恋わずらい/高神※
「怪我か……」
振り向いた高杉先生は、私の顔を見て僅かに歯をこぼした。
「保健室に何の用だ」
「用事なかったら来ないアル」
「怪我もないのにか?」
先生は私が冷やかしに来たと思っていた。
怪我なんて滅多にしないのは認める。
だけど、保健室に来るのは怪我人だけじゃない。
それは先生だって知ってる癖に。
「じゃあ病気か?」
「そうかもしれないネ」
午後の授業を抜け出してきた保健室は、大きな窓から柔らかい陽の光が入り込んでいた。
喧騒から隔離されたこの場所は、まるで先生と私2人だけの秘密の部屋みたいだった。
数ヶ月前まで私は毎日の様にここへ通っていた。
留学してきてスグにクラスに馴染めなくて、学校に居場所がないと思っていた私には唯一、安心出来る場所だった。
何を考えてるか分からない先生に戸惑いはあったけど、静かに話しを聞いてくれる姿勢に次第に心を開いていった。
そして、気付いた時には先生への親しみが“恋心”へと変化していて、初めて沸き上がる気持ちに私は戸惑ってしまった。
だけど、その頃には私はすっかりクラスに馴染めていて、保健室に通うこともなくなっていた。
会えない事が余計に私の恋心を燃え上がらせる。
募る想いは遂に心を飛び出して胸へと侵食をはじめ私の息を詰まらせた――
先生は私に椅子に掛けるように言うと、手に持っていたマグカップを机に置いた。
「症状はなんだ?風邪か?」
「なんか苦しいアル」
「また食い過ぎじゃねぇのか?」
「そんなんじゃないアル。腹じゃなくて胸ネ」
笑いながら私の額に手を当てて熱を確かめる先生に、苦しかった胸が更に苦しくなった。
「ベッドで休んでいくか?」
そう言って先生は私の体を簡単に担ぎ上げた。
あんまりにも容易くやってのけるから、誰にでもこうするんじゃないかと傷付いた。
「慣れてるアルなぁ」
「俺が慣れてるなんてお前に分かんのか?よっぽど抱かれ慣れてんだな」
そうやって意地悪く言う先生に私の心臓はドドドと音を立てる。
どれだけ私を苦しめたら済むのだろう。
先生のこと……こんなに好きなのに。
だけど、この気持ちどうしようもなくて。
優しくされる度に私が苦しんでるなんて考えもしないんだろうな。
先生は優しく私をベッドに寝かせると布団を掛けてくれた。
他には誰もいないせいか、2人だけの空間に私の心臓の音だけが聞こえてるような気がした。
それがバレたくなくて私は誤魔化すように口早に言葉を発した。
「せ、先生は私が病気しないとでも思ってるアルか?」
「そんなこと言っちゃいねぇ。お前を侵すほどの菌に興味すらある」
私に興味があると言われたわけじゃないのに、さっきよりも激しく脈を打つ。
「菌なんかじゃないモン」
「そんなこと……調べてみねぇと分からねぇだろ」
そう言って私を見下ろす先生の目が一瞬、見たことのない色を帯びた。
それに先生も気付いたのか、またいつもの瞳に戻ると私に背を向け大きな窓の外を眺めた。
「胸が苦しいなんて……まるで恋でもしてるみてぇだな」
どんな顔して先生はそう言ったのかな。
私は“そうだよ”とは言えなかった。
言えないからこんなに苦しいんだ。
胸が張り裂けそうでオマエの……先生のせいだって言えたら、この病気は治ってしまいそうなのにね。
私に勇気があったらな――
「意外にもそうなのか?」
「ち、違うアル。恋なんてしてないモン。全然そんな事ないアル」
「また強く否定するじゃねぇか。お前が恋愛をしてたとして、俺が笑うとでも思ったか?」
先生は真剣な眼差しで私を見下ろして髪を撫でた。
その手を止めて欲しくなくて、だけど胸は苦しくて。
先生に尋ねたい。
私だけ?
誰にでもこうするの?
「もう、止めるアル」
私は堪えられなくなって思わず先生の手を払い除けた。
だけど、スグにその手を掴まれて私は心臓が停まりそうになった。
「あっ……えっ……」
先生の顔が次第に私に近付いてきて、何も出来ないで見てるだけの私に先生は目を細める。
みるみる内に熱くなっていく顔に先生はもちろん気付いてるハズで、私はもう目を瞑る以外に逃げ道が無かった。
段々と先生の顔が近付いてくる気配を感じて、私は尚一層強く目を瞑った。
本当に何がしたいのかわからなくて、私の身体は本当に熱を発したように熱かった。
急に額にヒヤッとした感触に目を開ければ、先生のオデコが私にピッタリとくっついていて、鼻先が擦り合ってしまうんじゃないかって程に先生の顔が近かった。
「本当に風邪か?熱が上がったな」
先生のせいで熱が上がったのに!
これが本当に私の気持ちを知らないでやってたとしたなら先生は罪深い人だ。
だからって知りながらこんな事をしていたなら……期待してもいいのかな?
何事もなかったかのように先生はカーテンをくぐるとデスクに戻って行った。
まだ心臓がドキドキしていて、どうして先生は普通でいられるのか分からなかった。
突然、カーテンの向こうで何かが割れる音がした。
驚いた私は思わず飛び起きて様子を見に行った。
そこには割れたマグカップを片付ける先生がいた。
「落としたアルか?」
「悪いな、起こしちまったか」
私は先生の隣にしゃがんで割れた破片を拾う手伝いをしようとした。
そこで初めて気が付いた。
先生の手が震えていることに。
先生が震えてることに私は驚いたんだけど、それよりも何よりも私と同じで全然普通じゃなかったことが嬉しかった。
上手く破片を拾えない先生に代わって私は拾ってあげようとするも結局、私も指が震えて上手く拾えなかった。
「2人してどうしたんだろな」
先生がそう言って震える私の指を掴んだ。
「わたっ、私は風邪のせいアル……絶対」
「じゃあ俺も風邪がうつったのかもな」
真剣な眼差しがこちらに向けられて、また心臓が停まりそうになった私は息を飲んだ。
「最近は保健室に来なくなったが、クラスに馴染めてきたのか?」
「えっ?あ、うん」
「それはイイことだが……保健室に久しぶりにお前が来て喜ぶ奴は教師失格なんだろうか」
「せんせ……」
先生の瞳が私の瞳と繋がって吸い寄せられるように引き込まれる。
言葉を失った私は何も言えずにただ見つめるだけ。
先生も同じで私をただ見つめるだけ。
そして、先生の顔が徐々に私に近付いてくる。
私もそれが何を意味してるか理解して目を瞑る。
『キーンコーンカーンコーン』
大きく放課を伝えるチャイムが鳴り響く。
私はそれに驚いて目を開けると、今にも唇がふっついてしまいそうな距離の先生と目が合った。
「っ!?」
「あっ……」
途端に恥ずかしさが込み上げて、2人して顔を背けてしまった。
私の顔も充分熱くなっていたけど、先生の頬も負けないくらい熱そうに見えた。
先生は私の頭に手を置くとポンと軽く叩いた。
「卒業してからだな」
そう言って先生は立ち上がりホウキとチリトリを持ってくると、割れたマグカップの破片を綺麗に片付けた。
私はその様子をただボーッと眺めていた。
今、言われた言葉の意味を考えながら。
「どうだ?胸の苦しいのはマシになったか?」
そう聞かれて私はようやく気が付いた。
さっきまで胸の中につっかえていたものが無くなってることに。
「う、うん」
「フッ、結局風邪じゃなかったようだな」
私は自分の恋心がすっかり先生にバレてしまってる事に恥ずかしくなると、居ても立ってもいられなくなった。
私はようやく立ち上がると先生に頭を下げた。
「お世話になったアル!」
先生は相変わらずな表情で私を見ていた。
だけど、いつもの先生とは少し違った。
少しだけ寂しそうな顔で私の頬を撫でた。
そんな顔は先生に似合わなくて。
だけど、嬉しいの。
私の鼓動がまたトクントクンと動き出す。
胸のつっかえは無くなったのに、まだやっぱり苦しくてたまらない。
期待させる先生の仕草や言葉に私は重なる未来を望んでもいいの?
私は先生に背を向けて保健室のドアを開けた。
「先生ぇ」
震える体と声が隠しきれない私は声にならない声で小さく言った。
「好きヨ」
そして、先生の反応を確認する前に急いでドアを閉めて廊下を駆け抜けた。
「言っちゃった、言っちゃったアル……言っちゃったネ!」
そう言いながら跳び跳ねる様子を先生が保健室の窓から眺めているなんて知らずに。
「熱に浮かされたのは俺の方か……」
そう先生が赤い顔で呟いてるなんて思いもせずに、私は次はどんな顔して保健室に行こうかなんて考えながら学校を出た。
2010/12/20
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