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賽は投げられた:08

 

入ってすぐの印象は綺麗に片付けられているなぁと言ったものだった。

神楽はお邪魔しますと言うと、直ぐに風呂場へ通された。

 

「風邪引く前に入っとけ。月曜休まれるわけにはいかねーからな」

 

銀八はそう言うと神楽を風呂場に残してキッチンの方へと行った。

神楽は銀八からバスタオルを受け取ると、少し緊張をしながらシャワーを借りることにした。

 

 

 

神楽が風呂から上がると、そこには大きめのTシャツが置かれていた。

今まで身に付けていたものはどれもずぶ濡れで、乾くまでにだいぶ時間が掛かりそうだった。

神楽は用意されていたそれに袖を通すと、ワンピースのようになった。

ただ一つ問題があった。

ブラジャーもパンツもずぶ濡れだ。

下着を何も着けずにこの格好は随分と頼り無いものだった。

だが、直に乾くだろうと、とりあえずは仕方がないので銀八のTシャツ一枚でいることにした。

 

「銀ちゃん、お風呂ありがとうネ」

 

神楽が銀八のいるリビングへ行けば、温め直されたコンビニ弁当が並んでいた。

 

「なんでコンビニなわけ?」

 

銀八がお茶を入れながら神楽に聞いてくるも神楽は何て答えようかと悩んだ。

お前のせいでご飯も喉を通らなくて、そのせいで神威に料理を食べられて、終いには喧嘩になってお腹空いたから買いに出掛けた事を説明することは出来なかった。

 

「うん、なんとなく」

 

神楽はそう答えると2つの弁当をペロリと平らげた。

銀八は神楽の正面でそれを感心したように見ていた。

神楽はそんな銀八にさっきからずっとドキドキしていた。

少し暗めの照明の中で、あの銀八が自分だけを見ているのだ。

学校の時とは違ってラフな格好でアンニュイさに磨きがかかっていた。

神楽はさっきまでの悲しかった気持ちが嘘のように飛んでいくのが分かった。

運命的すぎる。

まさか雨宿りしていたアパートに銀ちゃんがいるなんて……

突然、訪れた幸運に神楽は神威と阿伏兎と雷雨に感謝した。

 

「で、どーすんの」

 

銀八はテーブルに頬杖をつきながら神楽に聞いてきた。

 

「どーするって?マッサージ?」

 

神楽は銀八の話の内容がよく分からなかった。

仮にマッサージのことなら、昼間に必要ないという結論に至ったじゃんと神楽は首を傾げた。

 

「いや……雨止まなさそうだろ。これ、今夜いっぱい降るみてーだし」

 

銀八は窓の外に目をやると険しい顔をした。

そんな銀八を神楽は真っ赤な顔で見ると、今晩の身の振りを考えたのだった。

いや、考えるまでもなかった。

どうしたってここからは出られないのだ。

ってことは今夜は銀ちゃんと?

神楽は正座をして下を向くと、なんて言って言いか分からなかった。

 

「お前んとこのハゲはどうした」

「今日、明日と研修でいないアル」

 

銀八はその言葉に腕を組んだ。

もしかして無理矢理に帰される?

それはそれで嫌だと神楽は思った。

 

「なら、外泊もバレねぇってわけか」

 

神威が父親と会話することはまず考えられなかったから、よっぽど早く帰らない限り神楽はパピーにバレることはないと思っていた。

 

神楽は銀八を紅い頬で見上げると、恥ずかしそうに言った。

 

「銀ちゃんが嫌じゃなかったら泊めて欲しいネ。私、なんでもするから」

 

銀八は煙草を口に加えると火をつけた。

そして、煙りと共に言葉を吐き出した。

 

「なんでもってなァ……」

 

神楽のその言葉に嘘はなかった。

マッサージをしてくれたお礼も兼ねてそのつもりだった。

なんでもと言うほどに本当になんでも出来るわけじゃなかったが、気持ちはそれくらいの構えだった。

 

「帰れとは言えねぇしな」

 

銀八のその言葉に神楽は良かったとホッと胸を撫で下ろした。

ただ、また優しくされると胸は苦しくなった。

それでも、少しでも一緒の時間を過ごせる事は神楽を嬉しくさせた。

 

「これで安心して今夜は眠れるネ。野宿じゃなくてほんっと良かったアル」

 

柔らかく笑った神楽は、やはりどうしようもなく銀八が好きだと思った。

 

「安心ってな、オイオイオイ」

 

銀八は何も分かってねぇなとぼそりと言った。

そして、煙草を手に持ったまま、何も分かっていない呑気な神楽の隣に移動した。

 

「ここに居るのが俺じゃなかったら、お前今頃どうなってたと思う?」

 

俺んちだったことに感謝しろよと銀八は言った。

神楽はそれは何度も心の中でしてるよと思いながらも、うんと頷き返事をしたのだった。

 

「……なぁ、神楽。例えばだけど」

 

突然、隣の銀八は神楽の下ろしている髪を撫でた。

神楽はそれが心地好くて、まるで仔猫のように銀八の手に甘えた。

そして、銀八を見つめると言葉の続きを待った。

しかし、銀八の手も瞬きも呼吸までも止まってしまったのか、ピクリとも動かなかった。

それを神楽は不思議に思うと、銀八の肩を揺すった。

 

「銀ちゃん?」

 

すると銀八はハッとしてみせると煙草を灰皿に押し付けた。

そして、急に立ち上がった。

 

「今晩向こうの部屋使っていいから。だから早く寝ろ」

 

銀八はそれだけを神楽に言うと洗面所へと行ってしまった。

神楽は向こうの部屋と言われた襖で隔たれた部屋を覗いてみた。

少し大きめのベッドがあり、そこで普段銀八が寝てる事が伺えた。

それを貸してもらえるなんて本当に良いのだろうかと神楽は思った。

 

「じゃあ今晩、銀ちゃんはどこで寝――」

「かぁぐらっ!」

 

銀八の大きな声が洗面所の方から聞こえてきた。

神楽は急いで駆けつけると、自分の湿った下着を手にしている銀八がそこにいた。

 

「銀ちゃん!何してっ」

「神楽!お前まさかその下なんも着けてねぇのッ!?」

 

怒ったような驚いたような口調の銀八の頬は赤く、神楽はそれを見ると自分の顔も赤くした。

 

「だって濡れてたから」

 

銀八は神楽の下着を洗濯機に突っ込むと、神楽の腕を掴んでリビングへと連れて行った。

そして、床に正座させると銀八はあのなァと溜め息を吐いた。

 

「お前さ、ここがどこだか分かってんの?」

「……せんせーのいえ」

 

神楽は何を怒られているのか全く分からなかった。

それよりも下着を着けてない事が銀八にバレてしまい、恥ずかしくて仕方がなかった。

 

「やっぱりお前分かってねーわ。今、お前が居んのは健全な成人男性の家で、今のお前はただの、ただの」

 

神楽は自分の危険性を分かっていなかった。

どこにいてもいつでも自分は生徒で銀八は先生だと思っていた。

だけど、考えてみれば当たり前だった。

銀八は教壇に立っているわけでもネクタイを締めているわけでもなかった。

教室でも学校でもないこの空間は、坂田銀八という一人の男性のプライベートな家だった。

誰も覗き見なければ何でも出来るのだ。

 

そんな部屋に裸同然で居る自分は一体何だろう。

生徒と言う肩書きはどこにも見当たらなかった。

銀八の自分を見つめる目やこの部屋のどこにも存在しない。

じゃあ今、この部屋にいる私は――

 

「お前はただの女なんだよ。俺だってな学校じゃ抑えられてもな、自分ちじゃキツイことだってあんだよ!」

 

神楽は自分を見下ろす銀八の目に焦りを見つけた。

それは苦悩と悶絶が混ぜられたような瞳の色をしていた。

だけど、神楽はそんな苦しそうな銀八に同情出来なかった。

“これ以上苦しめないでくれ”

そう訴えかけてくる瞳に神楽は従うことなんてしたくなかった。

 

銀ちゃんは“女”の私を求めてるの?

だとしたら、神楽は全部あげるつもりでいた。

大好きな銀八が一時の気の迷いだろうが何だろうが、今この瞬間自分の体を求めてくれるなら、余すことなく全て与えてあげたかった。

だから、抑えなくて良いんだよ。

神楽は言ってあげたかった。

 

「銀ちゃん」

 

神楽は立ち上がると銀八の体をゆっくりと抱き締めた。

銀八の表情は苦痛に歪み、奥歯をグッと噛み締めていた。

 

「私、マッサージのこと誰にも言わなかったアル。今日の事だって誰にも言わないヨ。だって私、銀ちゃんのこと……」

 

神楽は言葉に詰まった。

この続きを言ったらどうなるのか。

それを考えると怖くて仕方がないからだ。

受け入れてもらえるだろうか。

いや、受け止めてもらえるだろうか。

体の触れ合いよりも神楽にはずっと勇気のいることだった。

どちらも恥ずかしい事には変わりなかったが、言葉として伝えることは時には痛みも伴うから。

だから、神楽は続きの言葉を飲み込んでしまった。

その代わりに、銀八に一つ頼み事をしたのだった。

 

「一つお願いしても良い?」

「急になんだよ」

 

神楽は銀八の手を引くと隣の部屋のベッドへ誘った。

銀八は一瞬部屋へ入るのを躊躇ったが、神楽の力に逆らう事はせずにそのまま流れに従った。

手を引く神楽は、ベッドに銀八を座らせると真正面に立った。

 

「あのネ、銀ちゃん。これで最後にするから、だからお願い。マッサージして欲しいアル」

 

銀八は神楽を睨み付けた。

 

「何言ってんだよ。さっきも言っただろここじゃ俺は」

「いいヨ」

 

神楽は頷いた。

 

「いいヨ。抑えられなくなっても、私を好きじゃなくても」

 

何だって良いから。

だから、私に触れて欲しい。

それは神楽の最初で最後の願いだった。

 

たまたま嵐の夜に男女が引寄せられ、互いに身体を欲している。

そんな機会はきっと後にも先にも今日だけだろう。

世間体や社会の視線や身の保身。

そんなことは全て忘れて、今夜だけは全て忘れたふりをして、神楽は銀八に自由になってもらいたかった。

でも、少なからず銀八だってやましい気持ちは0ではなかったから胸のマッサージをしたワケで。

神楽は自分をこんなにも大胆にさせた銀八にも、大いに責任はあると思っていた。

 

「私にこんな事を教えたのは先生なんだヨ。だから、最後のお願いくらい聞いてヨ、銀ちゃん」

 

銀八は頭を垂れると貧乏ゆすりをした。

そして、顔を上げたかと思ったら神楽の腕を引っ張って、ベッドの上に転がした。

 

「もう知らねぇ」

 

そう言うと銀八は、神楽の体に上から覆い被さったのだった。

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