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6.忘却

 

あれから神威はずっと普通だった。

だけど、それは飽くまでも“一見”アル。

神威の持って生まれた二面性が、まるでヘビのように音もなく私に忍び寄る。

 

夕食の時だってそう。

何食わぬ顔で隣に座ったと思ったら、無邪気なフリをしてご飯を食べさせろなんて言って来た。

笑って冗談っぽく言っているようで、よく見れば目の奥が笑っていない。

神威は真面目に言っていた。

でも私が嫌だと言えば、じゃあ反対に俺が食べさせてあげると、神威は食べ物を私の口元へと運ぶ。

卑怯アル。

この私が断れるわけないじゃん。

口元へ食べ物が来ると自動的に口が開き、私は神威の手によって食事を与えられたのだった。

その光景を銀ちゃんも新八も何とも言えない顔で見ていた。

そんな顔で見るなら止めろヨ!

だけど、結局私は最後まで神威に食べさせられて食事を終えた。

 

神威の兄ちゃんという一面と、神威という一人の男としての一面。

私に接してる神威はどっちなんだろう。

そんな疑心暗鬼のせいで、私の心臓はギュッと掴まれたように痛んだ。

銀ちゃんもまさか私が感じてる恐怖がこんな類いのものだとは思ってないだろうな。

風呂場で叫んだのだって暴力を奮われたのだと思ってそうだし。

 

「ねぇ、神楽。今晩も一緒に寝るんだろう?」

 

食事も終えて新八も帰り、私がお風呂へ入ろうと物置で準備している時だった。

神威が勝手に戸を開けた。

 

「変態!勝手に開けるナヨ!」

「俺が変態?何でも良いけど、神楽は今日も一緒に寝るんだろ?」

 

神威は物置に入り込むと後ろ手で戸を閉めた。

私は着替えの下着とパジャマをまたタンスへ戻すと、神威に出ていくように指図した。

 

「ここに入ってくるナ。外で話すから待ってろヨ」

 

だけど、神威は全く聞いてないようで、物置の押し入れの襖を勝手に開けようとしていた。

 

「聞いてるアルカ!?」

「もしかして普段はここで寝てるの?へー、青ダヌキさながらじゃん」

 

神威は一体何を考えてるのか。

兄ちゃんである神威なのか、兄ちゃんを装ってる神威なのか。

私は全く分からなかった。

 

「兄ちゃん!」

 

そう呼んでみた。

確かめてみたかったんだ。

記憶はなくとも兄ちゃんの面影を残した神威がまだ存在するのかを。

だけど、神威は笑って言った。

 

「どうしたの神楽?なんて言うのは、あのお侍さんの前だけ。今は言われたところでお前の兄貴を演じる必要はないよ。だって無意味だろ?」

 

血の気が引いた。

あぁ、私は何を期待してたんだろう。

あの日、私を置いて出て行った瞬間から、神威は兄ちゃんでは無くなったのに。

そうアル。

記憶が戻っても、反対にこのまま戻らなくても、神威は神威で私の兄ちゃんではない。

演じる必要は確かにないのかもしれない。

神威が言ったこと、一里ある。

だけど、無意味かと言えばそうじゃなかった。

だって私は兄ちゃんである神威が好きだから。

助けたいから、護りたいから。

だけど、今目の前にいるコイツが私の兄ちゃんでなく、一人の神威と言う名前の男なら――

 

「一緒に寝るわけないダロ」

 

そう言って私は神威の胸を両手で思いっきり押すと、物置から出て行かせた。

記憶が無くなって可哀想だなんて思ってたけど、もう思わないことにした。

きっと少しでも優しくしたり同情すると、神威はそこに付け込んでくる。

それに私だってまた兄ちゃんのフリをされたら……。

どうしても嫌いにはなれない。

それはやっぱり血が繋がってるから?

だだそれだけなのかな。

私はようやくお風呂へ向かうと、いつもより長い時間入浴した。

 

 

 

「じゃあ、銀ちゃん。おやすみ」

 

テレビだけが点いた居間で銀ちゃんは歯を磨いていた。

その背中に向かってパジャマ姿の私はおやすみの挨拶をした。

銀ちゃんは神威を本当は警戒している。

なのに私はそんな銀ちゃんと神威だけをこの部屋に閉じ込めていく。

罪悪感なのかな。

足早に立ち去りたくなった。

 

「おい」

 

だけど、銀ちゃんは私の後に付いてきて、そのまま廊下に出ると台所の流し台で口を濯いだ。

そして、適当にタオルで口を拭うと私の腕を掴んだ。

 

「も、もう寝るアル」

 

そう振り切ろうとするも、銀ちゃんは私の腕を強く掴み離してくれなかった。

 

「だったら銀さんの隣で寝ろよ、なっ?」

 

私に迫る銀ちゃんの目は真っ赤に血走り、僅かに震えているような気がした。

そ、そんなに怖いアルカ?

 

「新婚初夜までそれは遠慮しておくネ。銀ちゃんと2人だけなら良いけど」

 

すると銀ちゃんは思い付いたように物置に飛び込むと押し入れを開けた。

そして、私ごと突っ込むと、2人して狭い押入れに入り込んだ。

 

「狭いアル!出てけヨ!」

「これくらい許容範囲だろ。じゃあ神楽、今夜は宜しく」

「狭いアル!暑苦しいアル!臭いアル!」

 

結局、私も銀ちゃんも押入れから出ると居間へまた戻ったのだった。

どうするアルカ。

神威は先に一人で寝ていて、銀ちゃんはどうしても神威の側では寝たくないようだった。

 

「ソファーで寝れば良いじゃん」

「なら、神楽、てめぇも今夜はここなっ」

 

固いソファー。

こんなとこで一晩なんて絶対に過ごしたくなかった。

なのに銀ちゃんは平気らしく、しょっしゅうここで眠っていた。

案外、寝心地は良いもんアルカ?

だけど、襖一枚隔てた向こうに神威がいる事が私を不安にさせた。

襖の向こうでは神威が寝息を立ててぐっすりと眠っているようだった。

起きそうな気配はみられなかった。

 

銀ちゃんの神威に怯えてるような言動。

分かってる。

私と同じで口には出せないけど、不安になってるアル。

そんなに私に側に居て欲しい?

私を必要としてくれてるの?

今まで私もたくさん銀ちゃんを必要として、そして必ず銀ちゃんは側に居てくれた。

だから、私も。

私は銀ちゃんがすごく大切だから、失いたくないから、何よりも護りたいから今夜だけは一緒に寝てあげようと覚悟を決めた。

その代わり、銀ちゃんにも私を護って欲しい。

それだけは伝えておいた。

 

襖を開けると神威が眠る布団の隣、敷かれている銀ちゃんの布団に2人で横になった。

神威とは少し離れていて、だけど私の背中は神威がごろんと動く度にゾクゾクした。

それでも正面からは銀ちゃんが抱き締めててくれるから、何よりも心強く頼もしく思えた。

眠れそう。

少し気持ちが落ち着いたせいか私は眠気に襲われた。

瞼は重くなって、体は熱を持つ。

呼吸は段々と深くなって、銀ちゃんの腕の中で力尽きてしまった。

とっても心地好い。

新婚初夜までなんて言わずに、毎日一緒に寝れば良かったアル。

 

私は神威と銀ちゃんを天秤にかけた時、今なら間違いなく銀ちゃんを選ぶだろう。

それも少しも迷わずに、神威を切り捨てる事を躊躇わずに。

非道い妹かもしれない。

だけど、もう神威が兄ちゃんでなくなったのなら、私だって妹でいることもないんだ。

だから、一人の女として私は判断したい。

愛する人を怯えさせる男は絶対に選ばないって。

なのに、どうしてアルカ?

胸が苦しくて、息がしづらくて――涙が溢れそうになるヨ。

 

「にぃちゃん、好きアル」

 

私が口にしたその言葉は、きっと二度と言うことはないだろう。

この言葉が、私が兄貴に向けた最後の言葉となった。

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