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レディバード:09


 次に神楽が気付いた時には、その身体はフカフカの布団の上にあった。小さな照明だけが部屋を照らしていて、ぼんやりとした視界の先にいる男は上半身が裸であった。

 は、裸!?

 神楽が慌てて飛び起きると男は――――土方は手に濡れたタオルを持ったままこちらに振り返った。どうも風呂上がりのようで、髪も湿って見えた。と言うことはここは土方の家なのだろうか?

「なんで私、ここに?」

 土方は煙草を咥えたまま浴衣に袖を通すと神楽に言った。

「あの後、迎えに来させた車の中で寝ちまっただろ? 覚えてねェのか」

 神楽は何と無く車に乗ったところまでは覚えているのだが、その後どうしたのかと言う記憶が欠如していた。

「テメェの家は知らねェ上に、バカみたいに寝てやがる。さすがに女を捨てて行くわけにはいかねェつうワケで仕方なく連れて来ただけだ」

 神楽は乱れた髪を直しながら瞬きを繰り返していた。成り行きとは言え、目の前の男に抱きついて泣いたのだ。思い出すと顔から火が出そうになった。

「そ、そう。悪かったわね。じゃあ、帰るわ」

 神楽は慌てて立ち上がると、土方は神楽の進路に立ちはだかり道を塞いだ。

「それでどうすんだ? 眼鏡は諦めんのか?」

 神楽は考えたくない現実に思わず眉間にしわを寄せた。

「諦めるしかないでしょ」

「まァそれが賢明な判断だろうな。テメェを口説きたい男は他にもいる。流されてみるのも悪くねェだろ」

 神楽は溜息を吐いた。沖田とはそんな関係になるつもりはないのだ。仲だって悪いし、一緒にいると喧嘩ばかり……でももうなくなっていた。正直、胸が騒ぐ瞬間があるのだ。思い出して心が温かい気持ちになることもある。今も胸に思い描いているだけで身体が熱く火照る。

「そうね……そうかもね」

 神楽は照れ臭そうにそう言って微笑んだ。すると、土方は煙草を指に挟んだまま口を歪めた。そして神楽に目線の高さを合わせると首を傾げたのだった。

「誰のこと言ってんだ?」

「だ、誰って……」

 土方は煙草を口に加えると煙たそうに片目を瞑った。そして神楽の身体を軽々と抱きかかえると、布団へ運んだのだった。

「何するアルカ!?」

 急のことに思わず神楽もカタコトになる。

「言っとくが俺はテメェが幸せを掴む手助けはしてやるが、他の野郎に差し出す協力をするなんざ言ってねェ。隙があれば俺がもらう。それだけだ」

 土方は神楽を布団へ仰向けに寝かせると、その上に覆いかぶさった。そして、口から煙草を引き抜くと枕元の灰皿で火を消した。

「だが、テメェが総悟に惚れてるつうなら……退いてやる」

 神楽の心臓は激しく音を立て脈打っていた。顔が熱い。まさか土方が自分をどうにかしたいと思っていたとは気付かなかったのだ。しかし考えれば当たり前なのだ。何の下心もなしに神楽に付き合うなど、聖人君子でもない限りまずあり得ないだろう。

「私がアイツに惚れてるワケ……って! ねぇ、この傷どうしたの? まさか新八に!?」

 神楽はそこで血の滲む土方の頬に気が付いた。まだ新しい傷だ。乾ききっていない。神楽はその傷を包むように、そっと土方の頬に手を添えた。いくら下心があったとしても、自分の為に血を流した男を放ってはおけないのだ。

「ウチの野郎共に劣らず良い太刀筋だった。だが、これくらい大したことねェ」

 そう言って土方は頬に触れている神楽の手を引き離そうとして――軽く握ったのだった。その手は熱く、土方が本気でこの身を求めていることを神楽は知った。それは初めて直面する問題であり、危機であった。沖田とのジャレ合いとはワケが違う。遊びでは済まない熱量。土方の自分を見下ろす瞳が男を感じさせるのだ。

 ヤケドしてしまいそう。

 また神楽もそれに興味がないほど子供でもなかった。見つめあったまま互いの熱を指先で感じ合う。それが心地好くてもっと深い所で確かめてみたくなる。だが、それをしてしまうと元に戻れないことは分かっている。きっとカエルでさえも王子様に見えてしまう事だろう。

「帰す気ないの?」

 土方は神楽の手を離すと、今度は神楽の唇を親指でなぞった。その感覚が初めてのもので神楽は身体をブルっと震わせた。

「帰す気ならある。ただ今夜中とは断言できねェがな」

 神楽も今夜は一人になりたくないと思っていた。しかも都合の良い言葉まで知っているのだ。

“何もかもを忘れさせて”

 その魔法の一言を言うだけで大義名分が出来上がり、眠れない夜を過ごす切符を手に入れる。しかし、神楽は胸の奥に光る思いが誰を照らしているのか、もうそれに気付いていた。もっと言えばこんな夜は会いたくて堪らなくなるのだ。さっきだって考えていた。沖田総悟のことを。

 どうしても土方に退いて欲しいなら言わなければならない。いや、ハッキリとその身体をぶん投げなければいけない。

 神楽は胸を貸してくれた土方に感謝こそしているが、関係はここまでだとちゃんと示すのだった。

「少しは罪悪感も薄れた? 身代わりだったんでしょ? サド野郎のお姉さんの……」

 突然つれない態度でそう言った神楽に土方は怪訝な顔つきになった。

「私に親切にしたのだって、自分の罪を償いたかったから。そうでしょ?」

「かもな」

 土方は思いのほかアッサリとそれを認めたのだった。そんな大人のズルさに神楽は心臓が痺れてしまった。本当ならこの後、力ずくで投げ飛ばしてでも退かそうと思っていたのだが急に気が変わった。感謝の気持ちを見せたくなったのだ。

「でも、それでも貸してくれる胸があったのは助かったわ。それにその傷、悪いって思ってるのよ。だから……」

 神楽はそう言うと土方に軽いくちづけをしたのだった。ありがとうと言う気持ちを込めて。

 それはほんの一瞬、僅かな時間ではあるが紛れもなくキスであった。神楽はゆっくり唇から離れると目蓋を開けた。すると目に入って来た土方の顔は、思っているものと随分と掛け離れていた。戸惑っているのか瞳を揺らしている。

「なにその顔。美女にキスされたんだから、もっと喜びなさいよ」

 すると土方は何も言わずに神楽の上からおりた。そして背を向けたまま枕元の煙草に手を伸ばすと、一本取り出し口に咥えた。

「仕方なく連れて来たのは事実だが、隙あらば食うつもりだった事もまた事実だ」

 そんなことを悪びれる様子もなく吐き出した土方に神楽は額に汗を滲ませた。

「じゃあ、何で帰す気になったの?」

 帰す気などないように思えたのに、神楽がキスをしてからその態度は一変した。何があったのか。土方は神楽とのキスに何か思うことがあったのだろうか。

「……もう良いだろ。行け」

 どうやらそれを神楽に伝えることはしたくないようだった。一体どんな理由が生まれたのか。神楽は何も知らないまま土方の家を飛び出して行った。


 町の外れ。神楽は適当に屋根に飛び乗ると今居る場所を把握した。自宅から少し距離があるが問題ない。何故なら今から向かうのは定春の待っている古いアパートではなく、ある男の家なのだから。

 今夜はどうしても一人で居たくなんてなかった。誰かに寄り添っていたいのだ。だが、その相手は新八でも土方でもない。心が求めているのは他の誰でもなく、沖田ただ一人であった。

 神楽は昼間来たアパートへ着くと、暗い室内に沖田が居るかどうかも分らないが呼び鈴を押した。居なければ一人で今夜を乗り越えなければいけない。それはごく当たり前のことなのだが、今夜だけは子供のように駄々をこねてしまいたい。だが、呼び鈴を二回押したが室内の明かりがつくことはなく、また誰かが居る気配もなかった。

「何してんのよあのバカ」

 もしかして沖田も遊び回っているのだろうか。ベストカップルコンテストに、一緒に出場する相手を探しに出歩いているのかもしれない。神楽は面白くない気持ちでいっぱいになった。こんなにも今夜は素直で可愛くいられるのに。その瞬間に居合わせてくれない沖田に胸が掻き乱され苦しくなったのだ。神楽は諦めて帰ろうと、玄関戸に背を向けた時だった。室内に明かりがついた。

「何の用でィ、こんな時間に」

 聞こえた声に胸が締め付けられた。これがあの沖田相手に起こっている現象だと思うと腹も立って、だが一刻も早くその顔が見たかったのだ。

 玄関戸に浮かび上がるシルエットに神楽は思いっきり戸を蹴った。

「もうすぐで帰るとこだったじゃない! 早く開けなさいよね!」

 そんな神楽の声に不機嫌そうな顔で戸を開けた沖田は、どうやら既に眠っていたようで頭にアイマスクをつけ、パジャマ姿で立っていた。

「オイ、せっかく良い夢見てたのにどうしてくれるんでィ。てめー責任取れよ」

 神楽は玄関の中に入ると戸を勢いよく閉めた。そして、寝癖だらけの沖田を睨みつけるとブーツも脱がずに飛び掛かっただった。

「はぁあ!? こんな時間にプロレスかよッ!」

 しかし、神楽が飛び掛かったのではなく抱き締めていることに気付いた沖田は、神楽を引き離そうとしていた手を身体の横へと戻した。

「何があった?」 

 神楽は沖田に今夜起こった全てを話すつもりであった。そうしなければ沖田が納得しないのを神楽は知っているのだ。神楽は沖田の首に手を回すと耳元に唇を近付けた。

「新八とはもう戻れないの。さっき会って話し合おうとしたけどダメだった……やっぱり銀ちゃんが居ないと私達ダメみたい」

 沖田は神楽の背中に腕を回すと、震えている身体を軽く抱き締めた。

「それで? 土方さんに慰めてもらったってワケか」

 神楽の髪や服に残る煙草の匂い。沖田が気付かない筈がないのだ。

「本当にそう思ってんの? 分かってるんでしょ? 全部」

 もし神楽が本当に土方に慰められていたとしたら、果たして沖田に会いに来ただろうか。神楽は自分を拒むことなく抱き締める沖田が、本当はどう思っているのかを知っていた。

「とんだ性悪女だな。俺を妬かせる為だけに匂いつけて来たんじゃねーだろーな」

「そんなワケないじゃない。一分一秒すら惜しいのに……」

 神楽は熱い瞳で沖田を見つめた。沖田も神楽を目を細めて見ている。二人の視線が交差して、熱が混ざり合う。先ほど土方ともこんな状況には陥ったが、鼓動の高鳴りや胸を焦がす温度が全く違うのだ。

「……会いたかった」

 神楽は素直に心情を吐露した。それには沖田の方が驚いたようで目を見開き神楽を見ていた。

「なんでィ。てめー変なもんでも食ったか?」

 変なものは食べていないが、大人の味を少し知ったのだ。そのせいかも知れないと神楽は土方の唇の温度を思い浮かべていた。だが、それまで沖田に言いはしない。それよりも今は言わなければならない言葉がたくさんあるのだ。神楽は沖田の首元に顔を埋めると熱い息を吐いた。

「嫌なこと全部忘れたいの、もう全部……」

 そう言った神楽に沖田は強くその身体を抱き締めると、口角を僅かに上げた。

「なら、シャワー浴びて来いよ。どうも頭にあの野郎が過って仕方ねぇ」

 神楽は何も言わずに顔を上げると、沖田の頬に軽い口づけをしてその身を離したのだった。

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