フリスビー03:神楽side

 夕暮れ前。バスが宿へ到着すると、神楽は五階の角部屋に入った。本来ならさっちゃんと同室だったのだが、生憎一人で使うことになってしまった。

 部屋はよくあるツインルームで、ベッドが二つ並んでいた。窓からの景色は雪山が見えるくらいのもので、随分と遠くへ来たような気分になっていた。もう銀八の居るアパートなど全く見えないのだ。

 神楽は荷物を置くと早々と大浴場へと行く準備を始めた。着替えとタオルを持ち部屋から出るとお妙と九兵衛の居る向かいの部屋を訪れようとしていた。

「リーダー、同じ階だったのか」

 二つ隣の部屋から出てきたのは桂であった。

「みんな同じ階じゃないアルカ?」

 すると桂は記憶を辿るように腕を組むと目を閉じた。

「風紀委員の連中はこの一つ上の階だった筈だ。お妙殿の抗議によりそうなったと聞いたが……」

 確かに近藤が同じ階では、お妙の気も休まらないのだろう。神楽は苦笑いを浮かべると、向かいの部屋を訪ねようとして桂に再度引き留められた。

「リーダー、今夜はトランプでもしないか?」

 そう言えば土方にもそんな事を誘われていた気がした。桂が風紀委員の連中と仲良くやれないのを知っている神楽はどうしようかと悩んだ。

「じゃあ、少しだけだったら良いアル。他にもやりたいことあるからナ」

 すると桂は納得したように頷くと、エレベーターの方へ歩いて行った。神楽はようやくお妙達を訪ねると、合流した三人は大浴場へ向かうのだった。


 女大浴場・女子。そこで繰り広げられる会話と言うのは、日本古来より互いのボディに関するものであると決まっているのだ。

「いいナ、姐御。スッキリしてて。私もダイエット始めようカナ」

「神楽ちゃん、どこ見て言ってるのかしら?」

「お妙ちゃん、僕はそれくらい飾り気のない方が……良いと思う」

 残念ながら巨乳キャラが不在のため、音声は少々盛り上がりに欠けるものであったが、これをどこからか盗み聞いている近藤や東城にとっては十分に想像を掻き立てられるものではあっただろう。そんな事を神楽は思っていた。

「でも、どうやればおっぱいって大きくなるアルカ?」

 すると九兵衛は何かを思い出したように言った。

「これは飽くまでも聞いた話なのだが、男性に揉まれると大きくなると……」

 しかし、これに神楽は間髪入れずに答えた。

「あんなん嘘アル! どんなに揉まれても吸われても、ちっとも大きくなんないネ」

 するとこの言葉を聞いていた者、全員が動きを止めたのだった。

「か、神楽ちゃん……も、もしかしてそういう経験が……?」

 しまったと神楽は片目を瞑ると、のぼせたと嘘をついて風呂から上がったのだった。つい口を滑らせてしまったが、銀八との事は誰にも秘密である。神楽は浴衣に着替え、髪を急いで乾かすと追及されない内にと部屋に戻る事にした。食事まではまだ一時間以上もあり、それまで逃げ回っていればさすがに興味も薄くなっているだろうと期待することにした。

 しかし、思いのほか早く上がってしまったので時間を持て余してしまった。何をしようか。そこで風呂に入る前に桂と約束した事を思い出した。湯上がりの神楽は神威に持たされたトランプを手にすると桂の部屋を訪ねたのだった。

「ヅラ、いないアルカ!」

 すると部屋の奥から声が聞こえ、すぐにドアが開かれた。

「リーダー、早かったな」

 見れば桂も風呂あがりだったらしく、同じようなシャンプーの匂いが漂っていた。

「まぁ、適当に座ってくれ」

 その言葉通りに神楽はベッドに乗ると…………そこで桂がこの部屋を一人で使っている事に気が付いた。そう言えば今日はエリザベスの姿を見ていないのだ。

「お前も一人アルカ? 私も一人ネ」

 すると桂は神楽の隣に腰を下ろすと、ベッドに並んで腰掛けた。

「エリザベスがインフルエンザに罹ってしまってな」

「今流行ってるアルナ。さっちゃんもインフルエンザで今日来られなかったアル。なぁ、それよりも二人でトランプって何するネ」

 そんな言葉を口にしながら、神楽はベッドの上にトランプの入ったケースを置くとカードを取り出した。

「神経衰弱ゲームでもしないか。負けたほうが勝った方に土産を買うというルールで」

「それ良いアルナ」

 神楽はそう言うとカードをベッドの上に適当に並べるのだった。


 五十三枚を並べ終わると、ジャンケンで先行が桂になった。神楽も神経衰弱なら負ける気がしないのだ。後攻という事で運も味方についた。これなら勝負はもらったも同然。神楽がそう思っていると桂が一枚目のカードを捲った。するとそこにはスペードの6と言う文字と――――――

《右隣にいる異性の指を舐める》の文字が飛び込んできた。

「な、ななななにアルカ! これ!」

 これには桂の表情にも焦りの色が見えた。裏からでは一見して普通のトランプに見えるのであるが、どうも神威が神楽に渡したトランプは合コン等で遊ぶための罰ゲームカードのようであった。

「神威ィィイイ!」

 神楽はバカ兄貴の名前を叫ぶも、桂は何やら考えるように腕を組んでいた。それを目にした神楽はふと桂と言う男について考えた。堅物で生徒会長にも立候補する男だ。こんな不健全なゲームなど下らないと言って…………

「では、リーダー。すまないが指を一本出してはくれんか」

 神楽は頭を抱えると、この男がド級のバカである事を忘れていたのだ。真面目故にフザケタ事すら真剣に行う男なのだ。そんな事を考えている内にも桂が神楽との距離を詰める。そのせいで神楽は壁に追いやられてしまった。

「お、お前、神経衰弱やってんダロ」

 そう言って神楽が突き返すも腕を桂に取られてしまった。

「このカードを持ち込んだのはリーダーだろう。それに俺も男だ。女子を部屋に招くには……それ相応の理由がある」

 神楽はここで初めて桂を男として意識したのだ。つまりどんなに真面目な男子にも、下心が存在しているということなのだろうか……

 神楽は桂から逃れようともがいた。しかし、力では敵わない。掴まれた腕を振りほどこうにも全く歯が立たないのだ。迂闊であった。桂とは言え男で、神楽とは言え女なのだ。いつも沖田とやり合っていて良い勝負だからと油断していたが、もしかすると本当は――――――

「そんなに嫌か、すまなかったな……」

 桂はそう言うと案外あっさりと神楽から腕を離した。戸惑いはまだあるが今逃げなければもう隙はない。神楽は痛む腕を押さえながら部屋から飛び出した。すると、そこで新八に出会ってしまった。

 震える肩。目には涙も溜まっている。こんな姿を見た新八に何を思われるだろうか。神楽は急いで部屋に戻ろうとするも、結局新八に引き留められてしまったのだった。

「何があったの! 神楽ちゃん」

 神楽は今遭ったことを言おうかどうしようかと悩んだ。元はといえば何も考えずに男の部屋に行った自分が悪いのだ。昼間、土方にも言われた筈である。喰われる覚悟がないなら行くなと……あの話は沖田のことを言っていたが、それに限った話ではない。神楽は部屋に戻るのをやめると、新八をエレベーターホールまで連れ出したのだった。


「…………そっか、そんな事があったんだ。まさか桂さんが」

 新八も言葉を失っているようだった。確かにあの桂がそんなことをするとは想像が出来ないのだろう。だが、新八も桂を責めることはなく、どちらかと言えば神楽に対して叱ったのだ。

「神楽ちゃんは自分では分かってないのかもしれないけど、結構クラスの人にも人気があるんだよ……まぁ誰とは言わないけど。この機会に狙ってる人は少なくないんじゃないかな」

 そんな新八の言葉に神楽はエレベーターの正面にあるソファーの上で膝を抱えた。

 狙われている。そんなことを言われても、誰にも狩られるつもりはないのだ。きっと、多分、おおよそ……それなのに沖田の寄越したメモがずっと気になっている。

「なァ、新八は沖田が酢昆布の箱に細工してるの知ってたアルカ?」

「うん、酢昆布を買ってるって事は、神楽ちゃんにあげるものだってすぐに分かったから」

 桂は不意打ちだったにしても、沖田との事は部屋に行かなければ良いだけの話である。それなのに行って確かめてみたいのだ。沖田が呼び出した理由が本当に《そういうこと》が目的であるのか。だが、桂も言っていた『女子を部屋に招くには、それ相応の理由がある』と。それならば沖田もやはり…………

「それで、何が入ってあったの? あの箱の中に」

 神楽は新八を見ると平気で嘘をついた。

「ハズレって、くだらない紙だけアル」

「ふぅん、なんて言うか沖田さんらしいね」

 新八は何も知らないのか、信じたふりをしているのか、そんな事を言って笑うとソファーから立ち上がった。

「そろそろ食事の時間みたいだし、姉上達を誘いに行こうか」

「うん、そうアルナ」

 少しだけ明るさを取り戻した神楽は、今夜のことを考えながらお妙達の部屋を目指すのだった。