。そして神楽の大きな瞳は部屋を見回して沖田を捜す。土方の隣――――いない。近藤の隣――――いない。山崎の隣――――いない。沖田は教室にはいなかった。これが運命なのだと気分は一気に落ち込む。沖田が教室に居なくても勢いに任せ告白をすれば良いだけだとは分かってはいるが、運にも見放されてしまっては絶対に成功などしないと思ったのだ。

 やけに感傷的な表情をした神楽は、今にも泣きそうな顔で足元に目を落とした。すると、後ろに誰かが立っている気配を感じた。

「テメー、さっきから邪魔なんだよ」

 神楽は息を切らしたまま、声の聞こえた後ろを振り返った。そこには紙パックジュース片手にこちらを見下ろす沖田が居たのだ。

「ぎぃやああああああ!」

 まさか自分の背後にいるとは思っていなかった。こうして顔を真っ赤に染めた神楽はしばらく保健室へ逃げこむと明日の告白に向け、一人ベッドの中で練習するのだった。

「す、すすすす、好きアル……い、違う、なんか違う……」

「神楽、ぬしはさっきから何をブツブツ言っておるのじゃ!」

 飛んできた月詠先生の声に神楽は急いで布団を被ると、寝たふりをしてどうにか誤魔化した。そうしている内に本当に眠気がやって来て、神楽は夢を見るのだった。