シンパシー

 

4.雨模様

 

この日、銀時は桂の隠れ家であるアパートを訪れていた。

「相変わらずせせこましいとこで暮らしてんだな」

「俺は貴様と違って身の程をわきまえているからな」

なんだよそれと、銀時は襖に背を預けると頭の後ろで腕を組んだ。

「今日呼び出したのは高杉の件だ」

桂はそう言って数枚の写真を差し出した。この街にある高級中華料理店。そこの個室で撮られたものであると銀時には分かった。

「いつのものだ」

「ほんの二週間前だ……高杉はこの街に居る。だが、リーダーの兄である神威は……依然消息は掴めていない」

だが、高杉を問い詰める事が出来れば神威の居場所も判明するはずだ。たとえ、屍になっていたとしても。神楽は考えているのだろうか。裏社会に足を踏み入れた以上、そういう結末もあり得ると言うことを。

「とりあえず助かった。ほら、礼だ」

銀時はそう言うと茶封筒をジャケットのポケットから取り出した。それを受け取った桂は中身を確認するとすぐに机の引き出しにしまった。

「リーダーにはなんて報告するつもりだ」

銀時は窓の外を眺めると、雲行きの怪しくなって来た空に眉を潜めた。

「……言わねえ」

「そうか。ただ彼女も気が休まらんだろうな。いつまでも何の情報も掴めないとあれば」

「わかってるってーの。俺だって何も考えなしにいるわけじゃねぇんだよ」

高杉の居場所が判れば、神楽は必ず自ら会いに乗り込む。神威の居場所を聞き出しに。そんなことをさせるわけにはいかない。今はまだ。

「ところで。リーダーとは……まだ寝てないのか」

銀時は目を大きく開くと桂の顔を見た。

「まだってどういう意味だゴルァ」

すると桂はフッと笑い、両腕を胸の前で組んだ。

「今まで依頼人の女が美女であれば、報酬代わりに寝ていただろう」

「てめーに関係ねーだろ」

銀時はガシガシと頭を掻くとくだらない話だと憤った。それとこれと話が別なのだ。飽くまでも依頼人がこっちを求めて来たらの話であって、神楽はそんな事をこの自分に求めてはいない。

「話はこれで終わりか。じゃ、行くわ」

銀時は桂のアパートから出るとポツリポツリと雫が地面を濡らした。それはすぐにザーッと音を立て銀時もろとも街を濡らした。高杉も今頃この街のどこかでこの雨音を聞いてる筈だ。そこで銀時は先日読んだ新聞記事を思い出す。先週、古い雑居ビルが火災で燃え、中から身元不明の男の遺体が出てきた。この街では珍しいことではない。正直、神威ではないかと疑っていたのだ。遺体はすぐに火葬され、既に誰であったのか特定は困難。神楽に報告出来ることがもし仮に神威の訃報だと言うことになれば――――――

「嫌な天気だぜ」

銀時は小走りにコンビニへ駆け込むとそこで偶然新八と出会った。だが、銀時を見つけると目を細め、その顔にけんが出来た。多分、理由はあれだ。合ってるはず。銀時は髪を掻き上げると新八に声を掛けた。

「よぉ、最近顔見ねえけど」

「理由は自分が一番よく分かってますよね」

そう言って眼鏡を指で押し上げた新八に銀時は腕に抱えている商品を取り上げるとレジへ持っていった。

「奢らせてくれ」

「それくらいでどうにかなる問題じゃないですから」

二人はコンビニを出ると店の前で雨が弱まるのを待った。新八は先程奢ってもらったホットコーヒーに口をつけると眼鏡を曇らせ言った。

「神楽ちゃん。いつまで置いておくんですか?」

「お前が気にしてんのってそれか」

ハァとため息をついた新八は面倒臭そうにこちらを見ると首を横に振った。

「今まで依頼人にここまで肩入れしませんでしたよね。他の依頼人との違いってなんなんですか?」

そんなのは新八の言いがかりだ。違いなんてものはないのだから。

「お前、あれだろ? 神楽にさっさと手出したいのにいつまでもウチにいるから」

「な、なんてこと言うんですかぁ! 違うわッッ!」

顔を真赤にさせて怒る辺り、こいつはまだ童貞なのだろうと銀時は軽く笑った。すると新八は銀時の胸ぐらを掴みにかかった。

「あんた! 姉上の気持ち考えたことあるんですかッ!」

紙カップは地面へ落ち、溢れたコーヒーが雨水に混ざった。

「おい、コーヒ……」

「うるせぇええ! 黙ってろよォォ!」

新八は銀時の顔に唾を飛ばしながら激昂した。

「姉上に気をもたせること言って、自分は他の女の子と暮らして。一体何がしたいんですか」

「……寧ろ俺が教えて欲しいね」

「えっ?」

新八はそこでようやく胸ぐらから手を離すと、地面に落ちたカップを拾った。

「僕には分かりませんが、姉上はこんな人のどこに引かれたんでしょうね」

新八はそう言って軒先から出た。雨は弱まり僅かに覗く雲の切れ間から光が差し込んだ。だが、銀時の心には暗雲が立ち込め、水たまりに映る表情は重い。お妙とのこと。そろそろハッキリとしなければならないのだろう。その為には神楽を追い出さなければならない。だが、まだ神威の行方は分からずじまいだ。何よりも追い出された神楽はどこへ身を寄せるのか。なんてことを考える自分に嫌気が差す。所詮自分のこの思いは一時的な同情なのだ。ただのシンパシー。それなのに生半可な覚悟でどうこう口にする事はできない。お妙に対する気持ちだってそうだ。このままでは……。銀時は水たまりを踏みつけると歩きだした。

 

自宅へ着けば神楽が鼻歌まじりにリビングの掃除をしていた。クルクルと身軽に掃除機をかけ、深いチャイナドレスのスリットから白い太ももを覗かせながら。

「ほんっと、良い体してるね。お嬢さん」

「銀ちゃん帰ったアルカ? おかえり」

銀時はジャケットを脱ぐとその辺りにテキトーに置いて、ソファーへどっかり座った。すると神楽が頬を膨らませて顔を覗き込んだ。

「オイ、コラ! なにしてんダヨ! 掃除してるの見えてないアルカ?」

「良いって。もう十分キレーになったろ」

「……それもそうアルナ」

納得したらしく神楽も手を止めると銀時の隣に座った。だが、神楽は笑顔を隠すと落ち着いた声で尋ねてきたのだ。

「まだ神威の……高杉の動きは分からんアルカ?」

桂から写真を見せられたことを銀時は黙っておくことにしたのだ。テレビをつけて、シャツのボタンをひとつ外すと銀時はなんでもない風を装った。

「ああ、悪いな。でもサツも動いてくれてんだろ?」

すると神楽は膝を抱えて、どこか気だるい表情を見せたのだ。

「……でも、あんまり頼りたくないネ」

「なんでだよ。つうか、なんで俺のとこに来たんだ?」

初めから警察にかけあっていれば、神楽が銀時を訪ねることもなく、銀時の生活がこんなふうに複雑になることはなかった。

「警察なんて信用できないネ。あの時だって……パピーがいなくなった時だってそう……」

「あの時?」

神楽はハッとした表情で瞬きを繰り返すと何でもないと首を振った。そしてソファーから立ち上がると掃除の続きを再開した。銀時は追及こそしなかったが、神楽の言葉が引っ掛かった。何度も警察に助けを求め、その度に叫びは掻き消されてしまったのだろう。益々出て行けとは良い出せない雰囲気だ。あと一ヶ月。もしそれで情報が集まらず、神威が見つからなければその時は……。

「なぁ、銀ちゃん」

掃除機を持つ神楽はこちらに背を向けて銀時の名を呼んだ。

「なに」

テレビを観たまま銀時は答える。胸に込み上がる罪悪感。そのせいで神楽の顔を見ることが出来なかったのだ。

「もし、もしネ……神威が見つからなかったら……」

神楽は何を言おうとしているのか。思わず神楽を振り返り見たが、結局最後まで言い切る前に掃除機のスイッチを入れて声は掻き消された。何を言ったのだろうか。

《神威が見つからなかったら――――――》

この家から出て行く神楽の姿が浮かんだ。じゃあネと笑って。それを追い駆けようとして背後から誰かに腕を掴まれる。それはお妙で……。銀時は我に返ると神楽を見た。汗が額に滲む。神楽はただの依頼人で、依頼が終わるまでの間柄で、住む世界がそもそも違う。欲望の肥溜めのような街で生きる自分が触れていい女ではない。神威が見つかっても見つからなくても、いずれこの街から出て行く。神楽はそういう人間なのだから。そんなことは分かっているのだ。初めから、ずっと。

 

折考える。それは眠れない夜や一人ビルの非常階段で目覚める朝、仕事のない昼間。孤独の正体を。

神楽は最近どこかへ出かける日が増え、銀時はまるで今までの生活が戻ってきたかのような錯覚に陥った。だがそれは飽くまで錯覚だ。もう神楽が来るまでの日々とは違うのだ。一人で部屋に居ることに耐えられない程の孤独が襲う。今までこんなことはなかった。この街で紛らわせる方法も楽しむ方法も知っている大人の男なのだから。それなのに今はどうやっても孤独を追いやることが出来ない。そんな鬱陶しくへばり付く孤独を剥がし取る唯一の方法――――――

「ただいまアル」

神楽が帰って来ると、銀時は読んでいた漫画雑誌を机に伏せた。

「あんまり一人でふらふら出歩くなよ」

「大丈夫アル」

神楽はそう言うと手に持っているビニール袋から《いちご牛乳》を取り出した。そしてそれを銀時に差し出すとにっこり笑った。

「それ、好きなんデショ?」

「へぇ、お前気が利くね」

これが正直堪らないのだ。寂しさを一瞬にして掻き消す。肌が触れ合わなくとも、体を揺らさなくともだ。女との関係など美女なら抱いて、ババアなら抱かない。ただそれだけであった。それがどういうわけか、美女となんの関係も結ばず同居しているのだ。

「そうダロ? 嫁に欲しいって引く手あまたネ!」

「ま、これだけの見てくれで気までつくとあっちゃ、そうだろうな」

神楽は頬を染めると照れくさそうに笑った。そんな表情が心を穏やかにする。駆け引きや計算や打算。そんなものから一番遠い自然な表情。その純真さに心が動かされるのだ。まやかしや偽りとは違う本物の光に戸惑いさえ生まれる。どう扱えば良いのか、神楽と居ると分からなくなる。そして自分の嫌な部分がこれでもかと目についてしまう。別に完璧な人間だとは思ってないが、それでも蓋してきたものを引っ張り出されるのは辛さもあった。

「でも、銀ちゃんも美人な姐御、嫁さんにもらうダロ?」

神楽のその言葉に押し寄せてくる現実を目の当たりにした。お妙のことをいつまでも引っ張り続け、甘えている。嫌われないと高をくくり、新八に言われたように一体何がしたいのか。責任から逃れ続け、勝負に出ることもしない。惰性で生き続けていくのだろうか。この先も。

「銀ちゃん?」

何も答えが出なかった。いや、出せなかった。「そうだ」と、その一言が紡げない。喉が絞られ、苦しいのだ。神楽の顔から笑みが消える。銀時は腕を伸ばすと神楽を抱きしめたのだ。何やってんだ、俺。心でそう呟いた。情けないくらいに不安で怖い。流れを変える事に勇気など出せないのだ。

「どうした……アルカ?」

「わかんねぇ」

神楽の震える手が銀時の髪を撫でた。気持ちが安らぐ。ずっと自分よりも年下で神楽の方こそ今不安で押しつぶされそうに違いない。それなのに銀時は情けなく甘えた。お妙の胸の中ではなく、神楽の胸の中で。これが何を意味するのか、やはり銀時にはわからなかった。

「……少しだけだからナ」

「ああ、悪い」

この日、銀時はどれくらいか振りに穏やかな気持で眠った。女の腕に抱かれ、体も結ばず、言葉も交わさずに。お陰で怯えていた心は回復の兆しを見せた。だが、その代償にまさか神楽の心を傷つけ、苦しめることになるとは全く予期していなかった。人知れず流れた涙。それが銀時の頬に落ちた時には、すっかりと夢の世界へ入り込んでいたのだった。