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修羅場:01(銀八side)

 

 高校を卒業後、神楽は担任教師であった坂田銀八と頻繁に会っていた。元々、銀八を慕っていた神楽は卒業後も変わらず銀八に近況を報告するなどして、いつまでも銀八を頼っているようであった。

 今日も仕事終わりの銀八のケータイに神楽から連絡が入る。

“駅前のマック”

 それだけを見ると銀八は、スクーターを飛ばして指定された場所へ向かうのだった。

 

「銀ちゃーん!」

 スクーターを停めて店内へ入れば、窓際のカウンター席からこちらに手を振る神楽を見つけた。

 卒業後、大食いアイドルとして芸能事務所に入った神楽は、すっかりと女性らしい雰囲気をまとっていた。着ている半袖のブラウスや桃色のシフォンスカート、それらが神楽の可愛いらしさを引き立てていた。

 銀八は仕事帰りで白シャツにネクタイ姿だったが、汗ばむ気温にネクタイを外してしまうと神楽の隣に座ったのだった。

「で、今日はなんだよ」

 銀八は神楽が食べていたポテトを一本口に放り込むと要件を尋ねた。

「ひとのポテト勝手に食うなヨ!」

 神楽は怒って頬を膨らませたが、ハァと息を吐くと、銀八にポテトの入った袋ごと差し出した。

「えっ? どしたよ」

 日頃から食い意地の張った神楽が自ら食べ物を差し出すなど――天変地異の前触れかと銀八は顔を青ざめさせた。

「はぁ? ちょっ、お前どこ行くんだよ」

 席を立った神楽はトレーを片付けてしまうと、銀八に店から出るようにと促した。そして店から出た神楽は銀八のスクーターの座席に飛び乗ると、ヘルメットを頭に被った。

「銀ちゃん家、行くアル!」

 突然何を言い出すかと思えば……

 銀八はあまり覇気のない疲れた顔で神楽を見下ろすと、ヘルメットを軽く叩いた。

「バーカ、誰が連れて行くか。ほら、降りろ」

「いってェアルナ!」

 神楽は大袈裟に頭を押さえると、銀八を涙目で見つめた。

「……ちょっと話聞いて欲しかったアル。でも、やっぱりもう良いネ」

 神楽はそう言ってヘルメットを脱ぐと、銀八の胸に押し付けた。そしてスクーターから飛び降りると“さよなら”とらしくない挨拶をしたのだった。

 それには銀八もさすがに帰す気にはなれなくて、半袖のブラウスから伸びる白い腕を捕まえた。

「話なら聞いてやるから。だけど俺ん家はダメだわ」

 神楽が顔を上げて銀八を見つめた。

「なんで駄目アルカ?」

 ヘルメット越しに叩いた痛みなどしれているだろうが、神楽の目にはまだ涙が溜まっていた。銀八はそれから一度目を逸らすと、神楽の腕から手を離した。そして癖の強い髪を強めに掻き毟る。

 どうするか。元教え子とは言え、神楽は今やアイドルなのだ。一瞬悩んだ銀八だったが答えは出ている。神楽を放っておくことなど、銀八にはどうしても無理なのだ。それは元教え子だと言うこともあったが、こんな掃き溜めのような街の中で不安そうな少女を置いて行けばどうなるか。その結果が目に見えている以上、放置するのは気が引けた。

「お前が良いってなら……まぁ良いけど、俺は」

「じゃあ、早く行こうヨ」

 神楽はそう言って再び後部座席に乗ると、微笑むこともなく銀八を見つめた。その冷たく見えるほど落ち着いた瞳がどこか神楽の成長を感じさせる。

 銀八は生温い風に撫でられ不快そうに顔を歪めると、運転席へと跨がった。

「家、片付いてねーから」

「いいヨ、別に」

 神楽はそう言って銀八の腰へとしがみついた。それが余計に銀八の体へ不快感を与える。湿った下着やシャツが肌へとへばり付く。

「あと、帰ったらまず風呂に入らせろよ? 話はその後で聞いてやるから」

 キーを捻ってエンジンをかけると、背中の神楽の声が聞こえづらくなった。

「いいヨ、背中流してやるネ」

 冗談か聞き間違えかそんな言葉が聞こえた気がした銀八は、スクーターのエンジンのように心臓を燃やすと、自宅へ向かったのだった。

 

 翌朝、重い頭と痛む体に小さく唸って目が覚めた。銀八は布団から出ることなく、目覚まし時計に手を伸ばすと時間を確認した。

「まだ六時かよ」

 今日は仕事が休みで、特に用事もない。更に言えばお金もない。銀八はもう一度寝ようと思って寝返りを打とうとした。そこで目に入る。長く鮮やかな色の髪と対象的に雪のように白い背中。

 銀八は急いで布団の上に身体を起こすと、自分が何も身に着けていない事を知った。

「やべ、そうだった……」

 忘れていたが、昨晩銀八は家に来た神楽と――天変地異が起こってしまったのだ。

 微かに残る神楽の甘い声が銀八の頭で響く。それが鮮明に蘇って来ると、映像まで流れ始める。貪欲に欲する若い肉体に、女の匂いを漂わせた仕草。思わず堪らなくなった銀八は、眠っている神楽に背後から抱きつくと、寝起きにも拘らず神楽を貪り食ったのだった。

 

 

 

 そうして銀八と神楽は結ばれて、更に一ヶ月が経った。仕事の合間を縫っては神楽が銀八の家を訪れ、愛を順調に育んでいた。仲は悪くない、寧ろバカがつく程に良い。だからなのか銀八は、神楽の行動や思考や言葉や身体、その全てを自分が支配したいとすら考えるようになっていた。しかし、それがどれ程に気味が悪いことかは分かっている。だから、神楽にそんな素振りを見せないように努めていた。なのに、神楽がふとした瞬間に弄るケータイに気分が悪くなる。誰とやり取りしてんだよ。思わずそんな目つきで見てしまう。

「ん? なにアルカ、銀ちゃん?」

 何も知らない神楽は丸い目でこちらを見ると、不思議そうに首を傾げる。

「あ? 何でもねぇよ。それより神楽。こっち来いよ」

 こんな時、銀八は決まって神楽に口付けをする。それで確かめるのだ。コイツは俺のものなんだと。

 そうして自分とのキスに頬を染める神楽に銀八は安心すると、その柔らかな身体を抱き締めて離さない。

「きゅ、急にな、ななななんダヨ!」

 神楽はまだこう言った行為に慣れないのか赤い顔で身を捩る。だが銀八は逃がさない。そのまま離す事なく床に倒してしまうと、いつも二人は絡まって深い夜へと落ちて行くのだ。

 

 真夜中、銀八は電子音で目が覚めると、枕元に置いてある神楽のケータイ画面が光っていた。銀八は丁度喉も渇いており、身体を起こし何気なしに神楽のケータイ画面に目をやった。

“お前があの日、俺の家に忘れていった――”

 その言葉が目に入った瞬間、身体の奥の方がカァと熱くなり口の中に苦味が広がった。

 俺ん家ってどういう事だよ。

 痛み始める胸を摩ると、息を吸うという当たり前の行為すらも上手く出来なかった。吸っても吸っても身体に空いた穴から酸素が漏れ出すようなのだ。

「参ったわ……」

 銀八は思わずそんな言葉を零した。症状は思っているよりも重く、神楽が男と会っていることを嫌う自身に恐怖を感じた。

 生きてりゃ他の野郎と会うのなんて事は当たり前だろ?

 いちいち疑ったり嫉妬したり、そんなことをしていたのでは身が持たない。だが、愛する女が自分以外の男の家に上がったとなれば……街でバッタリ会うなんてものよりも、深い関係を疑わずにはいられなかった。

 銀八は安心しきって眠っている神楽の寝顔を見下ろした。その目は鋭く冷たい。愛しい女を見つめる眼差しとは程遠いものである。どうしても考えてしまうのだ。メッセージを送って来た相手と神楽の関係を。もしかすると、友人数人で遊びに行っただけなのかもしれない。この相手とはサシで会うことはないのかもしれない。そう考えようと頑張るのに脳はラクな方へと思考を転換し、疑い始める。

「あ、水」

 そう言えば喉が渇いて目が覚めたことを思い出すと、銀八は寝室から出ようとして立ち上がった。すると、また神楽のケータイが鳴った。銀八はチラリと足元に目をやると、再びメッセージが届いたことを確認して寝室の襖を開けた。そして足早に台所へ向かうと、水道の蛇口を捻り頭から水に突っ込んだ。

“ヨリを戻すつもりはねェか?”

 目に焼き付いて離れないメッセージ。今届いたばかりのどこの誰かが紡いだ言葉。銀八は奥歯を強く噛み締めた。

 元カレってことかよ!

 銀八は学校での神楽をずっと見て来た。卒業後もこうして側にいるのだ。なのに、神楽に恋人がいた事には一切気付かなかった。

 ずっと俺一筋じゃなかったのか?

 いつも銀八の腕を取っては引っ付いて、誰か他に好きな男がいるようには到底思えなかったのだ。

 銀八はずぶ濡れになった顔を手で拭うと、水を腹に流し込んだ。

 相手は誰だ? まさか3Zの中に?

 銀八の思考は次第に“元カレ”探しに夢中になった。神楽の交友関係をだいたい把握している銀八は、よく一緒にいた男子を頭に思い浮かべた。志村新八、沖田総悟、長谷川泰三、桂小太郎……ろくな連中じゃねぇなと銀八は思わず苦笑いを浮かべた。さすがにこの中にはいないだろうと思ったが、念の為に確認してみるかと考えた。明日から順番に会ってみて、神楽の元カレが誰なのか突き止めるつもりなのだ。だが、神楽本人にはバレたくはない。男らしくないなどと言われ、嫌われる事だけは避けたい。

 銀八は眠れそうもなかったが、神楽の隣に戻ると静かに目を閉じるのだった。

 

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