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桜吹雪/銀神3Z

 

 

 

桜は満開だ。

そんな桜並木の路を、俺と神楽は一定の間隔を空けて進んでいる。

俺の後ろをトボトボ歩く神楽は下を向き、濡れている地面をさっきからずっと睨んでいた。

俺はそれに気付いてはいたが、掛ける言葉を見付けられずにいた。

加え煙草のせいにして何も言わず……ズルいのは分かってんだ。

そういうズルいってのが大人なら、子供と大人の狭間の神楽は一体なんなんだろうな。

 

「ほら、電車間に合わねぇだろ」

 

俺が振り返りそう言葉を掛けるも、神楽はふて腐れたような態度で返事すらしない。

素直な事は素晴らしいが、それがどんだけ残酷か。

嘘でも良いから俺は笑ってみせて欲しかった。

 

 

 

神楽との出会いは三年前の今頃の時期で、受け持つクラスの生徒として俺の前に現れた。

カタコトの日本語と色気のねぇ振る舞い。

元気と負けん気は人一倍で、クラスの男子とも取っ組み合ってケンカをする。

厄介なガキだなんて思って見てた。

だが、そんな事は神楽のほんの一部で、厄介なのはもっと別の部分だった。

実は動物が好きで毎日一人ウサギ小屋を掃除してたり、好き嫌いなく何でも美味いと人の弁当を食べたり、分厚いレンズの眼鏡の下は可愛かったり、俺にベタベタと引っ付いたり。

マジで厄介。

女子生徒なんてこの世で危険なもののトップ5に入るなんて言われてる。

それが毎日毎日俺に笑顔を向けてまとわりつくワケよ。

触れれば即時爆発。

俺の人生、一貫の終わり。

なのに神楽は馬鹿なのかなんなのか、俺の腕を平気で取る。

そんな毎日を俺は三年も過ごした。

いい加減に好きな男でも出来て、お願いだから俺から離れてくれなんて事すら考えた。

だが、神様ってのは気まぐれらしく、俺の願いを半分だけ聞き届けてくれた。

神楽に遂に好きな男が出来たらしい。

 

3年生になったある日。

週末までに進路調査票を持ってくるようにと伝えてあった筈だったが、神楽の奴はすっかり忘れたらしく、1日待っても俺の元に持って来なかった。

舐められたもんだなと、俺は放課後いつも煙草を吸ってる授業準備室に神楽を呼び出した。

 

俺が部屋に着き、三本目の煙草に火をつけた時だった。

珍しく神楽は部屋のドアをノックした。

俺が入れと声を掛けると、神楽は手にきちんと進路調査票を握っていた。

 

「あのな、あるなら何で呼び出されるまで持って来ねーんだよ」

 

後ろ手にドアを閉めた神楽はコクンと頷くと、窓辺で煙を吐いてる俺まで迷うことなく歩いた。

そして、黙ったまま俺の胸元にクシャっと用紙を押し付けると、逃げるように帰って行った。

 

「はァ?何なの?アイツ」

 

俺は夕陽で茜色に染まる室内を今でも鮮明に思い出せる。

燃えるような赤色がまるで俺を部屋ごと飲み込んでしまうような。

 

俺は神楽の持ってきた調査票に目を落とした。

次の瞬間ポトリと煙草の灰が落ちた。

 

「……何だよこれ」

 

心臓が煩く騒ぎ、用紙を持つ手が僅かに汗ばんだ。

神楽の拙い字で書かれた第1希望。

 

“銀ちゃん先生のお嫁さん”

 

第2希望も第3希望も空白だ。

つか、何なの?

何でこういう事をしちゃうわけ?

冗談でもやめてくれよ。

お前さ、もし先生が本気にしちゃったらどうすんの?

本気にしちゃったら……

 

「バカ野郎」

 

俺は力が抜けたのかその場にしゃがみこむと、しばらく立ち上がれそうもなかった。

 

その次の日からだった。

俺が神楽を避けるようになったのは。

特別扱いなんて出来るわけがない。

どの生徒も生徒でしかねぇ。

俺が教師である限り。

神楽も次第に俺が神楽の気持ちに答えない事を察すると、自分から俺の腕を離した。

そして、神楽の笑顔が俺に向くことはなくなった。

これで良かったんだ。

そう笑ってみせたが胸が痛んだ。

 

神楽を嫌いかと言えば……そうじゃない。

可愛くないわけねぇだろ。

だが、俺には無理だった。

神楽の気持ちを受け入れて、その場かぎりの自堕落な生活を送れることは。

一歩間違えれば俺だけじゃなく、神楽の人生も一貫の終わりだ。

それはやっぱりダメだろ。

愛し合ってるなら堕ちるとこまで堕ちたって平気。

なんて言うのは綺麗事でしかねぇんだから。

現実は職失って、金失って、喧嘩になって――さよならだろ?

 

やけに最近煙草の吸殻が増えたが気にしない。

レンタルビデオ屋に行っても結局何も借りずに帰ってきたり、学校に行きたくねぇなんて思ったり。

神楽の笑顔はもう俺には向かねぇんだよな。

そんな日々がいつまでも続くのかと思ったら、生き地獄のような気分だった。

それでも毎朝目覚めると体は勝手に学校へ向く。

そういや卒業式っていつだっけ?

ヤニで汚れたカレンダーをめくれば卒業式は来月に迫っていた。

3月1日。

赤ペンで丸をつけると、どこか気持ちが楽になった。

その日を最後に神楽と毎日会わなくて済むようになんだって。

その日を最後に神楽に俺を忘れさせてやれんだって。

そんな風に考えてたのに。

なのに、卒業式を終えた教室で俺は――

 

「銀ちゃん先生、お嫁さんにしてくれなくても良いから」

 

卒業証書を片手に涙目で俺に迫る神楽は、会わなくなったところで俺を忘れられそうもなかった。

きっと明日も明後日も神楽は俺を忘れない。

俺はどうだ?

きっと10年後も100年後も、生涯神楽を忘れない自信があった。

なら、もう未来永劫俺を忘れられないようにしてやろう。

俺も神楽を忘れたくねぇから。

だから、腕を伸ばして神楽を抱き締めた。

 

卒業した以上、もう俺の生徒じゃねぇんだ。

一緒に食事に出掛けたり、2人で水族館に行ったり、遅くまで家で映画観たり。

まるで恋人同士だった。

ほんの少し前まではただの教師と生徒だったのにな。

このまま関係がどうなるだとか、どうしたいだとか、あんまり考えてなかった。

ただずっとこうした毎日が続いて行って、いつか神楽が進路調査票に書いた第1希望を俺が叶えてやれんだろうかなんて漠然と考えていた。

つうか、漠然としか考えられなかった。

いや、何も考えられなかった。

頭ん中は神楽だけだ。

神楽のアレだ、温もりだけ。

 

神楽と逢う度に体に触れる回数が増えて、次第に唇を重ねるだけじゃ俺は満足いかなくなった。

神楽の熱い肌をどうしようもなく求めて、もう生徒じゃねぇんだからと一晩に何度も何度も何度も抱いた。

銀ちゃんと鳴く神楽の声も、白い腕も瞳も何もかもを離さねぇと。

 

 

 

駅まで伸びる桜並木はまるで俺達だけに存在するようだった。

神楽と俺の二人だけ。

 

雨に濡れた桜の黒い幹が春の終わりを告げているようで、通り過ぎる風が新緑の季節を匂わせる。

神楽は相変わらず下を向いたままで、俺の後方1メートル辺りを保っている。

 

「電車乗り遅れたらどうすんの?飛行機のチケット取ってんだろ?」

 

神楽はうんともすんとも言わず、前髪の隙間から見える表情は泣いてるように見えた。

ンな顔すんなって。

 

俺はまた前を向いて歩き出すと、ただ最終地である駅を目指した。

何度もこの路を神楽と2人で歩いた。

あの駅から電車に乗って色んな場所へ行った。

――たったの1ヶ月だった。

俺はもっと永遠にそんな日々が続くと思ってた。

なのに残酷だよな。

別れは急にやって来た。

 

“帰らなきゃいけなくなった”

 

神楽の言葉に俺は動揺を隠せなかった。

なんの冗談かと思った。

いや、本当は薄々感じていた。

留学期間が終われば国へ帰っちまうことくらい。

そんな現実から逃げるように俺達は、目を閉じてひたすら愛し合った。

 

離れたくない。

帰りたくない。

神楽は口にこそ出さなかったが、態度でそれを示していた。

今だってそうだ。

電車に乗り遅れたら、飛行機に乗り遅れたら――

そんな事を考えてんだろ。

 

「心配すんな。夏休みには会いに行くから」

 

そう言って俺は神楽に右手を伸ばした。

だが、神楽は足を止め、それ以上俺に近付きはしなかった。

そんな態度に俺も諦めると右手をズボンのポケットへとしまった。

 

ちょっと腹立つわ。

少しくらいこっち見ろ。

そう思ってはいても、口にすることは出来なかった。

言えば神楽は俺を真っ青な悲しい瞳で見つめるだろうから。

そんな目に見つめられたら俺は……

 

「銀ちゃん」

 

どれくらいかぶりに神楽が口を開いた。

俺は足を止めると振り返らずに返事だけをした。

 

「なんだよ」

 

神楽の言葉が怖かった。

真っ直ぐな言葉が俺の胸に豪速球で飛び込んでくるんじゃねぇかとビクビクしていた。

だけど、神楽が言ったのは俺が思ってる言葉とは違った。

全然。

 

「せんせ、ありがとナ」

 

柔らかい声。

温かみのある言葉。

いつの間にそんな事を言えるようになったのか、神楽はもう子供じゃなかった。

誰が神楽を大人にした?

それとも勝手に大人になったか?

俺は今なら神楽の笑顔が見れるんじゃないかと思わず振り返った。

 

なのに急に突風に見舞われて、重たそうな桜の枝が騒ぎ立てる。

そして、まるで全てを、俺から何もかもを奪うように桜の花びらが乱れ降った。

 

「神楽っ」

 

桜吹雪の向こうでお前は一体どんな表情をしてる?

笑ってるだろうか?

いや、笑ってて欲しい。

お願いだから笑っててくれよ。

じゃなきゃ俺は……

 

散った花びらが雨上がりの地面に敷き詰められ、まるで白い絨毯のようだった。

その路の真ん中で神楽は俺を真っ直ぐに見ていた。

笑顔で真っ直ぐに。

 

「銀ちゃん、バイバイ」

 

俺は目を閉じると脳裏に神楽の笑顔を思い浮かべた。

大丈夫だ。

しっかり焼き付いてる。

 

神楽と過ごした日々は決して長くはなかった。

愛し合った時間なんて一瞬の内に過ぎ去った。

だけど、俺はそれを忘れない。

夢みたいな日々を俺は一生忘れない。

だから、お前も忘れんな。

俺は目を開けると言ってやった。

 

「神楽、愛してる」

 

その言葉を聞いた神楽は両手で顔を隠し、白い絨毯の上にしゃがみこんだ。

そして、また風が吹いて桜吹雪がその姿を覆い隠した。

今の瞬間にでも神楽が拐われて居なくなってしまいそうで、俺の胸は息が止まるほど強く痛んだ。

 

「……どこにも、行くなよ」

 

限界だった。

頼むから、俺から神楽を奪わないでくれ!

離れたくなくて、帰らせたくなくて、愛しくて堪らないのは俺の方だ。

強がって別れを告げて見送るなんて、正直キツいわ。

 

しゃがみこんだ神楽を抱き締めに行こうと、俺はぬかるんだ地面を力強く蹴り上げた。

水溜まりも泥はねも電車の時間も世間体も。

何もかもを気にしないで。

 

2013/03/24

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