三つ巴:04
【土方十四郎:08】
土方は授業終わりの休み時間に、保健室から戻って来た近藤を教室の外へ連れ出していた。行き着いたのはひと気のない屋上で、転落防止フェンスに背中をつけると二人は並んで立った。
「近藤さん、何があった?」
突として土方が隣の近藤の顔を見ながら尋ねると、近藤の視線が足元に落ちた。
「何ってなんだ!? まさか俺が休んでる間に、お妙さんに恋人が出来たなんてことねぇよな!」
そんな事を言いはしたが、近藤の横顔は珍しく“志村妙”のことを考えてはいない風であった。声にも焦りが混じっている。土方はそんなことに簡単に気付くと、近藤の肩に手を置いた。
「保健室で何があったか知らねェが、俺に隠し事はやめてくれ。あんたは隠し事が下手だからな。嫌でも分かる」
近藤は土方の方へ顔を向けると、軽く目を細めた。
「やっぱりトシにだけは話しておくか」
諦めたのか近藤は頬を掻くと再び足元へ視線を落とした。土方はそんな近藤の口から言葉が紡がれるのをただ待っていた。
「……総悟には言わんでくれ」
それは思いもよらない言葉で、土方は一旦ストップと話を遮った。
「なんで総悟には言えねェんだ?」
「話せば分かる」
近藤はそれだけを言うと、やや頬を赤らめてズボンのポケットに両手を突っ込んだ。そして声を潜めて話し始めた。
「さっきな、どういうワケか保健室で――」
近藤の口から語られた話は土方の想像を遥かに超えるものであった。正直、教師に怒られたなんて部類の話だと思っていたのだが……まさかクラスの女子、それも神楽と狭いベッドの上で抱き合っていたなどとは思いもしなかった。
話を聞き終えた土方は自分のことではないのに、体が熱くなり震えている気がしていた。隣の近藤も似たような感じで先程よりも顔が赤く、保健室での出来事に再度興奮しているようであった。
「そういうわけで特に総悟には言わんでくれ。頼む」
土方は近藤もずっと自分と同じ考えでいた事をこの時はじめて知ったのだった。
“総悟はチャイナ娘に惚れている”
口に出して確認することはなかったが、何と無くそんな気がしていたのだ。それは自分だけの勘違いかも知れないと思っていたのだが、近藤にも自分と同じように見えていたらしい。本当のことは沖田に聞かなければ分からないが、ほぼ確定で間違いないのではと思っていた。
「総悟にも誰にも言わねェよ」
「すまねぇな」
そう言って軽く笑った近藤にいつもの陽気さを見つけると、どこかホッと安心した。
「マヨ丼くらいは奢ってくれ」
土方は近藤の肩を叩くと階段へと歩き出した。その背中を追うように近藤もフェンスから背中を離すと、二人は屋上を後にした。
土方はそのあと授業中にも拘らずうわの空であった。やはりよくよく考えてみると親友がクラスの女子と理由もなく抱き合ったなど、今までにない衝撃的な出来事なのだ。
「センセー! 桂くんの髪が邪魔で前が見えませーん!」
「リーダー! 俺のせいではない! 眼鏡の度が合っていないだけだろう!」
前の方の席で桂と言い合っている神楽の姿が目に入った。どうってことのない、いつもと変わらない様子だ。だが、ほんの数十分前までは近藤と抱き合っていた。その時の神楽は一体どんな顔をしていたのだろうか。不意にそんな事を考えたせいか、土方はトイレでの神楽の姿を思い出してしまったのだ。
濡れた夏服がピッタリと体に張り付き、透けた下着がハッキリと浮かび上がっていた。そして、その乳房を沖田の手が包み込んだ瞬間に神楽の顔は――――土方はクラス中の視線が自分に向けられている事に気が付いた。その中には勿論、今頭の中で卑猥な格好をしている神楽もいた。
まさか何か無意識に口にしたのだろうか?
そう思って焦ったが、黒板の前に立つ銀八の声で状況を把握した。
「オイオイ、もしかして読めねぇのか? この漢字」
土方は黒板に焦点を合わせると、そこに書かれている文字を小声で呟いた。
「……みつどもえ」
「はい、じゃあ教科書にも書いてるように……ってヤベ! これジャンプだったわ!」
どうにか全ての視線から逃れる事の出来た土方だったが、まだ二つの目ん玉がその背中を見ている事など知りもしなかった。知りもしないからか、再び土方は神楽の事を考え始めると少しだけ汗を掻くのだった。
【近藤勲:09】
近藤はこの日一日、沖田を避けて行動した。後ろめたい気持ちでいっぱいだったのだ。やってしまった事は今更どうしようもないのだが、知られてしまうことを恐怖に感じていた。
図体はデカいのに、どうしてこうも肝っ玉は小さいのだろうか。近藤はそうやって自分を嗤った。
昼休みもいつもなら教室でお妙の姿を目に映しながら土方と沖田と弁当を食べるのだが、今日は教室から逃げ出して別館の非常階段にいた。
たまには一人で静かに食べる弁当もイイもんだ。
そんな事を思い、ふと向かいにある本館の屋上に目をやると……
「チャイナ娘?」
神楽の姿があった。その隣には銀八がいて、二人はそこで休憩しているようだった。
何を話しているのか。普段なら気にならないそんな事が気になった。今日ばかりは告げ口されやしないかと心配だったのだ。他言はしないと約束はしたのだが、早速自分は破ってしまった。ならば、神楽も誰かに言っているかも知れない。そんな風に思ったのだ。
今更、教師からの評価などは期待していないが噂になれば厄介だ。仮にもし神楽が後から“無理やり抱きつかれた”と言えばそれだけで近藤の人生はそこで終わるだろう。
一気に食欲の失せた近藤は弁当を残すと、神楽に確認したくて堪らなくなった。急に不安になったのだ。
そうして近藤は神楽のいる屋上へと伸びる階段前まで来ると、神楽が出て来るのを待ちぶせする事にした。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った時だった。屋上からパタパタと階段を下りて来る足音が二つ聞こえた。先に下りて行く銀八とその後ろを歩く神楽。近藤は廊下の影から様子を窺うと、タイミングを見て後ろを歩く神楽が目の前を通り過ぎる瞬間に手を引いたのだった。
「うお!」
神楽を影に引き込んだ近藤だったが、咄嗟に神楽の口を手で押さえると銀八が下りて行くのを待った。
「悪いな、チャイナ娘」
そう言って近藤が手を離すと、神楽は何のつもりだと激しく怒った。
「今日のお前何アルカ!? 抱きつくだけじゃ飽き足らず、誘拐まで!」
「ご、誤解だ! ただお前に確認しておきたくてな」
神楽は近藤を睨んだまま両腕を組むと片眉をつり上げた。
「早く言えヨ」
近藤はゴホンとわざとらしく咳をすると、小さな声で言ったのだった。
「保健室でのこと、銀八に言ってねぇよな?」
すると神楽は近藤のシャツの胸元を鷲掴んだ。
「言えるワケないダロ! お前に抱き締められてドキドキしたなんて絶対に」
「え? ドキドキ?」
次の瞬間、神楽の顔は真っ赤に染まり、分厚いレンズの眼鏡が鼻先までずり落ちた。神楽の宝石のような青い瞳が近藤の目に飛び込む。
美しい。息を飲んだ。今まで気付かなかったが、神楽の整った顔と青い瞳に近藤は一瞬にして魅了されてしまった。そのせいで動けなくなっていると授業開始のチャイムが鳴り、二人の遅刻は確実となってしまったのだった。
近藤は同じように動けなくなっている神楽の手を自分のシャツから離してやると、ようやく神楽は眼鏡を上げた。
「……お前こそ誰にも言うなヨ。言ったらただじゃ済まないアル」
真っ赤な耳と伏せられた顔。神楽が先ほど口走ってしまった言葉は紛れもない本心のようだ。何故だか近藤までも恥ずかしくて堪らなくなってしまった。顔が熱くなって目の前の神楽に緊張した。
「と、とりあえず教室へ戻るぞ!」
近藤はそう言って駆け出すと、神楽と二人で授業の始まる教室へ急いだのだった。
【神楽:09】
昼休み。神楽はいつものように屋上で休憩している銀八と並んで座っていた。二人は先ほど売店で買ったパンに噛り付くと、他愛ない会話を繰り広げていた。昨日観たテレビ番組の話や学校の七不思議、他はあらゆる噂話であった。そんな時、ふと神楽が漏らした。
「銀ちゃん、男子って何考えてるか分からんアル」
今日はずっとスカートめくりをした沖田と、抱き締めてきた近藤の事が頭の中をぐるぐると回っていた。
「どしたのお前? 恋でもしたの?」
銀八は軽く笑いながらそんな事を言ったが、神楽はあながち間違いでもないと思っていた。
「まぁナ。ドキドキするアルからな」
頭の中を食欲ではなく男子が占めているなんて、今までにはない経験であった。もしかするとこれが恋なのかも知れない。神楽は膝を抱えるとフゥと息を吐いた。
「ドキドキくらい階段駆け上がっただけでもすんだろ。お前それ勘違いじゃねーの?」
しかし、神楽はそんな風には思えなかったのだ。その理由は今までに経験した事のない胸の高鳴りだという何とも曖昧なものであったが、他にこの気持ちを譬えることが出来ないのだ。
「階段駆け上がったドキドキは少し休憩したら収まるけど、このドキドキは……なんかもうずっとアル」
沖田に胸を触られたドキドキ。保健室で近藤に抱き締められて感じたドキドキ。それは今もまだ神楽の体の中で反響し、弾け飛んでいた。
「相手は誰だよ? もしかして……」
銀八の大袈裟に驚いた顔が神楽に向いた。神楽は口をへの字にすると、言わないでくれと首を左右にブンブン振った。
「まぁ、誰であっても驚くけどな」
銀八はそう言って、着ている白衣のポケットから棒付きキャンディーを取り出すと口に咥えた。
「一応言っとくけど、お前チュウまでだからな」
すると神楽は銀八の頭を景気良く叩いたのだった。
「そ、そんなんしないアル!」
「叩くことねーだろッッ!」
そんな事を言って騒いでいると、あっという間に昼休みは過ぎた。腰を上げた二人は、チャイムが鳴ると同時に屋上のドアを開けると階段を下って行った。
次の授業は英語だったアルな。
そんな事を神楽が考えていた時だった。廊下の影から伸びてきた手に突然引っ張られたのだ。そして大きな手で背後から口を塞がれると、この人物が誰なのか確認しようとして後ろを見上げた。
「悪いな、チャイナ娘」
神楽はこの人物が近藤だと分かると、胸の奥のドキドキが前面へと飛び出した。正直、近藤の事を好きかどうかは分からないのだが、触れられるとドキドキするのだ。それは男子なら誰にでもなるのか、それとも近藤だからそうなのか。神楽は軽いパニックを起こしていて冷静に判断出来なかった。
「今日のお前何アルカ!?」
自分もおかしいと思っていたが近藤も同じくらいおかしいと思っていた。何か用があって神楽を訪ねたのだろうが、それは一体何なのか。もしかするとまた抱き締めたいなんてものか? しかし近藤は色々と誤解だと、神楽に確かめたい事があると言った。その言葉に神楽は少し落ち着きを取り戻すと、近藤の言葉を待ったのだった。
「保健室でのこと、銀八に言ってねぇよな?」
話すワケがないのだ。話せるワケがないのだ。神楽は咄嗟に近藤のシャツの胸元を掴むと、強い口調で言い放った。
「言えるワケないダロ! お前に抱き締められてドキドキしたなんて絶対に」
そして神楽は後悔した。勢いあまるとロクなことがないと。しかし今更口から出た言葉が戻ることはない。どうする事も出来ずに固まってしまった。
そうしていると授業開始のチャイムが鳴ったが、神楽はもう勉強どころではない。どうやって誤魔化すか言い訳をするか、そんな事で頭がいっぱいであった。
“ドキドキくらい階段駆け上がっただけでもすんだろ”
そんな銀八の言葉を思い出した神楽はどうすることも出来ず、自分で自分を慰めるほかないのだった。
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