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20番目の大アルカナ/土神

 

背中に感じる熱と重みに、チャイナが既に意識を失くし、握ってる酢昆布さえも手離している事が伺えた。

“待ってろ”そんな乾いた言葉一つにチャイナは文句も言わず、ただ酢昆布をかじりながら、背中の向こうで呼吸をしている。

そんなチャイナを健気だなんて思い、焦りながらもさっさと片付けてしまいたい仕事に苛立つ俺はロスタイムを作る。

口に咥えた煙草に火をつけて、煙りと一緒にアイツから漏れる吐息を吸い込めば、胸が押し潰されそうな感覚に陥った。

クラクラっとするのは、何時間かぶりに吸った煙草のせいなのか――

いつまでも机の上に積まれた書類の山は減る様子もなく、それが俺の焦りをかき回し筆の運びも悪くなった。

そんな悪循環にまた苛立つ俺は煙草へと手が伸びる。

 

「二本目アル」

 

煙草の本数をカウントしてるらしく、二本目に手を伸ばした時に背中のチャイナが呟いた。

その声色は別にそれに対して苛立ってる様子もなく、ただ暇つぶしに呟いた位に思えた。

それが焦る俺を落ち着かせて、これで最後にしようと決意させた。

何てことはねェ。

仕事を早く終わらせたからって、チャイナと遊ぶワケでも大した話をするわけでもねェ。

だったら焦る必要もないだろ。

それはいつも分かってはいたが、仮にアイツが帰るまでに仕事を終わらす事が出来たなら……

俺はその先を見てみたいと思っていた。

だが、いつも俺の仕事が終わるのはチャイナが帰ってからで、反対に俺の仕事のない時には顔を見せに来ることはなかった。

だから、余計に早く終わらせたくて仕方がなかった。

ひたすらに筆を走らせる俺、クチャクチャと酢昆布を噛み締めるチャイナ。

相手の姿は互いに見えてなく、声を掛け合うこともないが、背中だけは触れ合っていた。

チャイナはほとんど俺に体重を預けてるらしく、肩甲骨までピッタリとふっつけていた。

慣れない事で戸惑いはあったが、今じゃそれが無い方が違和感を感じる程だった。

ったく、どこまで安心してんだ。

背中を預ける意味を分かってんのか?

そんな心の内を読んだのか、チャイナの言葉にギョッとした。

 

「落ち着くと思ったらダメアルか?」

 

思わず首だけチャイナに向けてみるも、明るい鮮やかな髪の毛しか見えず、表情までは伺えなかった。

軽く開いたままになった口は急激に乾燥しはじめた。

冗談で言ったのか、それとも俺の背中を貫いた先にある真実を望んだのか。

それによって、返答を変えようなんて馬鹿げた事を考えてた。

なに、決まってる。

冗談半分で本気半分。

向こうも探ってるんだろう。

俺の胸の内を……

確信は無かったが、自信はあった。

背中で感じる呼吸は平穏で、まるで安心しきっていた。

何も起こらない。

何も危なくない。

きっと、そう思ってるんだろ。

俺の予想は当たったらしく、次第に重くなる背中とヤケドしそうなくらい熱くなる背中が、チャイナから意識を奪った事を証明していた。

背中に意識を集中させていた俺はふと、手元の書類に目を戻した。

いつから俺はチャイナしか気にしてなかったのか、紙に押し付けたままだった筆のせいで、書類は墨で真っ黒に染まっていた。

途端に仕事を再開する気がなくなり、どうでも良くなった。

まだ、積み重なっている真っ白い紙が俺に“黒く汚さないで”と訴えてるように感じた。

あいにく俺はどこぞのどS王子とは違って、嫌がってるもんを無理矢理にどうかしようとは思わなかった。

って、どうかしてる。たかが紙だろ……疲れのせいか?

煙草を何の躊躇いもなく口に運んで火を点けようとすれば、さっきチャイナに決意した事を思い出した。

もう、さっきの煙草で最後だと。

俺はこんな自分に嫌気がさして苦笑いを浮かべると、箱の中に少し湿った煙草を戻した。

チャイナが吸うなと言ったワケじゃねェ。

それでも吸わない俺は本当にどうかしていた。

いつもなら、禁断症状が出て苛立ってるハズで、ましてや“これが最後”なんて事は考えもしなかった。

さっさと仕事を終わらせるか。

ため息を吐いて、また筆を走らせた。

だが、やっぱり気持ちは仕事へと向かうことはなく、意識はもうずっとチャイナへと注がれていた。

俺の体の横に、チャイナのだらんと垂れた腕が伸びていた。

握っていた手は開かれて、かじり欠けの酢昆布が床に転がっていた。

ここまで落ち着くなんざ、鬼の副長の背中はよっぽど頼りになるんだろう。

なんて自嘲気味に心で呟いてみたが、本当だったならそれはそれでどうするべきか、俺には分からなかった。

そう言えばさっき、訊かれた事に答えられなかった事を思い出した。

冗談半分で本気半分なら、俺も同じように答えてやるべきなんだろうが、そんな中途半端な答えよりも真実を述べる方がずっと楽だった。

そんな俺は不器用なのか?

寝息を立てているチャイナに呟いた。

 

「ダメなわけねェ。ずっと、そうしてろ」

 

背中の熱は相変わらずで、俺の胸さえも熱くさせる。

その熱くなった胸は今までの自分の行いを思い出すことによって、一気に温度を下げた。

“待ってろ”なんて言う俺はチャイナを待たせてどうしたいのか。

毎回、毎回ただ本当に待たせるだけで、俺は何をやってるのか。

どうしたいかなんて分かってんだ――

俺は畳に転がったまんまの酢昆布を拾って机の上に乗せた。

背中のチャイナは次第に体が傾き始め、今にも床に倒れてしまいそうだった。

チャイナの白い指は力なく投げ出されていて、熟睡しているようだ。

ついに俺はゆっくりと気を付けながら背中をずらすと、チャイナを胸に抱き寄せた。

何も考えずに眠ってるチャイナの無防備さに思わずため息を吐くと、俺はチャイナの体を畳の上に寝かせてやった。

さっきまであった背中の熱がなくなって寒いハズなんだろうが、今じゃ耳から顔から俺の全てが熱を放っていた。

指先までドクドクと血が流れているのを感じ、とっくに俺はニコチンを摂取しなきゃヤバいところなんだろうが、脳内は別の考えで溢れていた。

 

「お前は落ち着くんだろうが……俺は落ち着かねェんだよ」

 

安心しきって眠るその姿は、俺を懐かしい気持ちにさせた。

真っ白で柔らかそうな肌が俺の期待心や冒険心をくすぐってならない。

いつもならとっくにチャイナはこの部屋から去ってるか、俺がまだ筆を置かないか。

チャイナが眠ってるにしても、きっとこうして向き合ってる事は無かった筈だ。

これは俺へのチャンスなのか――それとも罠か。

物事には正しい筋書きなんてものがあって、そこからどう逸れていくか。

予定調和をどう狂わせるか。

それが醍醐味なんだろう。

だったら俺はこの誂えられた状況をどう壊していけばいいんだろうか。

答えや正解はチャイナだけが知ってる。

だから、俺はただ祈るだけだ。

 

「テメェは悪運だけはつえーだろ」

 

罪だと、悪い行いだと認識しながら俺は目の前のチャイナに唇で触れた。

俺がいつも待たせてた理由も、チャイナがここへ通う理由も仮に同じなら、俺のこの行為も正解の一つなんだろう。

だからさっさと言ってくれ。

正解か不正解か教えてくれねェと、このままお前に溺れちまうじゃねェか。

想像通りの柔らかい唇を静かに吸えば、水を含んだ果実のように俺の口の中で甘く薫る。

これの悦びを俺はずっと無意識に、褒美にでもしてたんだろうか。

これの為に書類の山にひたすら向かい続けてたんだろうか。

今はもう、どうでもいい。

俺はチャイナの皮膚や、呼吸や、唾液や、熱を出来るだけ静かに自分へと取り込んだ。

それはチャイナと“ひとつになりたい”と、身体の願望の表れなのか?

これ以上の方法でチャイナと一つになれるのなら、俺は何だってしてしまう恐れさえあった。

結果的に見事に俺はチャイナに溺れてしまったようだった。

 

「んっ……」

 

小さな声を上げたチャイナに俺は急いで唇を離すと大きな瞳に捕らえられた。

それに言葉を失って、弁解すら放棄して、俺はまだ溺れていたいと望んでしまった。

何も言わない瞳が俺の思考を真っ直ぐに貫き、正に俺と言う存在を審判にかけてるようだった。

あまりにもの静けさに俺の喉は細くなり、唾を飲み込むことすらままならなくなった。

手に滲む汗をズボンで擦り取った。

 

「私……」

 

チャイナがゆっくりと口を開き、俺の耳は一言一句聞き漏らさないようにとそれに集中した。

 

「私、寝てたアルか?」

 

チャイナの口から紡がれた言葉は俺を拒絶し、激しく罵倒する言葉ではなく、何とも穏やかなものだった。

何も気がついてないらしく、俺もこのまま隠してしまおうと思った。

 

「あぁ、長いこと待たせたからな」

「オマエ、もう仕事終わったアルか?」

 

俺は自分の背にある机の上に積まれた書類の山に苦笑いを浮かべた。

チャイナもそれを見て小さな口から舌をチロリと覗かせて、べーっとふざけてみせた。

 

「待つのに疲れたか?」

「……別にネ」

 

視線を泳がせそう答えるチャイナに、胸の中心が熱く燃えた気がした。

 

「もう、待つな」

「えっ」

「仕事中に来るな。分かったか?」

「……分かったアル」

 

素直にそう返事したチャイナは俺を見ることもなく、この部屋から出ていこうとした。

せめて、その瞳で俺を映してから出て行けよ。

俺はチャイナの肩に手を置くと、さっきは我慢出来ていた煙草を口に咥えた。

カチャっとライターの音が鳴ればチャイナが口を開く。

 

「三本目アル」

 

辺りにオイルの匂いと煙草の匂いが一気に広がり、俺はそこに仄かに混じる甘い薫りごと吸い込んだ。

 

「よく数えてるこったァ。なぁ、チャイナ」

 

振り返るチャイナは首を軽く傾げると何かと言った顔で俺を見ていた。

本当に何も知らないんだろう。

さっき俺が何をしたとか、今から俺が何を言うのか。

 

「仕事中じゃなけりゃ、いつだって相手してやるよ。お前が可能な限り、何時までだってな」

 

チャイナの細くなる目に俺は答えを突き付けられたようだった。

伏せられた長い睫毛が俺の心までくすぐった。

正解か不正解か――

俺はチャイナが突き付けた審判のカードをしたり顔で捲りあげる。

 

「帰したくなくなっても知らないアル」

 

つくづく自分の悪運の良さには驚いた。

正位置の天使の絵は“発展”と俺に告げていた。

チャイナは俺を照れたような顔で見ると、静かに戸を開け、すり抜けるように帰って行った。

口に咥えていた煙草の灰はいつの間にか足元に落ちて畳が汚れていた。

だが、そんな事は微塵も気にならなかった。

チャイナが出ていった戸にガタッと両手を付けば、これから“発展”していくであろう俺達の関係にニヤケそうになった。

 

2011/3/18

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