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ウエヲムイテ/沖神

 

神楽は朝起きると、一番お気に入りのチャイナドレスに袖を通した。

そして、鼻唄を歌いながら、いつものお団子頭を作ると、銀時と定春と三人で食卓を囲んだ。

 

「いっただきまーす」

 

それと同じ頃、真選組の屯所では、休みだと言うのに早起きした沖田が食堂で二杯目のご飯を御代わりしようとしていた。

それを見ていた近藤は珍しいなと声を掛けた。

沖田もそれには年相応の表情でえぇと答えると、二杯目のご飯を食べ始めた。

 

今日と言う日に神楽と沖田、2人揃って機嫌が良いのは、たまたまではないのだった。

だからと言って、何か2人で打ち合わせでもしたのかと言えばそれも違った。

 

共に食事を終えた2人は出掛ける準備をしていた。

神楽は小さな箱を小脇に抱え、沖田は小さな箱を懐にしまいこんでいた。

 

神楽は万事屋を出ると前の通りを真っ直ぐに歩いていた。

珍しく快晴の空に少し寒さも和らいでいた。

紫の番傘をクルクル回せば足取りも軽やかで、まるで神楽の周りにだけ春が訪れたかのように明るかった。

 

また同じ頃、沖田も屯所を出ると迷うことなく歩いていた。

珍しく柔らかい表情を携えていて、耳にはめてるイヤホンから漏れる落語も寿限無であった。

沖田はさっき懐へとしまった小箱を一度取り出すと少し眺め、そしてまた直ぐにしまったのだった。

 

2人はずんずん歩いていた。

途中で水溜まりに片足を突っ込んでしまった神楽も、見知らぬ飼い犬に激しく吠えられた沖田も、どちらもいつもにないくらい機嫌が良く見えた。

しばらく歩いていると2人の視界に公園が見えてきた。

神楽は公園に入るといつもの見慣れたベンチへと進んだ。

何度とそこに座って酢昆布を食べただろうか。

馴染みのスペースだった。

 

そうしてベンチだけを映していた瞳に、遂にあの男が映り込む。

淡い色の髪色に大きな瞳。

神楽は瞬きをパチパチさせると沖田を見たままベンチへと腰掛けた。

まだベンチまで距離のある沖田は速度を変える事もなく、ただ神楽を見つめたまま進んでくる。

淡々と距離を詰める。

神楽は瞬きをパチパチしながら畳んだ傘を足の脇へと置くと、小脇に抱えていた箱を膝の上へと乗せた。

 

「なんでィ。まだ約束の時間まで30分もあんだろ」

「お前こそ、こんな早く来てなにアルカ」

 

ようやくベンチへと辿り着いた沖田は、神楽の隣へ腰を下ろした。

それまで聞いていた落語を止めると、耳からイヤホンを外して首に垂らした。

 

「明日も晴れだって」

「俺の日頃の行いのお陰でさァ」

「私アル!」

 

神楽はもうと怒ったような呆れた口調で言うも、すぐにププッと噴き出した。

それには沖田も顔をしかめてはいるものの、口元がだらしなく緩んでいた。

 

なんてことのない、よく晴れた日。

2人にとって今日と言う日は、長い一生の内のたったの一日に過ぎないのかも知れない。

それを分かっているからこそ、2人は自分達で特別な日に変えようなんてそれぞれが思い合っていた。

 

神楽は膝の上に乗せていた小箱を沖田に差し出した。

 

「なんだよ。明日雪でも降んじゃねーかィ?」

「良いから黙って開けろヨ」

 

沖田は神楽から受け取った箱の包装紙を破くと、箱のフタを取った。

中には甘い香りのチョコレートが入っていた。

沖田は一粒とって口へ放り込むと、それはすぐに口一杯に広がって溶けてしまった。

 

「本当に普通のチョコかよ。マジで明日、雪でも降りそうでさァ」

「降って欲しいみたいな言い方アルナ」

「別に」

 

沖田はそう言って懐から小箱を取り出すと、神楽の頭の上にコツンと置いた。

その軽い衝撃に神楽は殴られたわけじゃない事に気が付くと、頭の上に手を伸ばし、箱にそっと手を添えた。

 

「これ、くれるネ?」

「いらねぇなら返せ」

「誰もいらないなんて言ってないダロ!」

 

神楽は小さな箱についている真っ赤なリボンをほどくと、ゆっくりとフタを開けた。

そこには赤い石の付いた指輪がちょこんとあった。

 

「おまっ、オマエ!これっ」

 

沖田は途端に神楽を自分の胸元へと引き寄せ、強く抱き締めた。

そして、きっと2人にとって初めての口づけを交わしたのだった。

神楽の顔はみるみる内に赤くなっていき、それまで動くことを忘れていたような神楽だったが、急に思い出したのかジタバタと暴れだした。

 

「息が出来ないダロッ!」

 

回した目のままそう叫ぶ神楽に、沖田は不満そうな顔で足を組んだ。

 

「そんな反応かよ」

 

ロマンチックなキスを思い描いていたのか、沖田はどこかつまらなさそうだった。

しかし、神楽からしてみれば、こんな真っ昼間になんの前触れもなく急にされるなんて思ってもみなかったわけで、心も体も何一つ準備が整ってなかったのだった。

 

「急にやめろヨ」

「何言ってんでィ。今日じゃなきゃ……」

 

沖田は組んでいた足を元に戻すと、出来るだけ普通の表情を作り、神楽の白い手を取った。

 

「冷てぇ」

「オマエも大概ネ」

 

すると、神楽の指に先ほど贈った赤い石の指輪をはめたのだった。

神楽の細く白い指にとても綺麗に赤が映えた。

それを神楽もウットリと眺めると沖田の顔を見つめ上げ、小さく笑った。

 

「やっぱり……もう一回だけ、しよ」

 

沖田は珍しく頬を赤く染めると頷き、もう一度だけ軽い口づけをした。

それはとろけるような、チョコレートの香りの甘いキス。

 

唇をゆっくりと離すと、お互いの額を引っ付けて微笑み合った。

 

「マジで明日雪かもナ」

「あぁ、大雪でさァ」

「……ごめんアル」

 

そう言うと表情を曇らせうつむいた神楽に、沖田は辛そうな顔をした。

神楽がどうして謝るのか。

もう、十分に分かっていた。

それなのに自分は――

 

沖田は自分の意外な脆さに苦笑いを浮かべた。

 

「大丈夫だ。明日も晴れでさァ」

「……総悟」

「船は問題なく、間違いなく江戸から離れる。絶対に」

 

そう言って沖田は頭上に広がる青い空を眺めた。

神楽もそれに気付くと、釣られるように顔を上げ、空を眺めた。

見上げた空には所々に千切れた雲だけがあり、ぷかぷかと漂っていた。

 

「月も見えないネ」

「当たり前だろィ、こんな真っ昼間じゃ」

 

星なんて一つも見えなかった。

どんなに輝き光ってたって、暗闇でしかそれは見付けられなかった。

 

 

 

つい先日のことだった。

神楽は沖田に話したい事があると珍しく呼び出したのだった。

呼び出された沖田は、バカを相手する時間はねぇと悪態をついていた。

だけど、神楽が口にした言葉は、そんな自分が一番滑稽に思えるような言葉だった。

 

「好きアル」

 

そして、続けてこう言った。

 

「私、来週、江戸を立つアル」

 

苦しくなった。

目の前が暗くなるような。

沖田はそこでようやく、自分がいつもバカにしていた女を愛している事に気が付いた。

だけど、愛を育むには時間が足りなかった。

今までどうして気付かなかったんだと嘆きもした。

そして、離れたくないと願ってしまった。

それが神楽を困らせることだとは分かっていても、願わずにいられなかった。

神楽と離れたくない。

気持ちに気付いてしまったからには、沖田の頭の中はそんなことでいっぱいになった。

しかし、悲しいほどに時間がない。

しかも、離れる日が近付けば近付く程に愛しさは募るばかり。

 

ふと頭に過る。

いつもしないような事をすれば、雪でも降って船が出なくなるかもしれない。

普段なら馬鹿げたことと頭を振るところだが、今はそんな事すら考えていた。

 

だけど、どう足掻いたって、神楽は自分から離れてしまう。

 

「笑顔でいようって決めて出てきたアル」

 

ポツリと呟くように言った神楽のその言葉に、離れる事が辛いのは神楽も同じだと言う事を初めて知ったような気になった。

そんな事は当たり前なのに。

 

神楽が夢を追いかける気持ちを沖田は知っていた。

いつも背中合わせではあったが、強くなりたいと望む思いを一番近くで感じていたのだ。

それを自分の昨日今日気付いた想いだけでどうこう出来ない事も、してはいけない事も理解していた。

何よりも、神楽の意思の強さを、その青く澄んだ瞳からひしひしと感じていた。

 

「決めなきゃ……泣いてたのかよ」

 

その青い瞳がゆらゆらと揺れているような気がした。

それに沖田は気がついた。

別れの瞬間はもうスグそこにまで迫っていると。

 

「だから、私は笑顔でちゃんと言うネ。バイバイ、またネ」

 

神楽は笑顔だった。

明日も明後日も、その先もずっと見ていたい程の笑顔だった。

自分の為に、沖田の為に、悲しくならないように一生懸命に作られた笑顔だった。

その神楽の努力を無駄には出来ない。

だから、沖田も辛い顔は見せずにあぁとぎこちない笑顔で頷いた。

 

それを見届けると、神楽はベンチから立ち上がり傘を差した。

そして、沖田に見えるように指にはめられた指輪に口づけをすると、背中を向けて公園の外へ向かって歩き出した。

 

沖田は一人残された公園のベンチで、神楽の後ろ姿を眺めていた。

ゆらりゆらりと遠退いていく紫の傘が、寂しさをより一層引き立てた。

自然と奥歯に力が入り、顔の筋肉が強張る。

 

傘の向こうの神楽も自分と同じ顔をしてるだろうか。

だったら、自分は笑おう。

傘の向こうの神楽が最後まで笑顔でいられるように。

 

沖田は笑顔を作ると、神楽からもらったチョコレートを一粒口に含んだ。

 

「あれ。チョコって……こんなしょっぱかったかねィ」

 

沖田は着物の袖で瞼を拭った。

それでも、チョコはずっとしょっぱいままで、甘さを取り戻すのにもう少し時間が掛かりそうだった。

 

涙が流れないようにと見上げた空は、清々しい程に晴れていた。

なのに、傘を差す少女は一体何から身を守っているのだろうか。

小さく震える傘だけがその答えを知っていた。

 

2012/02/01

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