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修羅場:03(神楽side)

 

 神楽はその日、仕事が早く終わり、銀八のアパートへ向かおうとコンビニでお菓子を選んでいた。

 銀八とはもう三週間は会えておらず、いくら食べ物が大好きな神楽でもこう仕事ばかりでは参っているのだった。せめて銀八と数時間でも一緒に居られたら、それだけで残りの仕事も頑張れそうな気がしていた。だから一刻も早く会いに行きたい。

 神楽はお菓子もほどほどにコンビニから出ると、銀八のアパートを目指した。その時だった。ケータイの着信音が鳴った。短いメロディー。これはメッセージの受信を意味していた。神楽は銀八からだと思い喜んでケータイを見ると、一瞬にして笑顔が消えてしまった。

「……しつこいアル」

 神楽はメッセージに目を通すとボソリと呟いた。愛しい彼からのものではなく、元カレからのメッセージであったのだ。別れたのは学生時代。付き合ってた期間など一ヶ月程だ。なのに神楽がテレビに出だしたからなのか、急に連絡が来るようになったのだ。それにはウンザリとしていた。

「振った癖に何アルカ」

 神楽はケータイをポケットにしまうと、銀八に早く会って何もかも忘れさせてもらおうと走り出した。

「あり、チャイナ娘?」

 小さな喫茶店の前を通った時だった。見たことある人物が神楽に声を掛けた。神楽は通り過ぎようかと思ったが、あまりにも久々の再会にその足を止めたのだった。

「おう! サド野郎!」

 神楽は引き返すと、喫茶店から出て来たばかりの沖田総悟と立ち話を始めた。互いに似たような業界に入り、忙しく毎日を過ごしている。たまに連絡を取り合う事もあったが、その姿を見るのはもっぱらテレビ画面の中であった。

「なんかお前、どSの癖に人気らしいアルナ」

「てめーこそ、食うだけで金貰えて、随分とラクしてるらしいな」

 神楽はラクなんてしてねーヨと言い返そうかと思ったが、公衆の面前で派手に揉めて週刊誌のネタにされては困ると嘘くさい笑顔を作った。

「こんな場所じゃなかったら、お前をボッコボコに殴りつけてるところアル。出会った場所に感謝しろヨ」

 神楽の目は笑っておらず、裏路地なんかで出会っていればスグにでも殴りかかっていた事だろう。すると、沖田は周囲を見回すと急に神楽の腕を急に取った。

「俺も久々で随分溜まってんだ。チャイナ、相手しやがれ」

「おう! 望むところネ!」

 沖田はそう言うと、神楽の腕を掴んだまま裏路地へと歩いて行った。

 

 神楽は持っていた荷物を地面に置くと、沖田と向かいあった。神楽も暴れ回るのなんていうのは久々で、相手が沖田なら気兼ねなく拳をぶつけられると嬉々とした。

 神楽は沖田の胸ぐらを掴みに行くと、沖田も負けじと神楽の体を押してビルの壁に押しやった。その瞬間、鋭い閃光が走った。

「キャアア!」

 神楽は余りの眩しさに眩暈を起こすと、沖田の身体へもたれ掛かった。

「オイ! てめぇ、どこのモンだ!」

 沖田は閃光が放たれた方へ怒鳴ると、一人の男が走って逃げて行った。それを沖田は追いかけて行こうとしたが、神楽を置いて行けないと思ったのか男を追うことを諦めた。

「今週いっぱいは騒がしくなりそうでィ」

 そう呟いた沖田に神楽は顔を歪めた。

「どういう意味アルカ?」

 神楽が沖田にガンを飛ばすと、沖田はハァと息を吐いた。

「てめぇ、何も分かってねぇだろ。今の奴がどこのどいつで、俺たちがどんな目に合ったのかも」

「……もしかしてッ!」

 神楽たちはいつからか週刊誌の記者に尾行されていて、裏路地に入ったところをスクープされてしまったのだった。

 どうしよう、そうやって神楽と沖田が話していると、神楽のケータイが再び鳴ったのだった。今度こそ銀八かと思ったが、そこに表示されている番号は所属事務所のものであった。

「俺も今掛かって来てる。とりあえず、てめーはあった事を正直に話せ」

 そう言って沖田は電話に出ると、神楽も嫌な予感しかしなかったが電話に出る事にしたのだった。

 そのあと、両者は揃って事務所に呼び出された。撮られた写真がどこからどうみても恋人の逢引にしか見えない事から、どんなに二人が説明したところで出回る記事を訂正させることは出来ないのだった。

 事務所の連中からこっぴどく怒られた神楽がようやく解放されたのは、午前零時を回った頃だった。事務所には当面外出禁止と言われたが、神楽はどうなっても良いからと銀八に会いに行きたかった。だが、会って写真の事を説明するのにも気力がいる。そう思うと、その日神楽は諦めて家に帰ることにしたのだった。

 

 翌日、神楽は仕事の合間に銀八に電話を掛けたが、タイミングが悪いのか銀八が出ることはなかった。仕方が無いので神楽は、沖田との記事が出ることをメッセージで送っておいた。

 世間がどう騒ごうが担任であった銀八なら、自分と沖田が喧嘩をしようとしていた事を信じてくれる。神楽はそう強く思っていた。

 しかし、銀八から神楽への返信はなく、ついに週刊誌が発売される日を迎えてしまった。

 

 

 

 衝撃的なタイトル。

“大食いアイドル! 大物新人落語家を食う!”

 神楽はコンビニでそんな記事を立ち読みすると、重い足取りでコンビニから出た。そして、会えるかどうかも分からないが、銀八の住むアパートに向かったのだった。

 家の灯りはついている。神楽はインターホンを押すとドアが開かれるのを待った。すごく疲れた気分なのに、これから更に疲れるかと思うと、好きな男に会いに来たのになんでだヨと暗い気持ちであった。

「なに?」

 しばらくしてようやくドアが開き、僅かに開いたドアの隙間から銀八がこちらを見下ろした。久々に見るその顔。今スグにでも抱きつきたいのに、冷たい瞳が神楽を跳ね返した。

「記事のこと、ちゃんと説明したいアル」

 銀八はドアの外を確認すると、神楽の腕を引っ張って急いで室内へと招き入れた。少し乱暴な銀八の対応。神楽は銀八が怒っている事に気付いていた。室内もやけに散らかっており、相当荒れている事が窺えた。

 神楽は靴を脱いでリビングへ行くと床に座った。銀八はと言うと、ソファーにどっしりと腰を下ろして神楽を――汚いものでも見るように蔑むような表情で見下ろした。

「で、あの日、俺ん家に来るつってたよな? それが沖田君とイヤラシイ事して無理になったって?」

 神楽は顔を真っ赤にすると、下唇を噛み締めた。怒っているのだ。確かに軽率だったかもしれないが、実際には本当に殴り合おうとしてただけで、銀八が考えるような事は一切無かった。

「もしかしてお前さ、沖田君と俺と二股かけてたワケじゃねぇよな?」

 神楽はただ静かに首を振った。何故、銀八は信じてくれないのか。沖田と神楽が取っ組み合いの喧嘩ばかりしていた事は、よく知ってる筈なのだ。それなのに何が銀八を荒れさせるのか。神楽は全く分からなかった。

「信じてもらえんアルナ。それは仕方が無いって思うけど、私は本当に心底銀ちゃんが大好きアル」

 そんな言葉を口にすると涙が溢れた。だが、神楽を銀八は冷めた目で見つめている。

「……お前、女優でもやっていけるんじゃね?」

 神楽はもう何も言葉が出なかった。関係が終わる。それだけが頭の中でグルグルと回っていた。

 こんなに好きなのに。ずっと大好きなのに。この関係を終わらせることは、仕事を辞めるよりも辛い事であった。

 神楽にとって銀八はずっと大好きな先生だった。それが卒業後、一人の男性として心から愛し、その想いが喜ばしい事に結ばれたのだ。ようやく手に入った温かい愛。神楽はいつまでも大切にしていきたいと思っていた。なのに、こんな事で壊れてしまうなんて――神楽には受け入れ難い現実であった。

「どうやったら信じてもらえるか分からないアル。だけど、銀ちゃんが信じてくれないのは、私がアイドルだからデショ? 高校生だったらサド野郎と喧嘩してるだけだって思ってたデショ?」

 神楽は銀八を失うくらいなら、アイドルなんて肩書きは捨ててしまおう。そんな事を考えたのだ。

 床から立ち上がると、神楽は鞄を抱えた。そして息を吸うと、出来るだけ柔らかい笑顔を作った。

「私、アイドル辞めるアル。明日からずっと銀ちゃんと居るヨ。だから……」

 捨てないでヨ。

 神楽は最後まで言えずに銀八の家から飛び出した。

「お、おい! 神楽!」

 銀八もソファーから立ち上がったが、神楽の身体はスルリとすり抜けていき、引き留めることは出来なかった。

 

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