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17.射ぬかれた花

 

目を開けると私は薄暗い部屋にいた。

見えている景色から、ここがどこかの室内だと言うのは分かった。

フカフカのベッドに大きなカーテンの掛かった窓。

そして、私の後ろの方で聞こえるシャワーの音。

 

「……えっ!」

 

私は急いで体を起こすと、ベッドの縁に腰掛けた。

そして、裸足のまま窓まで行きカーテンを捲ると、隠れていた大きな窓から外の景色を眺めた。

随分と高い階層の部屋らしく、かぶき町や江戸の街並みがとても小さく遠くに見えた。

 

「起きてたのかよ」

 

背後に聞こえた声に振り向けば、そこにはホテルの浴衣に身を包んだサドが立ってた。

サドは冷蔵庫から缶ビールを取り出すとフタを開けて一口飲んだ。

そして、それを私に差し出した。

 

「飲むか?」

 

私は首を横に振ると、またサドが缶に口を付けるのをただ黙って見ていた。

 

そう言えば、私は大事な……絶対に忘れてはいけない約束を思い出した。

急いで時計を見れば時刻は午後11時半を示していた。

銀ちゃんは私を何も聞かずに送り出してくれたのに、一体私は何やってんだろ。

せめて銀ちゃんが言った12時までには家に帰らなきゃ。

 

私はハイヒールを履いてバックを持つと、大きな鏡台の鏡を見ながら少し乱れていた髪を直して帰る用意をした。

 

「何してんだよ」

 

サドが不機嫌そうに私の後ろに立った。

 

「私、12時までに帰らないとネ」

 

缶ビールを全て飲み干したサドは空き缶を握り潰すと、私の背中にだらしなくもたれた。

 

「その必要はねぇよ」

「だって、銀ちゃんと」

「旦那には俺が連絡した」

 

私は髪を弄っていた手を止めると、サドの言葉に息を飲んだ。

今、なんて?

 

鏡越しに見えるサドは驚いてる私に構いなく、私の首に手を伸ばすとネックレスを外してしまった。

 

「明日にはちゃんと連れて帰ってくれたらそれで良いって……なぁ、チャイナ」

 

背後のサドは既に酔ってるのか、それとも分かってやってるのか、私の腕を掴むとグローブを歯で噛んで、腕からスルリと抜き取ってしまった。

そんなサドの行動に私は尋常じゃないくらいにドキドキしていて、今までに感じた事のないサドの大人な部分に目が眩みそうだった。

 

「旦那に嘘ついただろィ」

「なんでアルカ?」

「驚いてたぜィ?俺が電話掛たら」

「嘘はついてないヨ」

 

銀ちゃんはサドから電話があってどう思っただろう。

私がまさか男と出掛けてるなんて思わなかったよね、きっと。

 

私はいつの間にか両腕のグローブを脱がされていて、冷静に銀ちゃんとの約束や自分の失態を思い出してるのに鏡に映る顔は紅潮していた。

それはきっとサドにも伝わってるだろう。

だって、こんなにもサドの湯上がりの匂いが近いんだもん。

 

「銀ちゃん、他に何か言ってたアルカ?」

「いや、別に」

 

サドは面倒臭そうな顔をすると窓際の椅子に腰をかけた。

今更だけど、今夜はサドと二人で過ごすアルカ?

緊張してる体がさっきまでとは違って“帰りたい”と訴えかけていた。

 

「旦那とは何もねぇんだろィ」

「誰とも何もないアル」

 

アルコールの抜けた私は落ち着かなく、酔っていた時の事を思い出すと更にジッとしていられなくなった。

 

一つ引っ掛かってるのは最後の記憶。

あれは夢だったんだろうか。

それとも現実?

サドに見えないように唇を触ってみたところで、それを確認する事は不可能だった。

そんな曖昧なものに私の体温は高くなっていく。

暑く感じる気温は、きっと熱帯夜のせいだけじゃないはず。

私はどうすれば良いか何も分からず、ただ突っ立っていた。

 

「嘘つけよ。土方さんとはあったんだろィ。色々と」

 

サドのその言葉にトッシーが万事屋を訪れた夜を思い出した。

だけど、サドの言うような色々なんてもちろん無くて、ただちょっと人には言えない事があっただけ。

それをサドは色々と言っただけかもしれないけど、私はそうは思ってなかった。

 

「土方さん、チャイナを諦めきれなかったんだろ。そんな事、端から分かってたんでさァ」

 

サドも落ち着かないのか、また立ち上がると私の正面に立った。

 

「でも、それで良いんだ」

 

そう頷いたサドはどこか満足げで、私には意味が理解できなかった。

ただ、さっきから私を見つめるサドの目がその色の通りに真っ赤に燃えていた。

いくら私でも、その熱を感じる視線に気付かないわけじゃなかった。

 

「チャイナ、分かるか?土方さんはわざわざ身を引こうとした」

 

サドが私の耳に手を伸ばした。

それをくすぐったいと思って身をよじろうとしたけれど、サドにそれを阻止された。

そのまま私が動かないのが分かると、サドは耳に触れていた手を私の頬に移動させ、いつものサドからは想像が出来ないくらに優しく撫でた。

 

「あの野郎、誰かの為に身を引いて、自分はチャイナを諦めようとしたんでさァ」

 

私はサドの言葉より、どうしても手の動きに集中していて、頬を撫でられてるだけなのに気がおかしくなりそうだった。

 

「譲られた方はいい気なんてするもんじゃねぇ。勝ち取るから意味があるんでさァ。なぁ、チャイナ。お前だってもう気付いてんだろィ?」

 

サドの手は遂に頬から移動して、私の唇を親指で撫でた。

それが私の体を震え上がらせる。

もう、ダメアル。

気が遠退いてしまいそうだ。

 

「なら、俺を選んだって思ってもいいよな?」

「え、えら、んだ?」

 

私は息が絶え絶えで、何もしていないのに苦しかった。

目の前のサドもさっきから呼吸が荒い。

見つめてる先の瞳に吸い込まれてしまいそうで、会話なんて全然頭に入って来ないのに、私は理解しようと頭をフル回転させる。

 

「あ、あのっ、あれアルカ?そのっ……」

 

そんな私を嘲笑うかのように、サドの指は私の唇をなぞって更に刺激を与え続ける。

きっと、こんな私を見てサドは楽しんでるんだ。

仕方ないダロ……だって、慣れてないアル。

こんな扱いも、こんなサド自身にも。

 

「俺が今からどうしたいか分かってんだろィ?」

「あ、あれダロ……あのっ」

 

サドとの距離が徐々に近付いていって、もう私の思考は停止してしまった。

耳の中までうるさく鳴り響いてる鼓動が、私に緊急事態を知らせていた。

いよいよ、ダメアル。

 

「シャワー浴びて来いよ。そのまま寝るつもりじゃねぇだろィ」

 

私はその言葉にかろうじて避難経路を見つけ出した気になった。

我に返った私は急いで、身を隠すようにバスルームへと向かおうとした。

 

「あっ……やっぱり、後ででも良いだろ?」

 

“後で”

その言葉の意味を私のカラダは充分に分かってるらしく、頭が理解するより早く赤く染まった。

サドは私の腕を掴むと軽く自分へと引き寄せた。

それに足元のおぼつかない私はサドの胸へとなだれ込む。

 

もう、全部忘れてもいいかな?

……忘れたフリをして、流れに身を任せてもいいかな?

 

私がサドの背中へと腕を回すと、サドも私を強く抱き締めた。

そして、二人で見つめ合った。

 

完全な大人じゃないけど、もう子供でもないから。

パピーにも、お星様になったマミーにも言えない秘密の遊びを始めようとする。

もし、その合図がキスならば、私達はもうとっくにスタートを切っていた。

 

微かな記憶だけど確かに残ってる。

このサドの唇の感触が。

エレベーターで私は眠りに落ちながら、間違いなくキスを交わした。

……カラダはしっかり覚えていたんだ。

 

私は二度目の口付けを今度はちゃんと覚えていようと必死に記憶に焼き付けようとしてるのに、一方でそんな事がどうだってよく思えていた。

さっきだって記憶は薄れてしまってたのに、カラダはちゃんと覚えていたから。

記憶に残さなくたって悲しくない。

なんて言うのは建前で、本当はもう何も考えられなくなってるだけだった。

だから、もう……どうだって……

 

求め合うってこう言う事なのかな。

唇から舌から息から唾液から。

どれもこれも無駄にしたくなくて、初めてなのに全てが欲しくなる。

子供のままじゃ、きっと分からなかったこと。

お酒の味だってそう。

昔なら美味しいなんて思えなかったヨ。

サドのことだって同じで……

 

「チャイナ、てめーは俺を選んだんだよな?」

 

耳元で呼吸を荒げたサドが切ない声を出した。

 

「分かんない、そんなの、もう分かんないヨ!」

「いいから答えろよ」

「……だって、もうオマエのせいで」

 

私は自分からサドに口付けするとサドの首に手を回し、そのままベッドへと倒れ込んだ。

もう、サドのせいで私の体はおかしくなりかけていた。

その責任を取ってもらわなきゃ、私はコイツを一生許さない。

 

「チャ、チャイナ?」

「もう全部オマエのせいヨ」

「……だったら、俺は謝んねぇからな」

 

ハイヒールもドレスも、少し大人になりきれなかった私も脱ぎ捨てて、初めて迎えるディープな夜を今から二人で味わおうとしていた。

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