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ダウト:01

 

 唇を重ねる一組の男女。だが、そこに愛はない。女は他に愛する者たちがいるのにどうしても目の前の男を欲しており、男はと言うと――――――そんな女を哀れみ、ただの同情心で自分の唇をくれてやったのだ。奇妙な関係。それは全て一つの事故から始まった。

 

 

 

 今日も仕事がない万事屋の三人は、一軒の茶店の前で縁台に座り、ひと串の団子を取り合っていた。四つの団子が刺さった串を持つ銀時。その右隣りには眼鏡を光らせる新八。そして銀時の左隣りには、団子を奪おうと串に掴みかかる神楽がいた。

「神楽ッ! 離せッ!」

 涙目で痛がる銀時を気にもせずに神楽は団子の刺さった串を自分の方へ引き寄せようと必死であった。

「私は五十円も出したアル! 一口目を貰う権利は十分アルネ!」

 どうも八十円の団子の大半を神楽が支払ったようだった。だが、そう主張する神楽に新八も負けてはいなかった。

「クーポン券を見つけて来たのは僕だぞ! それがなかったら八十円で買えなかった事を忘れるなッ!」

 我こそ一口目をもらう権利があると新八も参戦すると、串を持つ手が三本に増えた。しかし、これに大人しく黙っている銀時ではなかった。

「はあ!? お前ら俺を誰だと思ってんだよ! 社長だぞ! 一番偉い人が一口目を食うのは当たり前だろ!」

「まともに給料も払えない社長が偉いわけないダロ! まずは私に寄越せアル!」

 そう言って神楽は夜兎の力を遺憾無く発揮すると、男二人を串ごとこちらへと引き寄せた。傾く縁台。倒れかかる朱傘。そしてミシリと聞こえた嫌な音。神楽はそんなものには構わずに、引き寄せた団子めがけて大きな口を開けたのだった。

 そうして万事屋の連中が一本の串を奪い合っている頃、真選組の副長である土方十四郎は、沖田総悟率いる一番隊と共に一人の男を追っていた。

 過激派である攘夷志士が活動資金を集める為に、危ないクスリを売りさばいているとの情報を掴んでいたのだ。その後すぐに監察である山崎の捜査で密売の事実を突き止めたのだった。しかし、アジトに踏み込んだは良いが、肝心のクスリを持ったまま売人の男が逃げ出してしまった。それを追って土方と沖田が動いたのだ。

 穏やかな午後の街は突如として戦場へと化した。轟く爆音、上がる噴煙。どうやら沖田がご自慢のバズーカを発射したようだった。その爆撃をモロに受けたのは売人を追っていた土方で、立ち込める白煙に咳き込むと涙目で煙を払った。

「て、てめェ! ワザとかッ!」

 その言葉に土方の後方にいた沖田は、ケロッとした顔で軽く首を傾げた。

「あり? 普段から好んで煙吸ってんだ。これくらいどうって事ねえと思いやしたが、失敗か」

 最後の失敗かとは、一体何の事を言ったのか。土方はもうそれに怒ることはしなかった。売人が逃げていれば沖田の首を斬り落としていたところだが、立ち消える煙の向こうに倒れている男を見つけたのだ。

「チッ、仕方ねェ。野郎が一人で暴れ回った事にするか」

 そう言った土方が男の脇にしゃがみ込み、その手に手錠を掛けた時だった。気付いたのだ。先ほどまで煙幕で分からなかったのだが、どうやらマズい事にこの騒動に一般市民を巻き込んでいたようなのだ。薄っすらと浮かび上がって来たのは、路上に倒れる三人のシルエット。それを目にした土方の顔色は一気に青ざめた。

「オイッ! 総悟ォオ!」

 背後に立っているであろう沖田を怒鳴りつけたのだが、既に沖田の姿はなく一番隊の隊士達がオロオロとしてそこに居るだけであった。

 死んではいないだろうか。

 土方は売人の男を他の者に任すと、倒れている者たちの元へと駆け寄った。

「しっかりしろッ!」

 一番手前で倒れている女の子をしゃがんだまま抱えると、軽く身体を揺すった。そしてそこで見たことのある人物だと気が付いたのだ。

「チャイナ娘? つう事は……」

 土方は倒れている三人が万事屋の連中である事を知ったのだった。

「ううん」

 神楽は薄っすらと目を開けるとその目に土方を映した。それと同じタイミングで身体を起こしたのは、銀時と新八であった。土方はそれを確認すると、つくづくコイツ等で良かったと思うのだった。

「あーッ! 団子が無え!」

「いたた……急に何が起こったんですか?」

 事態を飲み込めない銀時と新八は何やら叫ぶと、目の前にいる土方の存在にだいたい何があったのかを察したようだった。

「オイオイオイ、土方くん。またオタクらの仕業なの? つーか、団子の弁償はしてくれるんだろな? 確か今日は百本近く買ったような……」

 土方は銀時の言葉を信用などしていなかった。どうせ銀時の事だから、ふっかけているだけなのだ。せいぜい三本がいいところだろう。

 ふざけんな。

そう言ってこの場を後にしてしまおう。そう思って土方は神楽を置いて立ち上がろうとして――――――今、自分の身に起きている状況に頭が一瞬にして真っ白になった。土方は地面に膝をついて神楽を抱えているのだが、突として絡みついた熱気と駆け抜ける鼓動に軽い眩暈を覚えたのだった。

 何が起きたのか。首の後ろに回される腕と背後から突き刺さる二つの視線。そして唇に感じる柔らかな感触。信じられない話なのだが、どういうワケか突然、抱えている神楽がキスんわして来たのだった。全く予想などしていない想定外の出来事にさすがの土方も動揺が隠せなかった。だがすぐに我に返ると、神楽を引き離してゆっくり立ち上がった。そしてポケットから煙草を一本取り出すと火をつけた。

 背後に感じる鋭い殺気。しかし土方は俺は悪くないと振り向くと、落ち着いた態度で真実を語った。

「言っとくがこれはチャイナ娘の方から……」

 しかし、白眼を剥いている銀時と新八の耳にその言葉は届いていないようだった。

「えーあー、聞こえない。ねえ、新八くん。こういう場合は八つ裂きにして良かったんだっけ?」

「いやいや、銀さん。この場合は八くらいじゃ足りませんよ。倍ですよ十六」

 土方はさすがにこの状況はマズいと後退りをするも、銀時と新八がそう簡単に逃がすわけがない。二人はすぐに土方を囲んだ。正面に銀時、背面には新八。進路も退路も奪われた土方は刀に手をかけると、どうにかして逃げ出せないかと隙を窺った。

「そ、そういや弁償とか言ってたな? 団子だけで良いのか? 他に食いたいもんがあれば、今回だけは特別に食わしてやる」

 すると、それまで地面に座り込んでいた神楽が土方へと飛びかかったのだ。そして土方の正面に体を引っ付けると、胸を密着させるように背中に手を回した。

「じゃあ、私はお前が食べたいアル」

 そんな言葉を口にして、こちらへと甘い表情を見せて微笑む神楽。一体何が起こったのか。土方には全く分からなかった。分からなかったが、今まさに殺されそうだという事だけは嫌でも理解が出来た。額から汗が零れ落ちる。

 どうするか。

 土方はギロリと目だけで銀時と新八を確認するも……だが隙などどこにも見当たらない。こうなったら自ら作る以外に助かる方法はないと、神楽を盾にして土方は押し通ったのだった。

「退けッッ!」

 土方は神楽を抱えたまま路上に停めてあるパトカーまでひたすら走った。さすがに銀時と新八も神楽がいると手も足も出ないのか、諦めたように何もしてはこなかった。土方は無事にパトカーの後部座席へ滑り込んだ。

「副長、遅かった……って、えええッッ!」

 運転席に座る山崎は、神楽を連れて戻って来た土方に驚きを隠せないのだった。何故だか離れようとしない神楽とそれを抱えて来た土方。傍から見れば愛し合っている関係にしか見えないのだ。土方は大袈裟に驚いた山崎に苛立つと、声を荒げて運転席を蹴り上げた。

「良いから早く車を出せ!」

「え? あ、はい!」

 山崎はルームミラーでチラりと後部座席を見てみたが、直ぐに目を逸らすとパトカーを屯所へと向かわせたのだった。

 

 屯所へと向かう道中。目を瞑り、胸の前で両腕を組む土方は、煙草を咥えながらジッと動かなかった。考えているのだ。隣の少女が何故こうなってしまったのかと。

「ねぇ、運転席の男どこかへやってヨ! 二人っきりになりたいアル」

 そう言って神楽は土方の体を揺すった。

 何なんだ、一体。

 しかし、そうやっていくら考えても何も分からない。だが、神楽がおかしい事だけは分かる。こんな発言など普段の辛口な神楽なら、まずあり得ないのだ。なのに頭でも打ったのか、敵視している自分に対して激しく好意を寄せているようなのだ。

 本当に頭を打ったのか?

 それならばこの行動や先ほどのキスにも説明がつく。

「ねぇ、トシ。あいつが居たらチュー出来ないアル! さっきのじゃ全然足りないアル!」

 ルームミラー越しに感じる突き刺さるような視線。多分、山崎が血走る目で見ているに違いないのだ。土方は目を開けると何も言わずに睨み返した。

「……うわぁ」

 山崎の引きつった顔と漏れた声。それらがドン引きしていることを表していて、土方は堪らず遂に口を開いた。

「何が言いてェんだ? こいつがおかしいのはお前も分かるだろ! マトモに取り合うな」

 と言ったそばから神楽が顔を近付けて来て、土方の頬へと柔らかな唇が引っ付けられた。

「……我慢出来なくて、ほっぺにしちゃったネ」

 照れたような顔で土方を見つめる神楽とそんな神楽を固まった表情で見返す土方。そんな二人を見ていた山崎は、またしても軽蔑するような何とも言えない目付きになると、屯所まで荒々しい運転で戻ったのだった。

 

「何? どこにも見当たらない?」

 屯所へ戻ると何があったのか、随分と騒々しい様子であった。

 パトカーから降りた土方は、神楽に腕を組まれたままその場で突っ立っていた。何度か引き離そうと試みたのだが夜兎の馬鹿力なのか、腕が千切れそうになるのだ。

「何の嫌がらせだ!」

 そう言って神楽を睨みつけたが拍子抜けした。ニッコリと朗らかに笑っているのだ。

 あり得ねェだろ……

 土方は頭を振ると、遂に神楽を離すことを諦めた。そして、とにかく仕事を放棄するワケにはいかないと、先ほど逮捕した男が待つ取り調べ室へと向かったのだった。

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