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修羅場:04(神楽side)

 

 神楽は自宅へ戻ろうと、とにかく走った。本当は銀八に引き留めてもらいたかったが、こんな泣き顔は見せられない。濡れた顔を伏せながら家を目指していた。

 そうして自宅の門扉の前に辿り着くと、家の前に停まっている一台のロードバイクに気が付いた。見覚えのあるネイキッド。神楽は鼓動の高鳴りに思わず胸を押さえると、自宅の玄関ドアから出て来た男に息を飲んだ。

 艶のある黒髪に、眼帯で隠れた左眼。薄気味悪く笑う顔は、昔と少しも変わっていなかった。

「神楽」

 馴れ馴れしく神楽を呼ぶ低い声。こちらへとやって来た男――高杉晋助は神楽の腕を捻りあげると、バイクの後部座席へ座るように促した。

「俺を無視出来るのはお前くらいのもんだ。飽きさせねぇ変わった女だ、てめぇはよ。それで――今日はもう逃げられねぇがどうする? 」

 神楽は高杉が嫌いであった。

 元々学生時代同じクラスだったが、学校にあまり来ない不良の高杉とは、親しくなるキッカケなど無いように思えた。しかし、不良の溜まり場となっていた自宅に帰れば、兄・神威の友人として高杉がいつもいるのだった。だが、不良と言ってもそろばん塾に通うなど、高杉は時々真面目な顔を覗かせる。

 悪い奴じゃ……ないアルカ?

 そうして次第に高杉に対する神楽の嫌悪感は薄らいでいったのだった。

 そして、それは突然訪れた。

 神威と遊ぶ約束をしていた高杉がいつものように自宅へとやって来たのだが、その日、神威は警察の厄介になり当分帰れないとの連絡が入った。神威の部屋で漫画を読んで待っていた高杉に、神楽は神威のことを伝える為に部屋へと入った。

「あのバカ兄貴もついにヤキが回ったアルナ」

 神威の事を高杉に伝え終わると、そんな事を言って神楽は神威の部屋から出ようとした。しかしドアが開かない。ふと頭上を見上げると、背後から高杉にドアを押さえつけられていたのだ。

「お前何して――」

 すぐ背後に感じる熱と覆いかぶさる影。そして耳元で聞こえた声に神楽の心臓は悲鳴を上げた。

「神楽、こっちを見ねえか」

 振り返ることなど出来なかった。身体が震えてそれどころではないのだ。高杉もそんな神楽に気付いてるのかククッと小さく笑うと、背後から神楽の身体を抱き締めてしまった。

「や……めろヨ」

 やっとのことで絞り出した声だったが、それは抵抗でも何でもなく、いたずらに高杉の昂奮を煽るだけであった。

「急に暇が出来たが、付き合わねぇか?」

「なッ! 不良とは遊ばんアル」

 神楽は自分の熱くなる顔にどうしてと、キツく目を瞑った。

「そうは言うが、お前も相当つまらねェなんて面して、退屈してる風だが……俺と愉しいことしねェか?」

 直球な言葉と態度。からかっているのか本心なのか、その声からは見抜く事が出来ない。神楽は爆発しそうな心臓にどうすれば良いか尋ねたが、その心臓はただ進めと囃し立てているようであった。

 確かに、日々同じことを繰り返すだけの退屈な日常。そんな日々から逃れたいと、ほんの少し好奇心が疼いた。

 神楽は背後から掴まれた顎に目を開けると、近付く高杉の右眼に熱を感じた。高杉が今から何を行おうとしているのか、経験の浅い神楽にもそれは分かっていた。

「嫌だって言ったらどうするアルカ?」

 だが、高杉は表情一つ変えずに答えた。

「言えねぇようにしてやるまでだ」

 そうして二人は重なると、一ヶ月という僅かな期間を恋人として過ごしたのだった。

 

 もう遠い過去の話。神楽はそう思って目の前の高杉を睨みつけていたが、あの瞬間に時が戻ってしまったかのような感覚に陥った。鼓動が煩い。

「今日は、お前があの日忘れていった髪飾りを届けに来ただけだ」

 あの日――それは神楽が高杉に振られた日であった。それと同時に高杉の家を初めて訪れた日。今でも忘れられない記憶として、神楽の胸の奥に残っていた。

「……捨てれば良いダロ」

 すると、高杉はニヤリと不気味に笑った。

「捨てられねェ男の気持ちを考えたことはねぇのか? まさかお前……まだ初心な身体のままじゃあるめェな?」

 そう言って高杉は神楽の長く伸びた髪に触れると唇をつけた。だが、その表情は一瞬にして曇ると、神楽を恐ろしい眼で見下ろした。

「……銀八?」

 神楽は突然、銀八の名前を出されて驚いた顔をした。その顔が全ての答えを示していた。気付いた高杉は神楽を乱暴に家のブロック塀に押し付けると、小さな顎を強く掴んだのだった。だが、神楽もおとなしくヤられているワケにはいかないと、出来るだけ激しく抵抗した。なのにそれは足掻きとしか見えず、悲しいまでに弱く映った。

「離せヨ! ゴルァ!」

「そうか、神楽。おめェは銀八と……ヨリを戻さねェかと言ったが、あれは冗談のようなもんだ。忘れろ」

 乱暴な行動とは対照的に、穏やかで落ち着いた口調。神楽は暴れるのをやめると、高杉の右眼を訝しげな顔で見上げた。

「それで――おめェの目が赤く泣きっ面に見えるが、それはあいつのせいか?」

 神楽は顔を横に向けると関係ないダロと吐き捨てた。こんな状況に追い打ちをかけるように、更に嫌な事を思い出したくはないのだ。

「相変わらず、ふざけた気色の悪い男だ。お前を泣かせて放っておくたァ、他に女でもいるんじゃねェか?」

 神楽はその言葉に鼓動が速まると、額に汗が滲むのが分かった。

 銀ちゃんに限ってそれは無い……

 そう思おうとするのに、さっきの必要以上に怒ったような態度や自分を嫌う目つき、高杉の言ったような事を考える材料は多いにあったのだ。

「乗れよ」

 高杉はそう言って神楽を離すとヘルメットを投げた。その意味を神楽は分かっていて、更についていけばどうなるか、それすらもハッキリ分かっていた。

 銀八との関係を戻したいのなら、ついて行ってはいけない。だが、いっそ壊してしまった方がラクになれる気がするのだ。

 神楽はヘルメットを抱えたまま地面を見つめた。隠しようのない程に揺れ動く気持ちが存在して、あと一回でも押されたら簡単に落ちてしまいそうな状況であった。

 色男の上手い口車。それは分かっているのだが、分かった上で騙されてみたい気もしていた。だけど、高杉は信用ならない男だ。過去にあんなに愛し合っていたのに、神楽を振って捨てたのだ。それも突然に。

 神楽は答えが出せないまま、振られたあの日を思い出すと眉間にシワを寄せたのだった。

 

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