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レディバード:02


 夕暮れ時。神楽はお登勢から頼まれたチラシを殆ど配り終え、その手に持たれるは遂に最後の一枚となっていた。それを町内の掲示板へと貼っていると突然背後に人の気配を感じた。威圧感と煙草の匂い。何と無くそこにいる人物が誰なのかに気付くと、神楽は振り返らずに一歩退がった。そして、その人物と同じ位置に並ぶとチラシを見つめた。

「あんたも出る?」

 すると、隣に立っているかつての真選組副長・土方十四郎は“いんや”と首を横に振った。

「随分と粋なこと考えるじゃねェか」

 感心したような口振りの土方に神楽は少しだけ表情を柔らかくすると隣を見上げた。

「私じゃないけどね。でも、こういうのもこの町でご飯食べて、寝てって生活してるんだから必要でしょ?」

「……あぁ、違いねェ」

 そう言って煙を吐いた土方は、神楽を横目で見つめた。

「テメェは出るのか?」

「わたし?」

 神楽は眉間にシワを寄せるとチラシへと視線を移した。そして両肘を抱くとその表情から柔らかさが消えた。出るとしても相手がいないのだ。いや、正確には一緒に出たいと思う男が自分とは決して出てくれないのだ。その男は二人も存在しているのだが、一人はいまだ行方知らずの銀時で、もう一人は――――

「相手がいないし。それに私とつり合う男なんて……男なんて……」

 神楽が言葉に詰まると土方は静かに煙草の煙を吐いた。

「なら、無理に前に進む必要はねェだろ。人間誰しも忘れることが出来ねェ思い出の一つや二つあるもんだ」

 土方の言葉がやけに感情のこもったものに聞こえ、無責任な発言には聞こえなかった。神楽は土方を思わず見上げると、土方もこちらを見ており二人は目が合った。それには少し気恥ずかしさを覚え、神楽は急いで目を逸らした。まるで忘れられない過去に囚われているような、こもった熱を感じる瞳。それが神楽を見ていたのだ。

 こいつも誰かを……?

 神楽は土方とほんの少しだけ心を通わせた気になった。

「じゃあ、行くわ」

神楽は長い髪を揺らすとスナックお登勢の方へと体を向けた。正直言うと苦手なのだ。土方個人がと言うよりは、銀時がいなくなってから他人とあまり深く関わることを避けて来た。そのせいか距離感を掴む事が難しく思える。

 昔のように心のままに生きる事が出来たらどんなにラクか。しかし、それを許さない神楽はまた独りになると、お登勢の元まで歩いて行った。

 そんな背中を見送る瞳はやはりどこかこもった熱を帯びており、煙草の灰を落とした土方は、もう一度だけチラシを見てから市民会館へと向かったのだった。




 神楽は灯りのついたスナックお登勢の看板の前に立つと、中へ入ろうかどうかを悩んでいた。チラシを配り終えた事を報告したいのだが、もしかすると戸の向こうには新八がいるかも知れないのだ。出来れば顔を合わせたくはない。神楽はお登勢には明日報告する事にして、暖簾をくぐるのをやめたのだった。そうして自分の暮らしているアパートへ向かおうと一歩踏み出したところで……背後から声を掛けられた。

「お嬢さん、一人でどこへ行くでござるか?」

 神楽は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに呆れた顔になると後ろを振り返った。

「その喋り方、どーにかならないの?」

 そこにいたのはあの沖田で、片方の口角だけを上げて笑っていた。

「五年も経ちゃあ喋り方くらい変わるだろ」

 神楽は両肘を抱いて髪を揺らすと、そうねと小さな声で言った。

「それで何の用?」

 いつからか二人は町で出会っても取っ組み合いの喧嘩や力試しのような事はしなくなった。それは互いに大人になったからなのか、それともそんな事を考えられない程に別のことが頭を占めているからなのか。理由は定かではなかったが、もう二人が子供でなくなった事は確かであった。

「俺の奢りだ。飲んで行けよ」

「……どういう意味?」

 神楽は沖田のその言葉には裏がある気がしていた。神楽の知っている沖田総悟は、何の見返りもなしに奢るような男ではないからだ。神楽は訝しげな表情をすると、睨みつけるように沖田を見ていた。すると、急に沖田はプッと噴き出して子供のような笑顔になった。

「な、なによ」

「いや、あのチャイナ娘が食い物につられなくなったのかと思ったら、妙な笑がこみ上げてきちまう」

 神楽は顔を赤くすると遠い昔を思い出したのだった。食べ物への執着が時折とんでもないトラブルを起こしたり、ごく稀にその食欲が誰かを救ったり、騒がしくも楽しく過ごしていた記憶が蘇って来たのだった。

 楽しかった日々。そんな日々には必ず銀時と新八、お妙。様々な人達が居たのだ。そんな事を思い出してしまったせいか、神楽は一人で家に帰る気が失せてしまった。店の中に新八がいるかも知れないが、今夜なら少しは気にせずに過ごせるかも知れない。そんな事をニタニタと笑う沖田を見て思ったのだった。

「……ちゃんとお金あるんでしょうね? 無かったらその髪切って売ってやるから」

 そんな事を言って神楽はスナックお登勢の戸を開けたのだった。

「いらっしゃい」

 お登勢の声が飛んでくる。神楽は狭い店内を見回すと新八が居ないことを確認した。店には数人の常連客がキャサリンとたまの接客で楽しそうに飲んでいるだけだ。神楽はどれくらいかぶりにそんな景色も悪くないと思うと、沖田と二人でカウンター席に腰掛けたのだった。

「バアさん、チラシ配り終えたから」

 店の奥側へ座った神楽はおしぼりで手を拭きながらそう言うと、お登勢はお通しを用意しながら答えた。

「そ、そうかい。ありがとう」

 しかし、やけに沖田を気にしているらしくソワソワと落ち着きがなかった。すると案の定、お登勢は神楽に顔を近付けると小さな声で尋ねたのだった。

「それで誰なんだい? あんたが男を連れて来るなんて珍しいじゃないか!」

 神楽は何か勘違いしていると、お登勢の体を押してそっと遠ざけた。

「こいつはそう言うのじゃないから」

「じゃあ、何なんだい? ボーイフレンドってヤツかい?」

 神楽は隣の似非抜刀斎の顔をつまらなさそうに見ると、沖田と自分の関係について考えた。友達かと言われると全く違うワケで、だからと言って知り合いと呼べる程何かを知っているワケではない。

「うーん……」

 神楽が分からないと唸っていると、適当に酒を注文した沖田が突然神楽の肩を抱いたのだった。

「俺はこいつとベストカップルコンテストに出る予定でござる」

 何の前触れもなくそんな事を言った沖田に神楽は顔を引きつらせた。

「それで優勝して月の泉を――いてッ!」

 その辺りで神楽は沖田の顔面に頭突きを食らわせるとキツく睨みつけた。

「馴れ馴れしく触らないで」

 神楽はそう言って沖田とは反対側を向いてテーブルに頬杖をついた。

 ムカつく。

 そんな思いが湧き上がって来ると、沖田に抱かれた肩を軽く手で払った。そんな神楽の様子を見ていたお登勢はニヤリと笑うと、沖田のグラスに酒を注ぎながら神楽に言った。

「でも、良いじゃないか。神楽も出な。きっと盛り上がるだろうしねぇ」

「バアさん!」

 神楽は唇を尖らせると乗り気なお登勢にどうしようかと考えた。コンテストに出て盛り上げるのは良いことだと思っているが、出場する相手が似非抜刀斎であるのは嫌だと思っていた。

「こんなふざけたコスプレ野郎とベストカップルなんて寒気がするわ」

 神楽が沖田にそう言うと、沖田は酒の入ったグラスに口をつけながら軽く頷いた。そして一気に酒を呷ると、空になったグラスをお登勢に差し出した。

「てめーが出るなら俺は髪を切って、箪笥の奥にしまったままの隊服に袖を通してやらァ」

「……本気で言ってんの?」

 神楽は沖田がそこまでしてコンテストに出たがっていることを知ると驚いた。

「そんなに賞品の酒が欲しいワケ?」

 沖田がそこまでして欲しがる酒とは一体どんなものなのか、神楽は不思議で仕方がなかった。

「てめぇには分んねーだろーがあの酒は、一口飲めば月に昇るような気分になれるって有名でィ」

 沖田はやや赤くなり始めた頬を緩めると、幻の酒の味を想像しているようであった。

「ふぅん、それで優勝を目指す為に私に頼みに来たってわけ? 確かにこの辺りじゃ私の美貌は有名だけど……」

 神楽は沖田の首に巻かれているマフラーを掴むと自分に引き寄せた。

「あんたが私につり合うとでも思ってんの?」

 すると沖田は肩を揺らして笑った。

「てめーこそ、真選組一番隊隊長にそのナリでつり合うと思ってんのか?」

 神楽は瞳を僅かに揺らすと沖田の言葉の意味を考えた。沖田が髪を切って隊服に袖を通すと言うことは、自分も髪を切り真紅のチャイナドレスに袖を通すべきなのかと。

「でも、この服……」

 沖田のマフラーを掴む神楽の手から力が抜けた。するとその隙をついて、沖田が神楽の左肩に手を回した。

「俺がその服脱がしてやるって言ってんだ。旦那が生きてるって信じてるなら、てめーはてめーらしく生きてみやがれ」

 それまでお登勢はカウンターの中で煙草を吸っていたが、何か用事があるのか突然店の外へと出て行った。

 神楽は沖田の言葉に息を飲むと知ったような口を利かれて腹が立つような、痛い所を突かれたような複雑な気分になった。沖田の言うように銀時の帰りを信じているなら、形見だとか後継者だとか考える事がおかしいのだ。しかしこんな事を思ってしまうのは、どこか心の奥で諦めてしまっているからなのだろう。沖田によってそれに気付かされた神楽は奥歯をキツく噛み締めた。

「それでさっそく今晩あたり、てめーの服を脱がせる練習をさせてくれでござる」

「えっ?」

 神楽は沖田の言葉の意味が分からなかった。

 練習? 脱がせる?

 不思議そうな顔でマジマジと沖田を見つめる神楽に沖田はハァと溜息を吐くと、空いてる方の手で神楽の手を軽く握り――――手の甲へと口付けた。

「ここまでしねーと分んねぇでござるか?」

「ぎっ!!」

 神楽は思わず叫びそうになったが、他にも客がいる事を思い出すと黙って沖田を睨みつけた。

「あり? 耐性ついたのかよ。前までならギャアキャア騒いで飛び掛かって来ただろーに」

 神楽は昔のことを言われて頬を紅く染めると、沖田に握られている手を引っ込めた。

「別にこれくらい……慣れてるわよ」

 すると沖田は驚いたような顔をして、しかしスグに目を細めた。

「なら、本当にてめーのその服、剥いても良いんだな」

 冗談じゃない。

 神楽は沖田の額にデコピンを食らわせるも、一人の女として扱われる事についてそんなに嫌な気はしなかった。新八との離れてしまった距離を思うと、ふざけた事を言うこの沖田ですら付き合い易いと思うのだった。どこか心が落ち着くような、飾らずにいられるような不思議な感覚だ。だが、その相手が沖田だという事が神楽には受け入れ難い現実であった。銀時や新八ではなく、いつも喧嘩ばかりしていた沖田だということが。

 まだ沖田の手は神楽の左肩に置かれていて、それを払い除けるタイミングをすっかり失ってしまった神楽は、隣の似非抜刀斎にしばらく肩を抱かせたまま大人ぶって栄養ドリンクを飲むのだった。

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