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大人の味/沖+神

 

さっきまで俺を喜ばせていた僅かばかりのオアシス。

それがたった今、一瞬にして消え去った。

足元に転がる片方の靴。

無惨に飛び散った氷の粒が地面に染み入り、直ぐに液体と化してゆく。

白いシャツの胸元を見れば赤く染まっており、遠目に見ていた人間がこれに悲鳴を上げる。

 

最悪だ。

マジで最悪だ。

俺がまだ口を付けていないかき氷は、誰かの狙撃によりたちまちただの水となった。

 

「水なら無料でも飲めんだよ……」

 

俺はベンチから立ち上がると震えそうになる体を抑えながら靴を拾った。

それを手に取ると、どこのクソアマの仕業か直ぐに分かった。

 

「酢昆布くせぇ靴をよくも……」

 

俺は真っ直ぐにこっちへ駆け寄って来る中華服の女へ、手に持っている靴を投げつけて――――やることが出来なかった。

 

「悪かったナ!」

 

なんて笑顔してやがんでィ。

片足でピョンと軽く跳ねると、チャイナは直ぐに俺の元へとたどり着いた。

そして、真っ赤に染まったシャツを見ながらチャイナは顔を歪めた。

 

「あちゃ、やっぱり白いシャツで食べ物は食べちゃダメアルなぁ」

 

反省ナシ。

 

「よぉ、クソアマ。かき氷はまた買えばいいにして……俺はまだ午後から公務が残ってんだ。どうしてくれるんでィ。まさか謝っておいて悪くねぇとは言わねーだろな?」

「フン、クソアマとは良い趣味アルなぁ。仕事中にかき氷食べてるから罰が当たったネ!私は神様に変わって罰を与えてやっただけアル。仕事が残ってるなら着替えてこればいいだけヨ」

 

その発言と何食わぬ顔で靴を返せと手を出すチャイナに、俺はさすがに苛っときた。

持ってる靴を投げつけてやることくらい出来た。

しかし、敢えてしなかった。

敢えてだ。

正直、午後からの公務と言ってもパトロールだけで、これと言った仕事じゃなかった。

 

「おい、チャイナ。今から時間あんだろ?付いて来い」

 

俺はベンチの上に脱ぎっぱなしだったベストとスカーフを取ると、直ぐにチャイナの腕を掴んだ。

 

「靴返せヨ!ゴルァ!」

 

ギャアギャア喚くチャイナに俺は構わず公園を出た。

実はどうしてもこのチャイナ娘と行きたい場所があった。

 

「気に入らねぇがテメーとじゃなきゃ行けねぇ場所なんだよ」

「……私と?」

 

チャイナは訝しげな表情をするも、素直に俺について来そうな気配だった。

それならばと、いつまでも酢昆布臭い靴を預かってる必要もないかと、チャイナに靴を返してやった。

チャイナは靴を履くと、案の定テクテクと俺の後ろを歩いた。

そうして特に何もなく二人で歩くと、俺達は目的の場所へと到着した。

 

「奢ってくれるアルか?」

「それも良いけど、テメーを連れて来たのはそんな理由じゃねぇ」

 

一見、普通の洋食屋に俺とチャイナは足を踏み入れた。

昼過ぎでピークの時間が過ぎたのか、客入りはまばらだった。

俺達は店の一番奥の窓際に案内されると静かに座った。

 

「で、なにアルか?市民から巻き上げた血税でなんか食わしてくれるネ?」

 

俺はチャイナを睨み付けると何も言わずに、壁に貼られてる一枚のポスターを指差した。

そこに書かれている文字をチャイナが読み上げる。

 

「きょだいパフェ?巨大!?」

「あぁ、そうでさァ。前々から気になってはいたけど、どっかのバカと違ってさすがに俺はコレを一人で食う下品さは持ち合わせてねぇからな」

「どこのバカの話アルか?怖い話ネ!まぁ、でも私もあれくらいならただで食べてやっても良いネ」

 

とんでもない発言をサラリとしたチャイナは姿勢よく片手を上げると、店員に向かってでかい声で叫んだ。

 

「すいまっせーん!あのバカみたいにでっかくて味は今一なパフェ2つクダサーイ!」

 

俺は思わず我が耳を疑った。

コイツ今2つって言いやしなかったか?

俺は直ぐに厨房に向かって訂正した。

 

「待ってくれ!1つで良い!二人で1つ食うから!」

「なんでヨ!ケチ臭いアルナ!」

 

俺はチャイナに余計な事を言うなと舌打ちをするも、チャイナは素知らぬ顔でイスの上で正座をしていた。

何を改まってんのか、このバカは。

だが、ヨダレを垂らしながら世界一の幸福者だと言わんばかりの顔に俺の苛立ちも緩和した。

 

「これだから貧乏人は」

 

そうこうしている内に厨房からワゴンに乗せられたバカでかいパフェが運ばれてきた。

 

「残したら罰金5万円だからね!しっかり食べきっておくれよ」

「わぁ!でっかいアル!なにコレ!嘘でしょ!」

 

チャイナは張り切ってスプーンを持つと、テーブルの上にドンと置かれたパフェに目を輝かせた。

確かにデカイ。

高さは優に1メートルは超えてるだろう。

思わずケータイで写メを撮った。

 

俺は前々から店の前を通る度にこのパフェが気になっていた。

だが、どう考えても一人では食いきれない。

残す事は目に見えていた。

でも、どんなパフェか見てみたい。

そう思った時に浮かんできたのがコイツの……チャイナの顔だった。

 

俺は軽く食べると満足し、スプーンを置いた。

巨大なパフェに遮られ、向こう側がどうなってるか俺には見えなかった。

だが、チャイナの事だしっかり胃袋に収めてることだろう。

俺は安心しきっていた。

 

「ちょっとコレ、大人の味がするアル。うえっ」

 

チャイナはそう言うと、グラスの水をがぶ飲みした。

 

「大人の味ってなんだよ。ただのアイスだろィ」

 

俺はどこか不満げな表情のチャイナに首をかしげると、チャイナ側の砂糖の塊にスプーンを突っ込んだ。

そして掬ったそれを口の中へ突っ込んだ。

 

「……ラム酒か?」

 

確かに大人の味っちゃ大人の味だ。

別段不味いわけではない。

だが、チャイナは紙ナプキンで口を拭うとスプーンをテーブルに置こうとした。

待てよ、待て。

もしや、コイツ!

 

「なんか私の趣味じゃないから帰るアル」

 

何食わぬ顔でそう言ったチャイナに俺は腕を掴み引き留めた。

 

「おい!待て!てめぇあんなに嬉しそうだったじゃねーか!ここで放り出す気かよ!」

 

チャイナはうっさいと言わんばかりの顔で俺を睨んだ。

 

「パフェを男とつつくなんて、一緒の布団に入って寝るようなもんアル!私は結婚するまで清らかでいたいアル!だからパフェも食べたくないネ!」

「知らねぇよ!てめぇは一生清らかだ!分かったら今はパフェ食え」

 

俺はチャイナをもう一度座らせると、スプーン大盛りにアイスをすくった。

それをチャイナの顔の前へと持って行くと、口を開けろとスプーンで唇をつついた。

 

「んー!」

「てめぇワザとだろ。黙って食えよ!酢昆布なら奢ってやるから」

「そんなもんで私は……ムシャムシャ……まぁ、食ってやっても良いネ」

 

簡単に酢昆布で釣られたチャイナに俺は安心した。

そして、確信した。

やっぱりコイツはバカだと。

 

残して5万円払うなら、始めからコイツを誘いはしなかった。

それに俺はかき氷を襲撃され、シャツも汚され、散々迷惑を被った。

これくらい付き合わせたところで、罰の当たりようがなかった。

 

「何で普通にしてたら美味しいのに、余計な事するアルカ?婆ちゃんの料理にしても、ペプシの新しいフレーバーにしてもそうネ!」

「あれはどMな人間が喜んで食うんでさァ。地球上の人間なんか半分はどMだ。喜んで食う人間がいる限り永遠に続いてく……チャイナ、あと一息だ」

 

チャイナの口にアイスを突っ込むスタイルもそろそろ確立しそうだったが、ようやく器の底が見えてきた。

それでも後一息が遠いらしい。

チャイナは時々唇をお茶で温めながら、バケモノみたいなパフェと闘っていた。

いくら店の外が灼熱地獄でも、さすがに大量のアイスを食べると体の芯も凍りつくらしい。

チャイナは時々体を摩った。

 

「お、お前も、な、何か役立てヨ」

 

ガタガタと歯を鳴らすチャイナが多少惨めになり、俺はコイツが何か暖まるような事はないかと頭を捻った。

 

「タバスコならお前の望み叶えてくれるかもな」

「それは遠慮しとくネ」

 

チャイナの白い顔は益々白く、真夏に凍死しかねない程だった。

生憎、俺はコイツを暖めたやることは出来ねぇ。

その役割ならまだタバスコの方が捗る。

だが、どうもこのまま放っておくと殺人罪でしょっぴかれちまいそうだった。

それは理不尽だ。

 

「なら、これでも使え」

 

俺は暑さで外していたスカーフをチャイナの肩に適当に掛けてやった。

だが、チャイナの出ている肌は鳥肌が立ち、まだまだ冷えているようだ

どうするか?

暖めるには体を熱くさせりゃいいんだな?

そこで俺はチャイナに耳打ちをした。

 

「チャイナ、寒さで乳首立って」

「はぁあああ!?オマエ何言ってるアルカ!頑張ってやったのに……もうやめてやるネ!」

 

チャイナは俺のシャツを掴むとそう言って投げ飛ばした。

床に打ち付けた体にいてェと起き上がれば、もう既にそこにチャイナは居なかった。

だが、テーブルの上のパフェはただの器だけになり、何一つ残らず食べられていた。

 

「誰が見るかよ、冗談に決まってんだろ……」

 

俺はパフェの代金を払うと一人店を出た。

暑い。

太陽はまだまだ沈まず、赤い染みの付いたシャツは肌に密着し始める。

不快感。

それはこの気温のせいなのか、それともアイツにぶん投げられたからなのか。

どうもハッキリしなかった。

 

店を出て少し歩くと、一つ目の曲がり角へと差し掛かった。

俺の頭上に影が出来る。

傘?

見上げれば民家の塀の上に、涼しげな顔をしたチャイナが座っていた。

 

「さっきはよくも変な事言ってくれたアルナ」

「冗談も通じねぇのかよ」

 

チャイナは塀から飛び降りると俺の正面に立った。

 

「お前は最悪だったけど、あのパフェ何か好きになったアル」

「また食わせろとか言うなよ。寒がられちゃ敵わねぇや」

 

チャイナは俺を下から覗き込むと、真顔で何を考えてるか分からない表情になった。

それに慣れないせいか、俺は居心地の悪さを感じる。

 

「オマエとは行かないアル。今度はちゃんと……口の中まで暖めてくれる人と行くネ」

 

俺は何も言えなかった。

それはチャイナが年齢以上のカオをしたからだ。

だからって別に何もない。

どうせアイツも冗談のつもりだろ。

 

「…………」

 

じゃあネと言うチャイナは、立ち尽くしてる俺にスカーフを掛けて行った。

すっかり忘れてた。

アイツに貸した事を。

自分のものとは違う匂いのするスカーフに俺は落ち着かなかった。

 

さっきまでのガキ臭さはどこへ消えた?

ラム酒の味を覚えたくらいでこうも変わるか?

俺には何一つ分からなかった。

 

この短時間の内にアイツの中で何があったのか。

一体、誰が大人の味を教えてしまったのか。

本当に何一つ思い当たらねぇと、俺は酢昆布を買いに駄菓子屋へ向かうことにした。

 

2012/07/09

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