レディバード:06
風呂から上がり身支度を整えた沖田は、居間の円卓に置かれている炒飯を黙って見つめていた。そんな沖田の向かいに座る神楽は、やや誇らしげな顔で頬を紅く染めている。
「まぁ、これくらいは当たり前って言うか」
「ちげーよ」
沖田は驚きの表情をしているが、どうもそれは神楽の料理の腕に対してのものではないようだった。
「テメー……一体どこで料理習った? 相撲部屋にでも入門したのか」
円卓の上に乗っているのは五合分の米を使って作られた大量の炒飯で、それを見つめる沖田の顔はこの世の物ではない恐ろしい物でも見るかのように強張っていた。
「いつも私がこの量を食べてるとか勘違いしないでよね! ずっと二人暮らしだったから、一人分の量とか分かんないだけなんだからね!」
「あー、そうかよ……」
不満そうな表情ではあったが、沖田は手を合わせると控えめにいただきますと言って山盛りどころかメガ盛りの炒飯に手を付けた。
「辛ェ!!」
沖田はギャアと叫ぶと、急いで口の中へと水を流し込んだ。そんな騒ぐ沖田に神楽は眉間にシワを寄せて不思議そうな表情をした。
「え? タバスコ好きなんでしょ?」
神楽は冷蔵庫に大量に詰められたタバスコを見て沖田が好きだと思ったのだ。しかし、沖田は舌を水の入ったグラスに浸しながら神楽を睨みつけていた。どうやら好きではないようで、じゃあ何の為にあんなにタバスコを買い占めているのか疑問であった。
「もしかしてまだイタズラするのに使ってるんじゃ……」
沖田は前にも神楽の食べるケーキにタバスコを仕込んだりとよく悪さをしていた。そんな事をまさかこの歳になってもまだやっているのかと神楽は開いた口が塞がらなかった。
「使ってねぇからあんなに残ってんだろ」
沖田は口に合わなかったのか炒飯を残してしまうと、足を投げ出して後ろ手をついた。そして、天井を仰ぎ見るとフゥと息をついた。
「真選組にいた時は土方さんのマヨネーズに毎晩仕込んで遊んでやったが……」
「土方……」
神楽は沖田の言葉に先ほど土方に出会った事を思い出した。普段ならこんな事はないのだが、土方の言った言葉が心に引っ掛っているようで、意識は突然にして少し前へと引き戻された。
孤独に耐えられないのなら俺を頼れと言ったあの男の横顔。ただの慰めでは無いと思わせる何かがあった。神楽はそれがどうしても気になっていた。もし同じ痛みを経験していたのなら、自分が一人でも“コドク”に蝕まれずに済むような気がしたのだ。
本来ならこんな時一番に頼りたいのは新八で、二人なら根拠もなくどんな事も乗り越えられると信じていた。だがそれが叶わない今となっては、他の人間を頼らざるをえないのだ。
甘えるのとは違うから。
神楽はそんな事を自分に言い聞かせて、少しずつ万事屋以外の者にも心を見せるのだった。それはこの沖田も例外ではなかった。こうして落ち着いて二人で居ることなど、昔なら考えられないことであった。
そんな事を思って沖田を見ていると、沖田も静かに神楽を見つめていた。後ろ手をついたままダラリとした視線ではあったが、沖田の瞳は神楽だけを映しているのだ。それが慣れないせいか擽ったく、そしてどこか時の流れを感じさせる寂しいものであった。だからか急に誰かに寄り添いたくなった。
まさか……
神楽は視線を逸らすと、湧き上がる気持ちを誤魔化すようにやや早口で言葉を紡いだ。
「そう言えば、あんたんとこの副長って過去に何かあったの?」
沖田の片眉がピクリと動いた。
「何かってなんでィ?」
「たとえば……大切な人を失ったとか? って何聞いてるのよ」
そんな言葉をボソリと呟いた神楽の声を掻き消すように沖田の声が被せられた。
「惚れた女を亡くしてんだ、昔に」
神楽は土方の掴めない視線の先に何があるのか、ようやく知ることが出来た。あの横顔は過去の自分と神楽を重ね合わせているカオなんだと。大切な人を失った己の経験から、神楽にあれこれ言ったのだろう。どうりで土方の言葉に上辺だけの軽さを感じなかった筈だ。あれは心の奥深くで土方が考えた結果紡がれたセリフなのだと神楽は知ったのだった。
「へぇ……そう、そうなんだ」
「あの野郎には勿体無いくらい良くできた人だった」
沖田は再び天井を仰ぐとポツリポツリと喋りだした。その女性と土方が結ばれることは無かったということ。急に別れが来たということ。もう二度と会うことが出来ないと言うのに、今だ土方の心から消えていないということ。
神楽は思った。やはりその女性と土方の関係が自分と銀時の関係に似ていると。
「けど何でィ急に? てめーが土方さんの話なんて珍しいじゃねぇか」
沖田は軽く首を曲げると顔だけを神楽に向けた。
「別にあんたに関係ないでしょ」
神楽は理由もなく鼓動が速まった。何か隠し事があるような気分になった。それを沖田に知られては困る。何故だかそんな風な焦りを感じていた。
すると沖田は急に畳の上に四つ這いになって移動すると、神楽の真横へ正座した。
「まさかとは思うが、てめー……」
沖田の表情は硬く、そのせいか神楽の心音は益々ボリュームを上げる。こちらを見つめる瞳はどこか仄暗い炎を灯しているようで、自然と奥歯に力が加わる。
「てめーまで土方さんに惚れたなんて事はねぇだろうな?」
なんて冗談を言うのか。神楽はそう思って笑ってやろうかと思ったが、沖田の顔、声、目の色どれをとっても真剣であった。冗談ではないようなのだ。
「あるわけないでしょ」
神楽がそう言うも沖田の表情は変わる事がなかった。それどころか神楽の両肩を強く掴み、前後に揺さぶったのだった。
「そう言って姉上も……」
「姉上?」
神楽は沖田の言った言葉に土方が誰に惚れていて、そして亡くなったのが誰かと言うことに気付いたのだった。沖田の姉であったのだと。
神楽はスゥーっと息を吸い込むと軽く目を瞑った。そしてゆっくり目蓋を持ち上げると、少しだけ柔らかい表情を作ってみせた。
「あんたが動揺するなんてね。人斬りなんて名乗ってる癖に人間らしい心があったんだ、へぇー」
「うるせーバカ」
沖田はそう言うと取り乱した自分に気付いたのか神楽の両肩から手を離した。そして、そのまま神楽から離れると立ち上がり背を向けた。
「だが、幸せになりてぇならあの男だけは選ぶな。絶対に」
“幸せ”そんなフレーズに神楽は胸が痛くなった。もう何年も感じたことがないのだ。
神楽は困ったような顔で微笑んだ。
「誰に惚れたって銀ちゃんが居ないんじゃ、幸せなんか感じられないわよ」
神楽はそう言って立ち上がると沖田にじゃあねと挨拶をした。そして一瞥する事もなく定春の元へ戻るのだった。
神楽は土方の話を聞き、どうしても会って喋りたいと思っていた。別に頼りたいだとか甘えたいだとか、そういう気持ちではないのだ。ただ知りたいだけである。大切な人を大切な人のまま忘れずにいる方法を。
正直、温もりに寄り添いたくなる日もあって、しかも沖田の存在が急に大きく感じ始めた。このままこうして誰かと繋がることで、その大切な人を忘れてしまうんじゃないか。神楽は何よりもそれを恐れていた。
「定春、先に帰ってて」
神楽は土方から聞いていた市民会館へ着くと、定春を一人帰して中へと入って行った。
「あれ? チャイナさんッ!?」
玄関を入ってすぐの廊下にいたのは山崎であった。すると山崎の声を聞いて誠組――かつての真選組の隊士達が何事かと集まって来た。
「どうしたの? こんな所に」
山崎が少々馴れ馴れしくそう話せば、他の者は羨ましそうな顔でそのやりとりを見ている。どうやら女日照りの男達は、突然として現れた美女に興奮しているようなのだ。
「お宅の副長いるかしら? 話がしたいの」
「副長なら用があるって河原の方へ行ったみたいだけど」
神楽はどうしようか迷った。あまり外で誰かと会いたくはないのだ。どこで新八が見ているか分らないからだ。きっとまた何か憎まれ口を叩かれることだろう。
「戻って来るまで待つわ。どうせ暇してたところだし」
神楽はそう言うとニコリと笑った。すると周りに居た者達は慌てて神楽を応接間へと案内した。
会館の奥にあるこじんまりとした和室に通された神楽は畳の上に適当に正座した。チャイナドレスのスリットから覗く白い脚に皆の視線は釘付けであった。
「お、お茶しかないですが、お茶飲みますか?」
「あっ、この座布団使って下さい!」
男達は神楽をもてなそうと代わる代わる話しかけた。その必死な感じや慌てっぷりに神楽は少々苛つくも、たまには賑やかで良いかと思っていた。ほんの数年前は自分もこんな風に騒げたのにと“仲間”がいると言うことを羨ましく思った。
「チャイナさん! お疲れならマッ、マッサージなんてどうですか!」
ある男がそう言うと一気に場が静かになった。ゴクリと生唾を飲む音があちこちから聞こえて来る。神楽はそれに呆れるとやれやれと首を左右に振った。
「マッサージってこういうこと?」
神楽は一番手前にいた男を捕まえると片手で肩を鷲塚んだ。バキッと嫌な音が部屋に響いた。すると男は絶叫し、畳の上に倒れこむと涙を流した。
「次は誰の番かしら? あんた?」
そう言って神楽は微笑んだが、この光景を取り囲むように見ていた男達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「私に触ろうなんて百億光年早いわ」
その様子に神楽がため息を吐いた時だった。誰も居なくなった筈なのに、開け放ったままの襖の向こうから声が聞こえてきたのだ。
「あまり虐めてくれるな。そうじゃなくても人手が足りねェんだ」
声の方に顔を向ければそこには土方が立っていた。土方は神楽を見下ろすと後ろ手で襖を閉めた。そして神楽の向かいに腰を下ろすと胡座を掻いた。
「それで話って何だ?」
どうやら山崎から電話が行ったらしく、神楽が待っていると聞いて帰ってきたようだ。
神楽は軽く脚を横に流すと土方を見上げた。
「別に答えたくなかったら言わなくても良いから。ただちょっと教えて欲しいの。あんたは誰かと繋がる事に罪悪感を覚えたりしないの?」
土方は黙ったまま煙草を一本口に咥えると火をつけた。それを美味そうにのむとフゥと息を吐いた。
「罪悪感か……つうか急に何の話だ」
土方は灰皿に灰を落とすと神楽の妙な質問に怪訝な顔つきになった。
「別に。ただあんたとは何か同じような匂いを感じただけ……」
神楽は沖田から聞いたことを隠した。何故そうしたいのか明確には分らないが、沖田から聞いたと言って得をする人間は誰もいないように思えたのだ。
「同じじゃ無えだろ。テメェと俺とじゃ立場が違う」
「立場?」
どういうことなのだろうか。大切な人を失ったのは同じではないのか。神楽は前のめりになると畳に手をつき土方に迫った。
「あんたも大切な人を失ったんでしょ?」
土方は神楽の顔をしばらくジッと見つめた後、顔を横へと向けて煙を吐いた。
「そうじゃねェ。俺は捨てた側……置いてきた側の人間だ」
神楽は土方があれやこれやと忠告するのは、てっきり失った側の人間だからだと思っていたのだ。だが真実はそうではなかった。土方は神楽を残してどこかへ行ってしまった銀時と同じ立場だったのだ。
「なんで?」
神楽は泣きそうな顔と声とで土方に尋ねた。土方の答えが銀時の失踪した理由である気がしたのだ。
「言っとくが違うつうのはそれだけじゃねェ。状況も何もかもが違う。あいつは一人で背負い込んで消えちまったが俺は……よくある別れの内の一つだった」
期待外れの答えだった。勝手に期待したのは自分だが、それでも何か答えが掴める気がしていた。
神楽は力が抜けると頭が垂れ下がった。長い髪がサラリと畳に舞い落ち、そんな物に銀時が居なくなってからの月日の流れを感じた。
「だが一つ言えるとすれば、何も憎くて置いて行ったワケじゃねェ。理由は分らねェが、あいつもきっとテメェらの幸せを願って……」
前にも神楽は銀時に言った事がある。銀時のいない人生など楽しくないと。それを知った上で銀時が去ったのだとしたら――――神楽は涙が溢れた。畳に雫が落ちていく。銀時には何か大きな理由があったのかもしれないが、それでも神楽は置いて行ってなど欲しくなかったのだ。その理由が危険なものであれば尚更だ。一緒に最後まで戦いたいのだから。命尽きるその時まで。
「銀ちゃんが居ないのに幸せになんてなれないよ」
嗚咽を堪えながら神楽はそんな言葉を呟いた。小さな声でそれはとても弱々しいものだった。銀時が居なくなってから身体も心も大きく成長したと言うのに、その心は縮こまって悲しみに震えていた。
こんな時に新八が側に居たら、きっとまだ前を向いて歩いていられたのかもしれない。だが新八もいない今となってはもう壁に寄り掛かって立っているだけで精一杯なのだ。何の根拠もないのだが、神楽はずっと今まで新八を自分が引っ張って行ってるものだと思っていた。しかしそうではなかった。新八はいつも後ろで神楽を支えて歩いてたのだ。そんな大事なことを今となってから気付くなど、神楽は悔しくて仕方がなかった。涙が止まらない。
「……そう言うな。テメェが幸せを掴めるよう俺が手ェ貸してやる」
急にそんな声が降って来た。
何言ってるの?
神楽は下を向いたまま瞳を大きく見開いていた。
「言ってみろ。野郎が戻って来る以外にテメェが幸せになるには何が必要か」
何の冗談?
そう思うのに鼓動は速まり、期待値もドンドンと高まっていく。どうやら土方は本気で言っているようなのだ。
“幸せになるには何が必要か”
神楽にはもう見えていた。銀時が居ない今、自分には何が必要か。誰の隣で笑っていたいのか。畳の上についている手を力強い拳に変えた。
「新八を取り戻したい」
神楽はそう言うと顔を上げて真っ赤な目で土方を見た。
「……なら眼鏡だけを見てろ」
神楽は手の甲で涙を拭うと気持ちを引き締めた。銀時も新八もいなくなってから初めて仲間が出来たような気がした。しかし、土方の右手が震える白い肩を抱こうとして諦めた事など、神楽は全く気付いていないのだった。
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