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5.卒業式当日/銀八【銀→神】

 

ジリリリリリ……

けたたましく鳴り響くジャスタウェイ。

頭痛と吐き気で目が覚めた。

 

「いってー。つーか、目覚ましうるせー……おい、おい、おい、マジかよ!」

 

目覚まし時計の時刻を見れば、起きなきゃならねぇ時間から遥かに時が経っていた。

 

「やっちまったな」

 

テーブルの上に散らばった空き缶が全てを物語っていた。

そう、俺は二日酔いだ。

飛び上がり、洗面所に駆け込んだ。

いまいち決まらないと言うか、いつもと変わらず思い通りにいかない髪の毛に見切りをつけると、クローゼットの前に掛かっているスーツに急いで袖を通した。

 

「いよいよ……か」

 

家から飛び出てスクーターに乗れば、最後のあいつ等の顔を見に行く。

どうやら教師とは、生徒の成長を喜ばなきゃならねぇ職業らしい。

だけど、俺は教師の端くれ……いや、下手したら教師とは呼べたもんじゃなくて、めでたい何て言えそうもなかった。

 

「やっぱり、呑むんじゃなかったか」

 

今更、後悔したところでどうしようもねーんだが。

しかし、酒を呑んだ事に後悔してたワケじゃなかった。

酒に頼っても消えない考えなら、もっと逃げずに真面目に考えりゃ良かったと思って。まぁ、それも今更だが。

こんな形で俺は、酒を呑んだ所で忘れることの出来ない問題もある事を知った。

信号待ちで煙草に火を点ければ、少しまだ冷たい空気を肺に取り込んだ。

それを吐き出すと歩道に植わる桜の木を見た。

まだ小さくではあったが、桜の花の蕾がつき始めていた。

それがアイツと重なった。

突然、後ろからクラクションが聞こえ、それでようやく信号が青に変わった事を知った。

もう直ぐで咲くってのによ。

アイツは俺の手から離れ、街を出て行く。

アイツが目の前に現れたあの日から、俺はずっと見守って来た。

だからこの先、明日も明後日もずっと……見守って行けるような気がしてたのにな。

教師と生徒なんて垣根は、俺の中には存在しなかった。

ただ、1人の人間としてアイツをいつも見て来た。

それも今日で終わりなのか。

せっかく昨晩、酒を呑んで掻き消したつもりでいたのによ。

また、考えちまってる。

俺は何とか学校に滑り込むと、3年Z組を目指して走った。

ドアの前に立つと気持ちだけネクタイを締め直しドアを開けた。

 

「よー、お前ら。バカばっかだが、ついに卒業とは感慨深いじゃねーの」

 

平常心を装っていつも通りに振る舞ってみた。

教室内は普段は祭りの様に賑やかだが、今日だけは葬式の様だった。

俺は式への呼び出しが掛かるまでイスに座り、ジッと一点を見詰めていた。

ただ、神楽を――

頭によぎるのは、別れへの淋しさとアイツへの愛おしさ……

何度、放課後の教室で抱き締めたい衝動に駆られただろう。

何度、クラスの奴らとはしゃいでる姿に、俺も同級生に生まれたかったと羨んだだろう。

毎晩、毎晩、どんなに隣りの部屋が気になったか。

どれ程、眠れない夜を過ごしただろうか。

珍しくしんみりとした表情のアイツには何も伝わってねーんだろうな。

この葬式みたいな教室で卒業を嘆いてる奴が居るとすれば、その1人は間違いなく俺だろう。

 

「おい、別に明日から一生会えなくなるわけじゃねぇんだよ?もう少し、こう笑えねぇのかよ?」

 

それは生徒に向けて言ったつもりが、自分の耳が痛かった。

 

「先生!でも私、今日にはこの街を出るネ」

 

神楽が少し寂しげに言った。

この発言を皮切りに、各々が話し始め、少し教室に賑やかさが戻っていった。

 

「先生」

 

神楽が席を立って俺の机の前に来た。

 

「何だよ」

「先生、急にお腹痛くなって来たアル」

「トイレ行ってきばって来い」

「違うネ。なんか……緊張かもしれないネ」

 

いつもに増して神楽の白い顔に俺は少し不安になった。

俺は桂にすぐ戻ると言って神楽を連れて教室を抜け出した。

 

「もしかして、冷えたか?」

「わかんないネ」

 

俺は背中を丸めて歩く神楽の肩に躊躇いながらも手を置いた。

 

「先生、最後まで迷惑かけたナ」

「萎らしいじゃねーか。本当に病気か?」

「かもしれないネ」

 

そう言った神楽はフラッと体をよろめかせ、急に俺に倒れ込んできた。

 

「お、おい!!」

「先生ぇ、もうダメかも……ギュルルルル」

「神楽、朝飯食ったか?」

「そう言えば、食べてなかったネ」

 

苦笑いをする神楽を売店に連れて行き、とりあえずサンドイッチを買ってやるとベンチに座らせ食べさせた。

 

「病気じゃなくて良かったな」

「別に、病気でも私は良かったアル」

「何でだよ」

 

神楽は持っていたサンドイッチを全部口に詰め込んだ。

 

「ほふぎょーひたくなひからよォ」

 

神楽が何て言ったか。

大体は検討がついていた。

それは俺が思ってることと瓜二つだったから。

今だって俺はお前を連れて学校を抜け出したいと思ってる。

だが、それをしたからと言って神楽を引き留められる事は無いと分かっていた。

何とも言えない口の中の苦味に、俺は変な顔をした。

もう直ぐで、花は咲こうってのに――その前にお前は俺の前から消えてしまうのか?

そんな事を考えていたら、目線の先の神楽と急に目が合った。

 

「先生」

「ん?」

「今年は一緒に桜見れないアルなぁ」

「だな」

「私は、この街の桜が好きだったアル。とっても」

 

俺達は毎年春になると、桜の下で花見をしていた。

満開の桜を見て、その花と同じ様な顔で笑うお前を見るのが俺は本当に好きだった。

そして、毎年散り行く桜にいつか来るであろう別れの日を重ねて見てた。

それが今日ってんだから、信じられねぇ。

 

「別に桜ならここじゃなくても見れんだろー?」

「それはそうネ。だけど、違うネ」

「種類がか?」

「ううん」

 

神楽はサンドイッチを全て平らげると立ち上がり、軽い伸びをした。

 

「みんなと……先生と見る桜だから良かったアル」

 

確かに神楽はそう言った。

どうしてもその言葉を自分の都合の良いように解釈してしまい、柄にもなくニヤケそうになっちまった。

 

なぁ、神楽。

今日、式でお前の名前だけ呼べなかったらごめんな。

俺、未練がましいからよ。

 

「先生、そろそろ3Zも入場して下さいと連絡が来ました」

 

向こうの方から桂が小走りにやって来た。

 

「おう」

 

俺は返事をすると3Zの教室に戻る事にした。

 

「神楽」

「んっ?」

 

コチラを振り返り見る制服姿の神楽を、俺は目にしっかり焼き付ける様に眺めた。

――忘れないように。

無邪気で、バカで、大食らいで、俺の苦悩も知らずにまとわり付いてきて。

でも、俺はそんな神楽がきっと好きだった。

 

「よし、行くか」

 

窓の外を見れば、また雪が降りそうな天気になっており、桜の花はまだ咲きそうもなかったが、俺は目の前に満開の桜を見たような気がした。

 

「先生、一番寂しいのは本当は先生アルな。私、知ってるネ」

 

そうやって悪戯に笑う神楽に俺は心の中で謝った。

ごめん。

やっぱり、名前呼べそうもねーや。

 

2011/02/18

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