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賽は投げられた:07

 

知識はあった。

どうすれば男性が悦ぶか。

それも何となく知っていた。

神楽はチラリと背中越しに銀八を見た。

すると、やはり目を閉じて眉間にシワを寄せ、苦しそうに見えた。

こんな表情をさせているのは自分のせいなんだ。

神楽は自分に何か出来ないかと悩んでいた。

 

「悪かったな」

 

突然、銀八が謝った。

謝らなければならないのは自分の方なのにと、神楽は困った顔をした。

 

「カレシでもねーのに、その……触っちまったな」

 

銀八のその言葉に神楽は胸が詰まった。

そうだ、銀ちゃんはカレシじゃない。

分かっていたのに、この現実に辛くなる。

神楽は以前、胸に直接触って良いのは、そういう関係を築いた人だけ。

そんな事を言っていたのを思い出した。

銀八は神楽のカレシではなかった。

だけど、触られて嫌な気など一切しない。

むしろ神楽の体も心も悦んでいた。

 

「銀ちゃんは特別に許すことにするアル」

「……は?なんだよソレ」

 

銀八が軽く笑いながら言った。

神楽も自分でおかしな事を言ってるのは分かってる。

だけど、それ以上の言葉を口にする事は出来ないから。

“先生が好きだから許す”とは絶対に言えなかった。

 

「ねぇ、先生。そう言えば、胸のサイズ大きくなったアル!効果絶大ネ!」

「当たり前だろ。これで効果なかったら……」

 

銀八は言葉に詰まったのか、そこで声が消えた。

そして、神楽の頭を後ろから撫でると、柔らかい声でこう言った。

 

「なら、もうマッサージ必要ねぇだろ」

 

神楽はその言葉に体が冷えていくのが分かった。

もう一度、心の中で銀八の言葉を繰り返した。

マッサージは必要ない。

ってことは、2人でこうして会うのはもう終わりってこと?

神楽は急に不安になった。

銀ちゃんと離れたくない。

もっと2人で秘密を深めたい。

だけど、それがどれほど図々しい願いか、神楽は気付いていた。

私、銀ちゃんのカノジョでも何でもないのに――

 

神楽は小さく頷いた。

目標を達成した以上、了解するしかなかった。

だけど、今までありがとうなんて明るく言えそうもなかった。

涙が出そうだ。

すると、銀八は神楽の異変に気付いたのか後ろから抱き締めた。

神楽はいつもそれを嬉しいと思うのに、優しくされればされるほど胸が苦しくなった。

 

「銀ちゃんのバカ」

 

神楽は自分を特別だと思ってないなら、こんなことされたくなかった。

 

「じゃあ、俺も言うわ。神楽のバカヤロー」

 

神楽は本当にそれだと心の中で呟いた。

なんでこんなに苦しい選択をしてしまったんだろう。

なんでこんなに先生を好きになってしまったんだろう。

でも、だからと言って後悔はしていない。

簡単に触れることが出来る距離にいる。

現に今だって抱き締めてもらってる。

ただ確かなものがないだけだった。

だけど、それが何よりも神楽の望むモノだった。

 

「なんでいつも抱き締めるアルカ?」

 

神楽は“特別”と言う言葉が欲しかった。

お前が特別だからと銀八の口から聞きたかった。

 

「行動に理由なんてねーよ」

 

銀八は言い慣れているような口ぶりで言った。

神楽はそうかもと言ってうっすら笑みを浮かべると、銀八の腕を体から引き剥がした。

 

やっぱり銀八の口から聞けなかった。

神楽は銀八にとって“特別”ではなかったんだと痛感した。

理由もないのに抱き締めたり、マッサージをしたり、欲情したり。

神楽は銀八の行動にも少なからず何か意味があると思っていた。

だけど、実際は意味など何もなかった。

それは神楽には考えられないことだった。

何故なら、いつだって銀八が好きだと言う思いだけが神楽の理由だったから。

 

「そろそろ教室戻るネ」

 

神楽は乱れている制服を整えた。

 

「もうそんな時間か」

 

銀八はそう言って腕時計を見ると、次に立ち上がった神楽を見た。

神楽は銀八の視線に咄嗟に下を向いた。

急に込み上げる恥ずかしさと、胸につかえるもどかしさのせいだった。

 

「じゃ、じゃあネ銀ちゃん。今日までマッサージしてくれて本当に……」

 

神楽はそこで顔を上げた。

ちゃんと言わなきゃ。

せめてこれだけは言わなきゃ。

神楽はまだソファーに座っている銀八の目を見ると、にっこり笑顔を作った。

 

「ありがとナ」

 

それだけを伝えると、神楽は準備室のドアを開けて走り去って行った。

一人残された銀八は煙草を取り出すと火をつけた。

そして、自分の右手を眺めると空で握り拳を作った。

しかし、煙草の煙りどころか何一つ掴むことが出来なかった。

 

 

 

神楽はその日帰宅すると、珍しく食欲も湧かずに塞ぎ込んでいた。

夕食のエビフライを神威に取られたが、今日は怒る気力もなかった。

早目に風呂に入った神楽は寝間着に着替えると、洗面所の鏡の前で髪を乾かしていた。

冴えない顔。

虚ろな目。

口角の下がった口。

鏡に映る表情は最悪だった。

明日、学校が休みじゃなければどんな顔して行けばいいかと悩むところだったが、土日の2日間に神楽は救われた。

月曜にはきっと吹っ切れてるはず。

神楽は髪を乾かし終えると、ふと洗濯かごを見た。

 

「……制服がなくなってるネ」

 

神楽は毎週金曜日、制服を洗濯に出していた。

それがどういうワケかなくなっているのだ。

 

「お前キモいよ!すごくキモい!」

 

神威の部屋から何やら騒がしい声が聞こえてきた。

神楽はサァーと顔から血の気が引くと、足音を立てずに神威の部屋のドアに近付いた。

そして、そっとドアに耳を付けた。

 

「俺ァ、妹に怒られても知らねぇからな!このすっとこどっこい!」

 

どうやら神威は神楽の入浴中に友人を招き入れてるようだった。

それで神楽は把握した。

自分の制服はこの部屋の中にあると。

怒りに体が震えた。

神楽はドアの前でハァァアアと気を溜めると、一気にドアを押し破った。

 

「ゴルァ!オマエら!ぶっ殺すアル!」

 

怒り心頭の神楽がその先で見たものは、衝撃的なものだった。

神威の友人のデカ男が神楽の可愛い制服を無理矢理に着ていたのだ。

 

「おまっ、オマエら……」

 

神楽は口に手を当て絶句した。

しかし、神威はゲラゲラと腹を抱えて床を転げ回っていた。

 

「阿伏兎!やっぱりお前サイコー!すごくキモいよ!今度は高杉にも着せてみようかな」

 

阿伏兎と呼ばれた男はデカイ体を震わせながら、神楽に言い分をするのだった。

 

「これはお前の兄貴の命令で俺は……ほら言っただろ!団長!俺は止めた方がいいって」

「覚悟しろヨ!この変態共!」

 

神楽は神威に飛び掛かるも簡単にかわされた。

そして、軽く持ち上げられると部屋から出されてしまった。

神楽はドアをバンバン叩いたが、奴等は全く無視する始末で、何も食べてなかった神楽は力がなくなり仕方なく諦める事にした。

 

さすがにお腹が空いた神楽は台所へと向かったが、あの神威が全部食べてしまったらしく残り物は皆無だった。

仕方ないかと神楽は財布とケータイだけを手に家を出ると、近所のコンビニへ向かったのだった。

 

 

 

お弁当2つとジュースと酢昆布を買った神楽はコンビニを出た。

そして、10歩程歩いたところで急の雷雨に襲われた。

まるでバケツをひっくり返したかのような雨に神楽はギャアと叫ぶと、目の前のアパートまで駆けて行った。

家までさほど距離はなかったが、激しい雷にさすがに怖くなった。

少し古めのアパートだったが、雨宿りには問題なさそうだ。

しかし、髪も服もずぶ濡れで風邪を引いてしまいそうだった。

お弁当はすっかり冷め、ここで食べることは躊躇われた。

 

「なんかもう、踏んだり蹴ったりネ」

 

神楽は今にも泣いてしまいそうだった。

どうして今日はこんなに辛いんだろう。

今まで過ごしてきた中で最も悲しい1日だった。

神楽はアパートの人の家の前にしゃがみ込むと体を震わせた。

それと同時に神楽のケータイも震えたのだった。

 

「神威?」

 

そう思ってポケットからケータイを取り出すと、銀八からの着信だった。

神楽は慌てて通話を押すと、涙を拭いて電話に出た。

 

「もし、もし」

「今、大丈夫か?」

 

神楽は何の用かと驚いていた。

銀八から電話がくることは珍しいことだった。

神楽は心臓がドキンとした。

 

「大丈夫……だけど大丈夫じゃないアル。今、家に帰れなくなってるネ」

 

神楽は真っ暗な空を時折昼間に変える閃光に不安そうな顔をした。

 

「お前、どこにいんの?」

 

神楽はそれにどこかのアパートと答えた。

 

「もしかして、103の部屋の前に座ってね?」

 

神楽はふと自分の背後から銀八の声が聞こえた気がした。

神楽は立ち上がって後ろを振り向くと、ドアに103の文字を見つけた。

 

「なんで銀ちゃん知ってるアルカ?」

 

何でだろと銀八が答えると神楽の見ている部屋のドアがガチャリと開いた。

そして、中からケータイを耳に充てた銀八が出てきたのだった。

 

「……ほら、入れよ」

「うん」

 

神楽はようやく電話を切ると、銀八の住むアパートの部屋へと足を踏み入れたのだった。

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