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レディバード:10


 その夜は真っ暗な闇を愉しんだ。いつもなら震えて部屋の片隅で丸々ように眠るのだが、今夜だけは暗がりさえもこの手の中にあるような気分だった。

「その髪、切らないの?」

 神楽の顔に沖田の髪がかかる。それが鬱陶しくて邪魔で、だが存在を近くに感じることが出来た。何も見えない、何も分らない。だが沖田の熱だけはその身にハッキリと伝わるのだ。

「てめーがその旦那の服脱ぐってんなら、俺も髪を切ってやる」

 どれくらい袖を通していないだろうか。真紅のチャイナドレス。神楽は昔を懐かしんだ。思い出すと痛みも伴うが、今は……今夜だけは沖田がいる。神楽は怖がることなくこの服を脱ぐ決意をした。

「別にあんたが言うからじゃないんだからね。私がそうしたいって思うから脱ぐだけで……」

 そこで神楽の言葉は途切れると、朝まで二人は溶け合うのだった。


 翌朝、神楽は重い身体を布団の上に起こすと、隣に誰も居ないことに気が付いた。

「いない!? どこ行ったの?」

 寝室へと差し込む朝陽に神楽は目を瞑ると、思ったよりも清々しい気分であることに喜びを感じていた。それは紛れもなく沖田のお陰なのだが、胸を貸してくれた土方にも感謝していた。新八のことがあってもう真っ直ぐに生きていけないとさえ思ったが、万事屋とは違う所に自分の拠り所を見つけたのだ。これならばまた前だけ向いて歩いていけそうだと思った。

 沖田が朝っぱらからどこへ行ったのか分からなかったが、神楽はとりあえずシャワーを浴び、帰る支度をしていた。定春に朝ごはんを食べさせなきゃならないのだ。そうして神楽が寝ていた布団を畳んでいる時だった。玄関の戸が開く音がしたのだ。神楽はどこへ行っていたのと沖田に文句を垂れながら玄関へと向かった。

「ちょっと! 出て行くなら声かけてから出て行って……」

 神楽は玄関へ着くと息を飲み込んだ。

「何でィ。朝っぱらからブヒブヒうるせーな。てめーはメスブタか」

 そこに居たのは、黒い隊服に身を包んだ髪の短い男であった。神楽は心臓がトクンと一度大きく跳ねた。

「それ……お前どうしたアルカ!?」

 神楽のその言葉にブーツを脱ぎ終わった沖田が薄笑いを浮かべた。

「やっぱりてめーも俺もこっちの方がお似合いでィ」

 髪を切り、真選組の隊服に着替えた沖田はスッキリとした顔で神楽を見下ろしていた。懐かしい姿。神楽は思わず目を細めた。

「でも、もう真選組じゃないんでしょ? どっちにしてもコスプレ野郎ネ」

 しかし、沖田はフンと鼻で笑って神楽の肩に肘をついた。

「てめーも同じじゃねーか。どっちにしてもコスプレ……オイ、どうせなら次はこれ着てやらねーかィ?」

 沖田はどこからか持って来たボンテージを片手にそんな事を言うと、神楽は沖田へと殴りかかった。しかし、すかさず沖田はその拳を受け止めると、神楽と沖田は手と手を合わせて取っ組み合った。どれくらいか振りに拳を受け止められた神楽と受け止めた沖田。互いの気持ちが昂ぶっているのが分かる。

「こうなったら仕方ねぇ。このまま布団の上で組み合わねーか?」

 涼しい顔でそんなことを言ってのけた沖田に、神楽は怒りを通り越して笑がこみ上げたのだ。

「なんか銀ちゃんみたい」

「誰が旦那みたいだって? 俺は旦那と違ってお前を残して消えたりしねーよ」

 組み合っていた手から力が抜けた。どうしてそんなことを言うのか。神楽は目の前の沖田がもう昔とは違って大人になっている事を再認識したのだった。そんな沖田は否応無く神楽を抱き締めてしまうと――――神楽は今までにない大きな幸せを感じるのだった。




 ベストカップルコンテスト。優勝は裏の店の看板娘と乾物屋の息子のカップルであった。結婚したばかりの仲睦まじい様子が審査員の心を掴んだのだ。と言っても他に出場したのは空気で膨らました銀時人形と謎のくノ一のカップルと、お登勢に言われて仕方なく出場したのキャサリンと長谷川だけであった。そうなのだ。結局、沖田と神楽は出場しなかった。

 真紅のチャイナドレスに身を包んだ神楽は掲示板に貼ったチラシを剥がそうと、数日ぶりに町内の掲示板の元へ訪れた。少しよれている紙は頼りなく、画鋲を外すまでもなく紙は破れた。神楽はそれをクシャクシャっと丸めると、紙くずを手に持ったまま両腕を胸の前で組んだんだった。すると、背後を男が通り過ぎたかと思うと――――引き返して来た。そして、煙草の匂いと共に神楽の横に並び立った。

「結局、出なかったのか?」

 神楽は隣の男……土方を見上げることなく答えた。

「出る必要なくなったからナ」

 沖田はあれだけ幻の酒を欲しがっていたのだが、神楽を手に入れた今となってはそんなもの要らないと一気に興味が失せたのだった。

「つうことはテメェは総悟と……そういうことか?」

 神楽はそこで土方を見上げると、赤い顔で軽く睨みつけた。

「あの日、お前が帰してくれたから。でも急になんでアルカ?」

 土方は煙を空に向かって吐き出すと、しばらくジッと雲を見つめていた。

「丁度手頃だと思ってたが……その気が失せた。テメェが“あんなこと”さえしなけりゃなあ」

 神楽のした口づけはキスには違いなかったが、そこには恋慕や欲情なんてものは少しもなかった。それによって目が覚めたのか、土方の不埒な心は打ち砕かれたのだ。

「まァいい。テメェが万事屋以外に居場所見つけたならそれで……」

 そう言った土方は柔らかい表情で神楽を見下ろした。かつての鬼の副長ならこんな顔を見せただろうか? 神楽は不思議な気持ちになった。何故だか放っておけなくて引きつけられるのだ。

「総悟に飽きたらいつでも言え。俺がもらってやる」

「え、ちょっと! それどういう意味ネ!」

 土方は神楽に背を向けると、煙草を持つ手を上に掲げて遠ざかって行った。そんな土方を目に映している神楽は、誰にも言えないが心臓を大きく震わせていた。今見た瞳は先日の夜のようなギラついたものではなく、どこか甘さを感じる瞳。神楽はその意味を考えると、どうしても顔が熱くなった。まるで自分に愛しさを感じているような眼差しだったのだ。あの夜の土方の目的は、身近な神楽で欲を満たすことだった筈。それが神楽の純粋な口づけによって乱暴に壊してはいけない存在だと気付いた――のかもしれない。全ては憶測だ。

「飽きるとかあるわけないじゃん」

 そう呟いた神楽だが、やはり胸の奥の心臓は煩く鳴っているのだった。


2014/09/01