シンパシー

 

3.人の振り見て我が振りは?

 

 ある人物から請け負った不倫調査。報酬が非常に良く、断る理由はどこにもなかったのだ。しかし、問題が一つだけあった。

「おい、神楽」

銀時はボストンバッグに着替えを詰め込み終えるとリビングの神楽に言った。

「今度の依頼なんだけど、出張することになったんだよ。依頼人の妻がどうも不倫旅行に出かけるらしく、そこを押さえてくれって……」

神楽はソファーの上に正座すると目を輝かせた。

「乗り込むアルカ!?」

「違う、違う。写真と動画で証拠抑えるだけだ。それで、多分帰りが明日になると……」

そこまで言いかけて神楽がどこかへ消えてしまった。まだ話は途中だ。銀時が言いたかったのは、出張に出かけるから留守を頼むと言うことと、誰かが来てもドアを開けるな……特にお妙が来ても……と言うことだった。正直、件の整体のこともあって置いていくのは心許ない。だからと言って連れて行けば――――――

「準備出来たアル!」

そう言って神楽は大きめの鞄を持って戻ってきたのだ。もちろんこれが何の準備かは知っている。そして連れて行くわけには行かないと言うことも。

「あのなァ、悪いけどお前を連れて行くわけにはいかねーの」

しかし神楽は強気であった。

「一人で宿泊してる客より、彼女連れの方が怪しまれないアル!」

そう言われると確かにそうかもしれない。銀時の考えは見事に書き換えられてしまった。

「わかった。なら、お前は助手だ。しっかり働いてくれよ」

「おう! 任せておくアル!」

こうして一泊二日で銀時と神楽は不倫調査に出かけるのだった。

 

案の定、ターゲットは夫以外の男とベタベタと腕を組んで観光地のホテルへ入った。数枚の写真と動画を撮影し、あとは予約しておいた隣の部屋から壁伝いに音声を拾いあげれば仕事は終わりである。

「銀ちゃん、部屋に露天風呂ついてるみたいネ!」

はしゃいでいる神楽を横目に銀時は受付を済ますと、重い足取りで客室へと向かった。先程、フロントでダブルルームからツインルームに変更出来ないかと尋ねたのだが、あいにくこの日は近くで大きなイベントがあるらしく満室であった。つまり、今夜は同じベッドで神楽と眠らなければいけないのだ。今までの銀時なら神の贈り物だとありがたく美女を戴いていたのだが、今回はそう言うわけにはいかない。お妙とのことがある。

「部屋、思ってたよりも広いアルナ!」

そう言って客室のドアを開けた神楽に銀時は考えることをやめにした。今夜は仕事に集中しよう。アレコレ考える隙はないと隣室との壁にマイクを設置した。

「それで声聞こえるアルカ?」

「ああ、バッチリ。尻を掻く音までな」

「悪趣味ネ」

そうは言ってもこれが仕事だ。銀時は録音の準備をしたりとしばらく忙しくしていた。背後で神楽が何をしているのかも気付かずに。

「じゃ、温泉満喫するネ!」

いつの間にか服を脱ぎ、バスタオルだけを身にまとった神楽は客室についている温泉を一人楽しんでいたのだ。横目で見れば白い肌がバラ色に染まり、血色の良い唇が機嫌よく歌を紡ぐ。そして室内へと神楽の視線が注がれた。

「銀ちゃんも一緒に入るアルカ?」

思わず顔が赤くなる。

「ば、バカヤロー! 俺は遊びに来てんじゃねーんだよ」

そうは言っても願望は神楽と温泉を満喫したい。だが頭を振ってよこしまな考えを掻き消すと、壁の向こうの音声に集中した。

《旦那にはなんて言って来たんだ?》

《友達と出かけるって言ってきたわ》

銀時は録音ボタンを押すと、息を殺して決定的瞬間を待った。しばらく他愛のない会話が広げられ、少々苛立つ。何しにこんな場所まで来たのかコチラはお見通しなのだ。さっさと決定的瞬間を押さえさせて欲しいと壁に向かって睨みつけていた。あまりにも退屈な会話ばかりがなされ、銀時の意識は再び神楽へと向く。無邪気なだけなのだろうか。見ず知らずの男と同居し、こうして旅行にまで来る。普通ならこの段階で食われているだろう。正直、何も考えなしに行動するなら神楽を……いかん、いかんと頭を振る。何よりも神楽本人にその意志はない。この自分へ懐いているのも兄貴と重なるからなのか。理由は分からないが、少なくとも《手を出さない男》としてすっかり信用しているのだろう。その信頼を裏切るつもりはない。何よりもお妙に気があるのは確かだ。だが、そのお妙ではなく、何故神楽とこんな所に居るのか。自分でも本当によく分からないでいた。

その後、壁の向こうでは品のいい二人が夕食の時間を迎え、部屋から出て行った。銀時もそこで一旦休憩をすると、神楽と食事へ出ようとした。神楽を見れば朝から遠出で疲れたのかベッドの上で寝息を立てていた。湯上がりの良い匂いと薄手の浴衣。銀時はそっと神楽を覗き込むと、緩く開いた胸元に思わず目が奪われた。形の良い胸がそこにはあって、白い肌が吸い付いてくれと言わんばかりに銀時を誘っている。

「……やめてくれ」

銀時は興奮していく自分の肉体に嫌気がさした。少し湯にあたってくるかと銀時は神楽を置いて大浴場へ向かうと、疲れや邪心を濯いでくるのだった。

 

その後、目を覚ました神楽と食事を終えた銀時は部屋へ戻り、再び壁と向き合った。そろそろ良い頃合いだろう。決定的瞬間が訪れるのではないかと耳を澄ませる。しかし、部屋に戻った不倫カップルは妙に静かなのだ。まさか熟睡しているのだろうか。いや、それはない。となると声を押し殺し情事に勤しんでいるのだろうか。

「もう一回、お風呂入っろ!」

銀時の背後では神楽がまた裸になると――――今度は部屋の電気が消えた。

「はっ、なんだ?」

「こうした方が空の星がよく見えるネ」

そう言ってバスタオルを巻いた神楽は客室から続く露天風呂へと窓を開けた。その瞬間、窓の外からなんともいかがわしい音声が聞こえて来たのだ。チャプチャプと湯の揺れる音。そして、女の喘ぎ声。

「あ~あ~はぁ~」

銀時は慌てて機材を持って外へ出ると、マイクを隣の風呂との目隠しに設置した。

「銀ちゃん……これ、なにやって……」

「しーっ!」

真っ赤な顔の神楽は湯へ浸かると珍しく黙っていた。まさか外の風呂でヤッてるとは。銀時は写真も撮れないかと試みたが、流石に目隠しの壁が天井まで伸び、写真を撮るにはバルコニーの外へ手を伸ばして隣を覗き込まなければ無理だ。さすがにそんな事をすれば怪しまれる。しかし、どうにか決定的瞬間をカメラに収めることが出来ないだろうか。そこで銀時は《自撮り棒》の存在に目をつけた。

「おい、神楽。一肌脱げ」

その言葉に神楽の顔が更に真っ赤に染まる。

「バスタオル取れって、なんてこと言うアルカ!」

その間にも隣は不貞愛を深めている。

「イきそう! あ~、もういくいく」

まずい。もう時間は残されていない。銀時は自撮り棒をバルコニーの外へ伸ばし、神楽に芝居をしろと合図した。

「神楽、ほらもっとこっち寄れよ。写んねェだろ」

神楽はその言葉通りぴったりとくっつと、柔らかな体が銀時へ押し付けられた。

「へっ、あっ……」

思わず身震いするも自撮り棒をしっかりと隣が映るような角度で持ち、リレーズを押した。シャッターが切られる。上手いこといったようで相手は体を貪るのに夢中でこちらに気付いていない。今度は動画を撮ろうと銀時が神楽に声をかけた。

「神楽、もっと口使えよ」

すると神楽は眉間にシワを寄せると考え込んだ。銀時はいつまでも自分だけが喋っていると隣人に怪しまれるのではないかと焦っていたのだ。

「口、アルカ?」

そう言うと神楽は何を思ったのか、空いている銀時の腕を取り、人指し指を小さな口へと誘ったのだ。チュプっと音がたち、そして舌先が指先をくすぐる。次の瞬間には銀時の間延びした顔と情けない声が動画に映っていた。

「あひっ、か、神楽ちゃんんん!?」

しかし神楽は一生懸命に赤い顔で指を舐めている。それはまるでアイスキャンディーでも舐めるかのように。いや、アイスキャンディーではない。アイスキャンディーなんてそんな健全な類のものではない。銀時の肉体はとんでもない勘違いを始めると、呼吸が荒くなってしまった。

「お、おい。神楽? やめろ、もう良いって」

そう言って神楽の口から指を抜こうとして……どこか切なそうな神楽の上目に心臓が痺れた。思わず指で熱い舌をなぞる。くすぐったいのか神楽が妙な声を上げた。

「ん……ふぅ、んっ」

マズい。このまま指で舌を引っ張り出し、吸い付いてしまいたい。妄想と現実が入り交じる。神楽の柔らかい舌に自分の舌を絡め、そしてあの乳房を揉みしだきながら激しく交わりたいのだ。許されない!

「旦那にもまだ中出し許してないんだろ? 不倫XXX気持ちいいか?」

聞こえてきた男の声に銀時は現実へ引き戻されると、カメラに隣の男女を収めた。

「不倫生XXXきもちいぃいい! 孕ませて! 中に出してッ!」

決定的瞬間であった。醜くイキ狂う色情女と無責任にハメ狂う下衆男。銀時は冷静になると、誰かを傷つけてまで行われる体の交わりに安っぽさを感じた。イミテーション。これは《まやかしの愛》なのだと。

「よし、もう良いだろう。神楽……」

そう言って神楽を見れば湯の中ですっかり逆上せあがっていた。赤い顔と虚ろな目。うわ言のように呟くのだ。

「ぎんちゃん……には……ぎんちゃん……は……」

「オイ! しっかりしろ!」

そうして銀時は神楽を抱えてベッドへ寝かせると、冷たい飲み物を買いに部屋から出るのだった。

 

数分後、部屋に戻れば暗い部屋で神楽が月明かりに照らされていた。眠っているのかジッと動かず、しかし浴衣には着替えていた。銀時はギシリと音を立ててベッドに上がると、神楽の頬へ冷たいペットボトルをあてた。

「つめたい」

「大丈夫か?」

そこで神楽がぐるりと体ごとこちらへ向いた。近い距離。日頃神楽は銀時の家の押入れで眠っていた。狭いだろうが、そっちの方が互いの精神衛生上良いだろうとの判断でだ。それだけに暗闇での近距離に妙な焦りが生まれる。

「飲ませてヨ」

神楽の白い顔がこちらを見ていて、そして目が細くなった。銀時は仕方ないと言われるがままペットボトルのキャップを外し、神楽の口元へとつけてやった。それを傾けると……口の脇から水がこぼれ、神楽の顎を伝って胸元へと落ちていく。

「あーあ、体起こさねーから……」

浴衣からは神楽の白い谷間が覗いており、月明かりに照らされ青白くさえ見えた。いやに綺麗に見える。そして考える。今日だけで何度目だろう。神楽にこうした劣情を抱くのは。軽んじているわけではない。オスとしての本能だと割り切るしかないのか。銀時は神楽の胸元から目を離せず、そしてそれが神楽にバレてしまっていることも承知していた。

「ぎんちゃん」

自分の名を呼ぶ神楽の声。堪らなく心をくすぐる。まるで何かが起きる事を期待しているような、そんな気さえしてしまうのだ。都合の良い解釈。だが、神楽のこちらを見つめる目に熱を感じる。気のせいか、きっとそうだ。そう思っているのにその答えが知りたいと思ってしまった。

「神楽……」

神楽の頬へ手を伸ばそうとして――――――その手を掴まれた。

「久々ネ。こうして誰かに見守られて寝るの」

銀時はその言葉に顔が火照り、耳まで熱くなった。何を勘違いしていたのだろうと。神楽はどれくらいかぶりに穏やかな安心を感じているようなのだ。それなのに自分はいやらしい考えを思い浮かべ、あろうことか神楽に欲情した。銀時は神楽の手を強く握ると言ってやった。こんな俺だが、眠るまで側に居てやると。

「ありがとナ」

「気にすんな。もしお前さえ、まぁ嫌じゃなければの話だけど、家でも良いから」

銀時の言葉に神楽の目が大きく開かれた。

「一緒に寝ても良いアルカ?」

「あ、でもイビキとか寝相とかそこんとこ大丈夫だろーな?」

「乙女になに言うアルカ! 腹の音以外問題ないネ!」

銀時と神楽は二人で笑い合った。神楽と居るとこういう瞬間が時折訪れるのだ。心の底から楽しいと穏やかでいられる瞬間が。嫌でも気付く。ただの依頼人の枠が取っ払われて来ていることに。だが、それでも神楽は依頼人。何よりも神楽から見て銀時は、ただ対価を支払い雇っただけの男なのだ。

「でも……本当に良いアルカ?」

現実へと引き戻す言葉。問題があるかないか。そんなこと答えは決まっているのだ。それなのにハッキリと何も言えない。銀時が言葉に詰まり、何も言えないでいると神楽が銀時の手を離した。

「もう眠くなったネ。おやすみ、銀ちゃん」

「おやすみ」

何も出来ない銀時はこれで良いのだと笑った。助けを求める神楽につけ込む事はしたくない。今の自分に出来ることは高杉の……神威の居場所を早く掴むことである。

銀時は神楽の頭を撫でた。そして自分も体を横たえる。目を閉じれば先程までの神楽の姿が浮かんできたが、それは涙で頬を濡らすお妙の顔で掻き消された。胸が痛い。いい加減であると思っていた自分にも罪悪感が芽生え、そして償いと言う言葉を考える。だが、今後どうするべきか答えは見えず、結局それを考えていると眠気に襲われ目蓋を閉じた。