笑顔の日まで/新→←神
時刻は深夜0時を回ろうとしていたが、新八はまだ眠れないでいた。
5年ぶりに箪笥から出した青いライン入りの着物と袴。
新八はそれを懐かしむように、だがどこか憂いに満ちた表情で手に取ると、枕元へと置いたのだった。
思い出が嫌でも蘇って来る。
だが、今夜はそれを受け入れると決意したのだ。愛するたった一人の肉親の為に。
新八はスゥと息を吸い込むと、気持ちを落ち着かせた。そして、ようやく明日に備えて寝床へ就こうと布団へ入る時だった。
だが、こんな時間にも関わらず、戸を叩く音が聞こえた。
「誰だ?」
新八は刀台に置いてある木刀を手に取ると、寝間着姿のまま静かに玄関へと向かった。
軋む廊下を渡り、月明かりが射し込む玄関へ着くと、戸の格子に浮かび上がるシルエットに眉をひそめた。
線の細い影に、夜風で揺らめく長い髪。片方の頭にだけ付けられているお椀型の髪飾りが、くっきりと浮かび上がっていた。
神楽……?
新八は玄関のたたきへ下りると、戸を開けずに用件を尋ねた。
「夜更けに何の用だ。貴様には常識というものが無いのか」
だが、戸の向こうの神楽はだんまりだった。いつもの様に言い返してくることはなく、新八が戸を開けるのを大人しく待っていた。
そんな神楽に関わらず、新八はその戸を開けずに話を続けた。
「なんだ? 認めるのか。実にくだらない。俺はもう寝る。貴様に構っている暇などないからな」
新八は冷たく突き放すと、その背中を月明かりに照らした。
つい先ほどまで同じ道を歩き、同じ方角を向いていたのだが、別々の棲家へと帰るために神楽とは別れたばかりであった。
少々、後味の悪い別れ方をした。
それもあり、新八は神楽と顔を合わせることを躊躇ったのだ。
あの時、本当は何を言わなければならなかったのか、新八は分かっていた。その後悔があるだけに、こうして神楽が訪ねて来た事を恥ずかしく思っていた。自分は逃げたのだと。
それが余計にその戸を開けさせなかったのだ。
だが、神楽はそんな事も分かっているのか、戸の向こうで落ち着いた声で話した。
「余計なお節介なんて言われるでしょうけど、言っておきたい事があるの」
新八はその言葉にどうしようか悩んだが、明日からまた共に活動する事になるわけだからと、仕方ないと戸を開ける事にしたのだった。
戸の隙間から徐々に月明かりが射し込む。
それを背に受けた神楽が、俯き気味でそこには立っていた。
「……随分とガランとして見える玄関ね。花くらい飾ったら?」
「そんな事を言う為に来たのか?」
神楽は上がらせてもらうわと言うと、ブーツを脱ぎ、5年ぶりに訪れた志村邸へと足を踏み入れたのだった。
その瞬間、新八の胸に痛みが走った。
これだから……
新八は痛みに顔を歪めると、自分を見つめている神楽に気付き、その顔を伏せた。
「用件が済んだらさっさと帰ってもらう。良いな?」
新八はそう言うと、神楽を客間へ通したのだった。
「勘違いしないでよね。別にアイツの為でも、アンタの為でもないんだから」
神楽は寒々しい客間で、座卓を挟み正面に座る新八に言い放った。
「分かっている」
眼鏡を指で上げた新八は一言だけそう答えた。
座卓の上には、見慣れた赤いチャイナドレスが畳まれて置かれている。その脇には二つの髪飾り。それらを見つめる神楽の表情は、先ほど新八が箪笥から出した着物を見つめていたものと同じであった。
神楽の用件。それは――万事屋再結成を誓ったのだから、ちゃんと私達も元に戻ろうというものだった。
だが、5年もの歳月が2人を簡単には元に戻してはくれなかった。
それでも、大切な人との誓いを守る為に、神楽は一度別れた新八を訪ねて来たのだ。
「よく言うじゃない? 形から入ると何とかって」
神楽はそう言って、頭に付いている片方だけの髪飾りを外したのだった。
「フン、本質を見失うな。だが、その考えには賛同する」
新八は自分も3人で万事屋をやるのなら、あの頃の自分に戻ろうと着物を用意したのだった。そんな事で本当にあの頃に戻れるかは定かではないが。
新八の頭に、銀時の顔と姉であるお妙の顔が浮かんだ。
「なら、コレ。必要でしょう?」
神楽はそう言い、机の上にハサミを一丁置くと、新八の目を見つめていた。
その真っ直ぐな悲しい色の瞳に、新八は思わず目を逸らした。
だから、嫌なんだと。
「何するつもりだ? そんな物で戦えと言うわけじゃないだろうな」
「バカ言わないで。その髪、アンタには似合わないって言ってんの。新八には」
いつまでも意地を張って、子供くさい。
そんな言い方しか出来ない神楽にそう思わずにいられなかった。
だが、それは自分に対しても同じで、いつまでも歩み寄らないで突っぱねている己に嫌悪感を覚えた。
だが、そんな事は分かっていても、5年もの月日をかけて育てたものは、そう簡単に崩せるものではなかった。
「それくらい貴様に言われなくても、やろうと思っていたところだ」
神楽は眉間にシワを寄せると、神楽はハサミを持って立ち上がった。
やる気か!?
新八は思わず構えると、臨戦態勢になった。だが、神楽はハサミを新八に差し出すと、隣に座ったのだった。
そして、背中を向けると小さな声で言ったのだった。
「私の髪、切って欲しいの」
新八は自分に益々嫌悪感を募らせると、思わず頭を振った。
歳月のせいにするのは、もうやめよう。
受け取ったハサミを持つと、新八は神楽に言った。
「……風呂場でなら」
新八のその言葉に神楽は照れたように笑うと、分かったと言って立ち上がり風呂場を目指した。
新八はそんな神楽の姿にまた胸の痛みを感じると、歯を食いしばり風呂場へと伸びる廊下を歩いたのだった。
「どこまで切ればいいんだ?」
新八は風呂場の椅子に座る神楽の背に向かい、ぶっきらぼうに言った。
神楽の長い髪は5年もの間にだいぶ伸び、腰あたりまでの長さがあった。
「髪飾りに入る長さだから……肩くらいかな」
「そんなに切ると、失恋と勘違いされるんじゃないか?」
新八は冗談のつもりでそんな事を言ったのだが、神楽はくすりとも笑いはしなかった。
その代わりに、小さく頷くとそれを肯定した。
「半分は当たってるかな。私の恋する万事屋は、半分だけ返って来るから。でも、もう半分は……振られたまま」
新八は眼鏡を指で上げると、神楽の髪を指で掬った。
「……切るぞ」
「うん、お願い」
ハサミを僅かに動かすと、ハラリと神楽の美しい髪が散って行く。
そんな光景に新八は胸が痛くて堪らなくなった。
どうして今まで避けていたのか。
それは――この気持ちから、現実から逃げる為だった。
目の前にまだある大切な存在から目を逸らして。
新八は神楽の髪を、涙を流しながら切ると、肩の辺りまで短くしたのだった。
足元に散らばる鮮やかな髪が、まるで花がその美しい花弁を散らせたようで、新八はぼやける視界で見つめていた。
こんなにも、今生きている現実は美しいのだと。
だが、次の瞬間、新八は息を飲んだ。
こちらを向いて笑っている少女……女性がいるのだ。その顔は懐かしく、いつだって当たり前のように、自分の隣に存在していたものだった。
新八は寝間着の袖で涙を拭うと、神楽にハサミを差し出した。
「切ってくれ」
神楽は黙ってハサミを受け取ると、新八と場所を交代した。
"あれから"強くなった。
そして、感情に振り回される未熟さを――お通ちゃんをも捨てた。
なのに、得られたものはガランとした空間と、温かみのない世界だった。
そんな味気ない日々はいつしか日常となり、賊相手にその憂さを晴らすよう木刀を握った。
しかし、何もかもを捨てたと思っていたのに、重い重い思い出をずっと抱えている事には気付いていなかったのだ。
神楽と歪み合えば合うほど、それが重くのし掛かり、自分の足を鈍らせているなど思いもしなかったのだ。
「俺は……僕は愚かだ」
新八は呟いた。
「知ってたアル」
神楽がポツリと答える。
それが懐かしくて、だがやはり月日の流れを感じずにはいられない。
背中にぶつかる神楽の柔らかな体が、新八の頬を赤く染めた。
「切れただろ?」
神楽は新八の髪を櫛で梳かすと、あと少しとハサミを動かした。
だが、新八は神楽の体のせいで落ち着いていられなかった。
「も、もう充分だ!」
そう言って神楽に背を向けたまま立ち上がると、新八は風呂場から出て行こうとした。
すると、そんな新八の右手を神楽が掴んだ。
「流していかないの?」
新八は赤い頬で神楽を振り返ると、固まってしまった。
「ほら、頭下げて」
神楽は新八の頭を無理やりに下げさせると、シャワーのお湯を後頭部から掛けたのだった。
新八は一瞬だけ、全く別のシャワーを浴びる神楽を想像してしまったことを深く反省したのだった。
そして、そんな自分はツッコミを捨てたにも関わらず、まだまだ未熟だと苦笑いを浮かべると、少しだけ自己嫌悪が薄れたのだった。
髪を切り終え、さっぱりした2人は客間でまた向き合って座っていた。
だが、来た時よりはその空気は穏やかで、万事屋としての2人が戻って来ようとしていた。
「そういえば、昔の服まだ着れるかな?」
神楽は机に置いたままのチャイナドレスを、畳の上に広げてみせた。
そして、おもむろに今着ているチャイナドレスの帯紐を解きに掛かったのだった。
新八はギョッとしてそれを見ていると、慌てその手を止めに入った。
「何してるんだよッ!」
神楽は不思議そうな顔をしていた。
「何って、着てみようと思っただけ。明日、着れなかったら笑い者でしょ?」
新八はそうじゃなくてと言うと、ハァと溜息を吐いた。
男の前で服を脱ぐなんて。
5年も経っているのに、まだそういうところは育ってないのかと新八は呆れていた。
「分かってないのか? 俺も男なんだぞ!」
すると、神楽は謎めいた顔で新八に言った。
「そんな事、知ってるけど?」
新八は絶句した。
男の前で服を脱ぐ事が平気なのかと。
脱がれるこちらは全く平気じゃないと、新八は急いで客間から出て行った。
廊下に出れば、少しひんやりとした空気が火照った体に丁度良かった。
神楽は着替えているのか、布の擦れる音が部屋から聞こえる。
何を思いあんな事を言ったのだろうか。
神楽の考えている事が、新八には理解不能であった。
男の前で脱ぐ事が平気な程に、色んな男にあの体を見せて来たのだろうか。
どうでも良いことの筈なのに、新八の胸は痛んだ。
「新八!」
神楽の弾んだ声が聞こえると、廊下と客間を仕切る戸が開けられたのだった。
「着れたアル」
神楽は嬉しそうな顔になり、その場で一回転をすると、何か言葉を待っているようだった。
「なら、明日も早い。帰ってもう寝ろよ」
しかし、新八は神楽から視線を逸らしてそう言うと、服のことには触れなかった。
その服が似合うという事くらい、昔からもうずっと知っていたのだ。
新八は冷たい廊下に立ちながらそう言い放つと、戸の正面を明け渡し、神楽に帰るようにと促した。
「……じゃあね、また明日」
神楽は伏せ目がちにそう答えると、着てきた服を胸に抱え、廊下を駆けて行った。
新八はそんな神楽を追いかけることはなく、ただ廊下に立ち尽くしていた。
似合うと言えば良かったのだろうか? しかし、それを言って別れて明日を迎える事に、何か意味があるのだろうか。
新八には分からなかった。
愚かな事には気付いている。
明日からまた共に万事屋を結成する事も決まっている。
それでも、やはり神楽を追いかける事は出来なかった。
今追えば、その体を感情に任せて抱き締めてしまいかねないからだ。
それは、許されない。今はまだ、何も始まってはいないのだ。
新八は短く切られた自分の髪を撫でると、小さく笑った。
下手くそだと。
その笑顔をいつか神楽に見せられるようになる日まで、どれくらいの日々を過ごすことになるのか。
この時は、まだ分からないでいるのだった。
2013/12/19
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