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優しい毒:04

 

 その晩、神楽は布団の中で土方の事を思い出していた。

――――その気もないのに、あんな事をして……

 真面目なのかふざけているのか、ただ酒癖が悪いのか。結局はどれを取っても土方が、どこか銀時に似ていると思うのだった。

――――きっとあいつに会いに行ったのだって、銀ちゃんを求めたから。

 神楽は自分が土方ではなく、そこに重なる銀時へ会いに行った事に気付いてしまった。少しずつでも前に進めていると思っていたのだが、これでは後退しているようなもんだ。だが今夜、神楽から落ち着きを奪ったのは、間違いなく土方十四郎であり坂田銀時ではなかった。倒れ込んだ土方を覗けば、青く見える灰色がかった瞳がこちらを向いていた。そして黒く芯のある髪が揺れて、大きな手が神楽を引き寄せようとしたのだ。思い出すだけで眠れない。どうせ眠れないのなら、ここではなくあの屋敷に居るべきだったのだろうか。神楽は寝返りを打ちながらそんな事を考えた。考えたが隣で眠る理由など…………それこそ持ち合わせていなかった。

――――寂しいから? 温かいから?

 もし仮にそんな理由だったとしても、男と女が寝屋を共にする事など言語道断だ。一度何もなかったからと言え、二度目はどうなるか分からない。いや、一度目だって銀時と土方を重ねて抱き締めたのだ。神楽は布団の上に体を起こすと頭を抱えた。

「何やってんのよ! ばかっ」

 神楽は身悶えすると、自分を罵った。しかしそんな事で恥ずかしさが消えることはなく、仕方がなかったと諦める外なかった。

 

 あれから何度も神楽は土方の家を訪れた。とは言っても会えない日はもちろんあって、そうそう都合良く土方がいるワケではない。明かりのついていない部屋。開かない戸の前に立つ度に、神楽は自分の心が残念だと悲しんでいることに気付いていた。それは自分の苦しみを癒すことが出来ないからか。神楽は自分の心が読めないと、その表情を暗くした。会えない日があると、どういうわけか益々その思いは募り、会わずにはいられなくなる。しかし、実際に会ったところで何か満たされるものがあるのかと言えば――――――空っぽであった。土方に会い、他愛のない話をしても胸に空いた穴が埋まる事はないのだ。ただの一時凌ぎ。何と無く満たされた気になっても、ウチへ戻ればまた空っぽになっている。それならばいっそ、あの家から帰らずに朝を迎えてみるのもありなのかもしれない。そんな事を考えてしまう程に神楽は土方を求めていたのだ。しかし、それが愛情と呼べるものかは分からない。都合良く側に居てくれるのならば、誰でも良いのかも知れない。答えはいつもスグには見つからないが、神楽はそれでも構わないと思っていた。理由が見つかれば、もう二度と会ってはいけない気がしたからだ。

 

 今日も神楽は土方の家を訪れた。いつものように土方に会って、ほんの数時間お喋りをして、そして帰ろう。そう思いながら玄関戸を叩いた。雲行きが怪しいような気がしていた。今夜は星も月も見えない。心なしか風も強く感じる。神楽は明かりのついた戸の向こうに視線をやると、戸が開かれるのを待った。

「神楽か?」

 聞こえて来た声に神楽は返事をした。すると戸は開けられて、土方が迎えた。

「珍しい時間に来たもんだな。まァ上がれ」

 咥え煙草の土方は煙が鬱陶しいのか片目を瞑りながらそう言うと、玄関の外に視線を移した。

「これ、天気崩れるぞ」

「傘ならあるわ」

 神楽は小さな紫の番傘を玄関の外に立て掛けると、家の中へと入って行った。もう何度目の訪問だろうか。神楽は客間へと通されると、いつもの場所に座った。

 あれから――――部屋に布団が敷かれることはもうなかった。神楽がこの屋敷で眠ることがないからだ。日をまたがない内に帰る。いつもほんの一時間程で神楽は土方とは別れていた。どちらも仕事と言う仕事などない。暇なら有り余るほどにある。だが、神楽も土方も共に夜明けを過ごすなど、どちらも考えてはいないようだった。だが、一般的に見て神楽の容姿は端麗であり、その美しさは息を飲む程だ。色の白さと瞳の青。それが魅惑的であり、反してやや憂いを帯びた顔がどこか危なげで放っておけないと思わせた。そんな神楽の事を土方がどんな風に見ているのかは分からなかったが、決して彼女の訪問を迷惑だとは思っていないようであった。寧ろ、どこかその表情は喜々として見えた。

 いつもなら客間の縁側で夜風に当たりながら会話をするのだが、今夜は先ほどから降り出した雨に大人しく室内に居た。雨音だけが聴こえる部屋。神楽は膝を抱え、斜向いで煙草を吸っている土方を見ていた。少し眠たそうな目と風呂上がりなのか乾き切っていない髪。神楽は何も話す事もなく、ぼんやりとそれを目に映していた。今夜は街を荒らしていたゴロツキ共を蹴散らしてから、そのまま家にも帰らずにやって来た。そのせいで少し遅い時間であった。いつもならそろそろ家へと帰る時間だ。

「もう寝たら? 眠いんでしょ?」

 土方は欠伸を噛み殺しているのか涙眼で神楽を見た。

「まだ零時前だ。俺は赤ン坊かよ」

 強がっているのか何なのか、土方はそんな事を言った。神楽はおかしいとプッと笑うと口元を手で押さえた。すると土方の顔付きが鋭いものへと変わった。

「何がおかしい」

 神楽は別にと言うと立ち上がった。

「ねぇ、お風呂貸してくれない? 今日は四人も男の相手をして来たから、早く洗い流したいの」

 そう言った神楽に土方は顔を歪めると、持っている煙草の灰が畳の上へ落ちた。

「おい、四人ってどういうことだァ!」

 神楽は突然大声を出した土方に驚くと、目を数回瞬かせた。

「今日は四人組のゴロツキが暴れてて、それで……」

 土方は自分の額に手を当てると急に謝った。

「いや、何でもねェ。大声出して悪かったな。風呂なら好きに使え」

 そう言って客間から出て行くと、自分の部屋へ戻って行った。土方の態度がコロコロと変わりよく分からない。何をそんなに苛立っているのか。神楽は首を傾げて土方の背中を見ていた。

 

 風呂から上がれば、既に午前零時を過ぎており雨脚は更に強くなっていた。神楽はと言うと、客間で一人膝を抱えながら、帰るタイミングを図っていた。折角風呂に入ったのだから汚れたくないという気持ちと、もっと雨が強くなる前に早く帰ってしまいたい気持ちとがせめぎ合っているのだ。

――――泊まってしまう?

 たまにそんな考えが湧き上がってくるが、やはりそれは駄目だと掻き消した。しかし、帰るのが億劫になる程に雨は激しくなっていく。そんな事を考えていると、客間の襖が開かれた。見れば布団を抱えた土方が立っていた。

「退け」

神楽はその言葉通りに部屋の隅に寄ると、何事かと土方を見ていた。すると土方は持って来た布団を敷くとしゃがんだまま神楽に言った。

「寝るも帰るも好きにしろ」

「な、何言ってんの! 帰るわよ!」

 神楽のその言葉に土方は立ち上がると、鋭い目付きで見下ろした。

「勝手にすりゃいいだろ」

 それだけを言うと、土方は客間を出て行った。残された神楽は敷かれた布団を見つめながら、もうほぼ帰ることを諦めるのだった。帰るとは言ったものの、帰る気力が削がれてしまったのだ。土方が“そろそろ帰れ”と言ってくれたなら帰ることが出来たものの……どちらでも好きにしろと言いながら布団を敷かれたのでは、帰らなくても良いと受け取らざるを得なかった。

 神楽は布団へと入ると目を瞑った。しかし、色々と考えが駆け巡る。どうして自分はここに居るのだろう。どうしてこんなに安心しているのだろう。そんな事を考えたせいで目が冴えてしまった。全く眠くないのだ。水でも飲もうかと神楽は台所へと向かったが、勝手に使うのもどうかと思い土方の部屋の前へと立った。襖の隙間からはいつかのように明かりが漏れており、土方はまだ眠っていないようだった。神楽は襖を軽く叩くと、声を掛けてみた。

「ねぇ、起きてる?」

 すると、少しして襖が開かれた。

「……なんだ?」

 神楽が残った事を何とも思っていないような土方の顔を見ると、神楽は水の事などどうでも良くなってしまった。何だがもう少し話がしたいのだ。

「あんたが寝るまでで良いから、ここに居させて」

 土方は思いも寄らなかったのか、神楽の言葉に瞳を揺らしていた。そんな土方の動揺に気付いた神楽は、取り繕うように言葉を続けた。

「勘違いしないでよね。ただちょっと暇してるだけで……ダメ?」

 神楽は自分がワガママを言っている事はよく分かっていた。どんな風に受け取られるかも、何か勘違いされてしまう可能性がある事も。だけど今はそうなってしまっても、もう構わないと思っていた。今夜ここへ泊まろうとしているのだ。その理由はただ雨に濡れたくないから。そんな単純な理由だけでない事は神楽も――――――土方も分かっているのだから。

「……入れ」

 土方はそう言って既に布団の敷いている部屋に神楽を招き入れると、襖をそっと閉めるのだった。

 

 煙草の匂いが充満する部屋は、暖かみのある小さな照明が灯っており、二人の影を壁へと映していた。神楽は平気そうな顔をしていた。いつもの憂いを帯びた表情で、それがやや冷たく映る。しかし、その顔の体温は高く、触るもの全てを溶かしてしまいそうなほどだ。

「眠れねェのか?」

 土方は煙草に火をつけると煙を天井へと吐き出した。その隣で膝を抱え座っている神楽は、土方の横顔を眺めていた。

「なんか色々考えちゃって。なんでわざわざこの家に来る時間作ってんのかとか、なんで帰らないのかとかね。そういうこと考えてたら、目が冴えちゃった」

 神楽がそう言うと、土方は壁に背をもたれて目を閉じた。

「それは俺があの野郎に似てるから……じゃねェのか?」

 神楽はそんな事を言った土方に言葉を失った。確かに神楽はどこか土方と銀時を重ねて見てしまう時があった。それを土方本人に見抜かれてしまっているとは、思ってもみなかったのだ。神楽は抱えていた膝を崩して脚を横へと流すと、視線を布団へと移した。

「初めてここへ来たあの夜、銀ちゃんが夢に出てきたの。でもやけにリアルで、触れたら温かいし、名前を呼べば返してくれるしで……確かに私はあんたを銀ちゃんだと思ってた」

 土方は黙ったまま、ただ煙草の煙を吸っては吐いてと繰り返しているだけだった。

「けど、違う。あんたを銀ちゃんの代わりだなんて思った事は、一度も無いわ。だって無理よ。あのモジャモジャは、あり得ないぐらいテキトーだし、足臭いし、いつも金欠だしで……」

「それでも好きなんだろ? 野郎のことが」

 土方の目はしっかりと神楽を捕らえていた。それに気付いている神楽はジッと固まると、何も答える事が出来なくなった。土方の言葉は何一つ間違っていなかった。銀時の事は今も昔も変わらずに愛していた。それと同様に新八の事も愛していた。いや、この町に暮らす者達が、この町そのものが愛しくて仕方が無かったのだ。

「そうね。あんなバカでも私には掛け替えのない大切な人よ。あんたんとこの大将だってそうでしょう?」

 土方は自嘲気味に肩を揺らし笑った。

「あぁ、確かにな。愛すべきバカだよ。あの人は」

「……そういうのと、ここに居る理由は違うから。だから悩むのよ」

 土方は黙ると煙草を灰皿へと押し付けた。

 沈黙が部屋を支配する。外に降る雨はあれから少し弱まり、心地よい雨音が聞こえていた。神楽は何も言ってくれない土方に不安を募らせると、こんなにも心を曝け出すべきではなかったと後悔をし始めていた。言ってどうしたかったのだろうか。俺も同じ気持ちだと言われる事を期待していたのだろうか。

――――馬鹿げてる。

 神楽は今夜がきっとここへ来る最後の夜になるだろうと感じていた。心を見せてしまった以上、後戻りは出来ないのだ。退路はない。たとえ逃げ出すにしても、もう前へと進むしかなかった。神楽は黙ったままでいる土方を弱々しい瞳で見つめ返した。

「もう寝るわ」

 眠れないと言っておきながら、なんて嘘臭い口実なのだろうか。胸の奥は冷たくて、刺すような痛みが走っていた。しかし、それに耐えて眠らなければいけないのだ。これは心を見せてしまった代償であった。吐き出して少しラクになる代わりに、現実を知らなければならないのだ。土方は神楽を求めていない。その実状を神楽は自分でも信じられないくらいに悲しいと思っていた。こんな事なら手など差し伸べてもらわない方がずっと良かった。土方の拒むことない態度が、神楽には優しい毒に思えてならなかった。甘くて懐かしくて温かい毒。ジワジワと知らない内に体の中へと広がって、いつの間にか神楽の全てを麻痺させたのだ。これが愛情なんだと。

 神楽は立ち上がると、いつまでも黙ったままでいる土方に別れを告げた。

「おやすみ」

 そう言って襖を開けようとしたら、土方が口を開いた。

「別に良いだろ。理由なんざ何だって」

 神楽は自分の背後から聞こえる声に襖に掛けていた手を下ろした。

「結局したいように動いて来たんだろ? なら頭で考えてたって無駄じゃねェか。心はどうせ求めて、もう嘘すら吐けなくなってんだ。見てりゃ分かる。テメェが何を求めてるのか」

 神楽はすぐ背後に迫る土方を振り返る事が出来ずにいた。目の前の襖を見つめて、震えそうになる情けない自分に下唇を噛み締めていた。

“悩んだって仕方が無い”

 土方の言葉は神楽に深く突き刺さった。背後から胸を貫き心臓を捕らえ、なのに痛むどころか心地が好い。これも注入された優しい毒の所為なのか。神楽は体がその毒を――――――土方を求めていることにもう気付いていた。このままでは命を落とし兼ねない。やはり、もう眠ってしまおう。神楽は襖を開け、背後の土方にもう一度別れを告げるのだった。

「おやすみ」

 だが、最後まで言い切らない内に神楽の口は、背後から伸びて来た手によって塞がれてしまった。

「分からねェか? テメェが求めるものを、俺は拒みはしねェって言ってんだ」

 神楽は苦しそうに呼吸をすると、自分の口を塞ぐ手を剥がそうとしてその体に触れた。

 僅かに震えていて、熱い。

 神楽は瞳を激しく揺らすと、恐る恐る土方を返り見た。そこには自分を見下ろす熱を帯びた目があって……神楽の体温が一気に高くなる。土方は一歩前に進み襖に手をつくと、神楽を体と襖の間に挟み込んだ。

「自分でも信じられねェが、たとえ野郎の代わりだとしても、それをテメェが望むなら俺は……」

 神楽は呼吸を止めると体が痺れた。言いたいことはいっぱいあった。ふざけんじゃないわよとか、誰も代わりにしてないだとか、余裕ある感じがムカつくだとか。しかし、言葉を紡ぐことは不可能なのだ。もう言葉も呼吸も唾液も何もかも、土方によって全て奪われてしまったのだから。遂に神楽の体内にまで毒は注がれ、ごくりと飲み込めば体が熱くなった。僅かな目眩と高揚感。神楽は堪らなくなって土方の首に腕を回すと、二人はまるで泥に沈むように崩れ落ちて行くのだった。

 

 雨音はポタリポタリと一定のリズムを刻んでいて、その合間に神楽の甘い声が聞こえる。神楽の白い肌は既に薔薇の花を散らしたかのように所々が紅く、それを土方は目を細めて見つめていた。

「ジロジロ見てんじゃないわよ」

 神楽は自分の体を抱くと、覆い被さるように見下ろしている土方に横顔を見せた。すると、土方は言われた通り見るのをやめにすると、大人しく神楽の体を抱いたのだった。神楽は土方の熱をその身に感じながら、自分は孤独ではないのだと、一人ではないのだと噛み締めていた。側に居てくれるのなら誰でも良い。初めはそうだったのかも知れないが、今となってはこの男だから頼りたいのだ。それは銀時に重なる部分があるからではなく、この男の魂に惹かれていたのだ。神楽は土方に髪も心も乱されると、土方の背中に爪痕を残し、朝を迎えるのだった。

 

 

 翌朝。すっかりと青空が広がり、天気は快晴であった。昼頃に目を覚ました土方は、自分の隣に眠っている筈の神楽が居ない事に気が付いた。既に布団は冷たく、神楽が抜け出てから時間が経っている事が窺えた。土方は布団から出て神楽を探そうとしたが、枕元にメモが残されている事に気が付いた。半裸の土方は足元で丸まっていた浴衣を適当に羽織ると、煙草を口に咥えメモに手を伸ばした。内容は簡潔なものであった。土方への感謝の気持ちと、もう自分は大丈夫だと言う言葉。大人になったのだから一人でやって行けると、その自信を与えてくれた土方には素直に感謝していると書いてあった。土方はメモを読みながら煙草に火をつけ、小さく笑った。

「テメェは良くても、俺はどーすんだ」

 しかし、そんな土方の思い切りの悪い言葉が神楽の耳に届く事はなかった。

 

 土方の屋敷から出た神楽は、清々しい気持ちで今にも崩れ落ちそうな瓦礫の上に立っていた。土方への想いは絶えず胸にある。それも高い温度で、その身を焦がす程だ。だが、もう頼ってはいけないと、腕からすり抜けてしまった。神楽は万事屋の神楽であり、その他の誰のものにもなるつもりはないのだ。いつか銀時が戻ってくれば、神楽は真っ直ぐに脇目も振らず、銀時の元へと駆け寄るだろう。しかし、それをも土方は平気な顔して受け入れるに違いない。神楽は土方を傷付けたくはなかった。愛しているからだ。ならば、そうならない内に土方の元から去るべきだと考えた。たった一夜かもしれないが、神楽は土方に愛されたという事実だけで寂しくないのだ。しかし、まさか土方の方が神楽を求めているなど思いもせず、その後、家まで押しかけて来た土方に神楽は再び心乱されるのであった。

 

2014/01/30

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