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レディバード:05


 神楽はその夜、なかなか寝付けないでいた。いや、別に珍しいことではなかった。ここ数年は安心して眠れる夜の方が少ないのだ。昔なら寝かしつけてくれる人がいたのだが、それも今はどこにもいない。

 神楽は布団の上に体を起こすと古いジャスタウェイの時計に目をやった。時刻はちょうど午前弐時。まだ夜は明けない。

 溜息を吐いた神楽は布団から出ると台所へ行き、水道水をグラスに入れた。そして、それを半分ほど飲むと流し台にグラスを静かに置いた。

 何でこうなっちゃったんだろう。

 その言葉は後ろ向きの意味を含んだ物ではなかった。沖田へと心動かされた自分への驚きであったのだ。神楽は新八と別れてから誰にも関わらずに日々を過ごして来たが、やはり誰かと関わるのは気分が良いと感じていた。あれだけ気に入らなかった沖田ですら、会話して騒ぐと一緒に居て楽しいと思うのだ。

 そろそろ前に進む季節が来たの?

 だが一歩足を踏み出すことが、万事屋から遠ざかってしまうような気がしていた。進めば進むだけあの日々が色褪せていくような……それは神楽が何よりも恐れている事であった。だからずっと前にも後ろにも足を踏み出せずに神楽は突っ立っているだけなのだ。消えていく新八の背中を見つめながら。

「……どんだけあの眼鏡が好きなのよ」

 神楽は流し台に手をつくとそんな言葉を零した。新八は神楽の事など眼中にすら無い。もう一度一緒に……という想いは多分、未来永劫に実ることはないだろう。それならばやはり新たに誰かとこの先の道を歩いてみるのも良いのかも知れないと思った。それが本当に良いことかどうかは分からなかったが、今日の出来事をキッカケに沖田へと歩み寄ってみるのも悪くない気がした。

 そんな事をグルグルと考えている内に少し眠たくなって来たと神楽は、その場で背伸びをすると布団へと戻って行くのだった。


 翌日、神楽は町内の掲示板を見ながら首を傾げていた。ベストカップルコンテストの審査についてチラシには何も書かれていないのだ。

「ベストカップルって誰が決めるの?」

 そんな事を呟いてると神楽の背後を誰かが通った。そしてそれが引き返して来たかと思うと、煙草の煙と共に神楽の横に並んだ。

「結局出るのか?」

 昨日に続き、神楽はまたしても土方と同じ場所で出会ったのだった。

「さぁね。どっかの抜刀斎が出てくれって煩いけど」

「総悟か。副賞の酒が目当てだろうが……いいのか? あの眼鏡は冗談も通じねェだろ」

“眼鏡”と言うフレーズに神楽がギョっとして土方を見上げると、土方も神楽を見下ろしていた。しかし今日は天気が良く、その表情を窺い知ることは出来なかった。

「なんで新八が出て来るの? 別にそんなんじゃないから」

 とは言ったが本当は新八と出場したいと思っていて、更に言えば沖田と出ることになればそれを新八に知られたくないと思っていた。そんな事を全て見通しているような土方にとても焦った。神楽は視線をチラシに戻すと、身を包むように両肘を抱いた。

「ってかベストカップルの判断基準って何?」

 コンテストではアピールタイムが三分与えられるのだが、一体何をするのが良いのか。神楽はそんな事を考えている自分に気が付くと、すっかり出る気でいるのかと思わず苦い表情をした。

「さぁな。それよりテメェは……前に進む事にしたのか?」

 土方は天を仰いで煙を吐いた。

 前に進む――――土方の吐いた言葉に神楽は耳が熱くなった。昨夜、眠れずにそんな事を考えていたのだが……どうしてバレてしまったのか。

「なっ、なんの話?」

「……しらばっくれるのは勝手だが、後悔するような選択はやめておけ。無理に忘れようとして失敗すれば一生とり憑かれちまうぞ」

 やはりどこか心にズシリと来る、決して軽くない言葉であった。

 過去に何かあったのだろうか?

 神楽はそんなことを言った土方を横目で見るも、結局何も読み取る事が出来なかった。

「ご忠告ありがとう。でも、別に無理なんてしてないし……」

 そう口に出したが果たして本当にそうなのだろうか。実際は楽しかった日々を忘れたくはなく、しかし心に空いてしまった穴を近くにいる人で間に合わせようとしているのではないか? 沖田と言う都合の良い相手で。

「急ぐことはねェ。自分が納得する答えが出るまで待てば良いだろ。無理に落とし込む必要はどこにも無ェんだ」

 至極真っ当な意見であった。しかし、そんな理屈だけでモチベーションが保たれるワケないのだ。

「でも、途方もなく長い時間がかかるんじゃない? それを一人で耐えられる程の自信なんて……正直ないわ」

 それは明らかな弱音であった。神楽にしては珍しく、普段はお登勢にも話さない真情であった。別に信用してないから話さないワケではない。お登勢には出来るだけ心配をかけたくなくてこういった事は口にしていなかったのだ。

 神楽の言葉を聞いた土方は目を細めてこちらを見つめると、煙草を足下に落とした。それを靴底で捻り潰しながら神楽に言った。

「言葉も優しさも要らねェってんなら俺を頼れ。同じ空間に居るくらいの事はしてやれる」

 そんな言葉だけを残すと土方は神楽の前から立ち去った。残された神楽はと言うと、土方の言葉に何よりもの優しさを感じているのだった。しかし、どうしてこんな言葉を掛けてくれるのか。それはただの同情心だけでは無い気がしていた。どことなく漂う同じ薫り。神楽は今度土方に会ったなら、尋ねてみようと思うのだった。忘れる事の出来ない思い出があるのかと。


 その後、神楽は昼間から悪さをする賊を定春と共に蹴散らして、民家の屋根でしばしの休憩を取った。駄菓子で買ったラムネを飲みながら江戸の町を見下ろしていた。

 ひと気のない不気味な静けさ。慣れてはいるが、やはり昔を知っていると寂しく思うのだ。

 銀ちゃん……

 神楽は思わず心の中で呟いた。

「オイ、馬鹿」

 すると突然どこかから声を掛けられた。

「うるせーと思ったら、随分デカいネズミがいるじゃねーか」

 神楽が休憩している建物の二階の物干し場から顔を出したのは、あの沖田であった。乱れた浴衣と解かれた長い髪。どうやらここが沖田の住処であるようだ。

 神楽は定春を撫でて待つように言うと、沖田の元へと下り立った。

「家が無いなんて嘘ばっか」

 神楽が呆れて言うと、沖田は室内へ引っ込んで敷きっ放しの布団を押入れへと片付けた。

「信じてたのかよ。あんなのは女の家に上がり込む常套句でィ」

 神楽は開いた口が塞がらないと言った風に沖田を大きな目で見つめると、こんな男に落とされてなるものかと思った。

「それで何の用でござるか?」

 沖田はそんな事を尋ねてきたが、正直言って何の用も無いのだ。たまたま休憩していたのが沖田の住む家の屋根だっただけで、本当にただの偶然であった。

「別に用なんて無いわよ」

「ならテメーに用事を作ってやる」

 沖田はそう言うと廊下に繋がる戸を開けてその先を指差した。

「料理くらいは出来んだろィ?」

 沖田が指を差したのは台所で、どうやら神楽に朝食を作ってもらいたいようだ。神楽は長い髪を手で払うとすまし顔をした。

「もう何年一人でやってると思ってるのよ」

 銀時がいなくなってから神楽は料理の腕が格段に上がった。それは否が応でも自分で作らなければ腹も舌も満たす事が出来ないからだ。生きる為、勝手に身についたと言った所であった。

「じゃあ、俺は風呂に入ってくる」

 沖田はそう言うと神楽を残して台所の奥の風呂場へ向かった。

「……って何してんのよ」

 本当はこんな事をしてやる義理もないのだが、今日はたまたま暇であった。そうして神楽は、たまには誰かの為に腕を振るってみるかと台所に立つのだった。

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