愛故に/近神
ガタガタと先程から落ち着きがなく、真選組の局長である近藤は何度もトイレへと駆け込んでいた。
「もう、さすがに何も出ないアルヨ」
真選組屯所の一角にあるこの部屋。
近藤はそこで神楽と二人、大切な客人を待っていた。
正座をし、優雅な所作でお茶を飲む神楽の姿は、すっかり大人の女性を思わせた。
「でもよ……ヤバい!もう一回だけッ!」
「もうッ!やれやれネ」
溜め息を吐いた神楽は、先程から落ち着かない近藤に少々苛立ちを覚えていた。
何度も部屋とトイレを往復し、近藤が神楽の隣にジッと座ってる事はなかった。
この落ち着きなさ。
それにはある理由があった。
それは、二人が迎えようとしている客人が大きく関係していた。
神楽は近藤が出ていく度に溜め息を吐くものの、仕方がないかと近藤の気持ちを汲んでやっていた。
何故ならば、今から会おうとしているのは、あの天下の星海坊主であり、話す内容と言うのが――
「パピーにきちんと話してくれるかな、結婚のこと……」
神楽は薬指にはめられた指輪を何度も光に当て眺めながら、将来の旦那になる男の落ち着きのなさに困った顔を浮かべた。
いや、どちらかと言えば困ったと言うよりは悲しい表情で、とてもプロポーズされた女性とは思えない顔だった。
自分の父親に会うのを嫌がってるようにさえ見える近藤に、神楽は少し不安になっていた。
「いやぁ、やっぱり神楽の言う通り何も出なかったな」
トイレから戻って来た近藤は苦笑いを浮かべると、アハハと照れ隠しのように笑った。
神楽は立ち上がると、戸の前で立ったままの近藤に怖い顔で詰め寄った。
「えっ……?」
神楽は背伸びをして近藤と顔の距離を近付けると、ジーッと目を見つめたのだった。
その目は何かを探るような、疑うような。
近藤は自分が何も出なかったと言った事が嘘だと思われてるのかと首を傾げた。
「いや、本当に出なかったって。なんなら確認して……」
「しないアル!」
神楽は下らない事を言った近藤にプイッと顔を背けると、先程まで座っていた場所にまた座った。
そんな神楽の態度に近藤は頬を掻くと、どれくらいかぶりに神楽の隣に座った。
「どうした?何か気に入らねぇのか?」
神楽はハッとして近藤の顔を見た。
漸く自分の隣に落ち着いて座ってくれたと嬉しくなり、神楽の顔がぱあっと明るくなった。
しかし、それは数秒ともたなかった。
ソワソワし始めた近藤はまた立ち上がると、今度は何も言わずに急いで戸を開けようとした。
それには神楽もいい加減にしろと近藤の腕を掴むと、近藤が出ていくのを阻止したのだった。
「えっ!なんでっ?」
青ざめた近藤は腕を物凄い力で握られてはどうする事も出来ないと足を止めるしかなかった。
しかし、見つめた先の神楽の顔が思ってたモノとは全く違い、止めた足を神楽の方へと進ませたのだった。
「いや……その……泣かせるような事した?」
近藤は足を屈め、うつ向く神楽を覗き込むと頭を撫でた。
神楽は険しい顔のまま、近藤の着物の袖を掴むと流れる涙を拭ったのだった。
「鼻はかむんじゃ……」
「チーン!」
「…………」
神楽は漸く顔を上げると、真っ赤な鼻で近藤を見た。
その顔は先程よりもずっと子供染みており、近藤の目に幼く映ったのだった。
「言ってくれ。俺が多分……その、泣かせたんだろうから」
詫びるような表情でそう言った近藤に神楽は頷くと、自分が何を思ってるかゆっくりと話し始めたのだった。
「パピーに挨拶するって決まってから、オマエがずっと落ち着かないのは仕方ないって分かってたアル。だけど、当日になってもまだジタバタしてて……腹くくれヨ!ってちょっとイラついたアル」
近藤はハハハと力なく笑うも、直ぐに神楽に睨まれて冷や汗を掻いた。
「お前の親父さんがどれだけの人か知ってるだけに、さすがにいち人間としてビビっちまってな」
「……本当に、本当にそれだけアルか?」
震える声でそう言った神楽に近藤は眉を寄せた。
「それだけって言われてもなぁ」
「潜在的に本当は私と結婚したくなくて、パピーに挨拶するの嫌がってるんじゃないアルかっ?」
あまりにも感情的にそう言った神楽に近藤はどうすればいいか焦った。
ここに来て何故急にこんな事を言い出したのか。
これが俗に言うマリッジブルーってやつなのか?
近藤の頭の中でグルグルとそんな言葉が回っていた。
「本当は……まだ姉御の事、忘れられないんでしょ」
突然そう呟いた神楽に近藤は思わず大声を出した。
「馬鹿野郎ッ!」
そして、直ぐに神楽を自分へと引寄せ抱き締めた。
何を言い出すのかと思えば……
近藤は自分よりずっと細い神楽の体を折ってしまわないように、だけどこの気持ちが伝わるように優しくギュッと抱き締めたのだった。
「もう昔の話だ。今の俺にはお前しかいねぇ。それは絶対だ」
「でも、不安になったアル。キスだって……まだだし。もしかしたら、本当は嫌いなんじゃないかって思ってしまったアル」
近藤は神楽が本当に大切だった。
自分を心から愛してくれた初めての女であり、自分が一生かけて幸せにしてあげたいと思った最後の女だった。
そんな年の離れた神楽を近藤は大切にするあまり、キスはもちろん、体に触れ合う事もしなかったのだった。
神楽にすればそれが不安を掻き立てる要因で、もしかしたら本当は自分を好きじゃないのかもとモヤモヤした気持ちでいた。
それに重なって、この落ち着きのない様子。
どうしても、悪い方へ悪い方へと考えてしまったのだった。
「嫌いな人間にプロポーズする奴なんていねーよ。それに、今回は星海坊主殿に会うわけじゃねぇんだ。愛する女の親父さんに会うんだ。緊張して当たり前だろ。分かってくれよ、なっ?」
近藤は神楽の顔を覗き込むと憂いに満ちていた表情は一変し、照れ臭そうに笑っていた。
それを見た近藤もニッと笑うと二人は更に抱き締め合った。
ただ、いくら強く互いの体を引き寄せたところで、愛しい想いを伝えるのにも限度があった。
近藤は自分の胸に押し当てられるようにある神楽の女性的な肉体や、細くくびれた腰周りに次第に意識が集中していった。
そのせいか、神楽を抱き締めてる腕は高い位置から徐々に腰の方へと下りて行く。
それには神楽も気付いており、自然と体に力が入った。
大切だからと今まで神楽に触れないで来た近藤だったが、愛してるからこそ触れたいと願う自分がいる事も知っていた。
今まではどうにか前者が勝って来たが、今回はどうだろう。
近藤は片手を神楽の腰に当てたまま、もう片方の手で小さな白い顎を掴んだ。
そして、そのままクイッと上へ向けると伏せられた瞼と赤い頬が目に入った。
近藤は整ったその顔をしばし見つめていると、徐々に神楽の顔全体が赤く染まるのに気付いた。
正直、その様子は可愛くて仕方がなく、いつまでも眺めていたいものだった。
しかし、あまりにも恥ずかしそうな姿に、いい加減俺も目を瞑るかと、神楽の瑞々しい唇に自分の唇を落としたのだった。
それは想像してたものよりずっと甘く、近藤を見事に溺れさせた。
激しくなった唇は神楽の奥の方まで絡み取ると次第に唇から逸れ、白く隠れるようにある首筋へと移動して行った。
その頃にはいつの間にか、広くしっかりとした座卓に神楽を倒しており、覆い被さる近藤は無我夢中で神楽を愛していた。
それは本当に餓えた獣の様に荒く、今にも神楽の体に牙を剥きそうな程だった。
「神楽……我慢しなきゃなんねぇだろうか?」
苦しそうにそう言った近藤に神楽は冷静に答えた。
「我慢した方が良いアル」
次の瞬間、ガタンと言う音が聞こえて顔を上げれば、近藤の目にこの世で最も危険なものが目に入った。
「神楽ちゃーん!コイツかぁぁああ!お釈迦さんになりてぇとか抜かしてた奴ァ!!」
「パピー!違うネ!お日様みたいな人アルヨ!」
今にも殴り掛かって来そうな星海坊主を前に、近藤は急いで神楽から飛び降りると星海坊主の足元で土下座をしたのだった。
「お、お、お父さんをぼ、ぼぼ僕に下さいッッ!!」
ガタガタ震えながらそう言って頭を下げる近藤に、星海坊主も神楽も笑うしかなかった。
「神楽ちゃん、って言ってるけどどうする?」
「仕方ないアル、少しだけなら分けてあげるネ」
暫く間違いに気付かない近藤は、頭にハテナを浮かべながら大笑いする二人の顔を不思議そうに眺めてるのだった。
2011/07/14
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