27.始まりの鐘
銀ちゃんにガキだって言われる度に苛立って、誰と肌を重ねたって、頬へ落ちた唇が忘れられなかった。
この気持ちが何なのか、もう気付いてる。
銀ちゃんは私を揺れる瞳で見ていた。
動揺を隠せていない。
今まで何を言ってものらりくらりとかわして来たのに。
私は銀ちゃんの真横に移動すると、銀ちゃんの着物の袖を掴んだ。
「それと、私がそのキスを忘れられなかった理由も……全部分かってるアル」
だから、聞かせてヨ。銀ちゃん。
私がああやって下着姿で銀ちゃんを責め立ててまでも聞きたかったあの言葉を。
他の誰でもなく、私が銀ちゃんに望んだことを。
「ねぇ、銀ちゃん。どうして私をまた受け入れたネ?」
「…………」
「どうして見合い断ったアルカ?」
「…………」
「どうして寝てる私にキスしたアルカ?」
揺すっても銀ちゃんはその口を開けてはくれなくて、ただひたすら瞳が頼りなく動いていた。
言わないつもりなんだろうか。
銀ちゃんは今まで隠しきれない部分は確かにあったけれど、万事屋を護るために必死に頑張ってきた。
だから、こんな局面に立ってもまだ守り通したいんだろう。
トッシーが家に来た時もサドと朝帰りした時も、さっきだってそう。
色々と言いたいことがあるはずなのに、押し殺して変わらない日常を送ろうとする。
それが正しい事なのか私には分からない。
「そんなに万事屋守りたいアルカ?」
銀ちゃんはやっぱり何も言わない。
「……私だけじゃないよ。新八だって気付いてるネ。銀ちゃんだって気付いてないワケじゃないでしょ」
「バカヤロー、俺の事は俺が一番知ってんだよ」
「だったら、私の勘違いじゃないなら言ってヨ。そんなもんで万事屋は壊れたりしないアル。大丈夫ヨ」
そうヨ。
銀ちゃんがこうして必死に守ろうとしてくれた想いは、新八にも……この私にも、もうしっかり伝わってるから。
だから、大丈夫だよ。
それに、私は……どうしようもないくらいに、万事屋が、銀ちゃんが大切だって気づいたから。
「だって、私も銀ちゃんのことが――」
遠回りはしたけれど、私にはもうハッキリと見えてる。
銀ちゃんがいる世界が私の生きたい世界だって。
ただ一緒に笑い合いたい。
美味しいものを食べて幸せだねって言い合いたい。
たまに喧嘩して掴み合ったって、また仲直りで寄り添い合って。
贅沢は言わないから、ただ一緒に暮らしたい。
銀ちゃんがあのキスで最後にしたいなら、それも受け入れるから。
だから、せめて聞かせてヨ。
私の事をどう思ってくれてるか。
じゃなきゃ、もう私から言っちゃうヨ。
「……好きアル、銀ちゃん」
銀ちゃんの着物を握り締める手にはギュっと力が入って、なのに腰は抜けてしまったような感覚だった。
銀ちゃんがどんな顔をしてるのか見るのが怖くて、私は目を瞑って下を向いた。
覚悟は出来てるなんて思ってたけど、ガタガタと私は震えていて、内側の脆さが表へ露呈する。
「だったら、なんで俺じゃなかったんだよ」
低く押し殺したような声でそう言う銀ちゃんも震えてるのが分かった。
“俺じゃなかった”
その言葉の意味に私の胸はズキリと痛む。
「だ、だって、その時はサドの事を……だから」
「今更、おせーんだよ」
銀ちゃんの言うことは最もだと思う。
でも、私自身の気持ちに気づいたのもついさっきで。
自分でも、なんでもっと早く気付かなかったんだろうって殴りたくなる。
「いいヨ。私はただ、銀ちゃんと一緒に万事屋に居られたらそれで」
本心だった。
他には何も……うん、もう何も望んでなかった。
銀ちゃんのいる万事屋なら、私は笑って暮らせるから。
そう思ってるのに、胸の奥が切り刻まれるように痛む。
「バカヤロー、お前」
銀ちゃんは私の鼻を思いっきり手でつまんだ。
その手を痛いなんて言って払い除けてやるなんて思ってるけど、全身の力が抜けて、涙が溢れ落ちて、私は抵抗なんて出来なかった。
もう、私の中は銀ちゃんへの想いで溢れ返ってた。
好き。
好きアル。
もう、泣けちゃうくらい好き。
銀ちゃんが好き。
だから、きっと私はこれからも変わらずに隣にいてくれる銀ちゃんに笑顔を向けて、一緒に笑って、ご飯を分けあって、隣合って眠る。
そして、見える横顔に胸の奥が苦しくなって、好きだって触れたくなって、眠れない夜に口唇を噛み締めても、それは望んじゃいけない事だから、 いつか銀ちゃんが連れてくる恋人に笑って銀ちゃんを……銀ちゃんを……
出来ないヨ。
本当は望んでるんだ。
銀ちゃんに愛されたいって。
誰よりも愛して欲しいって。
だけど、もう手遅れだから……
「銀ちゃんが好き……銀ちゃんがっ、好きアル、好き……銀ちゃんがっ」
銀ちゃんは泣きじゃくる私の顔をシワのついた着物の袖で拭ってくれた。
「汚ねーカオ」
全然優しい言葉じゃないけど、私には銀ちゃんの優しさが十分に伝わっていた。
そんな事されたら、余計に涙が溢れてくる。
「馬鹿だな、おめぇはよ。俺なんか好きになりやがって。どーすんだよ……今までと同じで済むわけねぇだろ」
私はただ首を左右に振っていた。
銀ちゃんを好きになった私は馬鹿なんかじゃない。
あのまま、何も気付かずに過ごす方がよっぽど馬鹿だ。
私は銀ちゃんへの気持ちに気付く事が出来て良かったって思うから。
だから、バカなんて言うナヨ。
「俺の覚悟も全部台無しにしやがって。どう責任取ってくれんだ」
銀ちゃんは手の動きを止めた。
今、なんて?
銀ちゃんは今、なんて言ったアルカ?
私は自分で涙を拭き取ると目の前の銀ちゃんの顔を見た。
頬が少し赤らんでいて、それは酔ってるせいなんて思って見てるけど、銀ちゃんの私を見つめる眼は真剣でしっかりとしたものだった。
「銀ちゃん?」
「ただ一緒に居られたら良いつったな?それはお前だけだろ?俺はな……そうじゃねーんだよ……そうじゃなくて」
不意だった。
急にお酒の匂いがフワッと広がって、私の体は自分以外の熱を体に感じる。
懐かしい、よく知ってる温もり。
それは、ずっと頬に残っていた、私が大切にしていた温もりだった。
私は倒れ込んだらしく、いつの間にか銀ちゃんの胸元へと飛び込んでいた。
それが自然の力ではなく、銀ちゃんがそうさせた事を分かっていた。
背中に回される逞しい腕。
今まで一度だってこんな事されなかった。
いつだってその腕は私を引き剥がそうと必死だったのに。
本当はずっとこうしたかったアルカ?
銀ちゃんの腕の中に抱かれながら、忙しなく脈打つ心臓に私の胸は今にも爆発してしまいそうで。
だけど、とても穏やかな気持ちだった。
ずっとこの温もりを私は探していたんだ。そう思える程に、私の気持ちは穏やかだった。
なのに、銀ちゃんはその平穏な私の心に一石を投じた。
「好きだ、俺も」
それまで穏やかだった気持ちは途端に鼓動と重なって激しくなり、私の体はじっとなんてしてられなくなった。
私も銀ちゃんの背中に腕を回すと思いっきり、とても強く強く抱き締めた。
それに銀ちゃんが飛び上がって痛いなんて言うけれど、私はもう一生銀ちゃんの側から離れたくないなんて思ってた。
「お前のことはただの仲間だと思おうって、思わねぇとダメだって覚悟決めてたんだけどな」
そう言って銀ちゃんは私を離した。
その覚悟を揺るがしてしまってごめんねなんてて思ったけれど、もう止められなかったから。
この止めどなく溢れる気持ちは。
「神楽に12時までに帰れって言った日あっただろ。あの日、神楽が誰を想ってようが俺には関係ないって。 そう思ってドレス姿のお前を見送ったんだけどなぁ。 なのに、沖田くんから電話があってよ……あん時、気が狂っちまいそうな自分がいて、もう普通に振る舞える自信がそりゃもう全然……なかったわ」
あの日、あんなに飲み散らかしてたのは、私がいない夜に宴を開いてたワケじゃなくて、私とサドが夜を過ごす事に素面でいられなかったからなんだ。
ずっと私はこうやって気付かなくて、だから何度も銀ちゃんを傷付けてたんだろう。
本当にごめんアル。
「にしても、新八のヤツ気付いてたってマジでか?童貞の癖しやがって……」
そう悔しそうに銀ちゃんは言った。
すると、私の背後の戸がガタッと鳴って振り向くと、煙草を加えたばあさんが立っていた。
「新八だけだと思ってたのかい?甘いね銀時。私もキャサリンもたまも、皆気付いてたんだよ」
ばあさんは銀ちゃんにニヤリとした笑みを向けるとスナックの中へと入ってきた。
そして、桐の箱に入ってる酒のボトルを取り出すと私達の前にドンと置いた。
「さぁ、ばあさんの奢りだ。新八も呼んどいで」
銀ちゃんを見れば隣で頭を抱えてカウンターのテーブルに突っ伏していた。
まさか、私と銀ちゃん以外の皆にはよく見えてたなんて……
「新八呼んでくるネ!」
私は新八を呼ぶためにスナックお登勢を飛び出した。
戸が閉まってばあさんと銀ちゃん二人だけになった室内で、私に内緒の話が繰り広げられてるなんて何も知らずに。
「ババァ、いつから気付いてたんだよ」
顔を赤らめて、ふて腐れた銀ちゃんにばあさんは笑って言った。
「いつからも何も、銀時自身も自覚する前からだよ。あんなに他人の子大事にしちまって……こうならない方がおかしいさね」
「やってくれるよな、ばあさんも。見合いの話、アイツに洩らしただろ」
「フンッ、分かってたから口止めしなかったんだろ。お前もどこかでこうなる事を本当は望んでたのさ」
銀ちゃんは何も言わなかった。
ばあさんも何も言わなかった。
だけど、二人は言葉を失ってしまったわけじゃなく、あえて何も口にしなかった。
この二人に比べたら、私はきっともの凄く青臭いガキなんだろう。
でも、私は色んな人の気持ちを知って、触れ合って少し大人になれた気がしていた。
実際に銀ちゃんがお見合い相手の人と何もなかったかどうかは分からない。
だけど、たとえ何かの関係があったとしても、今の私にはどうでも良いことだった。
それくらい、私は銀ちゃんを信じていて、銀ちゃんの幸せを願う事が出来たから。
それは少し大人になれたからなんだろう。
そんな風に私は思っていた。
その後、合流した新八とたまやキャサリンで、久々に全てを忘れて楽しく騒いだ。
すっかり2年前に戻ったみたい。
誰も口には出さなかったけれど、皆が銀ちゃんを嬉しそうな顔で眺めていた。
ここにいる皆は銀ちゃんが大好きで、私も紛れも無くその一員だった。
たまに目が合う新八がなんとなく生意気でむかついたけど、正直新八がいなかったら、私は今もサドを好きだと思ったまま、よく分からない気持ちでフラフラしてたんじゃないかと思う。
新八には感謝してもしきれない所があった。
それに、もし私と銀ちゃんが今以上の関係になってしまったら、新八は疎外感を感じたりするかもしれない。
それは新八自身もわかってるのに……新八も銀ちゃんと同じくらいに万事屋を大切に思ってることが伝わってきた。
夜も更けだし、宴もお開きになった。
新八はまだお登勢で飲んでるって言うから、私はすっかり出来上がってしまった銀ちゃんを抱えて二階へと上がった。
「大丈夫アルカ?水飲むネ?」
私は玄関先に銀ちゃんを座らせると、台所でグラスに水を汲んできた。
目を瞑ったままニヤニヤと赤い顔をしてる銀ちゃんは誰がどう見ても幸せそうだった。
思えば、銀ちゃんはずっと私を好きでいてくれてたんだ。
私は無神経に銀ちゃんにしがみついたり、胸に頬を寄せたり……
銀ちゃんが私に対してどんな気持ちでいるかも察する事もせず、他にもいっぱい酷い仕打ちをしてしまった。
だから、もう一度だけ謝った。
「銀ちゃん、ごめんアル」
それまで目を閉じて、私から受け取ったグラスの水を飲んでいた銀ちゃんだったけど、目を開けて私を見た。
ニヤけた顔はもうそこにはなかった。
「何に対してのごめんだよ」
「……全部アル」
「だから、もうそれは良いって」
「良くないアル」
銀ちゃんは困った顔で私を見つめた。
私が謝っていたい気持ちも多分分かってくれてるんだろうし、でも自分はもう怒ってないんだろうし。
そう思ってくれてる銀ちゃんの優しさが余計に私を加速させる。
「ごめんアル」
「だから、しつけーよ」
銀ちゃんはフラフラっと立ち上がると自分の足で居間まで移動した。
私はそんな銀ちゃんの後ろ姿を申し訳ない気持ちで見ていた。
銀ちゃんはソファーへ座ると、もたつく手で自分の着物の帯を解きだした。
見かねた私は銀ちゃんの隣に座ると仕方なく手を貸した。
それに銀ちゃんは驚いた顔をするとフフっと小さく笑った。
「気が利くじゃねーか、神楽ちゃん」
私は返事もせずにもくもくと帯びを解くと、銀ちゃんの着替えを取りに寝室へ向かおうと立ち上がった。
「なぁ、神楽」
さっきまで、おどけたような口調だったのに、私の背中へと投げかけた銀ちゃんの声はすごく真面目なもので、振り向かなくとも真剣な眼差しで私を見つめているのが分かった。
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